[作品タイトル]
しあわせのかたち

[応募者名]
久遠了


 マグムは強国ではあったが、グレダス以前の王はむやみに他国に攻め入ることはなかった。いくさ好きのグレダスは「貪狼王」と呼ばれるようになった。

 グレダスは屈強な体を持つ長身の男だった。燃えるような赤い髪は遠くから目を引いた。兜をかぶらずに金の鎧を身につけて戦車の上で睥睨する姿は、他国の兵には魔神に見えた。それもまたマグム軍の強さになった。ひと時とも思える間に、ガルドウス大陸の半分以上の国をグレダスは攻め滅ぼした。

 敗戦国の民のうち、成人している者は男女を問わず兵士にされ、次の国に送り込まれた。次の国でも、その次の国でも、同じことが行われた。

 マグムは日に日に国土を広げていった。それにもかかわらず、グレダスの表情はさえなかった。

「デウはまだ抵抗しているのか」

 かつてはセズス国王が腰掛けていた玉座に座ったグレダスが不機嫌そうな声で問いかけた。グレダスの横には黒髪に金の飾りを付けた王妃ミディアが座っていた。グレダスやほかのマグム人の赤褐色の肌ではなく、透き通るような白い肌をしていた。

 ガルドウス大陸の中央に位置するデウは山脈と大河に囲まれていた。他の国が軍を強化したのに対し、デウでは古来から魔術や技術が研究されていた。大多数に理解できないそれらを人々は魔道と呼び、恐れた。

 部屋の右側には十人、左側には九人の軍団長が並んでいた。彼らは王と王妃ではなく、その前で控えている男を見ていた。

「ガザウスよ。余やほかの軍団長に言うべきことがあれば言うがよい。皆はそのために集まっておる」

 王の言葉にひざまずいていたガザウスが、おずおずと顔を上げた。軍団長たちは瀟洒な謁見用の軽装鎧を着ていたが、ガザウスは戦場から戻ってきたばかりの様子だった。濃い茶色の髪は乱れ、顔や手足はすすけていた。横に置かれた兜や、重装鎧は傷だらけだった。

「十万の兵をお預かりしながらの敗戦、申し開きできません」

「負けたことを咎める気はない。負けた理由が分かっているのであればな」

 グレダスの声に温かみはなかった。

「デウの軍勢は総勢二万だったと聞く。それだけの差がありながら、生き残った兵が三万とは…… 何があった?」

「大魔道士ジエが率いる魔道部隊に敗れました。我が軍にはきゃつらの術に対抗するすべがありませんでした」

 ガザウスが声を振り絞って答えた。

「ジエに会ったのか」

「遠目に姿を見ました」

 ガザウスの体が一瞬大きく震えた。

「マントとフードに姿を隠しておりましたが。私に話しかけてきました。声が聞こえるはずもない遠さなのに耳元で聞こえました。王に我が言葉を伝えよと」

「どのような言葉だ」

 ガザウスが王を見つめた。

「死を知り尽くしたものに関わるな、と」

 言い終えると同時に、ガザウスの髪がみるみる白くなっていった。顔中にしわが深く刻まれていく様子を見て、両側の軍団長たちは恐怖のうめきを漏らした。

「我が魔道の恐ろしさを知れ、と……」

 体を支えられなくなったガザウスが床に右手をついた。筋肉質の腕が痩せ細っていた。

 手が骨と化し、ガラン、と音をたてて鎧が床に落ちた。その衝撃で外れた頭蓋骨がグレダスの足元に転がった。ミディアが顔をそむけた。

「大魔道士ジエの名は余も知っている」

 グレダスは眉間にしわを寄せ、つぶやいた。

「余は魔道士ジエを滅ぼせと命じたことはない。魔道国デウを滅ぼせとは命じたが」

 グレダスは軍団長たちに指示した。

「ロムドスとウェンダスは南に進軍し、キエアルゴスを滅ぼした後、デウに進軍せよ。ダスケサスとムユレウス、キルキスは海よりホラウに向かい、滅ぼした後、デウに進軍せよ。バラスとフリメイスはガザウスのあとを継ぎ、この地よりデウを攻めよ。ただし…… 魔道士どもが現れたら退け」

