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「繭、纏う」×「夜、灯す」コラボキャンペーン記念ショートストーリー
制服
「制服のリニューアル?」
箏曲部での練習後、残った4人で真弥ちゃんのお菓子を摘まんでいた手をとめて、全員の視線が私に集まる。
「ええ、この制服ももう切り替えてから30年経つし、学校の認知度を高めるためにも、新しいデザインにしたらどうか、って案があるんですって」
祖母から聞いた話に一番最初に反応したのは、オシャレ好きを自称する累だった。
「マジで!? いいじゃんいいじゃん! どんなデザインにするか決まってんの!?」
「まだ全然よ。ただいくつか資料として、制服が人気の学校の資料を取り寄せたりしながら方向性を考えてるらしいわ」
「そうなの? デザイナーさんとかに発注するわけじゃないの?」
パウンドケーキを切り分けながら、真弥ちゃんが問いかけた。
「もちろん最終的にはデザイナーさんや業者さんに依頼してデザイン案を作るとは思うけど……『こういう方向性』とか『素材はこんな感じ』とか……そういうのはある程度こちらで方向性を決めるのよ」
「へえ、そういうものなんだね~……」
「……で、それと麗子ちゃんの抱えてるその冊子の束は、何か関係があるの?」
私の抱える紙束を指さして、鈴ちゃんが小首をかしげている。
そう、これが今日の本題。
「ええ、ここにおばあ様が最終的に絞ったいくつかの学校の制服資料があるの~。今の若い人の意見が欲しいから、ヒアリングしてきて、って言われちゃって」
おばあ様も無茶ぶりが過ぎる。
こんな仕事なら服飾デザイナーをしている私の姉に頼めばいいでしょう、と言ったのに、「現役の子の感性も取り入れたい」だなんて……。
「結構な量の仕事だと思うし、皆も忙しいと思うから、断ってくれても~……」
遠慮がちにそう口にしたものの……。
「え、それって……私たちの意見が新しい制服案に影響するかもしれない、ってこと……?」
「ほんとに……!? す、すごい……!」
「やる、やるっ!! 他の学校の最新の制服事情ってのも気になるし! 早く見せろし!」
有難いことに三人とも、目をキラキラさせて食いついてくれた。
「ありがとう~……もっとも、教職員や生徒会にも意見を聞くみたいだから、全部が全部取り入れられるとは限らないけど~~」
「それでもいいよ! こんな機会滅多にないもん! 早く見せて見せて!」
小さく跳ねるようにしながら催促する鈴ちゃんたち。
こうして放課後の制服品評会が始まった。
***
「うわあ……最近の制服ってすごいんだね」
集められたのは全国の名門、有名学校の制服ばかり30数校分の資料。
大正時代から基本デザインが変わってないという歴史のものから、最新ブランドのもの まで幅広い。
「パンツとスカートから選べるの!? スカートも種類が多い……!」
「最近は制服も多様化の時代みたいで、女生徒でもパンツスタイルが選べる学校は増えてるんですって~」
「へえ~! たしかに今の神楽原みたいな、上下一体の制服だったら難しいけど……こんなふうに上下が分かれていたら、そういう選び方も出来るよね!」
「でも……うちは女子高だから違うけど……共学だったら男子もスカートをはいていい、ってことになるのかな……?」
真弥ちゃんが複雑そうな顔をしている。
