[作品タイトル]
WCII

[応募者名]
内藤愛媛

 園芸部に入った理由は運動神経がないからだ。自然に感謝はしているが、みずから植えてやろうとまでは思わない。だいたいこの学園の裏には山がある。大海に一滴の水をそそぐような、むしろ砂漠に一粒の砂を落とすような部活動にやる気もへったくれもあったものではない。

 鼻を衝く草いきれに、耳を劈く蝉しぐれ。畑は炎のように揺らいでいた。まだ夏服は許されておらず、あと半月は冬服であり、二個の鈎ホックと五個のボタンの一つでも外してしまうと校則違反となる。おかげで狂気じみた暑さだった。酸素なんて贅沢なものは吸えない。口から入るのは塩辛さと熱気だけだ。呼吸さえも不快となり、生きているのが嫌になる。種一粒植える作業すら苦痛だった。何故僕は汗みずくになって土に線を入れているのだろう。いっそのこと体ごと蒸発してしまえば楽になるのに、などと考えてしまうあたり、脳まで焼けついてしまったらしい。

 だから便利なものを用意した。シーダーテープという。外見は家庭科で使う手縫い糸に似ている。等間隔に種が入ったテープを、カードに巻きつけたものである。これを使えば線を引くように種が蒔ける。たいして広くもない畑にこんなものを使うのもどうかと思うが、あと半月ぐらいは楽をさせてもらいたい。

 喉が乾いたとつぶやけば、隣で懸命に雑草を抜いている坂本理子が疑念を抱いたようだ。

「プールの水を飲みたいとか思っているんだろこの変態

と、真っ直ぐな瞳で語ってくる。

僕の視線はプールへと向いていた。高い位置に建設されていて中は見えない。大海があれば飛び込みたくなるものである。この焦熱も、水さえあれば心地の良いものに変わるに違いない。

 もう一つ理由があった。

 数か月前プール更衣室のトイレで水泳部の女子生徒が溺死した。名前は長谷川美佐代。死亡推定時刻は午後二時から午後四時の間で、水着姿のまま、水を溜めた便器に頭を突っ込んでいたらしい。

 吹き抜けではなく、トイレは完全な個室であった。上からも下からも覗けない。隙間といえば指一本入る程度の、扉と壁の間しかない。鍵はかかっていた。一応密室と言えなくもない。だから自殺とされた。長谷川美佐代はとある男子生徒にふられており、それが動機となった、ということになっている。男子生徒への恨みを表していたのか、彼女の手には学生服のボタンが四つ握られていた。四と死をかけているのだろうか。ちょうど僕の学生服のボタンが全部盗まれていたこともあり、長谷川美佐代をふった男子生徒は僕なのだと噂された。

「プール更衣室の閉鎖された第二洋式トイレ。興味あるのはそこかしら。鬼畜くん」

「だれが鬼畜くんだよ……」

「長谷川さんも可哀想だね。あなたが付き合うって言ってたら、今頃幸せ一杯だったのだろうに」

 噂は現実と違う。ふったのではなく、ふられた。告白したのは僕である。女にふられた哀れな男のはずが、女を弄んだあげくに自殺に追い込んだ男扱いされ、殺人鬼扱いされ、友人らは離れていく。残ったのは同じ園芸部員である坂本理子だけだった。

「少しも悪いって思ってないわけ?」

「長谷川さんの自殺と僕は全然関係ないだろ



「本当に思ってない?」

「……少しぐらいは」

「嘘



 坂本理子は言う。

 たしかにあなたの胸には重たい感情があるのだろう。だがそれは罪悪感ではない。好きな女を失ってしまった深い悲しみなんかでもない。それは純然たる犯人への怒りであると。

「あなたは自殺だなんて思ってないんだよ。今この瞬間にも、他殺だと思い続けている」

「なにを根拠に」

「種蒔きにシーダーテープを使っているから」



 僕の姉は長谷川美佐代と同じ水泳部であったため、事件のことに詳しい。当日のことを、教えられた範囲で振り返ってみる。

 朝練後、当番であった姉は中に誰もいないことを確かめてから更衣室に錠をし、職員室に鍵を返した。以降この鍵は午後六時の夕練で使用されるまで持ち出されていない。複製も存在しない。朝練後夕練前まで更衣室の扉は開いていないことになる。このことは警備員も保障している。変質者が寄るのを防ぐため、警備員室はプールの間近にあるのだ。

