【はまよこぽじはめさんの投稿】
私は都内の大学に通う大学3年生です。これからお話するのは去年の夏に起きた出来事です。
私は提出しなければいけない課題を終わらせるため,大学の7階にあるPCルームで遅くまで作業をしていました。
大学でしか使えない機材が必要だったため、家で作業することができなかったからです。
私の大学の講義は午後6時で全て終わってしまうので、6階の職員室にいる職員の人と
1階の出入口にいる警備員以外は誰も居なくなっていました。
私が課題を終えたのはちょうど8時を過ぎたくらいでした。
急いで機材を片付け、エレベーターに飛び乗りました。
6階、5階、4階……順調にエレベーターが降りていったその時でした。
ピタッと3階でエレベーターが止まり、扉が開きました。
私は「あれ…まだ残ってた人がいたのかな?」と、開くボタンを押したまま乗ってくる人を待ちました。
しかしいつまで待っても人が乗ってくる気配はありません。
「ボタンを押したけど、降りてくるの遅いから階段で降りていっちゃったのかな」
そう思いました。うちの大学のエレベーターは遅いので、こういったすれ違いはよくあることだったからです。
それじゃあいいやと閉まるのボタンを押すと、スッと扉がしまっていきました。
…が、扉は完全に閉まる前にガッと一度動きを止めてから再度開いてしまったのです。
エレベーターがこんな風に動くのは外にあるエレベーターのボタンが押されたときだけです。
なので「やっぱり乗る人がいたんだ…」と思いさっきと同じように開くを押したまま待ちましたが
やはり誰も乗ってくる様子はありません。
そもそも3階は既に廊下や講義室の電気が消されており真っ暗。
電気を消す警備員の人は誰も居ないことを確認してから電気を消すので
それは3階に人が残っていないことを意味していました。
「気持ち悪いなぁ」ともう一度閉まるを押しました。
結果はさっきと同じでした。
閉まる直前でガッと、開いてしまうのです。
何度も何度も押しているのに戻ってしまうのです。
私は「故障してるのか?」と少しパニックなりながらも、ずっと閉まるを連打していました。
そんなことを繰り返しているうちに、あることに気づいてしまいました。
閉まるがキャンセルされる時間が徐々に短くなっている、ということに。
最初は閉まる直前だったのが、私が閉まるを押すとそのタイミングでキャンセルされるくらい早くなっていました。
…背筋がゾッとしました。
エレベーターを出て、階段を使って下に向かうという手段もありましたが
真っ暗な廊下に出るのも怖く、なにより外にあるボタンを押している
何かに会ってしまうかもしれない恐怖でエレベーターから出る勇気が私にはありませんでした。
「早く閉まれ!早く閉まれ!」と心のなかで何度も叫んで何十回目か分からないくらいボタンを押したとき
ふっ…と、扉が閉まりました。そして何事もなかったかのように1階に到着したのです。
一体なんだったんだろうと思いながら、急いでエレベーターを飛び出しました。
「故障だったら大変だ」と、いつも出入り口で立っている顔馴染みの警備員さんに
さっきの出来事を伝えておこうと警備員さんのところへ行った時、信じられないことを言われました。
「あ、○○さん忘れ物見つかったの?」
「えっと…なんのことですか?」
「あれ忘れ物じゃなかったの。数分くらい前にエレベーターで1階に降りてきたと思ったら
すぐまた上に行っちゃったから、てっきり忘れ物を取りに行ったのかと思ったよ」
数分前といえば私は3階で必死にボタンを押していました。勿論1階になんて来ていません。
警備員さんが私を見間違えるなんてことも考えられません。
では警備員さんが見た、1階に来てすぐ上に戻ってしまった私とはなんだったんでしょうか?
それは3階での出来事となにか関係があるのでしょうか?
