第十幕
『裏切りと信頼』
地下の世界に足を踏み入れてから、どのぐらいの距離を歩いただろう?
直線距離にすれば、せいぜい二キロといったところかもしれないが、感覚的には丸一日歩き通した気分だ。
しかし、その長かった道のりも終わりを告げようとしていた。
目の前に広がる巨大な空間。
気が遠くなるような年月を経て作られた天然の鍾乳洞。
自然の驚異とはよくいったものである。
天井からもれるわずかな太陽の光が、この神の芸術をより神秘的なものに仕上げていた。
そして、その空間の中央にそびえ立つ建造物。
神殿──確かにそう呼ぶのが適切かもしれない。
苔にまみれてはいるが堂々たるたたずまい。
洗練された建築様式。
エトワールの知識によると、古代文明時代のそれと酷似していた。
洞窟の奥深くに隠された神殿。
ヴァンパイアの巣としては、まさにうってつけの場所といえた。
エトワールは興味深そうに眺めていたが、天井で揺らぐ赤い炎のような光に気づき、先を急ぐことにした。
ギイイイイィィィィ……。
エトワールがため息混じりにいうのも無理はなかった。
これで扉を開くのは十三回目である。
しかも、部屋の中はどれもこれも、もぬけの殻。
あまりの手応えの無さに、相手のやる気を疑ってしまうほどだ。
しかし、考えても見れば、ヴァンパイアになった村人たちは先刻エトワールたちの手で葬ったばかりだ。
実のところ、相手方の駒が尽きてしまったのかもしれない。
あいかわらずのエトワールが、願いを込めて次の部屋への扉を開いた。
ギイイイイィィィィ……。
神に愛されし者というのは存在するのかもしれない。
エトワールのお願いをかなえてくれたのが本当に神様なのかどうかは知らないが、事実として彼女の眼前には彼女が望んだものがあった。
そこは鏡の世界。
壁という壁が鏡張りになっている迷宮。
エトワールたちの姿があたり一面に乱反射している様は、さながら巨大な万華鏡といったところだった。
例の人をさげすむような笑い声が部屋中に響く。
三人が反射的に身構える。
いぶかしんでエトワールが聞き返す。
それだけいうと、ヴァンパイアの女王の声は勝ち誇ったような高笑いとともに消えていった。
つられて声のほうを振り向いたモミーの体に斬撃が走る。
火箸を当てられたような熱い痛みが全身を駆け抜ける。
ダメージを受けながらも、そこは歴戦の勇者。
倒れ込むと同時に銃を抜き、襲撃者に狙いを定める。
──が、すでにそこには誰もいない。
異変に気づいたハマーがエトワールのもとへ走り寄る。
あやうく、エトワールの首と体は永遠の別れを告げるところだった。
ブーンという風切り音とともに、巨大な斧が空を斬る。
目的を果たせなかったハマーが、舌打ちを残して鏡の迷宮の中へと消えていく。
エトワールは、にわかに信じることができなかった。
自慢じゃないが、人から恨みを買う覚えは山ほどある。
そねみ。
ねたみ。
ひがみ。
嫉妬。
中傷。
エトセトラ、エトセトラ。
そんなものには慣れっこである。
しかし、今自分を襲った人間は、主従という関係を超えて、長年苦楽をともにしてきた仲間である。
その彼が自分の命を奪おうとしたのだ。
エトワールがいかにふてぶてしい神経の持ち主でも、その精神的ダメージは計り知れない。
あのハマーが自分の命を狙うほどの恨みとは?
彼女は、これまでの人生を振り返ってみた……
……が、覚えがありすぎて、どれか一つに限定することができなかった。
ひどい主人がいたものである。
命を狙われても仕方ないかもしれない。
エトワールは迷いを振り払うかのように強く自分に言い聞かした。
これは罠だ。
あのオバハンが仲間の信頼を引き裂くために、お互いのさい疑心をあおるような幻を見せているに違いない。
さっきのハマーが幻だとして、どうやって真偽を見分ければいいのか?
