「聞こえなかったか? 今日でお別れだ。楽しかったよ」

「なん、で……?」

「俺は遠くへ行くんだ」

「ど、どこに行くの?」

「遠くだ」

「……わ、私も、行きたい」

「だめだ」

「なんで……連れて行って……」

「エルは連れて行けない。すごく遠いところなんだ」

「だ、大丈夫だよ。どんなに遠くても、私、ちゃんとついていくから」

 エルの小さな肩が震えている。

「無理だ。エルを連れて行くなんて、すごく危険なことなんだ」

「嘘だよ! ……やくそう、弱いもん。やくそうが行けるとこなんて、私だって行けるもん」

「勇者でないと行けないんだ。ていうか俺は弱くなんかない」

「……行かないで……独りにしないで……」

 勇者は困ったようにため息をついた。

 エルは嗚咽まじりに叫んだ。

「ま、魔王が来るの! 魔王が来て世界を征服しようとしているの! やくそうは勇者でしょ? お願い、魔王を」

 勇者を引き止めたいための、口から出たでまかせ。

「魔王なんていないよ」

 勇者はあっさりと嘘を見破った。

 振り返らず、背を向けたまま告げた。

「ごめん。さようなら」

 勇者が去ったあとも、エルはその場で泣き続けた。

 雲ひとつなかった空に、突然大気の乱れが生じた。からん、と乾いた音がして、少女の手から「ひのきのぼう」が転がった。

 吹き荒れる風。空を覆う黒雲。バケツをひっくり返したように突然振り出した雨。煌く稲光。轟く雷鳴。

 エルの泣き声はすすり泣きから号泣、そして咆哮へと変わった。

 豪雨の中、エルは自分の体を抱き締めるようにして蹲った。雨に濡れて垂れた銀色の髪が、泥水に浸かる。

 雨音に混じって布の裂ける音がした。続いて、ばさっと何かの羽ばたく音。

 雷の閃光。それが映し出したシルエットは、六枚の翼の生えた少女。エルの衣服の背を破って三対の大きな翼が現れていた。蝙蝠に似た漆黒の皮膜。六翼は、最上位の魔族しか持ち得ぬ眷属の証。

「魔王が現れれば……勇者は来てくれるよね……?」

 黒き翼の放つ魔力が、さらなる嵐を呼ぼうとしていた。

そうして勇者『やくそう』は現代へと舞い戻る。激しい光の過ぎたあと、彼の目の前に広がったのは、彼が過去へと転送される前とは似せても似つかぬ光景だった。瓦解した城壁。天井の崩れた城。魔物たちの襲撃があったことは疑うべくもない。

だが、数多の兵士が構えた槍に囲まれ、傷だらけでそこに臥しているのは銀色の髪、背には三対の翼。そしてその手に大切に握られているのは――そう、彼女こそ魔王「ひのきのぼう」に他ならなかった。

玉座に深く腰掛ける王、ダークブラックカオスアビス十三世は勇者に向け、厳かに言い放った。

「遅かったな勇者よ。ほれこの通り。既に魔王は我が手中よ」

 くっくっ、と低く笑う国王を一度だけ睨み付け、すぐにその視線を切った。

「そのようだ……。では、とどめはこの勇者が」

兵士の間を抜け、魔王へと歩を進める勇者。その背中に国王が制止の声を放つ。

「待て。丸腰でいったい何をしようと言うのだ勇者よ? ちょうどよい。貴様の人徳は誰もが認めるところ。だがその人徳は平静の世に於いては最早邪魔にしかならぬ。ここで魔王もろとも消えてもらおうぞ!」

