[作品タイトル]
きみの歌

[応募者名]
芳村健史

時計を見ると、もう11時50分になっていた。「こんな時間か」。そしていつだったか、居酒屋で会った女性との会話を思い出した。

初対面の彼女は言った。



「ねぇ、どんな秘密でも調べられる方法があるの知ってる?」



「なに?」



「インターネットの検索ページってあるでしょ。GoogleとかYahooとかの。それを使うの?」



「検索ページは知ってるよ。でも、どんな秘密でもって、無理だろ」



「それがね、真夜中の12時ちょうどに検索ページに送信すると、この世界を超えた、時空のはざまって言ったら良いのかな、そこからの答えを受け取ることがあるらしいの」



眉唾ものだが、会社の女の子には受けそうな話だ。おれは興味深げに相槌を打った。



「でもそのやり方は確実じゃないの。どんなに思いが強くても、時空の層の状態によっては、思いが届く時と届かない時があるから。でも、ある方法を使うとそれが確実になるの」



大切なことを口にする時に皆がするように、彼女は充分な間をとった。



「呪文を使うの。言霊は想いが届くための道を開いてくれるの。こんな風にね」



そう言うと、彼女は静かに息を吸い込み、深いしっかりとした息とともに呪文を唱えた。



「イー、ハー、スー」



パソコンの前に座っていたおれは、何かを思い出し、のけぞって椅子から転げ落ちそうになった。その時は気付かなかったが、呪文を口にした女の顔は、初めて会ったはずなのに、どこか見覚えがあった。おれは記憶を辿った。



その女性と会ったのは、会社帰りに良く立ち寄る居酒屋だった。同僚と飲んでいたおれは、トイレに行こうとして、ちょうどそこから出てきた彼女とぶつかった。「ごめんなさい」と言う彼女のポーチから、細かいものがバラバラとこぼれ落ち、床に散らばった。おれたちは散らばったものを拾い、拾った後もしばらく話した。その空気の感じは良く覚えている。おれは普段初対面の女性とそんなに話し込むことはない。そのおれが自然に打ち解けたのは、その感じを覚えていたからだ。



記憶は突然やってきた。



水野久美。



その頃おれは大学の仲間とバンドを組んで、ライブハウスでも演奏することがあった。ライブの帰り、おれたちは反省会と称し、行きつけの居酒屋によく行った。水野はそこでバイトしていた女子大生だった。



彼女は白いブラウスの似合う静かなすらっとした女の子だった。派手ではないが、その端正な目鼻立ちは遠目からも目立っていた。



呪文を唱えていた顔は、その水野久美だった。似ているというレベルではなく、そのものだった。でも、そんなことはありえない。



水野の死は、新聞記事で知った。彼女の遺体は県道脇の雑木林で見つかった。死因は頸部圧迫による頸椎損傷及び窒息死。雑木林沿いの道路は夜中はほとんど往来がないので、他の場所で殺害された後に遺棄されたのだろうと言うことだった。その後、刑事からの尋問も受けた。彼女とはメールを交換したこともあったから、そこから調べたんだろう。



あれから5年経つが、いまだに犯人は分かっていない。なぜその日にそんなことに巻き込まれたのかも。あの日から、ぼくの中で何かが止まった。



おれはもう一度、呪文を口にした女性を思い浮かべてみた。



その表情は真剣で、その端正な顔立ちから生じたとは思えない野太い声が響いた。

おれはそのイメージを思い浮かべながら、同じ音が出せるのか衝動的に試してみた。



「イー、ハー、スー」



自分の口から出たとは思えない地の底から響いてきたようなうなり声が、おれを驚かせた。そして、声が出た瞬間、部屋の空気の何かが変わった。



11時55分。おれは手元のパソコンでインターネットの検索ページを立ち上げると、そのブランク欄に「水野の死の真相」と入力した。そして、おれは時間が来るのを静かに待った。おれは何を期待してるんだろう。おれは酔っぱらってるのか。そうかもしれない。きっと何事も起こらず、明日会社の同僚に笑い話として話すんだ。



画面右隅の時間表示が0:00になった瞬間、おれは検索ボタンをクリックした。その瞬間ディスプレイ画面はゆがみ、その歪みはコンピュータの画面内だけでなく、部屋の中、おれの顔や体全体にも拡がった−ような気がした。



亢奮から冷めて画面を覗くと、そこには白地にEnterの文字が浮かんでいた。カーソルをEnterに当てクリックすると、同じ白い画面に、今度は次のような文句が目立たないように記されていた。



「ようこそ、いらっしゃいました。

あなたはこれから、忘却の中に埋もれてしまった過去の記憶を辿ります。

その記憶が、あなたを真実の扉へといざないます」



右下のNextをクリックする。

次の画面には、真ん中にこう書かれていた。



彼女との出会い



「なんだ、これは?」そう思いながらも、おれの記憶は過去に遡った。



居酒屋で初めて見かけてから、おれは大学の構内でも彼女を何度か見かけ、そのうちに同じ学部の1年だと言うことを知った。大教室だが、同じ教室の時もあった。最初に話しかけてきたのは、水野からだった。



