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『肉体というものは実に素直で、ある年を境に不摂生や無理のツケが一気に来ます。
これは致し方ないと思いますが、アナタも気が付いた時くらいにでも自重すれば、気休めにはなるかもしれません。
あと、自分の不注意で申し訳ないですが、過去の僕から数えてそう遠くない日にどこかで大怪我をします。
ものすごく痛い思いをします。人生の終わりだと思ったくらい痛かったです。
けれど後々考えるとラッキーなのであまり気を落とさないでください』
「……………………」
ビールが口の中で音を立ててぬるくなっていく。
出だしからして意気消沈。前半と後半のギャップとつながりが自然なのは年の功ですか。
どうしてこう浮かれ気分になりたいところで氷水を浴びせるようなマネをする。
未来の僕よ。
しかも最後にどう解釈すればラッキーと転換できるのかその理由も説明願いたい。
しかし文はそこで終わっていて、次のメッセージになっている。
まあいいや。詳しいことは書けない決まりだし、最悪でも死なない点まだマシか。
気を取り直して次の文へと目を滑らせる。
『まだこの頃は馬券買いが趣味の一つだったはずと記憶していますので、嬉しいお知らせを。
いつの日のことだったか、競馬場で適当に買った馬券が万馬券になったことがあります。
たまたまパドックで見かけた馬の中にツヤツヤな馬がいたのがとても印象的でした。
やたらとツヤツヤしていて本当にビックリでした。
他のお客さんもそのツヤツヤぶりに驚きを隠せない様子でした。
ちなみに万馬券が当たった馬は覚えていません。
その時の記憶はツヤツヤの馬のことしかありません』
「意味分かんねえよ! っうかアホか!」
万馬券の話でどうしてそういう話になる。
というよりツヤツヤする馬って何さ!
どこがツヤツヤなんだ? 毛か? 顔か? それとも全身か?
ワックスでも塗ったみたいな競走馬って聞いたことも見たこともねえよ。
頭の中に浮かんだ嫌なイメージをビールと一緒に流す。
きっとわざと書いているに違いない。
そうだそうだ。
そうでないと未来の僕はすでに認知症か悪質の脳障害を発症していることになる。
けど文章って重要な部分を意図的に添削すればこうも歯切れの悪いものになるんだな。
覚えておこう。
ほどよく喉が渇いてきたところで次。
『自分の身の回りは意外と気付かないことが多々あります。
現に手紙が届く頃の過去の僕は独身だったので、人に言われるまで気付きませんでした。
もう少し後になると体臭がキツいことを自覚します。
加齢臭かと心配しましたが親友の玉岡くんにこのことを話してみたら、中学のころからこころなしか臭っていたらしいです。
加齢臭じゃなくて少し安心しました』
「なわけあるかーーーー!」
思わずコップを壁に向けて全力投球していた。
小気味よいガラスの破砕音が響き、僕は怒鳴るようにツッコんでいた。
「中坊からってそりゃワキガか? ソフトなワキガか?
むしろ加齢臭のほうが自然で素敵だ!
だいたいワキガっていうのなら今まで気が付かないワケないじゃない……あ」
人は認めたくはないものに限って、痛烈な事実を突きつけられるものだ。
今僕は自分の体臭を初めて知った気がする。
新たな一面を獲得した僕の気持ちは激しく落ち込んでいる。
それは後悔と空しさと腹立たしさとアホらしさが四重奏を奏でている。
曲調は聴衆が耳を押さえて昏倒しそうなくらいひどいが。
「どうしようか……」
正直読むか読むまいか悩んでいる。
ちょっと読んだだけでここまでダウンする内容だ。
この先どんなひどい内容が書かれているかを考えると鬱になる。
でも折角未来の僕からの手紙なんだし、中途半端では気持ちが悪い。
どうせなら嘘でも体裁のいいことが綴ってあればまだいいものを。
ため息をついていたら頭の中に閃くものがあった。
そうだ。発想の転換だ。
ここまではろくなものじゃなかったが、ここから先は面白おかしく楽しいことばかり書いてあると思えば幾らか気持ちが軽くなる。
ビール瓶の中身をラッパ呑みすると、その勢いで次の文章を読む。
『ええと。あ、ど忘れしました』
僕は勢いあまってフロアに頭を打ちつけていた。空の瓶が手から転げ落ちる様がどこか悲しい。
訂正ぐらいしろよ、と頭を押さえながら毒づく。
もう開き直るしかない。どんなことが書いてあっても最後まで読み通してやる。
これは未来からの挑戦状なのだ。
凝視する文面がどんなに残酷なものであっても絶対に負けない。
そう思い、再び未来の自分と向き合う。
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