 その時、勇者は初めて国王が玉座から立ち上がるのを見た。ゆらりと聳える、二メートルをゆうに超える巨体は大山を思わせる。

 勇者は、魔王の肩にそっと手を回した。成長しているが、間違いない。流れる銀色の髪。薄く開かれた銀色の瞳。彼女は時空の果てで出会ったあの少女だった。

「エル……すまない……」

 少年は懺悔しながら、そっと魔王の唇に自分のそれを重ねた。

「戯事を……では、共に消えるがいい! かぁっ!!」

 国王のアギトが大きく開かれた。気合一閃。国王の口から放たれた衝撃波が勇者と魔王に迫る。

 激しい閃光と轟音が空間を満たす。瓦解した城砦は更に崩壊し、爆煙が舞い上がった。

 その煙が解けた時、そこには光り輝く球体に包まれた勇者と魔王の姿があった。

「な……なにぃ!? バカな! 魔王の傷は既に致命傷だったはずだ!」

狼狽した国王が叫ぶ。

「王様よ、忘れたのかい? 俺の名前をな!」

 彼の名は勇者「やくそう」。彼は、意識の無い魔王「ひのきのぼう」に、ありったけの薬草を口移しで飲ませたのだった。

 魔王は、泣きながら微笑んでいた。

「……会いたかった。また、助けてくれたね。あの時はいえなかったけど、ありがとう、やくそう……」

それは百年のときの流れを経ても変わらない、少女の言葉だった。

次の瞬間、光の球体が弾けた、それはそのまま衝撃波となって周囲の兵士をなぎ払う!

苦悶の声を上げて竦む国王ダークブラックカオスアビス十三世。

「だ、だが、この我輩の皮膚には魔法も攻撃も通用せぬ!」

 そう言った国王に魔王は妖艶な笑みをうかべてこう言った。

「知らないの? なら、教えてあげるわ。戦闘の途中で完全に回復した魔王の恐ろしさを!」

 続けて、勇者が高々と言い放つ。

「俺の母さんは俺に、誰にでも優しくあって欲しいと願って『やくそう』と名付けた。この名と母の名誉に賭けて、俺は戦うことは出来ない! お前はエルが倒す!」

ありったけの魔力が込められた「ひのきのぼう」今まで魔王を象徴してきたその武器。百年間少女にとっての心の拠り所だったその武器が、雷のごとくダークブラックカオスアビス十三世の分厚い胸板にめり込んだ。

魔力による攻撃を防ぎ、物理攻撃を弾くその皮膚はしかし、その双方の凄まじい威力の前に――

「グ」

 その、岸壁のような胸板に、ピシリ、と深い罅が生まれた。一筋に見えたそれの罅は徐々に進み、十に増え、十から百へ、百から千へと広がり続け――

「アァアアアアアアアア!!!」

打撃の衝撃か、魔力の爆発か。国王は絶叫を上げて砕けちった。……

戦いは終わった。後に残ったのは、悲嘆に暮れる、国王を失った兵士達の嘆きだった。そしてその中には、勇者の旅を指南したあの北の賢者もいた。

「……?いや、……おかしいぞ!? 待て、みんな!」

北の賢者が玉座へと駆け寄ると、そこには玉座に深く腰掛けたまま、ぶくぶくと泡を吹き、前後不覚に陥った国王の姿があった。

「絵的には完全に死んでたのにー!」

 賢者のツッコミをさらりと流し、勇者「やくそう」はこう言い放った。

「忘れたのかい? 勇者は誰も傷つけない!」

 戦いは終わった。視線を交わす「やくそう」とエル。少年は少年のままで、だが、少女の上には百年の時が流れていた。その深い時の隔たりを踏み越えることが出来るのだろうか?お互い、なんと声をかけたらいいかわからなかった。

先に沈黙を破ったのはエルだった。銀色の瞳にはうっすらと涙がにじんでいた。

「……主要な国々はすでに支配した。私が世界の支配者となる日も近い。勇者『やくそう』よ、私の部下にならぬか? さすれば、世界の半分をおまえにやろう」

 毅然と言い放った魔王の言葉に、

「……はい」

 勇者はとてもいい笑顔でそう言った。

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