1回目のコラムは、来年2月発売の『勇者死す。』を例に“ゲームの企画はどんなときに思いつくのか?”というお題で書いた。要点はふたつだ。
1.大きな手術のあと父は余命を意識するようになり生活態度が変わった。その見聞から僕は“残された時間をいかに生きるか”というテーマに注目した。
2.その父の葬式で初めて父の交友関係に触れて“エンディングは葬儀。プレイ内容により参列者や弔辞が変わる”というゲーム性を思いついた。ある意味ばちあたりな話である。
さて2回目のお題は、“テーマやゲーム性を再現する部品をさがす”だ。
本編に入る前に“テーマ、ゲーム性”という今後キーワードになる言葉を僕がどんな意味で使っているかを確認しておきたい。テーマ、ゲーム性は僕にとって、その作品でユーザーに確実に伝えたいこと、あるいはユーザーにもっとも楽しんでもらいたいこと。言いかえればAということを感じてほしくてゲームを作る、Aというおもしろさを体験させたくてゲームを作る、その理由や動機。これがゲーム企画の根幹だ。
極論すれば、イトケン(伊藤賢治)の音楽もクロサワテツの女の子もりえしょん(村川梨衣)の声も僕のシナリオも“テーマ、ゲーム性”このふたつを僕のイメージどおりに機能させるための道具や手段でしかない。それくらい重要な要素。……と断言すると誤解されそうなので追記しておく。もちろん道具だからといっておろそかにしていいわけはない。コストパフォーマンスと信頼性がなるべく高いものを選ぶし、道具は常に研ぎすまされているべきだ。
こだわる方が多い世界観もキャラクターやシナリオも同様に、“テーマ、ゲーム性”を最大限に活かすための道具立てにすぎないと僕は思っている。
“残された時間をいかに生きるか”というテーマは、ゲームでは扱われたケースはほとんどないが、小説、コミック、テレビドラマ、映画などの娯楽作品では、たぶん国内だけでも週に一度は使われている広く知られたネタだ。ありふれてはいるが数年に一度はまんまと大ヒット作が現れるのだから非常に普遍性が高いともいえる。
それだけ量産されていれば、さまざまなパターンがすでに試みられている。僕が一から考えるより既存作品から性能が証明された部品を調達して組み上げるほうがおもしろさの効率がはるかにいい。
一番よく見かけるパターンは、若い恋人たちか仲のいい夫婦の幸せな日常を序盤で描き、中盤では男女のどちらかにちょっとした体調の異変がおき、展開が速い1クールのテレビドラマなら第1話の最後の1分で余命が宣告される。他には、死ぬたびに同じ時間軸を繰りかえし何度も生き直す。余命を悟った裕福な老人が名誉、財産、地位、技術などの資産を自分の夢とともに貧乏な若者にゆずり渡すパターンなども珍しくない。いずれの場合も最後は主要人物のひとりの余命が尽きて天国に旅立つ決まりだ。
3つ目の“裕福な老人が貧乏な若者に財産をゆずる”パターンにピンと来ない方は、オスカー・ワイルドの童話『幸福の王子』を思い出してほしい。あの物語では、余命わずかなのは死んで黄金の像になった王子ではなく、南に旅立つのをあきらめて冬を越せないツバメだ。問題点は見えているが動けない王子と、その問題を解決すべく献身的に働くツバメに、裕福な老人の役が分割されている点が非常にユニークですばらしい。
さて、これらの王道パターンから『勇者死す。』というゲームに借用したのは、“1.スタート直後に余命わずかと宣告する”。“2.存命中に自分の資産と他人の幸福をうまく交換する”。“3.何度も同じ時間軸を繰りかえす”。この3つの要素だ。
借用した理由は次のとおり。“オープニングの余命宣告”は、ユーザーに“残された時間をいかに生きるか”というテーマを明示するのにうってつけ。“裕福な老人から貧乏な若者への資産譲渡”は、ユーザーが持つリソースAをBに変換する選択ととらえれば、ゲームシステムに置き換えることができる。さらにゲームのジャンルは、MPを消費して体力回復、お金を払って武器(攻撃力)を買うなど、種類が異なるリソース間での変換が頻繁に行われるRPGが良さそうだと見当もつく。“同じ時間軸の繰りかえし”は、同じシステムやデータを無限に使いまわすことが前提で設計されているコンピュータのもっとも得意とするところ。つまりゲームにしやすい要素だ。2と3は“エンディングは葬儀。プレイ内容により参列者や弔辞が変わる”というゲーム性を再現するパーツとしても最適だ。
“勇者死す。”のようにけっこう斬新に見える企画内容であっても、こんな風に既存のコンテンツから引きはがして組み立てるだけで大半の部品はまかなえる。意外と簡単だろ?