「それでよろしいのですか」

 年長のバラスの問いにグレダスはうなずいた。

「別にジエや魔道士どもを殺したいわけではない。デウの民全てがいなくなれば、国は消える。ジエなどそのまま放っておけばよい」

 最後まで抵抗していたデウが降伏し、ガルドウス大陸の全ての国がグレダスのものなった。

 グレダスがマグムの居城に戻って二年後、顔を青くした近衛隊長がやってきた。

「申し上げます」

 近衛隊長の震え声に、身重のミディアと談笑していたグレダスが顔を上げた。

「どうした」

「デウのジエがお目通りを願い出ております」

「ジエが参ったと!」

「謁見の間にお通ししました。十人の近衛兵をつけましたが」

 グレダスはおもわす失笑した。

「忘れたか。ガザウスの十万の軍団を退けた者だぞ。城の兵、全てをもっても勝てるものか」

 グレダスが立ち上がった。横にいたミディアが不安そうにグレダスを見上げた。

「王都を滅するつもりであれば、すでに滅していよう。何を考えておるのか…… 目通りを許す。しばし待つように伝えよ」

「承知しました」

 グレダスとミディアは着替えてから謁見の間に向かった。グレダスに続き、ミディアが部屋に入った。ミディアは中央に立った灰色の姿が自分より小柄なことに驚いた。

 グレダスは玉座に座り、ジエを見下ろした。

「私の言葉が分かるか。余がマグムのグレダスだ」

「おまえたちの粗雑な言葉など子供の頃に覚えた」

 フードの中から嘲る言葉が吐き出された。ジエが右手を上げ、フードを外した。

「お目通りに感謝する。わたしがデウのジエだ」

 頭を軽く揺すると、青みを帯びた白銀の長い髪が溢れた。

「女、だったのか」

 グレダスは思わず、つぶやいた。ジエは灰緑色の瞳で王と王妃を見た。

「異国の女が珍しいとは思えないが」

 グレダスがジエを睨んだ。

「余を侮辱するのは構わんが、妻を愚弄することは許さん」

 低い声だったが、部屋にいた兵たちは震え上がった。それはグレダスが戦闘中に部下を叱責する声よりも、さらに冷たい声だった。ジエは意外とでもいうように目を丸くし、改めてミディアに向かって丁寧に頭を下げた。

「すまなかった。そのようなつもりはなかった」

 ミディアはほほを赤らめ、許すように小さくうなずいた。

 ジエが頭を下げる様子に、グレダスは気が抜けたように椅子に深く腰掛け直した。

「何用で参った?」

 ジエはミディアの大きくなりつつある腹にわずかに目をやってから、つぶやいた。

「用はあったのだが…… 危急ではなくなった」

「いつでもいい用事になった、ということか」

「まぁ、そんなところだ」

 グレダスはジエを見つめていたが、急に居住まいを正した。

「それでは余の方から尋ねたいことがあるが、よいか」

 ジエは目を細めてグレダスを見た。グレダスの真剣な表情に、ジエは青みを帯びた白銀の髪を軽く揺らした。

「よかろう。問うがよい」

 大魔道士の威圧する声に、尊大な言葉を咎められる者は誰もいなかった。

「万民が幸せになる方法を教示願いたい」

 思わぬ問いにジエは眉をひそめて聞き返した。

「国を滅ぼす方法ではないのか」

 グレダスは笑った。

「そのような方法は幾らでも知っておる」

 グレダスはため息をついた。

「ミディアを残し、兵たちを下がらせよ」

「は…… しかし……」

「大魔道士には剣や槍が何本あっても足りぬわ。それより椅子をお持ちし、飲み物を用意させよ」

 近衛隊長は命じられたように兵を下がらせた。ジエは持ち込まれた椅子に腰掛けた。

「デウは大陸の中央にあったが…… おまえたちはこの世の変化に気づいておったのか」

「どのような変化だ?」

「マグムにも冬はあったが、比較的温暖な土地だったと祖父から聞いていた。だが、余の幼少の頃には年の半分は冬という場所になっていた。マグムより北の土地では近年になって夏でも氷が溶けない場所が出始めたと聞く。ホラウでも昨年の冬に氷の塊が大挙して海岸を埋めたと連絡があった」

 ジエはうなずいた。

「そのことなら知っていた。この世界は長い年月のうち、何回か氷に閉ざされた。不運なことに今その時期が来ている」

「知っていて、何もしなかったのか!」

 ジエはグレダスの叱責の声に答えられなかった。

「なんとかならぬものか。余は北の民が南に住めるように領土を広げた。しかし、世界は氷に覆われていく。余が滅ぼさなくても、いつか世界は氷に滅ぼされる」

「大いなる自然の振る舞いを人ごときに止められるはずもない」

「大魔道士の力を持ってしてもか」

 ジエは答えなかった。グレダスも黙り込んだ。しばらく考えてからジエは言った。

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