 朝礼の時点で長谷川美佐代はいなくなっていた。更衣室に潜んでいたのだろうか。探索はされたがそれほど大がかりなものではなかった。二限目よりマラソン大会であったため、全校生徒は午前十時より午後四時の間、徒歩三十分の距離にある有珠川付近に移動していた。

 そして午後六時、姉が再び鍵を持ち出し、更衣室を開ける。友人と一緒であったそうだ。後から来る他の水泳部員のためにプールの整備をし、一息ついた所で姉と友人はトイレへと向かう。

 奥から二番目のトイレは閉鎖されていた。かなり昔の話だが、以前にもそこで人が死んだのだ。気味が悪いと更衣室ごと取り壊され、同じ場所に同じ物が新しく建てられた。しかし、人が死んだという事実は消えず、二度と開かないようにと誰かが粘着テープで扉を固定してしまい、隙間という隙間をすべて塞ぎ、トイレと外側との接点を遮断してしまう。

 そのはずが、粘着テープが剥がされていたのである。鍵はかかっている。不思議に思った姉は中を覗き見た。白い壁で囲まれた個室の中で、人が倒れている。扉を叩いて呼びかけるものの反応がない。慌てて警備員を呼び、鍵を破壊し扉を開けると、長谷川美佐代が便器に頭を突っ込んで死んでいたのだ。

死亡推定時刻は午後二時から午後四時の間だそうである。

 さて、長谷川美佐代自殺説で考えてみよう。彼女は何故最期の場所にトイレを選んだのか。どうして便器で溺死なんていう死に方をしたのか。朝練を終え、着替えずに更衣室で時間を潰し、探しにきた友人らから身を隠すためにトイレに移動し、午後二時頃になったら便器に頭を突っ込んだ、というシナリオがはたして自然な流れと言えるのか。まったくもって如何わしい。自殺は身なりを整えてから相応しい場所で行うものだ。汚らしい場所で汚らしい最期を望む人間はいない。せめて着替えてから死ぬ。

 ならば他殺なのであろうか。密室ではあった。しかし、学校のトイレに使われるような鍵に鍵としての能力があるかどうかは疑問である。扉の隙間から紐を一本通せば外側からでも簡単にかけられる。彼女を更衣室で拘束し、午後二時頃になるまで待ち、殺し、外側から鍵をかけたのだとしたら、犯人が殺すのを待った理由とはいったいなんなのだ。乱暴をされたわけでもないそうである。朝から約六時間を使ってじわじわと苦しめていたのか、それとも良心に阻まれて躊躇っていたのか。

 僕の姉の見解はこうだ。プール更衣室の閉鎖された第二洋式トイレには花子さんが住んでいる。長谷川美佐代はそれに憑かれて自殺した。

「あ、弟ちゃん私のこと馬鹿にしてる」

「そりゃあ都市伝説を大真面目に語られても



「伝説じゃないもん。自殺も変で他殺も変。だったら花子さんでもいなきゃおかしい」

 長谷川美佐代がそこに入るにはトイレの封印、粘着テープを解くしかない。その祟りによって、死んだのか。

「さびしかったんじゃないのかな。花子さんってトイレで焼死したんでしょ。ずっと一人で、あそこでずっと焼かれ続けていたんだよ。長谷川さんがうっかり封印を解いてしまったから、一緒に死んでくれって、溺れさせたの」

「焼死と溺死じゃ全然違う」

「なら他に方法はあるかな? 朝練が終わってから人の出入りはゼロ。死亡推定時刻である午後二時から午後四時までの間、プールには長谷川さんしかいなかった。次に人が入ったのは午後六時で、っていうか私とその友人なんだよ?」

