第十一幕
『真剣勝負』
兵どもが夢の跡。
長い長い回廊を進みながら、エトワールは古代文明時代に思いをはせていた。
壁にほどこされた有翼人たちのレリーフ。
それは回廊につづられた一大叙事詩だった。
柱一つとっても、彼らが高度な技術と深い知識を有していたことをうかがい知ることができる。
白く美しい翼と、空を飛ぶことへのあこがれから、彼ら古代人を天使や神と同一視する人も多い。
しかし、いかに文化レベルが高くとも、いつしか衰退のときは訪れるもの。
古代文明も他の例にもれず、滅びの道を歩んだ。
エトワールはその主な要因を人間同士の不和、争いだったと資料から分析していた。
剣と盾で身を固めた古代人。
巨人のような兵器。
この壁の彫刻は彼女の推測が正しいことを静かに物語っていた。
シュタッ。
はるか古代の世界に目を奪われていた三人の耳に奇妙な音が飛び込んできた。
シュタッ。
シュタッ。
固い床を蹴るような、そんな音だった。
今度はさっきよりも近いところから聞こえた。
しかし、周囲を見回したところで人影どころかニャンコ一匹いない。
シュタッ!
次第にエトワールたちに近づいてくる音。
わかっていることは、相手が自分たちに好意を持っていないということだけだった。
好意があるなら、姿を隠す必要はない。
殺気を感じ、とっさに床に伏せる。
──が、見えない敵からの攻撃を防げるはずもない。
エトワールをかばったモミーとハマーの背中に、獣の爪で引き裂かれたような傷痕が刻まれる。
彼らの傷口が瞬く間に青黒くはれ上がる。
唇も紫色を帯び、全身が軽いケイレンを起こしている。
毒によるマヒ症状だ。
エトワールが二人の名前を叫んでも、応えるどころか視線すら定まっていない。
身近な人間の死を目の当たりにしたことのないエトワールは、パニック状態におちいって、やみくもに二人のボディーガードの体を揺らし叫んだ。
両親が多忙だったため幼少よりひとりぼっちでいることが多かったエトワールは、大人に成長した今も心のどこかで『孤独』というものを恐れていた。
そしていつの間にか、彼女が彼女らしくあるためには、モミーとハマーの存在が必要不可欠になっていたのだ。
このチャンスを敵が見逃すはずはなかった。
氷のように冷たいものが、エトワールの体から自由を奪う。
金縛りにあったように身動きがとれない。
姿は見えないが、おそらく背後からはがい締めにしているのだろう。
腕を極められ、口をふさがれる。
次の狙いは当然、彼女の白い首筋だ。
ところが、見えない敵は突如、耳を引き裂くような叫び声を上げ、苦しみ出した。
見えなかった敵の姿が徐々に浮かび上がってくる。
さきほどまで何もなかったはずの空間に、教会で一戦交えたあの神父が現れた。
すんでのところでヴァンパイアの牙から逃れたエトワールが首をなでると、えり元に飾っていたムシヨラズの花が床に落ちた。
それを見た神父が、火を恐れる獣のように悲鳴を上げながら大きく退く。
どうやら、ムシヨラズの花が苦手らしい。
冷静さを取り戻したエトワールが、まだ苦しみの表情をたたえる神父に銃口を向ける。
しかし、狙いを定めたときには、彼の姿は再び回廊の景色に溶け込んでいた。
保護色──自然界において弱者が敵の目から逃れ、生き残るために身につけた手段。
しかし、それは捕食者が獲物に気づかれないよう近づくための手段でもある。
一口に保護色といっても、生まれたときから体毛の色・柄で偽装しているものもいれば、状況に合わせて外見を変えるものもいる。
たった今目にしたものは、明らかに自然淘汰をへて長年進化させてきた、完璧なカムフラージュだった。
当然、人間にこのような能力はない。
この敵は、高度な偽装能力を持った動物か昆虫が変化(へんげ)し、ヴァンパイアとなったものに違いない。
シュタッ。
シュタッ。
見えない敵が、獲物のスキをうかがうようにエトワールの周囲を縦横無尽に飛び交う。
威嚇の意味もあるのだろうが、ムシヨラズの花のせいで近づきたくても近づけないというのが本音であろう。
エトワールは思った。
自分だけなら、このまま戦術的撤退をするのも一つの方法である。
逃げること自体は立派な戦術であり、恥ずかしいとは思わない。
しかし、毒に犯されたモミーとハマーをこの場に置き去りにするわけにはいかない。
彼らは自分を守るために犠牲になったのだ。
今度は自分が彼らを救う番だ。
パニクってる場合ではない。
そう自分に言い聞かせると、エトワールはふところに忍ばせていたナイフを取り出した。
そして、なんと回廊のレリーフに勝るとも劣らない芸術品である自らの首筋に、すっと傷をつけた。
白い肌に流れ落ちる、一筋の赤いしずく。
それをゆっくりと人差し指ですくう。
血に染まった指を誘うように舌で運ぶその姿は、エロティックですらあった。
シュタッ!!
