• 待ち人

    ベランダから見下ろすその街は、今まで暮らしていた東京の実家の辺りと比べると、ずいぶんとごちゃごちゃした玩具箱みたいだ。

    駅前を中心に広がる商店街は、色も雰囲気も屋根の高さも、何もかもバラバラなお店が並び、その中に時折、場違いな近代的マンションが突然紛れ込んでいる。

    隣町の有名な景勝地からのおこぼれで発展したというこの街は、長く廃れていたらしい。
    だが、近年になって隣町に移転してきた大学の学生向けに、マンションの建築ラッシュが始まった。その流れで、若者向けのオシャレなお店と、昔ながらの地元のお店がごった煮になったのだそうだ。

    多分、都市計画とか外観整備とか、そういう概念を提唱する人さえいなかったのだろう。無計画、乱雑なその色合いは、整然と整頓されたものに美しさを感じる私の心をざわつかせるのに十分だった。

    自分が土地や建物にこだわるタイプだとは思っていなかったけれど、それはただ偶然に、今まで暮らしていた家とその周辺が、昔ながらの美しい景観を重視する地区だったから気にならなかっただけなのだと、この街に降り立った瞬間に気付かされ、ため息をついた。

    この乱雑な街で、これから数年間、一人で暮らすのだと思うと心が重くなったことを、朝方ぶりに思い出して空を仰ぐ。

    ……極めつけは、アレ。いくらなんでも無理があるでしょう。

    視線をまっすぐに戻す。そこに飛び込んできたのは、私が通う予定の学校──神楽原。
    この長閑な街には不似合いな、どこか英国風を感じさせる旧い校舎の外観は、嫌いではない。
    だけど……。

    「なんだってお寺の裏側に建てちゃうのよ……」

    小さな丘……山というには小さすぎる……の上に聳える(そびえる)、純和風の建物と山門にため息をつく。
    唯一好きになれそうなこの街の建造物も、少し視点を引いてみたらまったくミスマッチな風景になってしまうのだ。

    「有華? ちょっとどこ行ったの? まだ全然片付いていな──あら、こんなところに居たの」

    そんな私の憂鬱を知ってか知らずか、能天気に母が隣にやって来た。

    ……多忙で引っ越しに付き添えない父の分までと張り切る母は、普段の結髪と着物姿からは遠く離れた動きやすいラフな格好で、ダンボールを開けては中の荷物を手際よく収納している。

    見慣れない母の姿がなんだかむず痒くて、返事をせずに視線を眼下の町へと戻すと、母は黙って隣に立った。

    「──あそこが新しい学校ね。あの建物は使っていないのかしらね?」

    やはり親子というべきか。
    母もあの、ひときわ古い洋風な建物が気になったらしい。

    ……普段から「筝曲」という、どちらかと言えば伝統に彩られた芸事を生業とする母と、その道を志す私。やはり古いものに惹かれてしまうのだろうか。

    「新しい学校はどんなところかしらね」
    「別に……どうでもいいわ。私はただ、お父さまに言われた通りに通うだけ」

    ……この学校に転校してくるきっかけになった父との会話を思い出し、少し不機嫌になった私を見て、母は少しだけ困ったように笑う。

    「そんなふうに言わないの。せっかくの一人暮らし、せっかくの新しい学校なのよ? 少しは楽しまないと損だわ。……私としては、有華がお友達を作ってくれるとすごく嬉しいんだけど」
    「……友達なんて」

    子供の頃から幾度となく、両親から言われた言葉。
    『お友達を作っておいで』
    もう何度もすれ違って、もはや反論する気力さえ残っていない。

    そんなもの私には必要ない。

    私はただ、お箏を弾いていたい。
    友達と遊ぶ? 学校生活を充実させる?