「ウチ、ファッション誌で見たことあるし! スカート男子っていうんだぜ? ハラジュクとかにはよく居るって書いてあった」
「へ、へえ~……さすが、東京は進んでるねえ……」
そんな雑談をしながら、彼女たちから出た制服に対する意見を手元のメモ帳に書きつけていく。
……押し付けられた面倒な仕事だと思っていたけれど、想像以上に楽しんで盛り上がる三人を見ていたら、頼んで良かったと素直に思えた。
「それにしてもパンツがあるのはいいなっ。思いっきり暴れても……」
「パンツスタイルだからって暴れていいってわけじゃないのよ~?……いちおう意見としては貰っておくけど~……それじゃ、次は……ええと、これね」
そう言って、資料の中から取り出した一枚の写真。制服を着た少女が数人、仲睦まじく肩を寄せ合うその写真を見た時……
「あ……」
私の心臓は一瞬、きゅっと掴まれたように高鳴った。
「ん? どうした麗?」
目ざとく私の異変に気付いた累が、私の顔を覗き込む。
この早鐘のような鼓動を気付かれないように、顔を伝う冷や汗に気付かれないように。
「いえ……、何でもないわ、これが次の資料の……制服よ。ええと……星宮女学園高等学校、ですって」
顔に笑みを張り付けて、なんとかやり過ごしながら……
(この制服……あの時の……)
私の心は、あっという間に一年前のあの日に戻っていた。
***
「綺麗ね」
舞台裏に引っ込み、大きなため息をついたその瞬間、突然かけられた言葉に思わずびくんと背筋が伸びた。
──祖母と、旧友の教育関係者の方々のあつまる年に一回の談話会。
この日は祖母が大変お世話になった先生が引退を決められたということで、その方が一番好きなヴァイオリンソナタを演奏するため、私が呼ばれていた。
普段は弾かないヴァイオリンをどうにかこの日だけ演奏してくれないかと頼み込まれ、神楽原の関係者が居ないということを確認した上で数年ぶりに、先生の邸宅にある小さなステージに上がったのだ。
……おそらく私と同じように、祖母や両親と一緒に来たのか、制服姿……学生にとっての正装……の若い人たちは数人いたけれど、約束通り神楽原の関係者らしき人は祖母以外いないことをステージの上から確認し、……数年ぶりのぶっつけ本番にしては上出来な演奏を終え、ステージの端にはけてきた、その時に、その人は私に声をかけてきた。
顔を上げた私の目に飛び込んできたのは──
腰より下まで伸びた、美しく長い黒髪と、その黒髪と溶け合うような漆黒で彩られた制服に身を包んだ、とても美しい人だった。
この人は、確か──さっきおば様に紹介されたのを覚えている。
星宮女学園高等学校……神楽原と同じく、長い歴史を持つ女子の園。
その学園長の孫娘。つまりは、私と同じ──確か、名前は……星宮……なんだっけ?
「本当に、綺麗……」
私が記憶を総動員していることなどお構いなしに、その人は穏やかな笑みを浮かべて私にもう一度言葉を掛けた。
さっき、挨拶のために紹介された時とはまるで違う印象の彼女に戸惑いながらも、なんとか笑顔で言葉を見つけ出す。
「あ、ありがとうございます……」
その褒め言葉が私の演奏へのものなのか、それとも容姿へのものなのか。
どちらにしてもそれは私にはそぐわない言葉だと思った。
だってどう考えても、この場で一番美しいのは……この彼女の存在、そのものだったから。
それでも祖母の仕事を見学するうちに身についた社交スキルは、半ば反射のように私に笑顔と謝辞を吐き出させた。
(さっきと印象が全然違う……髪の毛?)