シュタッ!!
ごちそうを目の前にして、おあずけをくらった猛獣とでも形容しようか。
すでに我慢の限界。
見えない敵は今にも襲いかかってきそうだ。
エトワールは覚悟を決めた。
床に落ちたムシヨラズの花を拾って口にくわえ、お気に入りのヘアバンドで自ら視界を閉ざす。
もはや目に頼ることはできない。
エトワールは耳を研ぎ澄まし、敵の位置を音で捕らえることに専念した。
そして、二挺の拳銃を取り出し、見事なガンさばきで左右の手に構える。
命がけの大バクチ。
はたして、吉と出るか、凶と出るか?
エトワールは、口にくわえていたムシヨラズを手に取り、宙に放り投げた。
シュタッ!!
全神経を集中させた耳の中に、力強く地面を蹴る音が飛び込んでくる。
ズギューン!
ズギューン!
ズギューン!
二挺拳銃が火を噴く。
銃声が長い回廊にこだまする。
エトワールは自分を信じて、ひたすら撃ち続けた──
すべての弾丸を撃ち尽くした後、エトワールはヘアバンドの目隠しを定位置に戻した。
視覚を取り戻した彼女が目にしたものは、1メートル半はあろうかという巨大なクモだった。
大きさは異常だが、このクモの姿形には見覚えがある。
確か中原に広く分布する毒グモの一種だ。
その特徴は日光を嫌い、オスは偽装能力を利用し、小動物や昆虫を捕らえ、巣を守るメスと獲物の体液を分け合うという生活を営む。
さらに……
思い出そうとしながら、ピクリとも動かなくなったクモに歩み寄ろうとしたそのとき、複数の矢のような物体がエトワールめがけて放たれた!
武道でいうところの『残心』。
敵の反撃に備える心構えをおこたらなかった彼女は、かろうじてそれをかわすことができた。
チュウゲンチスイドクグモ。
この味も素っ気もない、そのまんまの名称を持つクモ。
これがヴァンパイアの正体だった。
エトワールは撃ち尽くした弾丸を込め直し、苦しみでケイレンしている巨大なクモに銃を向けた。
彼女の表情には憎しみも悲しみも哀れみもなく、ただ静かに引き金を引いただけだった……。
長い長い回廊を進みながら、エトワールは古代文明時代に思いをはせていた。
壁にほどこされた有翼人たちのレリーフ。
それは回廊につづられた一大叙事詩だった。
柱一つとっても、彼らが高度な技術と深い知識を有していたことをうかがい知ることができる。
白く美しい翼と、空を飛ぶことへのあこがれから、彼ら古代人を天使や神と同一視する人も多い。
しかし、いかに文化レベルが高くとも、いつしか衰退のときは訪れるもの。
古代文明も他の例にもれず、滅びの道を歩んだ。
エトワールはその主な要因を人間同士の不和、争いだったと資料から分析していた。
剣と盾で身を固めた古代人。
巨人のような兵器。
この壁の彫刻は彼女の推測が正しいことを静かに物語っていた。
シュタッ。
はるか古代の世界に目を奪われていた三人の耳に奇妙な音が飛び込んできた。
シュタッ。
シュタッ。
固い床を蹴るような、そんな音だった。
エトワール
「何の音ですの?」
今度はさっきよりも近いところから聞こえた。
しかし、周囲を見回したところで人影どころかニャンコ一匹いない。
シュタッ!