    まっぴらごめんだ。だってその分、お箏を弾く時間が減ってしまうじゃないの。

    ……たったそれだけの、シンプルな理由。
    どうして両親は、分かってくれないのだろうか。

    「友達なんて必要ない、でしょ? もう何回も聞きました」

    私が飲み込んだ言葉を、母は笑いながら言う。
    なんとなく、私の真剣な気持ちをバカにされたようで、少しムっとしてしまう。

    「でもね」

    風が吹く。そこそこ高さのあるマンションの最上階に届く涼しい風に目を細めながら、母は言葉を続ける。

    「いらない、って貴女の希望だけでどうにかなるものではないのよ。……だって相手がいることだもの」
    「相手……?」
    「そうよ。いくら有華が『いらない』って思っていても……『有華と友達になりたい!』って子が現れたら、ほっといてなんてくれないでしょう? 有華の都合で、その子の気持ちを変えることは出来ないのよ」

    それは……確かに。
    私が私の気持ち──お箏を弾いていたい──を、誰にも邪魔されたくないように、その人だってその気持ちを邪魔されたくないのだろうってことは、容易に想像できる。

    でも、だからこそ。

    「私と友達になりたい、なんて。そんな奇特な人、いないと思うわ」

    ……事実、地元にいた小中高と、私は誰にもそんな気持ちを抱かせないように生きてきた。
    だから今までは、私は箏だけに集中できたんだから。

    呟くと母はまた少し笑って。

    「今まではたまたま出会わなかっただけよ。……だからこそ思うわ。ここで、あの学校で……そういう人たちと出会って欲しいのよ。私も、お父さんも」

    その笑顔に少しだけ、胸がチクリと痛んだ。


    ***

    「真弥っち、まだ~? いつまで選んでるし……」
    「ちょ、ちょっと待って! ええと、お野菜はあれとこれがあるから……よし、味のバランスを考えて……」
    「あははっ、普段あんなにオドオドしてる真弥ちゃんと同一人物とは思えないね~」

    部活も終わって学校帰り、我が家での合宿のための食材買い出し中。
    スーパーに飽きた累ちゃんと、そんな累ちゃんにもお構いなしに真剣に食材を吟味する真弥ちゃんを眺めながら、部長が笑う。

    「ええ、真弥ちゃんはお料理に関しては妥協がないんです~」
    「うんうん、とっても美味しいしねっ! まさに『苦労の出汁!』」
    「ん? 何? 特殊な出汁でも取るの……?」
    「いえ、多分『玄人はだし』って言いたいんじゃないかと~」
    「なにそれ」
    「玄人も裸足で逃げる……要は、プロ顔負けって意味の慣用句よ~」

    私のちょっとした言い間違いを麗子ちゃんが訂正すると、部長はなるほど、と手を打った。

    「いやー、鈴のダジャレの翻訳、大分出来るようになったつもりだったけど、まだまだだな~」
    「そうですね~、私もまだ分からない時のほうが多いですし、やっぱりこの道の第一人者は真弥ちゃんですよ~。付き合いが長いからか、すぐに解読してくれますから~」
    「ちょ、ちょっと!? ダジャレじゃないってば、格言! 格言だよ!?」

    ……おばあちゃんみたいに立派な説法の出来る尼さんになるために、普段から頑張って難しい言葉や格言を会話に取り入れようとしてるのに、いつもこんなふうにちょっとした勘違いで皆に笑われてしまう。

    「お待たせしましたっ! 買い物終わったよ……どうしたの? 3人とも」
    「ウチに荷物持たせて盛り上がってるし……。ズルいぞ~!」
    「なんでもない! なんでもありませんっ!」

    買い物を終えた真弥ちゃんと累ちゃんが戻ってきたので、私たちはスーパーを出て、商店街を抜けることにした。

    *

    「それにしても……いいなあ合宿。私も行きたかったぁ」
    「ほんと残念だし……でも部長、予備校の補習なんですよね?」
    「そそ、受験生はつらいよ~」

    長期の休みや大会前に、ウチのお寺で行われるのが恒例になった練習合宿。
    去年は部長も参加していたんだけど……受験のためじゃ、仕方ない。

    「できるだけ私たちのパートだけでも、合宿で完璧にしておきますから……部長は安心して予備校に行って来てください」
    「おおぅ……さすが次期部長、頼もしい~~!」
    「そ、そうですか……? えへへ」
    「うん、鈴ちゃんかっこいいよ!」

    部長と真弥ちゃんに交互におだてられ、照れながら頭をかく。
    正直、まだ次期部長なんて自信がないけど……信じて任せてくれた部長のためにも、せめて強がりでもちゃんとしないとね……!