先ほど、パーティの最初に紹介された時には、後ろで結わえられていた髪の毛は、いまはすっかり解かれて、彼女の足首に届こうかという長さで揺れている。
その現実離れした長さと、歩くたび命のように揺れるその無数のか細い糸が、彼女の美しさに怖いほどマリアージュしている。
「あ、あの……? 何か?」
何故彼女がこの小さな舞台袖の部屋にいるのか、その理由に思い当たるところの無い私の言葉に彼女はもう一度にっこりとほほ笑む。
どこからか、薔薇の匂いがする。
噎せ返るほど濃厚で、香しい。
少し考えて、この香りは彼女の美しい黒髪から立ち上っているのだと気が付いた。
彼女が歩き、こちらに近づくその度に、さらさらと揺れるその髪から、零れるような薔薇の香り。
その香りと、生き物のように繊細に揺れる髪の毛に心を奪われて……彼女が私の目の前に近づいてくるまで、気付くことが出来なかった、
「あ……え、ええと……?」
変わらず笑みを湛えたまま、私の眼前に彼女が近付く。
そして……
「……っ? あ、の……?」
踊るように、抱きしめるように私の背中に手を回し……私の髪の毛をひと房、掬い……そして耳元で。
「だけど……苦しそう」
桜貝のような唇をそっと私の耳元に寄せてそう呟いた。
「あ……え……?」
薔薇の、匂い。
まるでこの埃っぽい舞台袖が薔薇の庭園になったような錯覚。
彼女の制服と私の制服が触れ合ってしまうほどの距離。
不思議な光沢のその制服が、私を浸食してくる、そんな感覚に戸惑いながら私は彼女の言葉を必死で拾いあげた。
「かわいそう。あなたもほんとうは、『ここ』にいたくないのね」
髪の毛を優しく撫でながら、彼女はそう呟く。
本当に、悲しそうに。
大切にしていたペットの死を悼むような、そんな口調で。
白く細い指先が、慈しむように私の髪をなぞっている。
なぞられているのは髪の毛のはずなのに……どうしてか一瞬、彼女に私の輪郭をなぞられた、そんな気持ちになって、思わず飛びのいた。
「……あの、おっしゃることがよく分かりません、私は別に、この会には──」
彼女の息が触れた耳が熱い。
触れられた髪の毛には感覚は無いはずなのに、そこから何かに冒されていく感覚。
それらを必死に振り払いながら、私は冒された熱を跳ね返すように、彼女向けて言葉を紡ぐ。
その様子を見て、彼女は一瞬きょとんとし、そしてまたすぐに……あの薔薇の香りの微笑みを見せ。
「そういうことではないの…わかっているでしょう」
と私の心を見透かすようにまっすぐな視線を向けてきた。
どういうことだと言うのだろう、いったい何を言っているのだろう。
聞きたいことは沢山あった。けれど薔薇の香りが絡んで上手く話せない私にもう一度微笑みを残してから、彼女はくるりと背を向けた。
ターンしたとき、制服のスカートの衣擦れの音を聞いた。
それは……なぜか少女たちの笑い声に聞こえ。
その瞬間、見えた。
美しい薔薇のパティオ。そこに佇む彼女。まるで私こそが制服だというように……彼女の身体に纏わりつく、妖精のような、長い髪の少女たち。
そして……さらさらと流れる彼女の長い、髪。
それは、女神を祝福する妖精の宴のようで、絡み合う長い髪の毛がまるで美しいタペストリーのような──。
(……幻……覚……?)
その白昼夢のあまりの美しさに息を飲んだ。
くらり、と眩暈がして、足が一歩後ろに下がった。
「……あなただったら、あなたの~~だったら、きっとステキな制服になるわ」
だから私は、去り際の彼女の言葉の、一番大事なところを聞き落としてしまったのだ。
──あの時、彼女は……何て言っていたんだろう……?
