Web小説『エトワールお嬢様の冒険』

第九幕
『人外魔境』

ピチョン……。
ピチョン……。

ヴァンパイアを追って地下に潜入して、すでに半刻が過ぎようとしている。
いつ現れるかもわからない敵。
どこから襲ってくるかもわからない敵。
すでにエトワールたちの疲労と緊張はピークに達していた。

ピチョン……。
ピチョン……。

教会の地下に広がるこの天然窟。
一体、どこまで続くのだろうか?
考え出すと気が狂いそうになる。

唯一の救いは、暗闇に閉ざされていた洞窟が、奥に進むにつれてイノチウム鉱石の輝きで照らし出されたことだった。
もちろん、昼間ほど明るいというわけではないが、たいまつなしでも歩くことができる。
ヴァンパイアがいつ襲いかかってくるかわからない今、たいまつで片手をふさがれないのは非常にありがたかった。

エトワール
「ま、これも日頃のおこないが良いからですわね。」

こういう自由な発想ができる人間は、幸せである。

エトワール
「それにしても、よくこんな陰気でジメジメした暗いところに住めるものですわねぇ。」

目を凝らすと、岩陰には地上ではお目にかかれないような巨大なクモや奇怪な虫たちが徘徊している様子がわかる。

ハエや蚊などの羽虫も無数に飛び回っている。
中には人間に害のある毒虫の類もいるようだ。

彼らにとって、この闇と湿気に包まれた洞窟はまさにパラダイスといったところだろう。
エトワールは鳥肌の立つ思いでその光景を眺めていたが、虫たちが決して自分たちに近づいてこないことを不思議に思った。
そして、チョリセ家を出発する前にクレアからもらった花のことが頭に浮かんだ。

エトワール
「たしか、ムシヨラズ……でしたわね。
なるほど、虫たちが寄ってきませんわ。」

エトワールは胸元に付けていたムシヨラズの花を手に取り、岩陰の虫に近づけてみた。
すると、文字通りクモの子を散らすように虫たちは逃げていった。
効果てき面である。

もし、クレアがムシヨラズをくれなかったら、今頃エトワールの顔や手足は虫さされでボコボコになっていたことであろう。
エトワールは自称・世界遺産級の美貌を守ってくれたクレアに心の底から感謝した。

〝クックックッ……。〟

どこからともなく笑い声が響く。
エトワールたちをあざ笑うかのような悪意に満ちた声。
まるで脳に直接伝わってくるような、どこか現実離れした声だ。

銃を抜き、警戒しながら周囲を見渡すが誰もいない。

〝人間ふぜいが、わらわの聖地に何用じゃ?〟

エトワール
「もちろん、あなたを退治するためですわ。
今すぐそこへ行きますから覚悟なさい。」

エトワールが、あくまで気を抜かず、そして毅然とした態度で声の主に応える。

おそらくは、この声の主こそがグラスホッパー村に悪夢をもたらしたヴァンパイアの親玉なのだろう。
エトワールは無意識のうちに握り拳を作っていた。

エトワール
(あの女の子も、こいつのせいで……)

エトワールはピンクのワンピースを着た少女のことを思い出した。
血を吸い尽くされ、しわくちゃになった肌。
血を求め、徘徊する呪われた肉体。
あの少女を葬ったときの銃の衝撃が今も手のひらに残っているようだ。

〝クックックッ、笑止。
人間の小娘がヴァンパイアの女王たるわらわの神殿に足を踏み入れようなどと……片腹痛いわ。〟

よせばいいのに声の主は、エトワール・ローゼンクイーンを挑発してしまった。
ただでさえ売られたケンカは嬉々として買ってしまうエトワールが、今はヴァンパイアの犠牲となった哀れな少女のことを想い、怒りゲージが満タンになっていた。

そこにきて、この挑発である。
間が悪いとしか言いようがない。

エトワール
「あ~ら、神殿?
あなた、神殿といわれるような建物にいますのね?
この奥にあるのかしら?
それに女王?
わらわ?
……ということは女……しかも、その年寄りくっさいもののいいようからオバハンであると断定できますわ。」