    「そう言えば……部長、受験する大学はもう決まってるんですか?」

    さっきお茶屋さんの店先で買った抹茶ソフトクリームを食べながら、累ちゃんが部長に問いかける。

    「え? う、うーん」

    いつも竹をパキっと割ったような会話が特徴の部長が、珍しく言い淀む。

    「な、内緒かな~?」
    「え~!? 何でですか! 教えてくださいよ~!?」

    部長の事が大好きな累ちゃんは、「内緒」と言われたことがショックだったようで、むきになって詰め寄っている。

    「だって、落ちたら恥ずかしいじゃん~!」
    「恥ずかしくないです! 落ちたらウチらでちゃんと慰め会やりますからっ!」
    「やーだー!! 受かるまで内緒、内緒~!!」
    「ほら、そんなに道一杯に広がらないの~、他の通行客の邪魔になるでしょ~? もう~」

    仲の良い姉妹みたいに商店街をじゃれながら追いかけっこする累ちゃんと部長を、麗子ちゃんがたしなめる。

    そんな私たちを、馴染の商店街の人たちが微笑ましく見守っていた。

    ***

    「ねえ、有華見た? 今の子たち、とっても可愛かったわね。神楽原の制服着てたわ」
    「え……? ごめん、見てなかった」

    引っ越し作業を一通り終えて、自宅に帰る母を駅まで見送るため、商店街を歩く。
    ざわざわと煩い商店街の雑音から意識を少しでも逸らしたくて、自分の靴先だけを見て母の横を歩いていたので、周囲を見回すような余裕が全くなかった。
    私の返答に呆れたように、母は少し肩を竦める。

    「もう……ちゃんと周りも見て歩きなさいな。ほら、私が帰ったらここで買い物とかするのよ? 基本的な食事は作り置きしてくれるように、通いの家政婦さんに頼んであるけど……ちょっとした日用品やおやつなんかはこの商店街で自分で買うんだから、お店くらい覚えておきなさい」

    ごもっとも。
    渋々と顔をあげると、田舎のわりには活気のある商店街の風景が目に飛び込んできた。

    「あっちはスーパーマーケット、あれは……お茶屋さんね。そう言えばこのあたりはお茶の産地でもあるわよね。あっちはお惣菜屋さん……ああいうとこのコロッケはね、外れがないのよ、覚えておきなさい。ああ、懐かしいわね~、お母さんの地元にもこういう商店街があってね。高校時代はよく帰りに買い食いしたわぁ~……」

    キャッキャとはしゃぐ母に、ため息をつく。
    見ておきなさい、なんて言っておいてその実、自分が一番楽しんでるじゃないの……。

    「すいません、コロッケひとつくださいな~。あ、袋いいです、そのまま食べます」

    そんな私の気持ちなんてお構いなしに、お総菜屋の店先で、揚げたてのコロッケにソースをかけて貰う母に、ついつい小言だって言ってしまう。

    「ちょっと、食べ歩きとかだめよ、恥ずかしい」
    「いいじゃないのよ、折角の旅先なのよ? ちょっとくらいハメを外したって怒られないわ……。んっ、美味しい! ほら有華も一口食べなさい?」

    差し出された揚げたてのコロッケの香りに逆らえず、おずおずと一口齧ると、素朴なソースの味が口の中に広がった。

    「美味しい……」
    「でしょう? やっぱり買い食いは学生の醍醐味よね」

    満足そうに笑う母に、思わず「貴女は学生ではないでしょう」と突っ込みたくなったが、キリがないのでそこは言わないことにした。

    そうこうしているうちに商店街が終わり、母が電車に乗る駅が見えて来た。

    「あら、もう着いちゃったけど……乗る予定の電車までまだずいぶん時間があるわ」
    「え、そうなの……でも電車なんて待ってればすぐ来るんじゃ」
    「東京と同じ感覚で考えないの。ええと……あと40分くらいあるわね」
    「40分!? なんでちゃんと時間計算して出なかったの!?」