あれから1年が経ちましたが未だに分かっていません。
ただ、あの出来事があってから夜遅くまで大学に居残りすることはやめました。
【NEN-ネン-さんの投稿】
これは、自分が中学二年生の頃の体験です。
その頃は夜中にベッドの上でゲームやスマホを弄ったりしていつの間にか寝てしまっていることが多く、
朝起きると電気がつけっぱなしということがよくあった。その日もそのように寝てしまったようで
目が覚めるといつものように電気がついていた。いつもと違うのはそれが深夜三時だったこと。
寝起きでぼーっとしていたところ、
ピーーーー
と、単調な耳鳴りのような音が鳴っていることに気付き、この音で目が覚めたんだと思った。
音は途切れることなく単調に「ピーーーー」と頭に響き続け、一分以上流れ続けるこの音にだんだんと恐怖を感じ始めた。
当時物忘れが酷かった自分はついに脳か神経がおかしくなったのではないかと思ったからだ。
ピーーーー
止まずに鳴り続ける音をごまかすためにイヤホンを着けて音楽を流すも全く音は消えない。
そもそもこれが耳鳴りなのだとしたらイヤホンからの音では意味がない。
電気を消し、布団に潜り込んで無理矢理に寝ようにも音が気になり眠気が起きない。
ピーーーー
布団の中でも変わらず鳴り続ける音に焦り、布団からでて落ち着こうとした。そのとき、ふと部屋が妙に明るいことに気がついた。
今の時間は深夜三時。夜明けまではまだ長い。何の明かりなのか?光源であろう方向に目を向けると、
ベッドの脇にあるテレビが試験放送のカラーバーを映し出しており、
ピーーーー
と、試験音声が流れていた。
ほっとしてテレビの電源を切り、その日はそのまま眠りにつきました。
翌日笑い話としてこの話を友達数人にしていたときに友達の一人が言いました。
「なんでテレビつけてたの?」と。
気づいてしまいました。
テレビをつけた記憶はないこと。さらに自分の部屋のテレビは三十分操作していないと自動で電源が切れてしまう設定であることに。
【如月さんの投稿】
興味本位で、某所にある「防空壕跡地」へ行った時の話です。
跡地とはいえ、そのまま残っている印象でした。
なぜはっきり言わないか?入口にも足を踏み入れていないからです。
その理由をお話しいたします。
その日は友人4人で遠乗りした。
透き通るような海に足を入れ、あそこに行ってみよう!
と、行ったことのない場所で、眼に見えるだけのものを目指して
気ままなドライブしたのでした。
夜になったところで、友人から「心霊スポットの防空壕に行こう」と提案がありました。
到着したころには深夜だったと記憶しています。
足場の悪い岩山を歩くと、草が覆いかぶさってはいるが、
確かにぽっかりと漆黒の穴が開いているのが分かりました。
その日の夜は月灯りのおかげで周囲が暗闇ではなかったのです。
私もしぶしぶ歩を進めようとしたのですが、10人くらいの集団が
「ごめんごめん!おっさきー!」というノリで追い抜いて行きました。
こんな場所でエチケットもルールもないと思い、
別段腹も立たなかったのですが・・・・
穴の前でジャンケンをし、順番を決めている中、
私は横に真っ黒な人が見えていました。
真っ黒なんです、真っ黒。白眼もなく、歯もない、真っ黒。
ただ、次々に入っていく若者たちを見ては頷いているのはわかりました。
「何を頷いているのだろう」
その答えは直後にわかった。
出てきた若者1人1人の背中に真っ黒い人がおぶさっているのです。
10人全員が真っ黒い人をおんぶして、キャッキャ言いながら帰って行きました。
入口の黒い人は「お前はそいつ、うん、お前はそれ、うん」
と指示でも出していたのかもしれません。
その黒い門番は表情はわからないが、確かに私たちを見ていました。
さぁ、お前らだぞと言わんばかりに。
私は友人たちに、やめた方が良いと説得して無事に帰ることが出来ました。
もし黒い人が見えなかったら、私たちも何かをおんぶして
帰って来たんだろうかと考えるとゾッとします。
【新谷さんの投稿】
わたしが幼いころに、不思議な事件を体験したのを覚えている。
