[作品タイトル]
迷い子の逝く夏

[応募者名]
玲央


 蒸し暑い日だった。

 空回る車輪。壊れた車椅子と、菊池(きくち)の微笑。

 うずくまる少女。割れた眼鏡と、走り出す僕。

 焼けたアスファルトのにおい。

 中三の夏休みを駆け抜けながら、僕は思う。

 どうしてこうなってしまったのだろう?

 耳に残るのは、命を燃やして生きる蝉の声。

 菊池と初めて話したのは、六月も終わりに差しかかった頃だった。

 放課後の図書室で居眠りをしていたところを、図書委員の菊池に起こされたのだ。

「雨の日はだるくて仕方がないんだ」と言うと、あいつは「猫みたいなやつだな」と小さく笑った。その笑顔が予想していたよりずっと柔らかで、思わず目を瞠ったものだった。

クラスは違ったが、僕は菊池のことを知っていた。というより、学年一の秀才で大病院の跡取り息子とくれば、注目されない方がおかしい。しかしあいつはそれらのことを鼻にかけるでもなく、ただ静かに存在していた。そんな菊池の姿は、僕の目にはいつも眩しく映っていた。思えば、それは憧れにも似た感情だった。

翌日は久々に気持ちの良い晴天だった。梅雨も中休みというところらしい。空も毎日雨を降らすのは疲れるのだろう。

僕は茜色に染まり行く空気を感じながら、まどろんでいた。図書委員の女生徒の視線を幾度となく感じる。下校時刻がせまっているらしい。そろそろここを出てあげないと彼女がかわいそうだ。そう思って目蓋を開くと、最初に視界に入ってきたのは菊池の姿だった。

「今日は晴れてるよ」とどこか楽しそうに言う菊池に、僕は重い腰を上げながら、「晴れの日は暖かいから眠くなるんだ」と返した。

「本当に、猫みたいなやつだ」菊池はそう言って再び笑った。

 この時から、僕たちの奇妙な関係が始まった。友達などという生温い間柄では決してない。下校時刻になると図書室で寝こける僕を菊池が起こし、肩を並べて家路につく。ただそれだけだった。

 梅雨が明けると一転して晴天の日が続き、僕は図書室通いをやめることにした。図書室特有の本の匂いは好きだが、しがない公立の中学校には冷暖房設備などあるはずもなく、安眠は望めそうにないからだ。菊池のことが頭をよぎったが、別に約束している訳ではないので、そのまま下校した。

 翌日の放課後、菊池は校門で待っていた。

「新しい居場所は決まった?」と聞かれて頷くと、あいつは無言でついてきた。目的地に着くと、なるほどと頷き、僕を追い越して先に入って行った。

 窓際の席を確保して眠る体勢に入ると、菊池が戻ってきて隣に腰かけた。市立図書館に来たのは初めてらしい。確かに欲しい本は買うだろうし、学校での調べものは図書室のもので事足りるだろう。上機嫌の菊池を横目に、僕の意識は深く沈んでいった。

 その日から、再び奇妙な関係が始まった。放課後二人で図書館へ通い、閉館時間になるとまた肩を並べて帰っていく。何かを話すわけでもない。ほとんど無言で、時折思い出したように短い言葉を交わす。友達ではなかった。しかし僕は、その距離感が心地良いと思うようになっていた。

 夏休みに入っても、僕たちは相変わらず図書館に入り浸っていた。菊池は飽きることもなく読書を満喫していた。読んでいたものの大半は推理小説で、中には僕も読んだことのある本も混じっていた。

 僕たちは似た者同士なのかもしれない。そう思い始めたのもこの頃で、僕はいつの間にかあいつに気を許すようになっていた。

 だから、話をしてみる気になった。

「どうして僕と一緒にいるんだ?」と。

 菊池は「興味深いから」と短く答えた。

 似ているからだと思っていたのは僕だけだったらしい。顔に出したつもりはなかったが、菊池は笑って続けた。

「居場所がないってところは似ているかもね。でも君は自分で自分の居場所を探そうとしてる。今のところ、僕はそれに便乗させてもらっているだけだ」

 居場所。僕は思わず目を伏せる。

「今のところ、ね」

「そう。君の隣はなかなか悪くない」

 やはり友達などではなかった。そうはっきり線引きしてしまうと逆にすっきりとしたもので、その日以来僕たちは人並みに会話するようになった。



「殺人事件が好きなのか?」

 そんな突拍子もないことを言われて言葉に詰まると、菊池は「本の裏表紙をじっと見つめていたから」と付け足した。

「読んだことがあるから見てただけさ」と答えると、菊池は「へぇ」と意外そうな顔をした。

「君が読書家なのは初耳だな」

「別にそんなんじゃない。興味があって少しかじってみただけだ」

「興味? 探偵まがいのことに?」そう言って目を瞬く菊池に「違うよ」と即座に否定する。

「犯人の動機に」

「へぇ……良い趣味してるね」

 微笑む菊池。

「どんなに奇想天外なトリックを使っていても、やっぱり動機はありふれたものばかりだった」

「まあ、推理小説の華はトリックの方だから」

「うん。つまらないから読むのをやめた」

 早々に話を切り上げて眠る体勢に入ると、菊池は小さく呟いた。

「君は本当に興味深いね」

 翌日僕は菊池に誘われて、久々に図書館以外の場所に出かけることになった。菊池総合病院。市内でも指折りの大病院だ。敷地内には菊池の住む屋敷もある。そこに会わせたい人がいるらしい。正直言って面倒臭かったが、菊池に強引に押し切られ、仕方なくついて行くことにした。

菊池の案内で広い院内を歩くと、看護士たちが菊池に向かって会釈をする。まだ中学生とはいえ、この病院の跡取りなのだと、改めて実感した瞬間だった。菊池は小さく会釈を返すと、足早にエレベーターに乗りこむ。たどり着いたのは小児病棟。大小さまざまなぬいぐるみや色とりどりの折り紙で作られた千羽鶴たちが出迎えてくれ、白一色だった院内のイメージをあっという間に払拭した。菊池はとある病室のドアをノックし、呼びかける。

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