    驚いて思わず声を大きくした私に対して、母は悪びれることなく。

    「だって、有華と街をブラブラ歩いて見たかったんだもの」

    舌をぺろりと出した。

    その様子に、「時間を無駄に使わされた」という私が一番嫌う行為を怒る気力も削がれ、ただただ大きなため息をつくしかなかった。
    おそらくは地元に居ればこの人も「家元の妻」であり、品格を求められるから、知らない街で「余所行きではない自分」を満喫しているのだろう。

    「せっかくだから、喫茶店にでも入りましょうよ。ほら、そこにイイ感じの店があるじゃない」

    母が指さした店は、そこだけ昭和で時が止まったような……カフェでもコーヒースタンドでもなく、「喫茶店」という呼び名が一番ふさわしい佇まいの店構えだった。

    *

    チリンチリン、とドアの開閉で鳴るベルの音に反応して、カウンターの内側で作業をしていた店主が顔を上げる。

    見慣れない顔である私たちを一瞥して「いらっしゃい」と一言発した。
    客は他におらず、店内は貸し切りだ。

    「窓側にしましょ、いいお天気だもの」

    母に促され席に着き、店主がお冷と共に持ってきた、年季の入ったメニュー表を開く。

    思った以上に充実している紅茶の種類。
    田舎の喫茶店だと思っていたけど、案外ちゃんとした店なのかもしれない……。

    「見て、有華! クリームソーダよ! ちゃんと赤いサクランボも乗ってるわ! 私これにする! 懐かしい……お父さんとの初デートで飲んだのがこういうクリームソーダだったのよ!」

    子供みたいにはしゃぐ母にまた一つ、ため息。

    注文を取りに来た店主に、紅茶とクリームソーダを注文し、一息お水を飲むと、母は窓の外を見ながら微笑んだ。

    「ステキな街じゃない。商店街もにぎわっているし、雰囲気のある喫茶店もある。学生も元気で可愛らしくて……明日からの有華の生活が楽しみだわ」

    たぶん、私に見えているこの街の風景と、母の目に映るこの街は別のものなんじゃないかと思う。

    私には雑多で騒音だらけのこの安っぽい街が、母の目を通すとそんな風になるらしい。

    「どこが……? 私は別にこんなところじゃなくて良かった」

    無理な条件を押し付けて、私をこんな鄙びた(ひなびた)街に追いやった父のことを考えて、少し苦々しい気持ちになる。

    なのに、そんな私の気持ちを敢えて無視するかのように、母は平然と笑うのだ。

    「ふふ、暮らしてみれば好きになるわよ。……きっとね」
    「どうしてそんなこと分かるのよ」
    「分かるわよ、親だもの」

    理由になってないし、その「親」というものの存在の横暴によってここに送られた私としては、そのセリフには神経を逆撫でされる思いである。

    ぐい、と水を思い切り飲み干して、少しだけ乱暴にテーブルに置くことくらいでしか、抗議できないけれど。

    「お待たせしました。本日の紅茶と……クリームソーダです」

    最悪なタイミングで飲み物を届けにやって来た店主が、湯気のたつカップを私の前に置いてくれる。
    ふわり、と鼻先をくすぐるその香りに、ささくれ立った心がほんの少しだけ、柔らかくなる。
    それから母の前にドーンとアイスの乗ったクリームソーダを置いた店主は、もう一つ、何かよく分からない丸いボールのようなものをテーブルに乗せた。

    「すみません、ちょっとメンテナンスをしていまして…… 元の場所に置かせてください」

    茶色いボールに何かイラストがかかれているそれを中央において、店主はそのまま去って行った。

    「……なに? これ」

    怪訝に覗き込む私をよそに、母は目をキラキラとさせて小さく歓声を上げる。

    「やだ、懐かしい! まだあったのね、これ!!」

    その声に反応した店主はカウンターの中から微笑んだ。

    「ご存知ですか? 最近はもう知っている人も少ないんですよ」
    「忘れないわ! 夫との初デートでこうやって喫茶店でクリームソーダを飲みながらコインを入れたもの!」
    「それはそれは……」
    「だから、何なのこれ、ってば!」