 長谷川美佐代が死ぬまでそこに彼女しかいなかったことは間違いない。警察も自殺と判定したからにはそれなりの理由がある。ただ、自殺にもおかしな点がある以上、花子さん的な要因がなければ死の理由がつけられないのだと姉は言う。

「弟ちゃん聞いたことないかな? 学園七不思議。中庭の木の下で告白すると成功するとか、校内放送を使って告白すると成功するとか、第二ボタンを本人に気付かれないように持ち続けると両想いになるとか、四時四十四分に廊下で二人きりになると両想いになるとか、体育倉庫での告白はふられるとか、更衣室前の告白はふられるとか、花子さんが存在するとか」

「花子さんやたらと浮いてるんだが」

「ううん。自殺でもない。他殺でもない。長谷川さんが死んだことによって、都市伝説は現実に近づくの」

 姉は目を細めて視線を流す。ポケットの中に手を入れて何かを弄る。考えている時の姉の癖だ。

「どう思ってるの? 長谷川さんが死んだこと。好きだったよね」

「あ、ああ、うん」

「お姉ちゃん励まし方が分からないから、気に触ったらごめん。弟ちゃんはチビだし、長谷川さんもかなり小さいからお似合いっぽいけど、それって愛なのかな。似たもの同士なんだから、同族だって思ってたんじゃない。好きな人じゃなくて、友達。愛してるのでなく好いている。こう思えばダメージ減る?」

「……うん」

「まあ忘れちゃいなよッ。弟ちゃんにはね、もっとお似合いな人がいるの。スタイル良くて背も高くて胸大きくて強気で男勝りだけど肝心な時には僕がいないとダメなんだよなーって感じのお姉さんが、いつかきっと現れるんだから」

 そのお姉さんとやらはまるで姉というか、姉そのままだった。それはお前のことだろッとツッコミを入れたら、張っていたものがプツンと切れ、そのまま楽に倒れることができた。



 そして、園芸部員坂本理子の見解はこうだ。

長谷川美佐代は紛う方ない他殺であると。

「他殺とするならば自動殺人にしないといけない。死亡推定時刻にそこに人がいなかったわけだから。時限爆弾を仕かけたトイレに長谷川さんを縛っておき、遠く離れた場所で爆破。都合の良いことに外から警備員が見張っていてくれて、彼女は自殺と処理される。犯人にはしっかりとアリバイがある。この殺人は成功したと言えるよね」

 時限爆弾とはもちろん例えだ。爆発したなら当たり前に証拠が残る。派手過ぎる。

「証拠をいつ処理した。第一発見者は僕の姉とその友達なんだぞ」

「その二人が共犯だったらいいんでしょ」

「ありえない。共犯者を見つけられるなんて偶然は絶対にない。たまたま同じ人物に殺意を抱いていて、たまたまそのことをお互いに知って、たまたま殺すだけの行動力を持ち合わせてたって言うのか?」

「なら決まりね。証拠があまり残らないトリックを使えばいい。爆弾しかける並に大胆で、それでいて大した手間もかからず、財布も傷まない感じの」

 都合が良すぎる。

「あるんだなぁ。実際やってみようか。私犯人やるから、あなた長谷川さんやってね」

 そう言うなり移動した。今は部活中であり、殺人現場であるプール更衣室のトイレは使えない。僕が女子トイレに入るのはさすがに不味い。だから園芸部室付近の男子トイレを使うことにした。坂本理子は迷うことなく足を踏み入れる。男らしくて素敵だ。

 小便器があること以外トイレに違いはない。まったく同じ白い個室だ。ここで再現できなければどこのトイレでも再現できない。坂本理子は奥から二番目の個室に入り、便座を下げてスカートのまま座る。何かを期待したわけではないのだが、がっかりしたことだけは確かだった。

 彼女は金属製のトイレットペーパーホルダーから紙を少しだけ引き、先端の中心部を掴む。くるくると回しながら更に引き延ばした。『こより』を作っているのだ。絞られてできた三角形の頂点から、紙の紐が徐々に伸びていく。上手いものだ。ホルダーがこより作成機に見えてくる。一メートル程の長さにした後、それを切り離す。同様にして四本の紐が出来た。

