探偵ギャル・
コミュニケーション
最終幕
『探偵ギャル・
コミュニケーション』
日が傾いて、空が茜色に染まり始めた渋谷の街。
駅から続く長い長い歩道橋の上に立って、その光景をスマホのカメラで写真に収める。
それからツブヤイターで、『渋谷駅前にて、大切なヒトと』という一文を添えて、写真を投稿。作戦の準備を終えた。
その光景を見守っていた丸眼鏡でセーラー服の女の子が、俺の元に歩み寄る。
「それでは、行きましょうか」
「ああ。付き合わせてごめんな、ミユキさん」
ミユキさんと一緒に歩道橋の上を歩き出した。
渋谷駅前のこの歩道橋は、普通のものと違って、大きな交差点を囲うように伸びていて、四箇所を結んでいる。
一度観たら忘れられない形だ。
「飛戸さんは、怖くありませんか?」
歩きながら、ミユキさんがつぶやくように言った。
「怖い? どうして?」
「だって、相手は殺人鬼ですよ? それもあんな残酷な形で、あなたの幼馴染を殺して……もし犬美を同じように殺されたら、私は……」
そう語るミユキさんの目に涙が浮かぶ。
想像しただけで耐えきれなくなってしまったのかもしれない。
彼女にとって渋谷探偵は、よほど大切な存在なのだろう。
「……怖いよ。それに、憎いとも思う。風町は俺にとって幼馴染以上に……何というか、憧れの存在でもあったんだ」
「憧れ、ですか」
「ああ。一番身近だけど、一番遠く感じる。近づきたいけど、一生追いつけない。そんな、存在」
「ふふ、何だか犬美と私みたいですね」
「えっ……渋谷探偵とキミが? それって、どういう意味?」
ミユキさんが歩きつつ、歩道橋へと差し込む夕日に目を向けた。
その目には、何かを羨望するような、寂しげな色が滲んでいる。
「私は、こんな大人しい性格だから……いつも犬美に手を引っ張られてばかりなんです。何の才能もない私と違って、彼女はあんなにキラキラとまぶしい存在なのに、何故か一緒にいてくれます」
「理由が分からなくて……苦しいのか?」
「ええ……彼女は私に救われたって言ってくれますけど、その理由が分からないんです。どうして犬美が、こんな私を観てくれるのか分からなくて、不安になるんですよ」
それは俺が風町に抱いていたのと、まったく同じ想いだった。
風町はいつもそばにいてくれた。でも自分はそんな彼女に不釣り合いにしか思えなくて、どうして一緒にいてくれるか分からない。一緒にいると楽しいけど、同時に不安になる。
そんな、愛しくも憎らしい相手。
目の前の女の子が、まるで自分の生き写しのように感じられて、胸がチクリと痛んだ。
「その本音、渋谷探偵に伝えた?」
「えっ……いや、それは……」
「きちんと伝えた方がいいよ。俺みたいに、一生伝えられなくなったらいけないからさ」
歩道橋に差し込んでいた夕日が薄れていく。
まるで光が閉ざされていくみたいに、空に拡がる夕闇色。
夜は時間さえ経てば明ける。
でも今の俺の心にはもう、夜明けなんて訪れない。
どれだけ願っても、風町の真意を訊くことは叶わないのだから。
「ミユキさんには、俺みたいにならないで欲しいんだ。今みたいに、犯人を追い詰めて、復讐に走るような男にはさ」
振り返ると――暗がりが包み始めた歩道橋の上に、漆黒のワンピースの女が立っていた。
女だと思ったのは、髪が腰まで伸びているからだ。
でもキレイなロングヘアじゃないことは遠目でも分かる。
ナッツのようなヘアスタイルではなく、無造作に伸ばし続けたという印象だ。
「飛戸さん、あの人に見覚えはありますか……?」
「いや、まったくないね。渋谷探偵の推理通りみたいだ」
今目の前に、この犯人と思しき人物が出てきたこと自体、渋谷探偵の推理の正しさを表している。
先ほど投稿した写真は謂わば撒き餌。
俺のツブヤイターを監視し、住まいや居場所を特定していたであろう人物を、この歩道橋へ誘き寄せたんだ。
それにしても、投稿してから僅か十分弱だ。
異常とも言えるスピードに戦慄せざるを得ない。
「な、なぁそこの人、ひとつ質問いいかな?」
勇気を振り絞って声をかけたものの返事はない。
しかし怯まず、言葉をかけ続ける。
「多分ツブヤイターで話しかけてくれていた人だよな? 名前を、教えてくれないか? キミと仲良くなりたいんだけど……本当に申し訳ないことに、名前が分からないんだ」
「……す」
「は?」
やっと返事が返ってきたものの、聞き取れなかった。
何て言ったんだ?
