幼い頃、暗闇は嫌いじゃなかった。いや、むしろ好きと言ってた方が近い。
寝るときには、雨戸をしっかりと閉めてカーテンを引き照明を全部消していた。当然、部屋は自分の手の輪郭さえ判らないぐらい真っ暗になるが、それがワクワクして面白い。
幼い頃、夜は怖くなかった。
不意に、目が覚めた。
スイッチを切り替えたかのようにパッチリと。
どうして目が覚めたんだろう?
怖い夢は見ていない。
部屋は暗いまま。
聞こえるのは虫の合唱。
時計は見えないけど、まだ夜だろう。
全ていつも通りだ。どこにも変な所はない。
普段は一度寝たら地震が起きても、火事があっても寝続けれるぐらい眠りが深い。なのに、どうして今日は起きたちゃったんだろう?
…まぁいいや。まだ夜だし、まだ眠い。
起きた理由なんてどうでもいい。掛け布団を被り直してお休みなさいと目を閉じる。
………寝れない。
いつも寝付きが良いだけに、いざ意識すると途端に寝れなくなる。眠るってどうすれば良いんだっけ?
しかたない、一度トイレに行こう。そうすれば眠くなるかもしれないし、気分転換も必要だ。
前が見えないので壁づたいに歩いて廊下に出た。こんな時に不便に感じるけど、やめる気は更々ない。
廊下は明るかった。といっても部屋の中と比べての話で電気は点いてない、ただ月明かりだけでも暗さに慣れていた目には十分だ。これなら廊下の電気を点ける必要もないだろう。
トイレは部屋の斜め向かい。
その横には下へと続く階段がある。
気まぐれに階段脇の小窓に近寄った。こんな時間に起きるのは珍しく、『ちょっと外の景色でもを眺めてみようかな』と思い立ったのだ。いつも通りの田んぼだらけの光景でも夜に覗くと違うかもしれないし。
そっと窓を覗き込む。
夜の天幕が降りた町は、驚く程に静かだった。
真っ黒な田んぼ。
抜け殻のお向かいさん。
静まり返った道路。
遠くに見える筈の港も煌めく輝きを亡くしている。
まるで打ち棄てられて忘れられた町。今、この町には自分しか居ない。落ち着いた夜の色、囁き声すら躊躇いそうな静寂は嫌いじゃない。
うん悪くない。悪くはない、筈、なんだけど。心の何処かで引っかかる。
眉を寄せてジッと目を凝らす。
凝らすまでもなく、すぐ近くにソレは突っ立っていた。
ちかちか。
ちか、ちか。
ちかちか。
不規則に点滅する黄ばんだ光。
こんなにも気持ちの良い夜なのに、無粋な灯りが水を差す。
その上、街頭の光は弱々しく明滅を繰り返す。これじゃ電灯としての役割すら満足に果たせていない。精々真下のアスファルトをぼんやりと照らす程度だ。
やれやれ、ため息を吐きトイレに向かおうとして、気がついた。
アレはなに?
ちかちか。
点滅する電灯に伴い出たり消えたりする黒い陰。
ちかちか。
光量も足りないし見える時間も少ないけど、恐らくは人だろう。
ちかちか。
こんな遅くに散歩だろうか?
ちか、ちか。
…いや、それにしては動きがない。頼りない街頭の下、杭で打たれたように直立不動。
ちか、ちか。
まるで、生きていないモノのよう。
ちか、ちか。
なのに、どうして視線を感じるの?
ちか、ちか。
アレは、ナニ?
ちか、ちか。
ちか、ちか。
ちか、ちか。
ちか、ちか。
ちか、ちか。
ちか、ちか。ちか、ちか。ちか、ちか。
ちかちかちかちかちかちか。ちかちか。
いつの間にか電灯だけを見つめていた。
ああ、灯りってこんなに怖かったっけ?
大丈夫、まだ暗い。
暗くて見えない。
視線が降ろせない。
心臓の音がうるさい。
―――ちか。
点滅が終わる。揺らいでいた光が無慈悲に安定する。街灯としてはまだ暗いが、下のソレを照らすには十分だ。
視るな。
直感に従い、視線を窓から無理やり引っ剥がす。
トイレなんて、もうどうでもいい。
一刻でも速く、部屋に帰りたい。
扉に飛びつき滑り込む。後ろ手で光を閉めだしてホゥッと一息。
もう、ナニも、視えない。
幼い頃、暗闇は嫌いじゃなかった。いや、むしろ好きと言ってた方が近い。
寝るときには、雨戸をしっかりと閉めてカーテンを引き照明を全部消していた。当然、部屋は自分の手の輪郭さえ判らないぐらい真っ暗になるが、それがワクワクして面白い。
幼い頃、夜の明かりが怖かった。