ミディアの葬儀が終わり、三日後、ジエの部屋にグレダスがやってきた。

「少し、よいか」

 声に振り返ったジエは、グレダスの様子に驚いた。わずかの間に炎と呼ばれた赤い髪のほとんどは白くなり、顔に深いしわが刻まれていた。

「構わないが…… 大丈夫か」

「そう言われるところをみると、かなり見た目がくたびれているようだな」

 ジエは椅子を勧めた。グレダスは腰掛けて両手で顔を覆った。

「これほど一人の女を愛するとは、余は考えたこともなかった」

「良き人だったな」

「ああ、滅ぼしたルムルや処刑した親族のことで、余は責められたことはない。穏やかな、心を安らげてくれる女だった」

 グレダスはため息をついた。

「解析機関はどうなっておる」

「職人たちが図面に従って作っている。腕の立つ職人たちを送ってくれたので、思いのほか作業が進んでいる」

「ここに戻ってこれぬか」

「なぜ?」

 グレダスは首をかしげた。

「ミディアから聞いていないか。グレディアスとティディアの教育を任せたい。それはミディアのたっての望みでもあるし、余の願いでもある」

「王子と王女の教育をわたしに任せると言うのか!」

 ジエはわずかに首をかしげ、一瞬置いてから話を続けた。

「魔道は教えられないぞ」

「普通の教育でよい」

 グレダスは苦笑いを浮かべた。自分が笑みを浮かべたことに気づき、照れたようにさらに笑った。

「気を使わせたようだな」

「そうじゃない。事実を言ったまでだ」

「まだ笑えるとは思わなかった」

「感情を無くすほどの年でもあるまい」

「そうだな。解析機関の完成まで死ねぬ」

 ジエは考え込んだ。しばらくして、ジエはグレダスに言った。

「冬の半年はここに戻ってきて学問を教えよう。暖かい季節は体を鍛えさせればよい」

「それでよい。感謝する」

 グレダスは立ち上がって、ジエの手を取った。

「グレディアスとティディアは余とミディアのしあわせのかたちだ。子供たちに最高の教えを受けさせられるとは思いもよらなかった」

 ジエは苦笑した。

「わたしにそれほどの知恵や知識があると思うのか。それに……」

「言うな」

 グレダスはジエの言葉を止めた。

「余は大魔道士の称号を忘れたことはない。それにミディアが姉とも慕った者を疑う気はない」

「分かった。できるだけのことをしよう」

 二人の子供は聡明だった。ジエの教えをよく聞き、覚えた。グレダスが隠居し、十八才でグレディアスが即位し、数年で「賢王」と呼ばれるようになっていた。即位の二年後にはティディアが旧ルムルの貴族の元に嫁いでいった。