それは、引越しをする前のアパートでの出来事だ。
アパートにいたのは6歳までなので、0歳から6歳までの間に起きていたのだろう。
わたしはそのころ、ベッドで父と母の間で寝ていた。
ベッドは質素なデザインだったがキングサイズで、家族3人が川の字に転がっても十分な広さがあった。
ベッドの枕元には大きな出窓があり、わたしは毎晩、そこにかかった青いチェックのカーテンを見ながら眠りについた。
ある晩から、気がついたことがあった。
父も母も寝静まったころ、閉じていた目を開けて頭上のカーテンを見る。
そこに、カーテンの生地に刃をかけた、ハサミがあるのだ。
ハサミは空中に浮いてるようだった。誰かが持っているわけでなく、勝手にちょきん、ちょきん、と動いている。
恐ろしいほどのろまな動きで、カーテンを切ろうと刃を閉じるものの、その刃は錆びてるようでカーテンにほんの切れ目を作ることもできていない。
ハサミはわたしが見ていることなど気に留めない様子で、夜の間ずっと青いカーテンを這い回った。
何故かわたしはそのひとりでに動く不思議なハサミを怖いとは思わず、ハサミは毎晩あらわれるものだから、毎晩じっとそれを見ながら眠りについた。
そして朝に目覚めるとハサミは跡形もなく消えてしまうのだ。
たまにハサミは2ついて、ちょきんちょきんと小さな音を立てながら、同じようにカーテンを切ろうと動いていた。子供心になんとなくこのハサミは番なのだと思っていた。
ハサミに意思疎通などできるはずもないが、切っても切っても切れないカーテンに、ハサミたちは途方に暮れているように見えた。
わたしたち家族は、しばらくしてアパートから引越した。
新しい新築の一軒家にはわたしの部屋があり、わたしはそこで一人で寝るようになった。そしてそれからは、頭の上のカーテンに、ハサミが蠢くことはなくなってしまった。
毎晩あのハサミが切ろうとしていたカーテンは、居間にかけられることになった。
それからしばらく時間が経ち、ハサミたちのことなどすっかり忘れたころ。
テレビを見ながら夕飯を取っている時、突然何かが落ちるようなささやかな音が聞こえた。
音の方に目をやると、居間にかかったカーテンの端が破れて落ちていた。
あまりに不自然な破れ方だった。
切れ目はボサボサで、糸が一本一本丁寧に千切れていた。
わたしはあのハサミのことを思った。
引越した後も、ハサミはその刃でカーテンにしがみついていたのだ。
断ち切るのはこのカーテンでないといけなかったらしい。
あの錆びてガタガタになった刃が、ついにこのカーテンを切り裂いたのだ。
カーテンの不自然な破れ方を、母はとてもきみわるがっていたが、わたしはハサミのことを言い出すことはできなかった。
この事件がおきても、やっぱりわたしはあのハサミを怖いとは思わなかった。
それからあのカーテンは、どこに行ったか分からない。
もちろん、ハサミたちも。
【黒木 菜日夏さんの投稿】
これは自分が実際に体験したことである。
その日の深夜、僕は友達と自室でLINE通話していて、ゲームやアニメの話で盛り上がっていた。しかし幽霊というものは、お構い無しに出てくるらしい。
テンションが落ち着いてきた頃にそれは起こった。なんと友達曰く、もう一人の声が聞こえてくるというのだ。
しかもその内容が「死にたい」「呪ってやる」等、いかにもな台詞らしい。ここまでなら、誰でも悪ふざけだと思うだろう。
と言っても友達は真剣な雰囲気なので、取り敢えずビデオ通話に切り替えて、周囲を映した。当然ながらただの自分の部屋だ。誰も映らない。
友達から「ドアを映せ」と言われ、カメラを向ける。そして一言「あの真っ黒の人誰?」と。その直後に友達の叫び声が!
聞くと、そいつが近づいてきたらしい。
…らしいというのは、自分からは確認出来ないからだ。
まずは友達にスクショを頼んでみた。これで嘘なんてことは避けたいからだ。
もう一度カメラをドアの方に向ける。何も映っていない。
すると友達から「後ろは?」と言われ、カメラを反対に向けるとスピーカーから叫び声が!