    私のことなんか置いてけぼりにして盛り上がる二人に食ってかかると、母は、あらいけない、とこちらに向き直った。

    「これはね、こういう喫茶店とかに昔はよく置いてあった、占いの機械。ここにコインを入れて、自分の星座のところにダイヤルを回すと、おみくじが出るのよ」
    「おみくじ……? どうして喫茶店におみくじが必要なの」
    「昔は今と違って、話題が尽きてもスマホでネタを捜したりできないし……喫茶店は会話を楽しみに来る場所だったから、会話のネタにしやすいって意味もあったんだと思うわ。実際、お父さんとの初デートで、緊張して話題に困っちゃったときにこれを引いたもの」

    当時を思い出したように頬を赤らめる母。

    「それで、話題にして盛り上がれたの?」
    「ええ。【待ち人:あなたの目の前の人です】って書いてあったのよー! それで一気にお互い打ち解けることができたの!」

    やだもう照れる、と一人で身もだえる母親。
    店内が無人で本当に良かった、と胸をなでおろした。
    ……店主には見られているけれど。

    「そうだ、ねえ。有華もこれやってみたら?」
    「ええ?」

    唐突に振られ、驚いて声を出す。

    「この街での新生活を占ってみたらいいじゃないの」

    くだらない、と却下しようとしたけれど、店主に筒抜けのこの状況でそういうことをいうのは失礼なように思えて、口をつぐむ。
    母はそれを肯定の態度ととらえたようで、ほら、と財布から100円玉を取り出して、笑顔で手渡してきた。

    はあ、と気の抜けた返事をして、言われるがまま投入口にコインを入れ、星座の部分までダイヤルを回すと、小さく折りたたまれ丸められた紙片が出て来た。

    「そうそう、こういうのだったわ! それをね、破かないようにそーっと広げると内容が書いてあるの」

    ごくごく薄いその紙を破ってしまわないように、指先に神経を集中しつつ広げると、ハート柄のポップな紙に、シンプルに各項目ずつ一言を添えたような……おみくじ風な何か、が出て来た。

    「どれどれ……えっと、末吉? まあ、ひどい。景気付けに大吉くらい出してくれてもいいじゃないの」

    そう頬を膨らませて自分を見る母に、店主は肩を竦めて笑った。

    「申し訳ありません。一応そのおみくじ、新作でね。中身はこのあたりの有名なお寺に納めてるのと同じものだそうですよ。ですから私みたいな一市民は、結果に関与ができんのですわ」
    「やあね、冗談よ。でもそうなの、有名なお寺がこの辺にはあるのね」
    「ええ、女学校の裏の……」

    母と店主の会話をBGMに聞き流して、私は出てきたおみくじの内容を読み入る。
    別に普段から占いやこの手のものを信じているわけではない……というか、寧ろ否定しているほうだ。
    だけど何となく……このおみくじの内容は、私を引き付けた。

    『【恋愛】自分を磨け 【仕事・学業】恙無く 【手習い】前途多難…… 【待ち人】既に来たり』

    「……」

    家の机の引き出しの一番手前にしまった、実家から持ってきたノートのことを思い出す。

    (……既に、来たり。……私の探している人に、私は近付いている……そういうこと……?)

    私がこの街に来ることを、最終的に受け入れた理由……。
    もしそれが、間違いじゃないのなら、私は──。

    「──ふふふ、そんなに真剣に見ちゃって……。何て書いてあるの?」
    「……別に、なんてことないわ」

    母親の微笑みから目を逸らしながら、御御籤を丸めてテーブルの端に追いやる。
    少しぬるくなった紅茶に口をつけながら、私は──。

    ほんの少しだけ、明日からの学校生活に、希望を持ったのだった。

    ***

    商店街を出たところで予備校へ向かう部長と別れて、私たちはお寺へと向かう。

    学校の真裏にある私の家……おばあちゃんと私が暮らすお寺は、小さな丘をまっすぐに登る石段と、山門が特徴のそこそこ大きなお寺だ。

    他のお寺さんと違って敷地内に墓地は持たない分、小さくはあるけれど、それでも商店街をはじめとして、付近の住民の皆さんの菩提として……また最近は、おばあちゃんを本やラジオで知った人たちが尋ねてくる場所として、それなりに人気のお寺なのだ。