「バンドやってるんですか?」



隣に座ってるのは気付いていたが、話しかけられるのは予想していなかった。



「そうだけど・・・」



彼女は何か言いよどんでる風だったので、「どうして?」とおれが聞くと、



「何か他の人たちと違うなぁと思って」



ぼくはどきっとして水野の顔を見た。他のメンバーとのギャップはいつも感じていた。

ボーカルの田島にとってバンドは新しい女をゲットするための道具だった。あいつはいつも新しく食った女の話ばかりだった。他のメンバーも大なり小なり同じだった。演奏の中では繋がったと思っていた気持ちも、音楽なしで向き合うと全く別の方向を目指していることが分かってきた。そのギャップが苦痛になってきていた。



「私ロックって苦手です」



話し続ける水野におれは少し驚いていた。居酒屋で笑顔を見せることも無駄口をたたくこともない彼女を、おれたちは陰で「クールビューティ」と呼んでいた。



「でも、高村さんの歌だったら聴いてみたいです」



名前を呼ばれてドキッとした。教室内で出欠を取るので、名前を覚えられたとしても不思議はないが、それでもあまり話したこともない綺麗な女の子から名前を呼ばれると妙に照れくさい。



それからおれたちは大学の構内で会うと、お互いに話すようになった。でも居酒屋での彼女は相変わらずクールビューティで、おれもあえて素知らぬ風を装っていた。



いつの間にか、パソコンの画面右下にNextの文字が点滅している。おれはカーソルを当てると、次の画面に進んだ。画面には次の文字が浮かんでいた。



約束



おれの記憶は夏の日の蝉の声の響く教室に飛んでいった。



「光司くんは歌つくらないの?」



いつの間にかおれは「高村さん」から「光司くん」に昇格していた。男女の関係はなかったが、おれにとって水野は不思議に気の休まる大切な存在だった。そしてあの頃は、おれも彼女にとってはそうだと思っていた。彼女は恋人じゃなかったが、ある意味恋人以上の存在だった。彼女といると自分が認められたように感じ、一人でいる時よりも自分らしくいられた。



「考えたことなかった」



「作ったらいいよ。光司くんの曲、絶対良いから」



その日から、彼女はおれに曲を作るよう勧めるようになった。そしてついに彼女のために曲を書くこと、そして出来たら誰よりも先に彼女に知らせて聞かせることを約束させられた。



何度かギターを手にとってひねり出そうとしたが、なかなか出来なかった。それらしいものは出来るのだが、それはどこかで聞いたようなフレーズやメロディで、彼女にはそんな出来合いのもので済ませたくはなかった。自分の今出来る「最高」を贈りたいと思った。



そして、それは夏も過ぎ、秋の肌寒い風が混じるようになった日にやって来た。閃いた瞬間すぐに「水野の歌だ」と思った。おれは頭に浮かんだフレーズやメロディをノートに書き写していった。「最高」のものを形にしていく作業は、大変だが楽しかった。フレーズやメロディに少しでも違和感がある時には、時間をかけて完璧なものを探し出す。ミケランジェロは大理石の塊の中に、自分がこれから彫る像のイメージがはっきりと見えていたそうだ。深い祈りの中では、作品は作り出される前から完璧な形で存在するのだ。



曲を書き終えて、おれは静かな満足感の中にいた。この気持ちに出会えたのも水野のお陰だ。彼女がいなかったら、こんなことは体験できなかった。この歌は彼女の歌だ。



おれはメールを打った。



「歌、出来たよ。聞かせたいんだけど、いつが良い?」



すぐに携帯がバイブで震えた。



「ヤッター!!待ってました、ていうかずっと待ってたよ。すぐに聴きたいよ。明日は?」



おれは「明日会おう」とメールで約束した。



少し鼓動が速い。よく考えてみたら、初めてのデートみたいなものだ。おれは頭の中で明日のことをシミレーションしてみた。明日、彼女に会い、歌を聴いてもらって、それから告白しよう。



でも、それは実現しなかった。



いつの間にか、画面の右下にNextの文字。だんだんここでのルールが呑みこめてきた。



画面上でのメッセージに沿って、ある程度必要なことを思い出せたら、Nextの文字が浮かび上がり、次のステップに進めるようサジェストしてくれるようだ。どういうメカニズムでおれの心中まで察してくれるのかは分からないが、それを言うなら、個人的な内容にまで踏み込んでくるこのサイトの存在自体が不可解だ。



10月2日



それが約束した日だった。彼女は約束した場所に来なかった。その日は携帯を落としてしまったので、彼女に連絡することも連絡を受け取ることも出来なかった。おれは1時間待った後、落とした携帯に連絡が入ってることを期待して待ち合わせ場所を離れた。