 さらに年月が流れたある夜、グレダスは人の気配に目を覚ました。

「さすがだな。老いても油断せず、か」

「ジエか。どうした」

「できたので迎えに来た」

 そっけない物言いだったが、グレダスはすぐに身を起こした。

「できたか」

「なんとか、おまえの命があるうちに」

 グレダスはジエが用意した、馬のない馬車に乗り込んだ。外は雪が降っていたが、馬車の中は暖かだった。

「これも魔道か」

「そうだ。馬がなくても動き、どこへでも行ける」

「いまさらだが…… よくおまえの国に勝てたものだ」

「わたしを避けて戦ったからさ」

「そうだったな。余が正しかったわけか」

 二人は過去を懐かしむように話をしながら、北へ向かった。

 洞窟の壁沿いに作られたなだらかな通路には、滑り止めの絨毯が敷かれていた。壁のところどころにたいまつがあった。そのおぼろげな光があたりを照らしている。

「この世とは思えんな」

 グレダスのつぶやきに、ジエは足を止めて振り返った。グレダスは立ち止まり、鍾乳石の景観を見ていた。

「この先へ行けば、もっと凄いものがある。行けるか」

「この通路のおかげで大丈夫だ。ここだけの話、余も老いた。階段であれば無理だっただろう」

「そうか。ゆっくり行こう」

 通路が平坦になった。しばらく行くと白い壁にぶつかった。グレダスは呆れたように壁を見上げた。

「若き日に戦場を飛び回ったおかげで、さまざまな断崖絶壁を見たが…… これほどの一枚岩は見たことも聞いたこともない」

「この場所を見つけるのに十年かかった」

「最初の頃か?」

「デウがあった時代だ」

「場所探しだけで十年か。先に聞いていたら、おまえの話には乗らなかったであろうな」

 グレダスの笑い声が洞窟の中でこだました。

「おまえの言った通り、王国の半分を失いかねんほど金も人も使ったわ。それでも、これで万民が幸せになる方法が見つかるのであれば惜しくはない」

「安心しろ。それは約束する」

 通路は白い壁の中に向かっていた。ジエが呪文を唱えると壁が奥へと動き出した。中に入ると壁の左右が淡く光を放っていた。グレダスは壁をさすりながら尋ねた。

「これは魔道か」

「そうだ。人を殺さない魔道の一つだ」

「暮らしに役に立ちそうだな」

「魔道の中の技術と呼ばれるものだ。わたしが教えなくても、これは誰かがそのうち気づく」

「壁を動かした力は?」

「あれは魔術だ。こっちは魔道が伝わらなければ、わたしの代で滅ぶ」

 壁の向こうに巨大な部屋があった。その部屋は壁と同じ材質の石で切り出された部品で埋まっていた。円や楕円、ぎざぎざした星のような形の円盤には見覚えがあった。グレダスは若い頃に見たジエの模型を思い出した。

「これが真の解析機関の姿か。天井まで見通せぬが、あの先に三角錐が動いているのか」

「そうだ」

 満足そうなジエの声にグレダスは含み笑いを漏らした。ジエはグレダスを横目で見た。

「なんだ。おまえらしくない笑い方だな」

「いや…… 大魔道士でも自慢したい時はあるらしいと気づいてな」

 ジエは口を歪ませるようにして笑った。

「そういう時もあるさ。さぁ、解析機関の心臓部に行こう」

 ふとグレダスは振り返って、来た道を見た。動いた壁が元に戻り、継ぎ目のない白壁しか見えなかった。グレダスは口元に薄く笑みを浮かべ、ジエを追った。

 解析機関の中央に、四方がくりぬかれた小さな部屋が作られていた。



「ここが解析機関の心臓部だ」

 ジエはグレダスを招き入れた。

「余も年だ。疲れた」

「そんなことはないだろう」

 ジエは笑いながら、部屋にある二脚の椅子の一つを勧めた。グレダスは向かい合った椅子の一つに腰を降ろした。

「心臓部とはよく言ったものだ。ここに座ると周りがよく見える」

「そうだろう」

 ジエが向かいの席に座った。

 二人は見つめあった。先に声を出したのはグレダスだった。

「これがおまえの復讐か」

 その声に咎める響きはなかった。

「いや、そうではない」

「復讐ではないのか」

「解析機関が一人の命で動くのであれば、わたし一人の命で動かしていた。それが作り出した者の責務だから。だが、これを永劫の間動かすには二人の命が必要なんだ」

 再び二人は見つめあった。今度はジエが先に声を出した。

「だましたようで、すまないと思っている」

「気にすることはない。民の幸せのために殉ずるのは王の責務だ。それにこれを作って動かすように命じたのは余だ。ここにいるのは当然だろう」

 グレダスは笑った。

「それで余は何をしたらいい?」

「何もすることはない。大地の力が命を動かす。わたしの命が外に出て解析機関を動かし、おまえの中に入る。ある程度命が溜まると、今度はおまえの命が外に出て解析機関を動かし、わたしの中に入る。大地が消えるその日まで、二人の命が解析機関を動かし続ける。その繰り返しの間、わたしたちはここでまどろんでいればいい。答えが出た時にわたしたちは目を覚ます。おまえはミディアや子供たちの夢でも見ていればいい」

「すまんな。余だけ家族の夢を見て」

「気にすることはない。ここはわたしの子の中だ」

 グレダスは大きくあくびをし、眠りに着く前に言った。

「余たちの、であろう?」

 どこからか、カチリ、カチリという音が聞こえ出した。



 やがて世界は氷に閉ざされた。

 その氷が解けた今も、まどろむ二人の命の中で道具は動き続けている。

 幸せを見つけるために。



- 了 -

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