長年付き合ってきた自分でも、本物と偽者との違いを見つけることはできなかった。
それに罠だとしたら、今度はモミーの姿で襲いかかってくるかもしれない。
先刻の交戦で、モミーとも完全にはぐれてしまっている。
一体、どうすれば……?
エトワールは覚悟を決めた。
唇をキュッと引き締め、大きく目を開く。
部屋中に聞こえるように高らかに叫ぶと、エトワールは拳銃片手にズカズカと歩き始めた。
左右の鏡には無限に映る自分自身。
彼女たちは一糸たがわず、エトワールの動きを真似ている。
四つ目の角に差しかかろうとしたとき、いつも通り葉巻をくわえたハマーが現れた。
彼もエトワールに気づき、手を挙げる。
ズギューン!
彼女に迷いはなかった。
放った弾丸は、すでにハマーの左胸に大きな風穴を開けている。
今さら、「間違えちゃった、ごめんなさい。てへ♥」では済まない。
しかし、エトワールは自信を持って床に倒れたハマーに近づいた。
すると、そこには見知らぬ女がいた。
銃声を聞いたモミーとハマーがあわてて駆けつける。
ハマーに化けていた女は、自分の身に何が起こったのかわからないといった表情のまま息絶え、灰に還っていった。
もしかすると我が身のことだったかもしれないハマーが、左胸を押さえながらエトワールに問う。
すると、彼女は自信たっぷりに答えた。
モミーとハマーが凍り付いた表情で顔を見合わせた。
勝ち誇るエトワールを尻目に、モミーが相棒にたずねる。
ハマーは青い顔をして首を振るのが精一杯だった。
そして、二人は背中にビッショリと冷や汗をかきながら、手を取り合って今日の命あることを喜んだ。
直線距離にすれば、せいぜい二キロといったところかもしれないが、感覚的には丸一日歩き通した気分だ。
しかし、その長かった道のりも終わりを告げようとしていた。
目の前に広がる巨大な空間。
気が遠くなるような年月を経て作られた天然の鍾乳洞。
自然の驚異とはよくいったものである。
天井からもれるわずかな太陽の光が、この神の芸術をより神秘的なものに仕上げていた。
そして、その空間の中央にそびえ立つ建造物。
神殿──確かにそう呼ぶのが適切かもしれない。
苔にまみれてはいるが堂々たるたたずまい。
洗練された建築様式。
エトワールの知識によると、古代文明時代のそれと酷似していた。
洞窟の奥深くに隠された神殿。
ヴァンパイアの巣としては、まさにうってつけの場所といえた。
エトワールは興味深そうに眺めていたが、天井で揺らぐ赤い炎のような光に気づき、先を急ぐことにした。
エトワール
「もうすぐ日が暮れますわ。
早いところ片づけてしまいましょ。」
早いところ片づけてしまいましょ。」
ギイイイイィィィィ……。
エトワール
「またですの~?」
エトワールがため息混じりにいうのも無理はなかった。
これで扉を開くのは十三回目である。
しかも、部屋の中はどれもこれも、もぬけの殻。
あまりの手応えの無さに、相手のやる気を疑ってしまうほどだ。
しかし、考えても見れば、ヴァンパイアになった村人たちは先刻エトワールたちの手で葬ったばかりだ。
実のところ、相手方の駒が尽きてしまったのかもしれない。
エトワール
(……だとしたら、つまりませんわ。
もう少し楽しめる相手かと思いましたのに。
神様お願い。
どうか次の部屋にはワクワクするようなイベントを!)
もう少し楽しめる相手かと思いましたのに。
神様お願い。
どうか次の部屋にはワクワクするようなイベントを!)