 すべての先端を片手で握って、四つ編みを始めた。三つ編みの一本多い編み方である。外側の二本を、それぞれ隣にある内側の二本と交差させ、次に内側に来た外側の二本同士を交差させる。それを繰り返すことで編む。途中でめんどうになったのか大雑把になっていったが、一応完成したようだ。荒い縄が出来上がる。

 今度は再びホルダーから紙を引き延ばし、縄を包んでいく。捻じって強固する。十回に満たない回数繰り返し、直径一センチ程の太さになった。紙製の縄ができあがる。

 こんなもの所詮紙だろと思って馬鹿にしたら、ならやってみる? と挑発された。僕は両腕を前に突き出し、手首を縛られてやる。手と手を引き離そうとしてみればビクともしなかった。まるで巨木を押しているようだ。

「トイレットペーパーが横方向に切れやすいイメージがあるのはミシン目があるため。洋紙であるそれは本来縦に切れやすく、横には強い。公共施設なんかでは節約のためにダブルでなくシングルを使っていて、柔らかさを求めて二枚を重ねたダブルより、シングルの方が一枚一枚が強い。ついでにミシン目もない。こよりにすることで弱点である縦には切れなくなる。お尻を拭くものであるならば破れにくく作られていて、まあ実際この通りね。やってみたのだけど内側に四つ編みを入れてないとすぐ千切れるのよ。逆に軸さえしっかりしていれば成人男性の力でも逃れられない。例えそれが後ろ手ではなく正面での縛りであっても。ましてや長谷川さんは女の子だし。加えてトイレットペーパーはほぼ無限にあり、いくらでも強くできる



「……それで、こんなものどうするんだ」

「そうだね。縄があってもどこに縛るというのか。それに何故縄を紙で作る必要があったのか。ここからはやる真似だけね。実際にやるとかなり汚いから」

 坂本理子は便座を上げた。ああなるほど、縛る所がこんなところにあるのか。便座は当然輪状であり、引っかけるにはうってつけである。

「まず長谷川さんの意識をなくしてやらないといけない。警察の資料でもあれば別だけど、手持ちの証拠が不十分なので犯人がどうやったのかは分からない。とりあえず三通りの方法だけ示す。まず第一、睡眠薬を飲ませる方法。殺人するなら睡眠薬くらい欲しいよね。薬局なんかで売ってるのはあくまでも睡眠改善薬だから使えない。お医者様に眠れないんですーとか言えば簡単にくれるだろうけど、精神科医とか? ちょっと抵抗あるかな。自殺前に睡眠薬を使うのは変じゃない。というか普通の状態でトイレに頭突っ込んでも溺死するのって難しそう。妥当なあたりだと思う。第二の方法、泥酔させる。朝練後に酒飲むのってどうだろう。飲ませたのかな。泥酔させて寝ればちょっとやそっとじゃ起きないし、犯人としては楽で、酔った勢いで自殺したとされるかも。長谷川さんがお酒に弱いのだったらもっと都合がいい。でも酔っても命の危機になることはしないか。まあ死ぬ時だって時にはあるでしょう。泥酔した人がうっかり溺死するのって水泳での溺死なみに多いらしいよ。そして最後、プールで溺れさせる方法。他の部員が出て行った後、犯人は長谷川さんに競争しようとでも何とでも言ってプールに引きずり込む。油断しているところで足を掴む。ここで殺してはいけない。どうせ溺死させるんだから水飲んでようと構わない。抵抗されなくなったらプールから上げて、気絶していることを確認する。そんな感じだね。そしてトイレへと運ぶ。犯人はまずトイレの封印、というか粘着テープを外し、扉を開け、水が流れないようにティッシュペーパーかなにかを便器に詰めて、便座を上げて、長谷川さんの頭を突っ込む。この時まだ水は溜めていない。背に被せるようにして便座を下す。両手両足を後ろに折りたたみ、便座にさっき作った紙製の縄で固定する。長谷川さん小さいから結構簡単にできそうね。カメみたいになるよ」