その疑問に答えるように――女が地面を蹴るようにして走り出し、叫ぶ。
「殺す、殺す、殺す、殺す、殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すーーーーーーーーーーーーー!!!!」
同じ言葉を連呼しながら俺に向かって迫ってくる女。
その手には、ノコギリ状の刃をしたナイフが握られていた。
人間とは思えないバタバタバタという足音が驚異的な速さで迫ってくる。
「ひ、飛戸さん! どうしましょう、プランにない展開です!」
「あ、え、えーと、えーと……」
予想外の展開。
まさか、俺に殺意を向けるとは。
今すぐ悲鳴をあげて逃げ出したい気持ちが胸の中で膨らむ。
隣のミユキさんも既に涙目で、今にも地面へ崩れ落ちてしまいそうだ。
――俺がしっかりするしかない!
そこで、渋谷探偵から万が一のためにと預かっていた護身グッズの存在を思い出す。
恐怖心を何とかこらえて、懐から催涙スプレーのボトルを取り出し、女に向かって構えた。
射程は2~3メートル。
ギリギリまで引きつけないと、意味がない。
「もう逃げるか……逃げてたまるか……もう、後悔なんてしない!」
バタバタバタバタバタバタ。
裂けんばかりに口を開いた女が、気味が悪い足音と共に迫りくる。
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すーーーーーーーーーーーーー!!!!」
外したら恐らく殺される。
全身からドッと冷や汗が吹き出し、ボトルを握る手が滑らないか心配でならない。
その恐怖心を必死に抑え込みながら、俺は女が射程距離に入る瞬間を待ち続けた。
バタバタバタバタバタバタ。
――残り5メートル。
バタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタ。
――残り4メートル。
バタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタ。
――残り3メートル!
今だ――
「殺されて、たまるかよ!!!」
ボトルのボタンを押し込むと同時に、ノズルから白い飛沫が水鉄砲のごとく噴出。
勢いよく噴出された飛沫は女の顔へと見事に直撃した。
同時に、女の目が大きく見開かれ、断末魔めいた絶叫を発した。
「ぎゃあああああああああああっ!?」
足を絡ませて床へと転倒し、顔を袖でゴシゴシと拭い始める女。
でもそれでは、余計に薬品が目に入っていくのか、更に耳障りな悲鳴をあげるばかりだ。
これでもう誰かを襲うことはできないだろう。
緊張が解けると同時に足が震え出し、俺はその場へと崩れ落ちる。
「仇はとったぞ……風町」
そんな俺の呟きに応えるように、風町を想わせる温かい夜風が、歩道橋の上を吹き抜けていった。
――最終幕『探偵ギャル・コミュニケーション』
脇で待機していた渋谷探偵に、チョッパーとナッツ、それから数人の警察官が駆け寄ってきた。
「危険な目に遭わせてマジごめんね。でもキミの頑張りのおかげで、証拠不十分でも現行犯で逮捕間違いなしだよ♪」
「リスクは承知でアンタの作戦に乗ったんだ、気にしないでくれよ」
「騙した! 私を騙したーーーーーっ! その男が私を騙したんだーーーーー!」
警察官たちに押さえ込まれながらも、犯人の女がなお絶叫する。
ろくに話が通じそうにない。
同じ人間とは思えないその異常な雰囲気に、俺はゾッとする。
「お、おいおい、怖いぞコノヤロー! なぁ、私たちにもそろそろ真相を教えてくれよー!」
「そうそう。あの怖い女の人は何なんだよ。どうして飛戸っちに襲いかかってきたんだ?」
「ごめんごめん。バタバタしてて、二人には説明してなかったね。今回の事件の真相を教えてあげるよ」
渋谷探偵に目で促されて、俺は自分のスマホを取り出した。
画面に表示するのは、よく利用するSNS――ツブヤイターだ。
「ずばり言うとね、あの女性はツブヤイター上で飛戸ちゃんと繋がっていた人物。動画投稿者である飛戸ちゃんにガチで恋しちゃったヒトだよ」