    「ただいま~~」

    石段を上がると、境内の授与所のあたりで、珍しく作業しているおばあちゃんが目に入った。

    「おや、お帰り、鈴。アンタたちもいらっしゃい」

    私の後ろに控えるいつもの面々に出迎えの言葉を投げてから、おばあちゃんはまた何か、作業を再開する。

    「お世話になります妙蓮様……それ、なんですか~?」

    一同を代表して麗子ちゃんが挨拶を返しながら、おばあちゃんの手元を覗き込む。するとおばあちゃんは、疲れた、とでも言うような表情でそれを差し出した。

    「これ……ガチャガチャ?」

    どう見ても、スーパーや駄菓子屋でよく見るガチャガチャの機械に「おみくじ」とカワイイ書体で書いてある。

    「出入りの業者が持ってきたのさ。新作のおみくじだっていうんだけど……このポップ、っていうのかい? 説明の表示してる掲示物の組み立てが分からなくてねえ。細かい字が見えなくなってきたから、辛いのなんのって」

    「あ、じゃあ私たちでやるよ。貸して?」

    えーと何なに?

    「『チャーム付きおみくじ 一つ500円』……?」
    「500円っ!? おみくじって100円とかじゃん、ホラあっちにあるやつとか!」

    ずいぶんと強気な値段設定に驚いた累ちゃんが指さしたのは、ウチに昔からあるタイプの、シンプルなおみくじ。

    「なんでも若い女の子が好きな『チャーム』……小物がついてるんだそうだよ。400円はそのチャーム代なんじゃないかね……。私はどうかと思ったんだけどねえ、出入りの業者さんが『妙蓮様のところは女性の訪問客さんが多いんだからイケますって!』ってゴリ推しされてねえ」

    「なるほど……、うちのお父さんもよく出入りの業者さんに懇願されて新しい検査機器を導入したりしてますけど、お寺でもそういうのあるんですねえ……」

    病院の院長先生を父に持つ真弥ちゃんが納得したように頷いた。

    「それとは違うような気がしなくもないけど……よ、いしょ……出来た! これでいいのかな……?」

    組み上がった掲示物をおみくじの箱にセットして、授与所のカウンターに設置すると、確かに若い人向けのそのカラーリングで、地味だった授与所が一気に明るくなったように見えた。

    「ああ、ありがと。……うん、なかなかいいじゃないか」

    おばあちゃんも同じ感想だったみたいで、満足そうに微笑んでいる。

    「よし、鈴。お駄賃やるからちょっとこれ、一回引いてみておくれ」
    「ええっ!? いいの……!?」
    「何か不具合があったら困るからね、最初はいくつかテストしておかないと。それで一個引いてみておくれよ」

    そう言って法衣の袂から500円玉を取り出して、私に手渡した。

    「おお~~、いいじゃん鈴! チャーム付きってどんなんだろ。ちょっと興味あったんだよな~!」
    「う、うん……じゃあちょっと緊張するけど……えいっ!」

    500円を入れてレバーを回すと、ガチャリと音がして赤いカプセルが取り出し口に落ちて来た。

    「ほんとにガチャガチャだし……」
    「中身はどんなのかしらね~?」

    カプセルに力を入れて開封すると……

    「えっと……こっちがおみくじで……こっちがチャーム……?」

    カプセルの中から持ち上げたそれは、ちりん、と小さな音を立てながら揺れていた。

    「わあ、かわいい……! キーホルダーかな?」

    レースの飾りと鈴がバランスよく配置された可愛らしいデザインのそれは、おそらくはキーホルダーなんかに通して使うものなのだろう。
    「鈴ちゃんだから鈴が出たのかな……!?」
    「そんなバカな、いくらなんでも出来すぎだし……この中、全部鈴なんじゃないの?」
    「いや、中身は何種類かあるって業者が言ってたよ、ほら」

    業者さんからのパンフレットをおばあちゃんが見せてくる。
    ……確かに、鈴の他にもお花の形のものや、動物を模したものなんか色々あるみたい。

    「じゃあ、偶然なのね~、それはそれで、すごいわ~」
    「きっとおみくじもいい結果なんじゃない? 大吉とか!」
    「そ、そうかなあ……! じゃあ、開けてみるね……?」

    『小吉』

    「…………」

    期待の割になんともしょんぼりな結果になったおみくじを見て、全員が何となく「あちゃー」って顔で黙り込んでしまった。

    私……「鈴」が引いたら鈴が出た、なんてミラクルで否応なしに盛り上がっていた空気が一気に冷えて行く。
    べ、別に私が悪い訳じゃないんだけど、気まずいのはどうしてなの……!?