 そう言いながらトイレの鍵に糸を回して、それを壁との隙間に通しつつ扉を閉めた。外側から糸の両端を引っ張り、鍵をかける。確認した後、糸を回収する。鮮やか過ぎる。

「こうして犯人はトイレの外に出るでしょ。外側から鍵をかけて、粘着テープで密閉するわけ。隙間のないように、元通りに封印するの。上の隙間だけは残して。指一本入るぐらいの隙間なら、ホースぐらい入るよね」

 あまりにも馬鹿げてる。トイレの上から水を流すという、古典的ないじめをやろうとしているのだ。

「トイレ掃除にはホースが必須。掃除道具箱にちゃんと準備してある。あとは上からホースを刺して、粘着テープで上の隙間も密閉して、ジョロジョロ水を入れて、トイレの個室を水で一杯にすればいいんだよ。まさにWater Closet。水の小室ってわけ。ある高さにまで溜まったら便器に水が入り込み、長谷川さんは溺死する。蛇口の捻り具合で死ぬ時間が調整できるよね。時間差で殺せて犯人はアリバイを作れる。それでその後どうなると思う?」

 悩むまでもない。両手両足を縛っている便座は背にあるので、水位は頭が沈んでから一定時間経過後に縄の位置にまで到達する。体を固定しているそれは紙製だ。水に溶けて勝手に千切れる。拘束を解かれた長谷川美佐代は重力のまま下に落ち、便器に顔を突っ込んだだけの姿勢となる。

「でも、水を溜めている最中に長谷川さんが起きないとは限らないだろ。拘束されてて動けなかろうと、叫ばれでもしたら終わりだ」

「あなたさ。今日お風呂入ったら、そこから居間にいる姉にでもタオル取ってくれーとでも叫んでみなさい。聞こえると思う? 長谷川さんは起きるかもしれない。でもさ、水が漏れないぐらいなら音もある程度遮断する。プール更衣室のトイレよりの音を、さてどれ程の距離まで拾うことができるのか。疑問ね。やってみる? 警備員室あたりに立ってなさい。私叫んでみるから。それを悲鳴と認識できる? 都合良く生徒たちがプール前を通り過ぎでもしたら別だけど、マラソン大会だったし」

「……違う」

「違う? 何が? なら何故あなたはシーダーテープを持った途端に、視線がプールの方を向いてしまったの? 種を等間隔に蒔くために、水に溶ける性質を持ったそんなテープを見て、どうしてあなたは長谷川美佐代を思い出したの?」

「……だから、違うッ」

 このトリックを使うのならば、ホースと溜めた水を片づけなければならない。発見時にそんなものがあっては、すべてが無駄になってしまう。第一発見者より早く現場に行かねばならない。だが午後六時までそこには死体しかないのだ。

 ならば、午後六時以降、第一発見以前に片づける必要がある。それが可能なのは姉かその友人のどちらかだけであろう。

 更衣室の鍵を開け、すぐさまトイレなんかには向かわない。どちらかがどちらかに先にプールへと行かせ、残った方がホースを掃除道具箱に戻し粘着テープを外して排水を始める。その間犯人もプールへ移動し、時間を稼ぎ、一緒にトイレに行きたいと誘う。そこで封印されていたはずの第二トイレの粘着テープが消えていることに気付くのだ。不思議に思って開けようとすると、鍵がかかっている。犯人はなんとかして中を確かめようとした。隙間から覗き、例え中が見れなくとも、人がぐったりしているのだと伝える。そんな筋書きが脳裏に閃く。駄目だ。認められるか。

「……作った紐は。いくら紙製でも溶けきらない。少しは残る。閉鎖されていたトイレにトイレットペーパーの残骸があっては不審に思われる」

「いや、排水の際に一緒に流れてくれるよ。扉との隙間を通ってくれれば完璧だけど、あまり溶けなかったら扉に引っかかるかな。引っかかったそれは外側からでも回収できる。そうして第一発見者が消したと。タイミングとしては警備員を呼ぶ前がベスト。まあ仮に警備員が来るまでに回収できなかったとしても、そこに死体があるというのに、足元に転がったそんなものを気にする余裕なんてあるかな」

