そして、決して町の中から出ない魔王探索の日々。

ある時、エルが急に立ち止まって呆然と何かを見つめていることがあった。

「なにしてんだ、ほら、行くぞ」

 勇者が首根っこを引っ張り、ひきずっても、エルは視線を決して外そうとはしない。その方向を見ると、どうやら広場でちょうど二人と同年代の女の子達が集い「お姫様ごっこ」をやっているようだった。

「ほら、行くぞ」

 それを知って尚エルを引きずる勇者。その視線の先には楽しそうな光景。

「ほら、い、ぐぁぁっ!」

 エルが手にした武器で無造作に勇者の頭を打ち払う。

「な、なにしやがる! この勇者にむかって!」

 エルは勇者の服の裾をぎゅっとつまみ、戯れる女の子たちのほうを見て言った。

「わ、私も……やくそうと……あんなふうに……あ、遊びたい……な……」

 顔を赤らめ、恥ずかしそうに呟いた。

「なんだ、それなら早くそう言えばいいだろ?」

 勇者はぶっきらぼうに言った。

「い、いいの……?」

 魔王を探すという口実で歩き回り続けるのもいい加減疲れた、という本音は言わずに、勇者はズカズカと広場に踏み込んだ。

「おらおら、勇者様のお通りだぞ。子どもの人たち、散れ、散れ」

 広場の先客たちを乱暴に追い払う。

 お姫様ごっこをしていた女の子たちは、

「ちょっと何よいきなり! 気持ち悪い」

「あれが最近噂の不審者? 気持ち悪い」

「なに自分で勇者とか言ってるの? 気持ち悪い」

「うわ、気持ち悪い」

などと口々に囁いた。

「気持ち悪いって言うなぁ!」

 勇者が吼え、女の子たちは悲鳴を上げながら「気持ち悪い」と連呼して去っていった。

「じゃあ俺が勇者、おまえが魔王な」

 勇者は有無を言わせぬ態度で役割を押し付けた。

「……勇者ごっこじゃなくて、お姫様ごっこがいい」

「誰がお姫様役などやるか!」

 エルは、うぅ、とうなだれながら、自分を指した。

「お姫様役やるの……私……」

「じゃあ俺は?」

「……お、王子様」

「だが断る!」

 エルの目じりにじわりと涙が滲んだ。

「なんで……? 私がお姫様じゃ、いや……?」

 大きな瞳いっぱいに涙が溢れた。勇者は目を逸らす。

「と、とにかく俺が勇者! おまえは魔王だ!」

「わ、私が魔王なんて……無理だよ」

「二人しかいないんだからおまえが魔王やるしかないだろ」

「でも。どうすればいいの……?」

「難しいことじゃない。おまえは魔王だ。支配欲と征服欲に心ゆだねるのだ! ほうら、暗黒面が口をあけて待ってるぞ! さぁ飛び込んで堕ちろ!」

「よ、よくわからないよ……」

「ええい、ならばこの勇者自ら、魔王の何たるかを伝授してやろう!」

 決して勇者の言うべきでないことを言って、魔王になりきるためのレクチャーを施した。

 やけに気合の入った熱心さで、魔王のすべてを手とり足とり腰とり教え込んだ。

 その授業は数時間にも及んだ。 勇者に教えられた台詞を、エルはたどたどしい口調で復唱した。

「しゅ、主要な国々はすでに支配した。私が世界の支配者となる日も近い。ゆ、勇者『やくそう』よ、私の部下になりま……ならぬか?  さすれば、せ、世界の半分をおまえにやろう」

「はい!」

 勇者はとてもいい笑顔で即決した。

「は、『はい』なのっ?」

「ああ。世界の半分は俺のものだ」

「勇者なのに、魔王の部下になるの……?」

「別にいいだろ。勇者と魔王が相容れない存在だなんて、一体誰が決めたんだ?」

 勇者の言葉に、エルは一瞬きょとんとした。そして柔らかく微笑んだ。

「うん、そうかもしれない」

 それから二人は魔王探索などそっちのけで、毎日のようにごっこ遊びを続けた。勇者に与えられた、過去の時代に留まる制限時間は刻一刻と迫っていた。現代に強制送還されるとき、それがエルとの別れのときであることを、勇者は知っていた。

 ある朝。

 風はそよとも吹かず、町は不思議なほど静かだった。

 その日の天気は怖いほど晴れ渡っていた。パリンと割れてしまいそうなほど、どこまでも青く澄み切った空。

 勇者はエルに、今日でお別れだと告げた。

 エルは最初、勇者が何を言ったのか聞き取れなかった。耳には入っていたものの、心がそれを理解することを拒んでいた。

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