    「いや、小吉ってさ……」
    「大吉が出るとこでしょ、ここは~」
    「いっそ凶でも面白かったんじゃないかい?」
    「わ、私はいいと思うよ鈴ちゃん、鈴ちゃんらしいっていうか」
    「ありがとう、真弥ちゃん。でもそれあんまりフォローになってない」

    背後で好き勝手言ってくれる皆をよそに、そのしょんぼりなおみくじの内容を読むことにする。それはウチの神社で古くからお渡しする、本格的なおみくじとは違って、ポップなハート柄の用紙に、項目ごとに端的に書かれた……今風の「おみくじっぽいもの」に見えた。

    「何なに、えーと……【恋愛】心持ち次第 【仕事・学業】怠るな 【手習い】恐れずに進め…… 【待ち人】既に来たり?」
    「あー、それよく分からないよな、おみくじに良く書いてある【待ち人】ってやつ」

    私のおみくじを覗き込みながら、累ちゃんが言った。

    「確かにね~? 待ってる人なんて、特に心当たりが無い場合のほうが多いものねえ」
    「うんうん、私も別に待ってる人なんていないし、既に来たりって言われても……って感じ」

    私がそう同調すると、おばあちゃんは笑って私たちを見る。

    「違う違う……待ち人っていうのはそういう意味じゃない。おみくじで言う【待ち人】ていうのは、探してる人とかそういうのではなくて……そうだね、簡単に言うと、あんたたちをいい方向に導く人のことだよ」
    「そうなんですか? 初めて知りましたっ!」
    「じゃあ、鈴ちゃんは既にそういう人が身近に来てる、ってこと~?」
    「そうだね、もう会ってる……とも取れるし、これから会うべくすぐ近くに来てる、とも取れる。どっちにせよ、かなり近いところにいる、って内容だね」
    「おお、すげーじゃん! これは高筝大会の予選通過も間違いなしだし!?」
    「そ、そういうことなのかなあ? えへへ、なーんだ、小吉も案外やるもんだね!」

    盛り下がりから持ち直した空気に安堵して、おみくじを結び処に結ぶ。
    そして……

    「このチャーム、どうしようかな……」

    あいにくこれをつけられるキーホルダーを持っていない私には、使い道に困る。

    「あ、待って鈴ちゃん、それ貸して?」
    「え? うん、いいけど……どうするの?」

    突然真弥ちゃんが私の手にあったチャームをつまみ上げた。
    驚いて問いかけた私を少し屈ませて、真弥ちゃんは私の髪に手を添えて……。

    「できたっ! どうかな……?」

    サイドの髪の毛を留めていたピンにチャームを器用に通して、あっという間にチャームを髪飾りにしてしまった。

    「おっ、いいじゃん! 鈴にピッタリだし!」
    「あら、可愛いわ~。まるでそういう髪飾りみたい」
    「ほんと? えへへ……ありがとう、真弥ちゃん!」

    差し出された手鏡を見て照れ笑いする私を、おばあちゃんも笑って見ている。

    「はは、いいじゃないか。もし【待ち人】が鈴の近くに来た時に、鳴って教えてくれるといいけどねえ」
    「あ、それいいね、ばーちゃん! レーダーみたい!」
    「後でちゃんと髪飾りになるように、ヘアピンに縫い付けておくね」
    「うん……とっても嬉しい!」
    「うふふ、ほら、そろそろお寺の中に入りましょうよ~、買ってきた野菜がしなびちゃう」

    夏の高い日差しの中、私たちは境内を後にして、お堂に向かう。

    静寂が戻った境内にはゆらゆらと、結んだおみくじが、揺れていた。

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