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「みなさんこんにちは。LBCラジオのお時間です。まず初めに、昨今ロンドン市街地で発生している連続強盗殺人事件についてお知らせします……」

 時刻は昼下がり。
 私立探偵アーサー・ヒューイットは自身の定期健診のため、ロンドン市内の一角に居を構える医師、ウォルターの診療所を訪れていた。
 問診は既に終わり、今は薬を受け取るために待っている所だった。予約客のみ診ているためか待合室にいる客はアーサーだけ。受付にはソフィーが陣取り、機嫌良さげに本のページをめくっている。
 受付台の上に置かれたラジオから流れる話にふと興味を引かれ、アーサーは耳を傾けた。

「……ロンドン市警の発表によりますと、被害者は夜間に酒に酔っているところを襲われたとのことです。遺体からは財布が抜き取られており、金銭目的の強盗事件とみて捜査を進めています。遺体は何度も下腹部を切りつけられて損傷しており、被害者に何らかの恨みがある者の犯行だという見方もあります。昨今ロンドン市街では類似の事件が発生しており……」
「連続強盗殺人、か……」

「……怖いね」

 ふとしたアーサーのつぶやきに、ソフィーが本から目線を上げて応じた。彼女も手元の本を読みつつ、ラジオに耳を傾けていたようだ。
 いや、恐らく聴いているのはこの放送だけではない。昨今のロンドンでは強盗殺人事件が多発し、その度にラジオで注意喚起がなされている。遺体を損壊させるおまけ付きの凶悪事件に、市民達の間には不安と恐怖が広がっていた。

「警察は……何をやってるんだ」

 耳を傾けていたアーサーは思わず呟き、拳を握り締める。
 暗がりで人に襲いかかり、金だけでなく命まで奪う。外道の所業だ。悪党に睨みを効かせるロンドン市警は捜査を進めていると放送されたが、被害は広がるばかり。あてになりそうになかった。

「まぁ、そう簡単には行くまい」

 いつしか診療所の片隅に置かれたラジオを凝視していたアーサーは、言葉を掛けられ視線を巡らす。
 呆れ笑いと共に診療所の受付へ現れたのは、医師ウォルター・ライヒェル。診察を終えて道具を片付けた彼の手には菓子の包みと、湯気を立てるティーポットがあった。


「一杯いかがかね?」
「ごちそうになります」
「お父さん。私も!」

 甘いお菓子と良い香りの紅茶に誘われて、ソフィーも受付の椅子から降りて寄ってきた。
 ウォルターは頷き、年季の入ったカップを人数分用意する。そして、紅茶を注ぎながら器用に肩をすくめた。

「市警でも躍起になって捜査をしていたがね。市街では不安が広がり、混乱に乗じる犯罪が後を絶たないらしい。そちらの対応に追われていたよ」
「先生は、市警に?」
「あぁ。検死で呼ばれてね」

 ウォルターがちらりと視線を投げるのは、診療所のラジオ。今もまだ、強盗殺人事件についての報道が流されていた。
 自身の診療所を持つ医師、ウォルター。高い医療技術を持つ彼は検死医としての腕前も高く、たびたび市警やロンドン警視庁から請われ足を運んでいる。
 どうやら、昨今の殺人事件の被害者についての検死が行われたようだ。

「先生。殺人事件の被害者の状態を聞いても?」
「……警察発表の通りだよ」

 素っ気なく告げたウォルター。何も語るべき事はないと言わんばかりの態度であったが、アーサーは食い下がった。

「なるほど……。報道によると被害者は下腹部を傷つけられていたようですが、傷口の深さは? どの方向から? 何かおかしな点はなかったですか?」
「ふむ……。今は仕事の話は止さないかね」

 アーサーは考え込みつつも矢継ぎ早に質問を投げ掛ける。
 しかしお茶の用意を終えたウォルターは言葉を濁し、小さく肩をすくめた。

「ですが……」
「私の憶測を伝えてどうなる。犯人の手口は残忍で残虐。金品を目的とした強盗。それだけじゃないかね?」
「犯行は犯人の思想を反映します。その手口から犯行現場や対象の傾向を読み取れば……」
「アーサー君。止してくれ。ソフィーの前だ」

 なおも言い募るアーサーを、ウォルターは鋭く制した。

「それとも……」

 いつからかウォルターは手を止め、アーサーを視線で射抜いていた。

「君は、殺人について興味があるのかね?」
「──それはっ」

 ウォルターから向けられる極めて冷めた、対象を観察するような無機質な視線。
 それを受け止めたアーサーは、知らず息を呑んだ。

「アーサー……」

 視線を逸らせば、今度はソフィーと視線が絡む。彼女は不穏な空気を察したのか、先ほどから一言も発せずにいた。その表情から困惑と不安、そしてわずかな恐れを読み取ったアーサーは頭が冷えてくる。
ウォルターの言葉は尤もだ。子供の前で語るべきことでもなく、お茶会の話題でもない。

「すみません……軽率でした」
「構わないとも。だが、ソフィーの前でそういった話題は控えてくれたまえ」

 謝罪を快く受け入れたウォルターは、アーサーを安心させるかのように大きく頷き破顔する。
緊張した場を和まそうとする彼の紳士的な所作に、アーサーは自らの至らなさを恥じた。

「ソフィーも、ごめん」
「いいのよ。これは『名探偵による推理』ってやつでしょ? お話で読んだわ」
「名探偵……?」
「知らないの? 警察がお手上げの殺人事件を名探偵が解決するの!」
「あぁ、すまないアーサー君。ソフィーは最近娯楽小説がお気に入りみたいでね」
「流行ってるんだよ。ほら、これもこれも……」

 ソフィーは診療所の受付の引き出しからお気に入りの本を持ち出し、机に積み上げる。アーサーはてっきり医学書かと思っていたが、本のほとんどは大衆向けの娯楽小説、探偵ものの推理小説であった。

「アーサーにも貸してあげるわ。どれも面白いのよ。最初はこれね、名探偵とお医者さんがコンビを組んで事件を解決するの。なんだか私たちのことみたい! ぴったりじゃない?」

 気持ちは既に小説の中に入っているのか、ソフィーは無邪気に本を薦めてくる。
彼女の無邪気な笑顔と言葉によってようやく場は和み、お茶会は暖かさを取り戻した。

(…………)

 お茶会を終えたアーサーは一人。診療所を辞して帰路についていた。

『――君は、殺人について興味があるのかね?』

 彼の脳裏では、ウォルターからの言葉が何度も繰り返されていた。

(違う、僕は……!)

 頭を振り、アーサーは身に走る悪寒を震い飛ばす。

(殺人への興味なんて、そんなもの……)

 しかし何か頭に引っ掛かるものがあったことは事実だ。
 なぜあの時、問い詰めるような事を口にしたのだろうか。

(……名探偵の推理、か。僕のは、そんな大層なものじゃないけど)

 頭の冴えた探偵が凶悪事件を推理し、殺人犯を追い詰めていく……。
 お決まりの展開だが、そんなことが可能なのはお話の中の名探偵だけだ。

(でも……。僕にも何かできるかもしれない)

 犯行は犯人の思想を反映する。犯行現場や対象の傾向を読み取れば、的外れではない注意喚起くらいは行えるはずだ。

(よし……)

 アーサーは顔を上げ、沈んでいた気持ちを引き締める。
 時刻は昼を過ぎ既に夕方。
 自主的な調査のため、アーサーは黄昏時のロンドン市街へと足を向ける。
 
 その背に投げかけられた小さな嗤い声は街の喧騒に紛れ、彼の耳に届くことはなかった。



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