…それでも叫び声を発しながらスクショはちゃっかりしたとの事。すぐに送られてきたが、見事に幽霊とのツーショットだった…。
見た途端、変な笑みと身体の震えが止まらない。こんな写真は二度と見たくない…。
早く何とかしたいので、とりあえず友達に解決策を聞いてみたが何故か知っていて、ある意味怖かった…。
【やり方】
1.白紙に赤で「縫う」と書く
2.その上に透明で水入りのコップを乗せる
3.その中に、塩を入れる
4.紙は可能なら燃やす
とりあえずやってみた。その後にまた、スマホで部屋を映してみた。幽霊は映っていないらしい。
この出来事から一年半ほど経つが、それ以来幽霊を見たことはない。
【MAOさんの投稿】
浪人生だった頃、友人のFと一緒に7月の夜に散歩してた時の話です。
その日は勉強が嫌で、朝から晩まで自分達の住んでる所の山、川、海、色々な所を廻っていました。
夜の7時を過ぎた頃、私達はちょうど堤防の下の砂浜を歩いてる所でした。
そろそろ帰ろう、と言って踵を返そうとした時、砂浜の松林の中に遊具らしき物が見えました。
興味本位でFと一緒に近付くと、松に隠れた所に小さな公園がありました。Fもこんな所に公園なんてあったんだ、と驚いていました。
Fは結構好奇心旺盛なので、ブランコをやってこうと言い出しました。
はっきり言って不気味だったのですが、かといって怖いなんて言えないので一緒に公園に入って行こうとしました。
しかし公園に入ろうとした時、ブランコが揺れているのに気付きました。松で気がつかなかったのですが、そこには中学生くらいの、
白の服をきた女の子がブランコをしていたのです。その時私はFと顔を合わせようとしたのですが、Fは呑気な事に
「自分より年下の子のとなりではしゃぐのは恥ずかしいからもう一回散歩して、帰ってきてその子がいなかったらブランコだけして帰ろう」と言い始めました。
Fは公園を後にして歩き始めましたが、私は寒気がしていました。
街灯の一つもない松に隠れた公園で、夜中に中学生くらいの女の子が身一つで。当然砂浜なので、車はおろか工場の明かりすら届かないのに。
私達には目もくれず、一直線にブランコと滑り台を行き来していました。私は声でもかけようかと思ってその女の子を見てたのですが、
ブランコを漕いでは滑り、をずっと繰り返していたので怖くてやめました。Fはその女の子を特に気に留めていないようでした。
30分ほど歩き、私達は公園に戻ってきました。
が、その女の子は、下を向いて、まだブランコを漕いでいました。もう帰ろう、私は焦って言いました。さすがにFもうんと言ってくれホッとしましたが、
そういった矢先、その女の子は立ち上がり、松の中へと消えていきました。
Fはいなくなった、と言って喜んで公園に入りました。私はFの感覚も怖いと思いましたが付き合いました。
ブランコに乗っているともう8時を過ぎており、あたりは真っ暗でした。さすがに帰ろう、と言うと
Fは最後に砂浜ダッシュ(元陸上部だったので)を3セットやる、と言っていきなり走りました。
朝から歩いて、私はもうくたくただったので、うんざりしてブランコに座りました。
夜空を見上げて、星を眺めてた時でした。
きぃ、きぃ。
すぐ隣で、音がしました。私はその音の方へ顔を向けようとして、やめました。
横目で分かりました。さっきの女の子が、ブランコを漕がずに、こっちをじっと睨んでました。私は凍りつきました。声が出ませんでした。
間違いなく、私を見ている。ぞっと鳥肌が立ち、呼吸が早くなるのが分かりました。泣きたくなって、Fが来るのを心の底から望みました。
するとその女の子は、そっと立って、私の背後に来ました。多分、ブランコの古びた鎖を両手で抑えて。背中に氷を詰められた気分で、震えました。
とうとう耐えきれずに、私は助かりたいという一心で、大声を出して走りました。Fのダッシュした方向へがむしゃらに走りました。
本気で走ってるのに、全てがスローモーションに思えました。
次の日、親にその公園を知ってるかと尋ねましたが、知らないと言われました。しかし祖父は知ってました。
誰かが死んだ、とかは知らないけれど、昔からあの海岸の近くは叫び声や、不審者、幽霊が出ると言われていたらしいです。
あの子が何だったのかは私も知りません。ただ、普通ではなかったのは確かだったと思います。
【ほねならしさんの投稿】
私が、6つか7つ程の年の頃に体験した話です。
私の家は近くに大きめの公園と 人が少ない神社があり、
その二ヶ所が当時の私の遊び場でした。
ある日の初秋の夕暮れに、神社からの帰り道で
長い一本道を歩いていたところ、