「そうだ水だ。水に沈めたんだから長谷川さんびしょぬれじゃないか。不自然だろこれ」

「ああもう往生際が悪い。今更長谷川さんがびしょびしょだとか本気でどうでもいい。水着だったんだし、水泳部員が濡れてて何の問題があるのよ」

「え、ああ、なら個室ッ。トイレ個室がびしょぬれになってたらおかしいだろ」

 坂本理子は少しだけ頭を捻った。たしかにおかしいと思ったらしい。しかし甘かった。彼女がこの程度で膝を折るはずがない。入口付近の化粧台へと足を進め、両手をお椀にして水を注ぐ。元の位置に戻り、トイレ個室の扉に水をぶちまけた。状況を再現したのである。

「見なさい。白い壁だと水滴目立たないでしょ。プール更衣室のトイレは大抵薄暗い。より見えにくくなる」

「推理としては弱すぎる



 次は扉を殴った。これも再現である。姉かその友人は中で倒れている人に呼びかけるため、扉にそうしたはずだ。轟音と共に扉に付着した水滴の落下速度が速まる。何回も何回も殴る。警備員を呼びに行っている最中も、絶えず続けたのであろう。

 殺害方法も野蛮ならば証拠隠滅も野蛮だった。水を叩き落としてしまった。

「これなら外側からでも内側の水を消せる。全部は消せないでしょうけど、だったら他の個室全部ある程度濡らしておけばいいでしょうが。鍵当番の人はプールの整備もしている。トイレ掃除もしたっておかしくない。トイレ掃除がなかったのならば私たちでそうしようと提案なさい。それで事件の日と当番を合わせればいい。トイレをまとめて掃除するならホースで水を吐き散らすのは全然おかしくない。閉鎖された個室にうっかり水が入りこんでもおかしくない」

 打つ手がなくなった。

「さてさて、長谷川さんが握っていたのはあなたの学生服のボタンだったのだけど、これ犯人が何のためにやったのか分かる? そうすることによって得られることって、あなたの評判が下がることだけだよね。なら犯人はあなたに恨みのあった人かな? それとも、あなたに近づく虫をすべて叩き落としたい人なのかな? ああ分からない? 分かりたくない? 姉かその友人、どっちが犯人なのだか今までの推理だけでは決定できないものね。本人に訊けばいいのでしょうけど、正直に答えてくれるかどうか。でもどうだろう。握っていたボタンの数は四つ。学生服のボタンは五つなのだし、さて、もう一つはどこへ消えたのだろう? ねぇ、消えた一つのボタンって、第何ボタンだと思う?」

「はァ……?」

「都市伝説を信じて止まない人間ならば、第二ボタンは手放せないよね」

 第二ボタンを本人に気づかれないように持ち続けると両想いになる。そんな伝説は伝説でしかない。

 だが、花子さんが質量を持って長谷川美佐代を殺したのならばどうか。伝説が現実となり、第二ボタンにも魔力が宿るのではないだろうか。

「さあどうなんだろうね。ついさっきさ、私プールの更衣室に行ってあなたの姉のスカートを勝手に探って、ポケットの中からボタンを見つけたの。ちゃんと頂いておきました。だってさ、あなたに近づく最後の虫って、私だものね。このまま姉に都市伝説を信じ続けられてると、私が花子さんに殺されちゃうもの。でも、姉はボタンをなくしてしまったのだから、もう伝説を信じるわけにはいかない。第二ボタンと花子さんは伝説に戻る。花子さんは消える。殺したのは花子さんでなく自分であると、姉は気がついてしまう。罪悪感は舞い戻り、さてそれからどうするのかな? トイレに頭を突っ込んで、案外身を以ってして花子さんを再生させるんじゃないかな? そしてあなたはどうするのだろう。私の持ってる第二ボタン、私から奪って姉に返す? それとも何も聞かなかったことにして、私が第二ボタンを持ち続けることを許す?

 私としては、私があなたの第二ボタン持ってることを、あなたに知らずにいてほしいかなぁ」



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