桝田省治死す。

二次創作小説、カクヨムにて解禁

 日本一ソフトウェアの公式サイトおよび小説投稿サイトのカクヨムで『勇者死す。』の二次創作小説を解禁するとの発表があった。まあ著作権者が正式に許諾しなくても書きたい人はブログなりコミケなりでこれまでも書いていたわけだし、メーカーもなかば黙認していたのが実情だ。
 だが公式に解禁となれば、ある日とつぜん内容証明つきの訴状が送られてくるかも(そんなもんをもらった人に会ったことはないけどね)という恐怖におびえることなく枕を高くして眠れる。それにカクヨムで二次創作小説を解禁と宣言すれば、書きたい人は自分で発表の場を作る手間が省けるし、読んでみたいが探すのは面倒くさいという人も助かる。
 前例がないのでどれくらい集まるものなのか見当もつかない。ある程度の数の作品が集まったとしてもそれがゲームの販促にどれくらいつながったのか計る手立てが今のところない。ただし数値化できなくてもそれなりに盛り上がれば、他のゲームメーカーも今後は解禁を検討するだろう。今ひとつ盛り上がらなかった場合でも問題点やより良い方法を模索するヒントくらいは見つけられる可能性は高い。なにより大したコストもかからない。試験的な運用という意味では十分な成果だ。どう?
 てな感じでもっともらしい理屈を並べて、日本一ソフトウェアとカクヨムを説得したわけだが、実のところは僕が読んでみたいだけだったりする。

◆二次創作にうってつけ!

 『勇者死す。』は、魔王と相撃ちになって死んだ勇者が神の計らいで5日間だけよみがえり、いまだ混乱がつづく戦後世界をめぐるRPGだ。この5日間に勇者がとった行動により葬儀の内容が幾通りにも変化し、延いては遠い未来にも大きな影響を与える。
 見方を変えれば、ゲーム内でユーザーが勇者として過ごす5日間よりも、描かれていない勇者が魔王を討つまでの経緯や、勇者が死んでいなくなった後の世界のほうが、時間が長い分だけドラマチックなエピソードが数多くあったはずなのだ。ゲーム本編には勇者がよみがえる前も勇者が死んだ後についても最低限の情報しか配置していない。ユーザーごとに十人十色の想像ができる余地をできるだけ多く残すためだ。
 もちろんシナリオを書いた僕の頭の中には、話として面白いかどうかは別にしてそれなりにつじつまの合った大枠の設定はある。だが、ゲームは、ユーザーがゲームの中の世界で何度も選択し介入して初めて物語が完成する稀有な特性を持つ娯楽だ。ゆえにシナリオライターが用意した設定など基本的に無視していい。というか、ユーザーが付け入る隙が適当にあったほうがゲームのシナリオとしては優秀だと個人的には思っている。

◆あなたに書いてほしい

 たとえば、勇者が魔王を討つまでならこんな点に着目してみるのはいかがだろう?
 サラはどんな言葉で亜人種を参戦させたのか。リューが勇者のパーティに加わったのは勇者が頼んだのかリューが志願したのかどちらだろう。ゾロはどんないきさつで勇者のパーティに入ったのか。誰がどう育てればメリーアンのような変人になるのか。フローラ王女が勇者に恋したきっかけは何だったのか。それに、カマラと勇者の間にいったい何があったのか。
 勇者の死後だって気になる。どんなドラマが繰り広げられる可能性があるだろう。
 ビビはレモイナの復興資金をいかなる方法でかき集めるのか。穴民の子供を人間の学校に送り出すナオミの苦労やいかに。ヨナもベラナベルも平穏無事な生涯がおくれたとはとても思えない。生まれたかもしれない勇者の子どもの行く末は……?
 何度も試行錯誤を繰り返しよりよい結果を目指すゲームには、八方が丸く収まりめでたしめでたしの結末、いわゆる"トゥルーエンド"をもつものが多い。『勇者死す。』も物語を終わらせるための結末は用意されている。
 ただし、スタッフロールを眺めながらよくよく考えれば気づくだろう。この結末は、勇者個人の気持ちが整理されただけで、全体の状況はぜんぜん丸く収まっていない。いずれ訪れる新たな苦難の始まりが告げられたに過ぎず、評価はさらに後世の評価を待つしかない。構造は類似しているが内容は"トゥルーエンド"には程遠い。つまるところ救えたのは勇者自身の魂だけ。当たり前だが、たった5日間で何とかできるほど世界は単純ではない。
 たとえるなら僕が用意したエンディングは部屋中に散らかったおもちゃを元の箱に片付けただけ。しかしおもちゃの本質は遊ぶための道具だ。
 だからあなたに書いてほしい。『勇者死す。』のシナリオは穴だらけで"if"の宝庫だ。これほど二次創作に適した素材はなかなかないと自負している。大事なことなので最後にもう一度言うが、なにより僕が読んでみたい。