「カシャン・・・カシャン・・・」と何かが擦れて鳴るような音が聞こえてきました。
注意して聞くとその音は、自分自身から聞こえてくる気がします。
不気味に感じ始めた私は前だけを見て、やや早足に帰路を歩きました。
しかしその音は消えることなく、むしろ大股になるほど大きく「カシャ!」と音をたてます。
それはまるで自分の体の中で骨が鳴ってるようで
鳥肌がたった私はふと、自分の手に目を落として、恐怖しました。
歩きながら見た自分の手には、重なるように白骨の手が後ろ側に張り付いていました。
そこで私は気づき、初めて「背筋が凍る思い」を体感しました、
自分の背後に、ピッタリと張り付くように真っ白い骸骨が歩いていたのです。
決して触れることはないのに 常に後ろにいるのです。
擦れる骨の音の真相は、真後ろの骸骨でした。
体験したことのないことに当然驚愕、そして恐怖し
自然と歩く速度も上がりますが、その骸骨はそれと全く同じ動きで
ずっと張り付いてくるのです。
長いといっても100m少しの道なので、
早足で歩けば数分で曲がり角にさしかかり、そこを曲がればすぐ家でした。
最後の数mは半ば駆け足気味で急ぎました。
その間も後ろで「カシャシャン カシャシャン」と鳴り続けます。
やっとの思いで角を曲がった瞬間、
先程までの怪異が嘘のように
夕焼けの静けさが辺りを包みます。
やや遅れて神社の方からカラスの声が聞こえてきました。
それでも数歩は振り返らずにとぼとぼ歩いたあと、
ついさっきまでの事を思い出すかのように
後ろを振り返ると、角のところには 白い骸骨が佇んで私を見つめていました。
一瞬の驚愕はありましたが、不思議と恐怖はありませんでした。
不気味な事に変わりはなく、感情も読めない骸骨の表情でしたが、
何故かほんのりと安心感さえありました。
私が骸骨を気にしながらおそるおそる歩き、家の前まで来ると、
骸骨は曲がり角を神社の方向へ戻って行きました。
それから私は、骸骨の模型や絵を見ると
恐怖や不気味さ等と共に、奇妙な安心感を抱くようになりました。
そしてあの日の骸骨のことを 妖怪「ほねならし」と呼んで
幼き日の残暑と共に記憶に残し、今に至ります。
【Tonchayさんの投稿】
数年前の、夏から秋に変わる頃のことです。
当時私が付き合っていた彼女は学生でお金もなく、築40年過ぎの古びたコンクリート製アパートに住んでいました。
私は夜遅くまでかかる仕事をしていたので、職場から程近い彼女の家によく寝泊まりしていました。
その日の帰宅も、深夜2時をまわっていたと思います。起きて待っていた彼女と遅い夕飯をとっていると、
アパートの廊下から足音が聞こえてきました。カツ、カツという、硬質な、ハイヒールのような音です。
仕事に疲れた若い女性がゆっくりと階段を昇る姿が思い浮かび、私は多少の同情と親近感を覚えました。
それから5分ほどして食事を終え、他愛ない話をしながら二人でくつろいでいるとき、妙なことに気がつきました。
まだ足音が聞こえている。
足音の主はどこかの部屋に入る様子もなく、廊下と階段を歩き回っているようでした。始めは酔っ払いか不審者ではと思いましたが、
規則的に響く足音からは人間らしさが感じられず、私は段々と気味が悪くなってきました。
彼女にそのことを小声で伝えると、何かに気づいたようで無言のまま廊下側の窓を指さしました。
見ると、廊下に面した窓が30cmほど開け放したままになっていました。
それが今にも室内を覗き込んでくるのではないか、という想像が頭をよぎりました。何かはわからないけれど、とにかく怖ろしいものが。
私は足音の主に気づかれないよう息を殺し、しゃがみながら窓のそばへ行き、そっと窓を閉めました。
10分ほど続いた足音は、だんだんと遠くなって消えていきました。
【葉月さんの投稿】
「旧校舎にはね、夜になると時々悪戯する子供がくるのよ」
小学校一年生の時、担任の先生が度々私たちに話していた言葉です。
一年生と二年生の教室は旧校舎にありまして、先生が夜遅くまで残って仕事をしていると、
廊下からパタパタと軽い足音が聞こえてきたり。
風も無いのにカタカタと窓が揺れたり。
壁に掲示しているプリントが落ちたり。
その落ちたプリントを直しているとクスクスと子供が笑う声が背後から聞こえてくるそうです。
「いつもはね、一回か二回で気がすんでくれるんだけど、余りしつこい時は『お母さんが心配してるか
ら早く帰りなさい』って言うと『はーい』って言って帰って行くのよ」
他の古くからいる先生も旧校舎には悪戯好きな子供がいると話していまして、
その話を怖がった低学年の子たちは残って校庭で遊んでいても、暗くなる前に家に帰ってました。