あいかわらずのエトワールが、願いを込めて次の部屋への扉を開いた。
ギイイイイィィィィ……。
神に愛されし者というのは存在するのかもしれない。
エトワールのお願いをかなえてくれたのが本当に神様なのかどうかは知らないが、事実として彼女の眼前には彼女が望んだものがあった。
そこは鏡の世界。
壁という壁が鏡張りになっている迷宮。
エトワールたちの姿があたり一面に乱反射している様は、さながら巨大な万華鏡といったところだった。
声
〝クックックッ。〟
例の人をさげすむような笑い声が部屋中に響く。
三人が反射的に身構える。
声
〝ようこそ、わが神殿へ。
歓迎のしるしに、わらわから一つ予言を与えてしんぜよう。〟
歓迎のしるしに、わらわから一つ予言を与えてしんぜよう。〟
エトワール
「予言?」
いぶかしんでエトワールが聞き返す。
声
〝お前たちの中に裏切り者がいる。
仲間に裏切られて死んでゆくがよい。〟
仲間に裏切られて死んでゆくがよい。〟
エトワール
「は?
裏切り者~?
何を言いだすのかと思えば、おバカおバカしい。
あなたにはわからないでしょうけど、ワタクシたちは信頼し合ってますの。
裏切りなんて有り得ませんことよ!」
裏切り者~?
何を言いだすのかと思えば、おバカおバカしい。
あなたにはわからないでしょうけど、ワタクシたちは信頼し合ってますの。
裏切りなんて有り得ませんことよ!」
声
〝クックックッ。
口では何とでもいえるものよ。
そなたたちの信頼とやらが本物かどうか、この『真実の間』で試してくれようぞ。〟
口では何とでもいえるものよ。
そなたたちの信頼とやらが本物かどうか、この『真実の間』で試してくれようぞ。〟
それだけいうと、ヴァンパイアの女王の声は勝ち誇ったような高笑いとともに消えていった。
エトワール
「裏切り者ですって!?
まったく……おバカも休み休み言いなさいってんですわ。」
まったく……おバカも休み休み言いなさいってんですわ。」
モミー
「しかし、お嬢さん。
裏切り者はともかく、この鏡だらけの部屋はなかなかやっかいですぜ。
出口がどこにあるのか、さっぱりわかりやせん。」
裏切り者はともかく、この鏡だらけの部屋はなかなかやっかいですぜ。
出口がどこにあるのか、さっぱりわかりやせん。」
エトワール
「モミー?
あなた、誰と話していますの?」
あなた、誰と話していますの?」
モミー
「え?」
つられて声のほうを振り向いたモミーの体に斬撃が走る。
火箸を当てられたような熱い痛みが全身を駆け抜ける。
ダメージを受けながらも、そこは歴戦の勇者。
倒れ込むと同時に銃を抜き、襲撃者に狙いを定める。
──が、すでにそこには誰もいない。
エトワール
「モミー!
大丈夫!?」
大丈夫!?」
ハマー
「お嬢さん!
どうしたんです!?」
どうしたんです!?」
異変に気づいたハマーがエトワールのもとへ走り寄る。
エトワール
「ああ、ハマー!
今、モミーが……!」
今、モミーが……!」
あやうく、エトワールの首と体は永遠の別れを告げるところだった。
ブーンという風切り音とともに、巨大な斧が空を斬る。
目的を果たせなかったハマーが、舌打ちを残して鏡の迷宮の中へと消えていく。
エトワール
「ハマー!
まさか……ハマーが裏切り者……!?」
まさか……ハマーが裏切り者……!?」
エトワールは、にわかに信じることができなかった。
自慢じゃないが、人から恨みを買う覚えは山ほどある。
そねみ。
ねたみ。
ひがみ。
嫉妬。
中傷。
エトセトラ、エトセトラ。
そんなものには慣れっこである。
しかし、今自分を襲った人間は、主従という関係を超えて、長年苦楽をともにしてきた仲間である。
その彼が自分の命を奪おうとしたのだ。
エトワールがいかにふてぶてしい神経の持ち主でも、その精神的ダメージは計り知れない。
あのハマーが自分の命を狙うほどの恨みとは?
