マール王国の人形姫
マール王国の人形姫

記念すべき第一回は、1998年発売の「マール王国の人形姫」です。
今回はプロデューサーの新川宗平に話を聞きました。

「どういう形でタイトルに関わったのか」

担当パートという意味では、
シナリオ、世界観設定、作詞、プロデュース、営業、広報を担当しました。
営業・広報も、ほぼひとりで兼任していたので
過去最高の兼任率(?)でした。
今もそれなりに色々と兼任していますが、
この経験のおかげで多少の兼任は、へっちゃらになりましたね。

関わった経緯という意味では、
マール王国が発売される3年ほど前に日本一ソフトウェアに入社しました。
もともと営業・広報の担当だったのですが、
当時の日本一ソフトウェアはジグソーパズルや麻雀ゲームしかタイトルが
なく、ゲームの売上本数が平気で1万本を切る時代に入ってきていたので
「このままじゃ死んじゃう!」「会社がつぶれちゃうぞ!!」
という危機感を持っていました。
そこで「どうせ死ぬなら後悔しないよう思い切ってRPGに挑戦だ!」
と考え、当時の社長を説得し、同期入社のスタッフたちとともに
『マール王国の人形姫』プロジェクトを立ち上げることにしました。
入社3年目の同期のスタッフが中心メンバーだったので、
いろいろと問題も起こりましたが、今となっては良い経験でしたし、
関わったスタッフの多くは今も業界で活躍しています。

「当時、楽しかったこと、苦労したこと」

99%ぐらい苦労だった気がします……。
はじめてのRPG制作で、わからないことだらけ。
技術力不足による相次ぐ仕様変更や、
終わりがなかなか見えない状態で、スタッフも殺伐としていました。
でも、そんな苦労があったからこそ、完成した時の喜びや、
お客様に「面白かった!」という声をいただけたときの感動は、
本当に今でも忘れませんね。

「今思い返して、思い出に残っていること」

一番の思い出は、丸坊主にしたことですかね?
当時は今よりも、もっとプロデューサーとして未熟だったので
開発スタッフの反感を買うことが多かったのですが、
チーム制作である以上「これではいかん!」ということで
反省の意味と、完成まで一緒に頑張ってほしいという気持ちを込めて、
丸坊主にしました。
そのあと、広報として電撃プレイステーション編集部を訪問したら、
「なにか悪いことでもしでかしたんですか?」と笑われたことを
今でもよく覚えています。

もうひとつ、良い思い出として、
佐藤天平さんとの出会いが印象深いです。
「ミュージカルがやりたい!!」ということで
音楽関係の方に相談したところ、
紹介していただいたのが佐藤天平さんでした。
まず最初に『いつか会える きっと会える』を作曲してもらったのですが、
「この人しかいない!!」という大きな手応えを感じることができました。
『マール王国の人形姫』は佐藤天平さんの音楽なくして、
成功はなかったと思います。
ミュージカルシーンをはじめとした素晴らしい音楽の数々が、
マール王国という世界を120%表現してくれました。
その後も、佐藤天平さんの音楽は『魔界戦記ディスガイア』シリーズをはじめ、
日本一ソフトウェアにとって、なくてはならない存在になっています。

「一番のオススメポイント」

なんだか、苦労話が多くなっちゃいましたね。すみません。
そんな殺伐とした状況で、メルヘンチックなミュージカルRPGを作っていました(笑) 冷静に考えると、えらいギャップですね。

『マール王国の人形姫』は日本一ソフトウェアにとって
大きな節目となったタイトルです。
その後、『リトルプリンセス』『天使のプレゼント』とシリーズを重ねて、
RPGのノウハウを確立しました。
次の節目は、『ラ・ピュセル 光の聖女伝説』です。
このタイトルで、シミュレーションRPGと、やり込み要素の基礎を築きました。
これらの節目があって生み出されたのが
『魔界戦記ディスガイア』シリーズです。

過去にプレイしていただいた方も、
こんな日本一ソフトウェアの歴史を感じていただきながら、
もう一度、『マール王国の人形姫』をプレイしていただくと、
また違った楽しみ方ができるのではないかと思います。

未プレイの方には、ぜひミュージカルシーンを楽しんでいただきたいですね。
これだけ歌って踊るRPGは他にはないでしょうから(笑)

初めてのRPGへの挑戦、そして佐藤天平氏との出会い-。
まさに日本一ソフトウェアの転機の一つと言えるタイトルでしたね。

「マール王国の人形姫」は、
現在PlayStation(R)Storeのゲームアーカイブスや、当社通販などで購入することが可能です。

今までにプレイしてみたことのない方もこれを機にプレイしてみてはいかがでしょうか?

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