エトワール
「ご丁寧にペラペラと情報を提供してくれるなんてご親切なオバハンですこと。
ありがとう、オバハン。
オホホホホッ!」

こうして人間対ヴァンパイアの戦いの火ぶたは、舌戦という形で切って落とされた。
舌戦ではエトワールが一枚どころか十枚も二十枚も上手であることは火を見るより明らかであったが、そんなことを知る由もない声の主は、女王の名にかけて反撃しようとした。

〝そ、そ、そなたごとき、神聖なるわらわの神殿に近づくことは……!〟

エトワール
「神聖?
神聖ですって!?
こんなに暗くてジメジメ、ネチョネチョした薄汚い場所が神聖ですって~!?
ワタクシだったら、こんな場所に住むなんて死んでも嫌ですわ!
ま~だ、おトイレに住んだほうがマシってものですわよ!」

エトワール
「どういう神経しているのか、ぜひとも一度お顔を拝見してみたいものですわ~!!
さぞかし、ワタクシとは対照的なブサイクなオバハンなんでしょうね!!」

〝こ、こ、こ、こ、こ……殺すっ!〟

口ゲンカでヴァンパイアを言い負かした人間など、この世でもあの世でもエトワールぐらいのものだろう。
かくして前代未聞の戦いの初戦は、エトワールの圧勝で幕を閉じた。

エトワール
「あ~、スッキリしましたわ。」

ワンピースの少女と、その他の犠牲者の恨みを少しだけ晴らすことができたエトワールは、久しぶりの笑顔を見せた。

モミー
「お嬢さん。
あんまり敵を怒らせねぇでくださいよ。」

ハマー
「そうですよ。
女のヒステリーは始末に悪いんですから。」

熾烈な女の戦いを黙って見守っていたモミーとハマーがようやく口を開いた。
エトワールの側近である以上、こういった展開は日常茶飯事であり、彼女が勝利することもわかりきっていたので二人は至って冷静だった。

アー……。
オー……。

モミー
「そーら、もう来なすった。」

ハマー
「団体さんでおこしだぜ。」

低いうめき声とともに人間の女──いや、それだったものが四方から次々と姿を現した。
行方不明となっていた村の女たちの末路が、これで判明した。
想像はしていたが、エトワールは苦々しい思いで一人一人の顔を見渡した。

老人から小さな女の子まで、あらゆる年齢層の女がいるようだった。
ヴァンパイアに血を吸われた者は、ヴァンパイアとなり永遠に血を求めさまよう。
この呪われたルールに従い、徐々に距離を詰めてくる人外の者となり果てた女たち。

しかし、久しぶりの獲物に目を輝かせる彼女たちを見ても、エトワールにうろたえる様子はない。
ゆっくりと銃を構え、狙いを定める。

エトワール
「かわいそうな人たち……せめてワタクシたちの手で……!」

モミー
「待ってくだせぇ、お嬢さん!」

引き金に指をかけたエトワールをモミーがあわてて静止する。
その声に驚いたのか、ヴァンパイアたちまでもが動きを止めた。

モミー
「このニオイ……おかしくねぇですかい?」

うながされてエトワールとハマーがくんくんと鼻を鳴らす。
いわれてみれば確かに妙な匂いがする。

注意深く岩肌に目をやると、不定期に薄白い天然ガスを吐き出しているのがわかった。
これでは重火器類が一切使用できない。

ハマー
(あ、あぶね~……)

ハマーは湿気がひどくて葉巻が吸えなかったことをひそかに神に感謝した。

エトワール
「ちっ!
仕方ございませんわ。
ここはレトロな戦法でいきますわよ。」

言うが早いかエトワールは銀製の細剣(レイピア)を抜き、構える。
モミーとハマーは先端を鋭く削った木の杭とハンマーを取り出す。
いずれもヴァンパイア退治には欠かせないメジャーアイテムだ。

戦いは無言のうちにはじまった。
正確に不死者たちの心臓へと打ち込まれていく杭。
そして、一点の曇りもない銀の刃が滑らかな軌道を描き、人ならぬ人を貫いてゆく。

斬る。
刺す。
突く。
打つ。
貫く。
三人は、ただひたすら無表情にこの作業を繰り返した──

世界が静寂を取り戻したときには、動くものはエトワールたちだけになっていた。
すべてが幻だったかのように、風もない空間を灰だけが舞っている。

三人は何も言わず、灰の上を一歩一歩かみしめるように歩き、奥へと進んだ。
その悲しげな足音は、まるで死者の無念を弔う鎮魂歌のようだった。