彼女は、これまでの人生を振り返ってみた……
……が、覚えがありすぎて、どれか一つに限定することができなかった。
ひどい主人がいたものである。
命を狙われても仕方ないかもしれない。
エトワール
(いいえ、そんなはずありませんわ!)
エトワールは迷いを振り払うかのように強く自分に言い聞かした。
これは罠だ。
あのオバハンが仲間の信頼を引き裂くために、お互いのさい疑心をあおるような幻を見せているに違いない。
エトワール
(けれど……)
さっきのハマーが幻だとして、どうやって真偽を見分ければいいのか?
長年付き合ってきた自分でも、本物と偽者との違いを見つけることはできなかった。
それに罠だとしたら、今度はモミーの姿で襲いかかってくるかもしれない。
先刻の交戦で、モミーとも完全にはぐれてしまっている。
一体、どうすれば……?
エトワール
(よし!)
エトワールは覚悟を決めた。
唇をキュッと引き締め、大きく目を開く。
エトワール
「モミー!
ハマー!
失敗したら、ごめんなさいね!」
ハマー!
失敗したら、ごめんなさいね!」
部屋中に聞こえるように高らかに叫ぶと、エトワールは拳銃片手にズカズカと歩き始めた。
左右の鏡には無限に映る自分自身。
彼女たちは一糸たがわず、エトワールの動きを真似ている。
四つ目の角に差しかかろうとしたとき、いつも通り葉巻をくわえたハマーが現れた。
彼もエトワールに気づき、手を挙げる。
ハマー
「あっ、お嬢さ……。」
ズギューン!
彼女に迷いはなかった。
放った弾丸は、すでにハマーの左胸に大きな風穴を開けている。
今さら、「間違えちゃった、ごめんなさい。てへ♥」では済まない。
しかし、エトワールは自信を持って床に倒れたハマーに近づいた。
すると、そこには見知らぬ女がいた。
モミー
「お嬢さん!」
銃声を聞いたモミーとハマーがあわてて駆けつける。
ハマーに化けていた女は、自分の身に何が起こったのかわからないといった表情のまま息絶え、灰に還っていった。
ハマー
「ど、どうしてわかったんです、お嬢さん?」
もしかすると我が身のことだったかもしれないハマーが、左胸を押さえながらエトワールに問う。
すると、彼女は自信たっぷりに答えた。
エトワール
「別に正体がわかっていて撃ったわけじゃありませんわ。
ただ、本物のあなたたちなら、ちゃんとよけてくれるに違いないと思っただけですわ。」
ただ、本物のあなたたちなら、ちゃんとよけてくれるに違いないと思っただけですわ。」
モミーとハマーが凍り付いた表情で顔を見合わせた。
エトワール
「オーッホッホッホッホッホッホッ!
これこそ信頼!
これこそ絆!
ざまぁ、ごらんなさいってんですわ、あのオバハン!
ワタクシたちの鉄壁のチームワークを見て、今頃、地だんだ踏んで悔しがっていることでしょうよ!
オーッホッホッホッホッホッホッ!」
これこそ信頼!
これこそ絆!
ざまぁ、ごらんなさいってんですわ、あのオバハン!
ワタクシたちの鉄壁のチームワークを見て、今頃、地だんだ踏んで悔しがっていることでしょうよ!
オーッホッホッホッホッホッホッ!」
勝ち誇るエトワールを尻目に、モミーが相棒にたずねる。
モミー
「……おめぇ、よける自信あったか?」
ハマーは青い顔をして首を振るのが精一杯だった。
そして、二人は背中にビッショリと冷や汗をかきながら、手を取り合って今日の命あることを喜んだ。