六年生になった年の夏、小学生最後の夏休みの記念として学校で肝試しを開くことになりました。
クラスメートたちは先生たちから聞いた旧校舎の話をこぞって話してはしゃいでいました。
無事に肝試しも終わり、最後に先生から旧校舎の戸締り確認と渡り廊下の扉の鍵を閉めてきてと頼まれまして
友人と二人、懐中電灯を手に閉めに行きました。
落し物はないか、きちんと戸締りはしてあるかと教室一つ一つ見て回り、
渡り廊下の扉を閉める時に、誰もいないと分かっていても私はふざけて「誰も残っていませんか?」と旧校舎に呼びかけました
すると奥の方から女の子の声で「まだいるよ」と返って来たのです。
隣の友人が答えたのかと顔を見ると今にも泣きそうな顔で首を振ってましたので友人ではありませんでした。
近くの窓がカタカタ鳴り始め、私はとっさに「お母さんが心配しているから早く帰ってね」と言いました
かつて先生に聞いたように「はーい」という声が聞こえ、その後は耳が痛くなるくらいシーンを静まり返りました。
私と友人は急いで鍵を閉め、走ってクラスメートたちの元へ帰りました。
慌てて帰ってきた私たちをクラスメートたちは怖がりと、からかいましたが言い返す余裕もなく、
挨拶もそこそこに一目散に家に帰りました。
その後、卒業するまであの子と遭遇することはありませんでした。
本当にお母さんの元に帰ったのでしょうか。
それともまだ先生や怖がりな生徒たちに悪戯しに来ていのでしょうか。
【noel_snowさんの投稿】
私が幼い子供だった頃に住んでいた家の裏には山がありました。
日中は虫などを捕りによく入っていたその山、私にとっては「庭」といっても過言ではありませんでした。
しかし夜に山に入ることは親に止められていたのでできなかったのです。理由を聞いてみても
「とにかく入ってはダメなんだ」の一点張り。自分の部屋の窓から見える夜闇に浮かんだ私の「庭」。
それは不気味さをとても大げさに演出していました。
おそらく八月の中旬だったと思います。
いつものように部屋から山を眺めていたのですが、明らかに山の様子が違うのが感じ取れました。
言葉で表すなら、「おどろおどろしい」が一番適切に当時の山の様子を表せる言葉でしょう。
私は生まれて初めて親の言いつけを破り、夜の山へと入ってしまいました。
初めて訪れる夜の山はとても静かで、虫の鳴き声一つ聞こえません。聞こえるのは自分の足音だけです。
いつもこんなに静かなのか、はたまた今日が特別な日なのか、幼かった私にはそんな疑問が浮かぶはずもなく、
広がる暗がりと、いざなうような静寂に、ただただおびえていました。こわがっていたのに家に帰らなかった理由は覚えておらず、
今なお思い出せていません。おそらく探求心が恐怖心に勝っていたのだと私は解釈しています。
一つ、言い忘れていたことがあります。山の頂上には古い神社があり、そこに踏み入るのもまたタブーでした。
この掟は私の住んでいた地域の人で知らない人はいなかったと記憶しています。
そんな神社に灯りがともっていました。その光は本も読めないほどの小さいものでしたが、確かに神社全体を照らしていました。
とても幻想的なその光に誘われたのか、気づくと私は神社の本堂の真正面に立っていました。
そのまま私は不思議な雰囲気を醸し出す本堂への木製の階段を一歩ずつ、一歩ずつ進んでいました。
「カエレ」
ソレは頭の中に直接響くような「音」でした。「カエレ」「かエレ」「カエレ」
無限に続くかのようにとめどなく頭の中に流れ込んでくる敵意、殺意、憎悪の塊。
加えて金属同士を打ち付けるような鋭い音。私はその場で腰を抜かしてしまい、体をピクリとも動かせなくなりました。
そこから先は覚えていません。
気が付くと病院のベッドに寝転んでいました。隣を見ると母の泣きそうな顔がありました。
母の顔を見たとたんにとてつもない安堵感に襲われ、また眠ってしまいました。
後から聞いた話ですが、私が発見されたのは山に入ってから二日後で、山と町のちょうど境目のところに倒れていたらしいです。
また、あの神社について調べたのですが。昔に生贄を捧げる系の信仰があったらしく、多くの人が殺されたそうです。
「カエレ」といったのは昔に生贄となった人たちの霊だったかもしれませんね。
余談ですが、山へ入ってから私の顔には大きな痣ができてしまいました。顔の下半分を覆っています。
色々な医療法を試しましたが消えることはなさそうです。
今、私は東京で働いています。もし顔の下半分が痣で覆われているサラリーマンを見かけたら「あ、山でやらかした人だ」と思ってください。
声をかけてくれてもかまいませんから…