そしてその同じ日に水野は死んだ。小さな町の強姦殺人事件はセンセーショナルで、いろんな形で根も葉もない噂や中傷が乱れ飛んだ。それでもおれの中で一番引っかかりになっていたのは、彼女からの連絡がなかったことだった。しばらく後、おれの携帯が見つかったと、大学の学生課から連絡があった。おれはすぐに調べたが、その日彼女からのメールも着信も入ってなかった。彼女にとっては、おれが思うほど大した約束じゃなかったのだろう。



そこまで記憶を辿ったところで、またNextが浮かび上がった。クリック。



2007/10/2 13::17 ・・・



その下にメッセージが続いていた。おれはそれを読むと、ノートに書き写した。そして書き写した直後にNextが点滅し始めた。このメッセージは書き写すことが重要らしい。そして次の画面でも同じように書き写した。自分の中で不可解だった過去の記憶が、ゆっくりと一つの結論へと繋がっていく。



次のクリックの後、今度はなかなか次の画面に進まなかった。インターネットの通信が混雑しているときのように画面は止まったまま動かなかった。それでも、おれには、画面の奥で何かを生み出そうしている張りつめた空気を感じていた。どれくらい経っただろうか、突然の電話のベルがおれを飛び上がらせた。



「もしもし」



くぐもるような声だったが、声の主が誰なのか、すぐに分かった。



「よぉ」



おれの声は、自分でも驚くくらい低く乾いていた。



「明日、会えるか?」



「いいよ。いろいろ話したいと思ってた」



電話を切って、画面を覗くと、最初の検索ページの画面に戻っていた。



久しぶりに会った田島は気の毒なくらいビクビクしていた。



おれたちは待ち合わせた喫茶店の椅子に座ったまま、お互いに黙ったままでいた。うつろな目を合わせることもなく泳がせている田島に昔の面影はなかった。



おれは田島が話すのを待っていたが、いつまでたっても始まらないので胸ポケットからノートの切れ端を取り出し、読み始めた。



「2007/10/2 13:17 Sub ごめん

「ごめん、待ち合わせ場所変更したいんだけど、いいかな。2時に駅ビルの前。遅くなるかもしれないから、その時は田島と先に行ってて」



田島はうつむいたまま動かない。首筋にものすごい量の汗が流れている。

おれは次のメッセージに進んだ。



「2007/10/2 13:19 Sub どうして??

「田島さん???まぁ、いいけど。早く来てね。待ってるよ」



大きな音に驚きメッセージの紙から目を離すと、さっきまでテーブルの上にあったティーカップが床に落ちて、破片が散らばっていた。田島は顔を伏せたまま肩を小刻みに震わせていた。



「もういいよ。おれが悪かったよ」



田島は俯いたままで、おれに言っているのかテーブルに言ってるのか分からなかった。



「お前が殺したんだな」



「殺すつもりなんかなかった。騒ぐからいけないんだ。静かにしろって言ったんだ。静かにしてくれればあんなことにもならなかったのに」



目の前にいるはずの田島の声は、遠くに聞こえた。田島はその声で全てを明かしてくれた。おれと水野が仲が良いのが最初から気にくわなかったこと。おれの携帯を盗み見て、水野と待ち合わせしていることに気付いたこと。おれの代わりに待ち合わせ場所に行って、口説いてもしくは力ずくで自分のものにしてしまおうと思ったこと。水野を殺してから、彼女とおれの携帯からメールや通話履歴を削除し、おれの携帯はこっそり教室に置いていったこと。田島は全てを話し終えると、力尽きたように顔をテーブルの上に突っ伏した。



「あれから毎晩、おれのトコに来るんだ」



「え?」



「水野だよ。お前に全部話せって言うんだ。昨日電話したのもおれじゃない。大体お前の番号なんか知らない。知らないうちに受話器を握らされ、手が勝手にダイアルして…」



おれの脳裏に、昨夜の固まったまま動かない画面が浮かんだ。



「お前、警察に言うつもりか?」



警察?そんなことはどうでもいい。そう、水野が望んでるのはそんなことじゃない



おれは虚脱したままの田島を残し、席を立った。



その夜11時50分。おれはパソコンの前にいた。ギターのチューニングをもう一回確認して時間を待つ。人前で歌うのは久しぶりだ。少し亢奮しているのを感じる。



11時55分。検索ページのブランクに入力する。「水野久美に会う」



0時ちょうど、検索ページをクリックすると画面は真っ白な状態で止まった。真っ白なもやの奥に何かが動いているのが感じられる。



「繋がってる」



おれはギターを手に取ると、歌い始めた。水野の歌。水野のために用意したが渡せなかった歌。画面は白い靄がかかったままだが、その奥では水野が一心に聞いてくれているのをおれは確信していた。歌声は二人の魂を繋ぎ合わせ、ギターのストロークは二人の記憶を洗い流す。



歌い終わった瞬間、ボッという音とともに電源が落ち、画面は真っ黒になった。



「さよなら・・・水野」



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