次第にエトワールたちに近づいてくる音。
わかっていることは、相手が自分たちに好意を持っていないということだけだった。
好意があるなら、姿を隠す必要はない。
エトワール
「何か、やばいですわ!」
モミー
「ふせろっ!!」
殺気を感じ、とっさに床に伏せる。
──が、見えない敵からの攻撃を防げるはずもない。
エトワールをかばったモミーとハマーの背中に、獣の爪で引き裂かれたような傷痕が刻まれる。
ハマー
「ぐぅっ!」
彼らの傷口が瞬く間に青黒くはれ上がる。
唇も紫色を帯び、全身が軽いケイレンを起こしている。
毒によるマヒ症状だ。
エトワールが二人の名前を叫んでも、応えるどころか視線すら定まっていない。
身近な人間の死を目の当たりにしたことのないエトワールは、パニック状態におちいって、やみくもに二人のボディーガードの体を揺らし叫んだ。
両親が多忙だったため幼少よりひとりぼっちでいることが多かったエトワールは、大人に成長した今も心のどこかで『孤独』というものを恐れていた。
そしていつの間にか、彼女が彼女らしくあるためには、モミーとハマーの存在が必要不可欠になっていたのだ。
このチャンスを敵が見逃すはずはなかった。
氷のように冷たいものが、エトワールの体から自由を奪う。
金縛りにあったように身動きがとれない。
姿は見えないが、おそらく背後からはがい締めにしているのだろう。
腕を極められ、口をふさがれる。
次の狙いは当然、彼女の白い首筋だ。
ところが、見えない敵は突如、耳を引き裂くような叫び声を上げ、苦しみ出した。
見えなかった敵の姿が徐々に浮かび上がってくる。
さきほどまで何もなかったはずの空間に、教会で一戦交えたあの神父が現れた。
すんでのところでヴァンパイアの牙から逃れたエトワールが首をなでると、えり元に飾っていたムシヨラズの花が床に落ちた。
それを見た神父が、火を恐れる獣のように悲鳴を上げながら大きく退く。
どうやら、ムシヨラズの花が苦手らしい。
エトワール
「これで、この花に救われたのは二度目ですわね。
帰ったら、クレアちゃんにたっぷりお礼しないといけませんわ。」
帰ったら、クレアちゃんにたっぷりお礼しないといけませんわ。」
冷静さを取り戻したエトワールが、まだ苦しみの表情をたたえる神父に銃口を向ける。
しかし、狙いを定めたときには、彼の姿は再び回廊の景色に溶け込んでいた。
保護色──自然界において弱者が敵の目から逃れ、生き残るために身につけた手段。
しかし、それは捕食者が獲物に気づかれないよう近づくための手段でもある。
一口に保護色といっても、生まれたときから体毛の色・柄で偽装しているものもいれば、状況に合わせて外見を変えるものもいる。
たった今目にしたものは、明らかに自然淘汰をへて長年進化させてきた、完璧なカムフラージュだった。
当然、人間にこのような能力はない。
この敵は、高度な偽装能力を持った動物か昆虫が変化(へんげ)し、ヴァンパイアとなったものに違いない。
シュタッ。
シュタッ。
見えない敵が、獲物のスキをうかがうようにエトワールの周囲を縦横無尽に飛び交う。
威嚇の意味もあるのだろうが、ムシヨラズの花のせいで近づきたくても近づけないというのが本音であろう。
エトワールは思った。
自分だけなら、このまま戦術的撤退をするのも一つの方法である。
逃げること自体は立派な戦術であり、恥ずかしいとは思わない。
しかし、毒に犯されたモミーとハマーをこの場に置き去りにするわけにはいかない。
彼らは自分を守るために犠牲になったのだ。
今度は自分が彼らを救う番だ。
パニクってる場合ではない。
エトワール
(しっかりしなさい、エトワール・ローゼンクイーン!!)