***
「……い、麗ってば!」
私の頬を累がペチペチと軽くたたく。
痛みとは違う衝撃で「こちら側」へと引き戻され、はっと短く息を吸う。
「どうしたし、急にぼーっとして」
……一度しか見ていない、だけど鮮烈に私の中に刻まれたあの制服を目にしたことで、少し過去へと心が飛んでしまっていたらしい。
少しむくれたような、心配するような視線で見上げてくる累に微笑みを返す。
「あ……ご、ごめんなさい、ちょっと見入っちゃって」
そう答えると、安心したのか笑顔になった累は私の手の中の写真資料をひょい、と取り上げた。
「お? そんなにその制服が気に入ったの? どれどれ……」
そして写真は真弥ちゃんと鈴ちゃんの前に広げられた。
「わぁ……素敵! クラシックなワンピーススタイルなのね。真っ黒だけど、デザインがすごく……!」
真弥ちゃんが歓声を上げる。
確かに今までの制服への意見から見ても、真弥ちゃんはこういうクラシックスタイルなものがお気に入りの傾向だから、この制服はきっとツボなんだろう。
「ええと、星宮女学園高等学校の制服だそうよ~。戦前からデザイン変更をしていないんですって……ここの制服は卒業生が作ったものを新入生に渡すという伝統があって、かなりの人気なんですって~。実際、その制服を目当てにして入学する人も多いそうよ~」
資料を読み上げながら、彼女の……星宮さんの姿を私の心から追い払う。
そうでないと、微かな声の上ずりやこの胸の鼓動を、みんなに悟られてしまうから。
「ステキ……! 伝統、女子高……! 制服そのものも、しっとりとした光沢があって……うん、すごくいい……! 麗子ちゃんが見惚れるのも分かるよ!」
真弥ちゃんはすっかり星宮の制服に夢中で、私の様子からみんなの注意をそらしてくれた。
「ええ~? そうかぁ? なんだかバッサバッサして動きづらそうだし、古臭くない?」
「動きやすいのも大事だけど、可愛さだって重要だと思うのっ! それにレトロって一周回って最先端よ!?」
そんな風にやりとりをする累と真弥ちゃんの横で、鈴ちゃんは何やらぶつぶつ言いながら写真を色んな角度から見ている。
「うーん……なんだろう?うーん……」
「ん? どうしたし? 鈴」
その様子に気付いた累が問いかけると、鈴ちゃんは写真から目を離して、怪訝な表情で言った。
「なんか……写真だけだけど、この制服生地の光沢……変わってるなって思って」
「光沢……?」
「うん、ほら……シルクとも違うし、ビロードに近い気がするけど……それでもなさそう……」
抑え込んだはずの記憶がまた浮かびあがる。
確かにあの日目に焼き付いたあの制服の、見たことのない素材感は気になった。
少女の囁きに似た衣擦れの音、濡れたような重い光沢……。
「最近は化繊の新しい生地なんかもあるっていうし……そういう新素材なのかもしれないわ~?」
「そっか、そうかも……でも……」
私の取って付けたようなフォローにも、鈴ちゃんは「腑に落ちない」と言った様子で、写真をちらちら見ている。
「なんかね……不思議なの。この制服を見てると……ちょっと怖いの。なんだか絡みついて、息が苦しい……そんな感じ」
……お寺の子なのに霊感のようなものが一切ない自身のことを、時々笑い話にする鈴ちゃんだけど、音楽にも活かされるその豊かな感受性は、写真を見ただけで、私の感じたあの時の空気を的確に言葉にしてくれた。
そう、絡みつく。
あの長い髪が、私の輪郭に、心に、絡みついていくあの──感覚。
「え~? ウチには全然普通の制服に見えるけどな~? 麗、分かる?」
振り返った累に向かって、笑顔を作る。
「……いいえ~、私にも普通の綺麗な制服に見えるわ~」
「そ、そうだよね~。私の気のせいだと思うよ!」
そう微笑むと鈴ちゃんも照れたように笑い、ごまかした。
「ふふ……ほら、他の写真もいっぱいあるわ。色々見ましょう」
「あ、じゃあ私、お茶入れる。鈴ちゃんもいっぱい写真見て、疲れちゃったのかもしれないし……」
「おっ、いいね、休憩しよ休憩~!」
……そうしてその写真を私はそっと、資料の一番奥深くへと仕舞った。
『あなたの~~ならきっと……』
星宮さんの桜貝色の声が、また耳の奥で私をくすぐる。
彼女のあの時の言葉が何だったのか。
もう会うこともないだろう今は、確かめる術もないけれど。
私はきっとあの制服と彼女のことを、これから先も思い出す。
あの時確かに、私は……あの制服から息遣いを感じたのだ。
この神楽原の制服を着ている私とは違う……
何かに縛られながらも、美しく軽やかに笑う……彼女と、誰かの息遣いを――。
<Fin>