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「え?」
あんまりな展開に、田中の思考が混乱する。
「いや、それは……だってお爺さんは欲深くなかったから大きなつづらを選ばなかった訳で、そうじゃないと話が進まないっていうか、そもそも何の意味があるんですか、この話は」
「もしもの話よ。でもね田中くん、大きさの違いはそんなに重要な話じゃないの。話によっては赤い箱と黒い箱を選ばせるケースもあるんだから。それでもお爺さんが選んだ箱には宝物が入っていて、お婆さんの選んだ箱には毒虫が入っていたの。これって偶然だと思う?」
「……いえ、違うと思います」
「そうね、私もそう思う。お爺さんがどちらのつづらを選んでも宝物が入っていたと思うし、お婆さんがどちらのつづらを選んでいても妖怪が入っていたと思う。いえ、確実にそうだったでしょうね」
「お婆さんへの恨みが、それだけ強いってことですか」
「それもあるだろうけどね」
教室の二つの隅を行き来しながら、部長は楽しそうに微笑んだ。
「他にも何かあるんですか?」
「そもそも、どうして雀はこんな面倒な手段を選んだの?」
「どうしてって、他に方法がなかったからでは?」
「そんなことないでしょ。単にお爺さんに恩を返したくてお婆さんに恨みを晴らしたいってだけなら、お婆さんを殺してから見舞金という形で渡した方が確実でしょ」
「確実でしょって……そんなあからさまな」
「だって考えてもみなさいよ。お爺さんに渡したハズのお宝は、結局のところ間接的にお婆さんにも恩恵を与えることになるのよ。そんなの、雀としたら本意じゃないじゃない」
「雀の本意、ですか」
妙な言い回しながら、雀に思惑があったとしたら悔しい話であろうことは間違いないし、舌切り雀の結末は雀にとって望ましい結末であったハズだ。とするなら、そこに思惑を具体化する戦略が存在するであろうことは明白だった。
「じゃあ、雀はどうしてこんな面倒なことをしたと思うんです?」
「簡単よ。お婆さん自身のせいにするためね」
「それはどういう……」
「舌切り雀の話の中で、最も悪いのは誰?」
「え、そりゃあお婆さんじゃないんですか?」
確認するまでもないことを聞かれたためだろう。田中の口ぶりはどこかぎこちない。
「ホントに? 具体的にはどこが悪い?」
「どこって……雀の舌を切ったのはお婆さんだし、お爺さんの持ち帰った宝を見て欲をかいたのも問題だし、大きなつづらを選んだのだって失敗だし、駄目駄目じゃないですか」
「そうね。更に言えば本来なら雀のお宿に行くためには幾つか試練があるんだけど、それを強引にぶっちぎっているし、帰り着くまでつづらは開けるなと言われていたんだけど、無視して開けてるってのも落ち度かな」
「最悪です」
「でも、だからといって殺される理由になるとは思わないけど?」
「まぁ、そりゃあ確かにそうですけど……」
「じゃあこうは考えられない? 確かにお婆さんには性格的に問題がある。欲が深くて強引で悪びれない。雀はその性格を知った上で策を講じたの。お爺さんに中の見えない箱を渡したのも、もう一つの箱があることを暗に示したのも、全ては欲深なお婆さんをおびき寄せるため」
「お爺さんに渡す分は、最初から見せてもよかったんじゃないですか?」
「いいえ、最初から中身を見せて渡したら、恩のあるお爺さんだから良い物を渡したと思うでしょ。そうなったらお婆さんは警戒するし、自分が行ってももらえないかもしれないと思うかもしれない。だから、あたかもそういうシステムになっていると思わせたと考える方が妥当でしょ」
「なるほど」
「まんまと現れたお婆さんにつづらを選ばせ、予定通り大きなつづらを渡し、最後に忠告とも受け取れる助言を与える。まるで渡した本人には罪が及ばないとでも言いたそうな、都合の良い助言をね」
「結局お婆さんは助言を無視してつづらを途中で開き、殺されたということですか」
「そう、雀の策によってね」
舌切り雀殺人事件の完成である。
「……あの」
田中は頭の中で話を一通り整理してから、おずおずと手を挙げる。
「なーに?」
「それでその、この話が僕の相談とどう関係してくるんですか?」
「……実はこの舌切り雀という話、一説には嫉妬を描いた話だとも言われているの」
「は?」
繋がりが全く見えず、田中の口はますますポカンと開いていく。
「お爺さんとお婆さんは老いたとはいえ夫婦、その仲に割り込んだ雀がお婆さんの嫉妬を招き、虐げられた挙句に追い出された。怒りの収まらない雀は一計を案じ、お爺さんを招いて恩を返しながら、お婆さんを巧妙におびき出し、自らの落ち度によって命を落としたと周囲に思わせる方法を用いて殺した」
「はぁ……」
「もし続きがあるとしたら、雀はお爺さんの元へと戻り、自分がお婆さんを殺害したなどという事実を感じさせることなく暮らすことになるんでしょうね。お爺さんも恐らく、お婆さんの死は自らの性格が招いた災難くらいに思うでしょう」
「ずいぶん狡猾な舌切り雀になっちゃいましたね」
「厳密に考えれば妥当な結論だと思うけど?」
「まぁ、確かにそうかも」
「そこで改めて問題です。雀がこんな面倒な策を弄したのは何のため?」
「え、だからお婆さん自身のせいにするため、ですよね?」
「では、田中くんのお姉さんの彼氏が二つの箱を選ばせたのは何のため?」
「あっ!」
ここまで来てようやく気付く。彼の姉がお婆さんであるということに。
「っていうか、どうして姉だってわかるんですかっ!」
「そんなの簡単よ。田中くんに異性の知り合いからそんな微妙な相談をされる甲斐性があるとは思えない。となれば甲斐性に関係なく話を切り出される関係の相手、つまり近しい肉親である可能性が高い訳であり、しかも話の内容から年下であるとは考えにくいとなれば、可能性は姉か母親が妥当でしょ。この場合母親ってケースは極めて稀でしょうから、姉と踏んだのよ」
「……はぁ」
怖い女である。田中は曖昧に頷きながら、この人だけは敵に回すまいと固く誓った。
「まぁいささか舌切り雀とは構図が違うと思うけどね。憶測で言わせてもらえれば、雀と一緒にいたいお爺さんがお婆さんを疎んで一計を案じたって感じかな。で、この話をお姉さんにするつもり?」
「……しないことにします」
「賢明ね。事実を突きつけて奪えるだけ奪うのもアリでしょうけど、変にもつれるよりこのまま終わらせた方が本人にとっては幸せでしょう。相手の意図に気付いていないのなら、尚のことね」
「それもそうなんですけど……」
「他にも何かあるの?」
「姉=お婆さんなんて話をしたら、それだけで爆発しそうですから」
もっともな事実に頷き合って、大掃除でも終えた後のようなスッキリした笑顔を交わす。人工的な白い光の下で、何一つ行動することなく一つの悩みが結実した。
「さてと、それじゃあ約束、果たしてもらおうかな?」
「いいですよ。行きましょうか」
財布の中身の半分以上が消えていく事態にもかかわらず、彼の心は奇妙なほどに軽い。むしろ彼の中では、安い買い物をしたかのような、そんな気分ですらあった。
あるいは、そう思わされたのかもしれないが。
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