そう自分に言い聞かせると、エトワールはふところに忍ばせていたナイフを取り出した。
そして、なんと回廊のレリーフに勝るとも劣らない芸術品である自らの首筋に、すっと傷をつけた。
白い肌に流れ落ちる、一筋の赤いしずく。
それをゆっくりと人差し指ですくう。
血に染まった指を誘うように舌で運ぶその姿は、エロティックですらあった。
シュタッ!!
シュタッ!!
ごちそうを目の前にして、おあずけをくらった猛獣とでも形容しようか。
すでに我慢の限界。
見えない敵は今にも襲いかかってきそうだ。
エトワール
「真剣勝負ですわ。」
エトワールは覚悟を決めた。
床に落ちたムシヨラズの花を拾って口にくわえ、お気に入りのヘアバンドで自ら視界を閉ざす。
もはや目に頼ることはできない。
エトワールは耳を研ぎ澄まし、敵の位置を音で捕らえることに専念した。
そして、二挺の拳銃を取り出し、見事なガンさばきで左右の手に構える。
エトワール
(この花を放った瞬間、ヴァンパイアはワタクシの血を求めて牙をむいてくるはず……。
最後に地面を蹴る音がした位置と、ワタクシがいる位置──その二つの点を結んだ線上にヴァンパイアがいる!
この見えない敵を倒すには、それしかありませんわ!)
最後に地面を蹴る音がした位置と、ワタクシがいる位置──その二つの点を結んだ線上にヴァンパイアがいる!
この見えない敵を倒すには、それしかありませんわ!)
命がけの大バクチ。
はたして、吉と出るか、凶と出るか?
エトワールは、口にくわえていたムシヨラズを手に取り、宙に放り投げた。
シュタッ!!
全神経を集中させた耳の中に、力強く地面を蹴る音が飛び込んでくる。
ズギューン!
ズギューン!
ズギューン!
二挺拳銃が火を噴く。
銃声が長い回廊にこだまする。
エトワールは自分を信じて、ひたすら撃ち続けた──
すべての弾丸を撃ち尽くした後、エトワールはヘアバンドの目隠しを定位置に戻した。
視覚を取り戻した彼女が目にしたものは、1メートル半はあろうかという巨大なクモだった。
エトワール
「ヴァンパイアの正体見たり……ですわ。」
大きさは異常だが、このクモの姿形には見覚えがある。
確か中原に広く分布する毒グモの一種だ。
その特徴は日光を嫌い、オスは偽装能力を利用し、小動物や昆虫を捕らえ、巣を守るメスと獲物の体液を分け合うという生活を営む。
さらに……
エトワール
「あら?
なんだったかしら?」
なんだったかしら?」
思い出そうとしながら、ピクリとも動かなくなったクモに歩み寄ろうとしたそのとき、複数の矢のような物体がエトワールめがけて放たれた!
武道でいうところの『残心』。
敵の反撃に備える心構えをおこたらなかった彼女は、かろうじてそれをかわすことができた。
エトワール
「……さらに、窮地におちいると口のまわりにある毒針を飛ばす習性を持つ…でしたわね。」
チュウゲンチスイドクグモ。
この味も素っ気もない、そのまんまの名称を持つクモ。
これがヴァンパイアの正体だった。
エトワールは撃ち尽くした弾丸を込め直し、苦しみでケイレンしている巨大なクモに銃を向けた。
彼女の表情には憎しみも悲しみも哀れみもなく、ただ静かに引き金を引いただけだった……。