「所謂、ガチ恋勢というものね」
ようやく落ち着きを取り戻したらしいミユキさんが、普段通りの柔和な笑みをたたえて言葉を続ける。
「顔も名前も知らない相手に恋をする。インターネット上では別に珍しいことじゃないわ。今回の事件は、ネット上で生まれた飛戸さんへの片思いが原因だったの」
「ネ、ネット上での片思いー? でも飛戸さんは相手を知らないんだろ? 何でネットの知り合いが飛戸さんの住所を知ってるんだよ」
「飛戸ちゃんは地元のラーメン屋の写真とか、プライベートの写真ガンガンあげてたからねー。別に身近な人じゃなくても、住まいを特定することは簡単なの」
「そんな簡単に特定ってできんのかよ……めちゃくちゃ怖いんだが」
「住所と部屋の間取りさえ分かっちゃえば余裕みたいだね。ほら、同じ地域に間取りがまったく同じアパートなんてなかなかないっしょ?」
「その上、俺は部屋の窓から見える風景まであげてたからな……特定は余裕だったと思う」
「今はネット上のマップを使って、実際の風景写真を見ることもできる時代。チヨちゃんもナッちゃんも、ネットに写真をあげる時はよく注意するようにね?」
「き、気をつける……私、よくラーメンの画像あげるから」
「試しにアタシが特定できるか試してみようか? チョッパーの特定とか余裕そうだし」
「おいナッツ! 怖いこと言うなよー!」
「ねぇ犬美、ところで、鮎見さんの遺体を目立たずに運び入れた方法は何だったの? チヨちゃんが言ったみたいに、分けて運び入れたんでしょう?」
「それは俺も気になってた。ユーバーイーツの配達員に化けて俺がいない間に忍び込むとしても、どうやって人間一人を俺の部屋まで運び入れたんだよ」
「ふふ、答えはとってもシンプルだよ」
渋谷探偵はスマホを操作して、一枚の写真を画面に映してみせた。
そこに映っているのは俺の部屋の冷蔵庫。
写真と共に『これだけデカい冷蔵庫に、飲み物しか入れてないとか無駄がスゴい』という、いつかの俺の呟きが添えられている。
「飛戸ちゃんが全然使えてない冷蔵庫。その冷凍室に、遺体の一部は保管されていたんだよ」
「ええ!? 冷凍室に!?」
あまりの信じがたさに思わず声が裏返ってしまった。
いくら冷凍庫を使わないことをSNSで発信していたとは言え、まさかそんなことがありえるのか……?
「飛戸ちゃん、冷凍庫で氷とか作ってた?」
「い、いや……どうせ使わないから、何も」
「やっぱねぇ。もし遺体を数日間冷凍庫に入れられていたって、気付けなかったでしょう?」
何も反論できない。
もし犯人が俺の部屋を下見していて、冷凍庫の中身を見ていたなら、遺体を保管してもバレないと思っても不思議じゃないだろう。
「犯人は数日間に分けて、ユーバーイーツの配達員に扮して現場のアパートに訪れてた。それで、訪れるたびに飛戸ちゃんちの冷凍庫へ遺体の一部を保管していたの」
「なるほどな。今の御時世、毎日配達員の姿を見たって誰も不思議に思わない。それに、冷凍庫に入れるだけの作業時間ならすぐ済むもんな」
「ちょ、ちょっと待って! 鍵は? 部屋の鍵はどうしたんだ? いくら飛戸さんがドジでも、毎日かけ忘れることはないだろ?」
「住所を特定するくらいの人だもの。きっと合鍵を作ったんだと思うわ」
「そう言えば俺……郵便受けの中に予備の鍵を入れっぱなしだ」
「飛戸ちゃん、マジで危機意識が皆無だよね―……ウチが戸愚呂なら桑原ブッ刺してるわ」
渋谷探偵が俺の額を指で一発小突いたあと、解説を続ける。
「まぁあとは簡単だね。事件の当日、飛戸ちゃんが帰ってくる前に冷凍庫に保管していたものと、バッグで運んできたものを組み合わせて、机の上に並べたら完成」
「俺が毎日ユーバーイーツを利用していたこともあって、怪しい目撃情報は出てこずに、自然と俺に疑いが向くって寸法か」
今の時世でかつ、俺の行動を完全に把握していたからこそ成立するトリック。
何よりも、俺がこの数日過ごしてきた部屋の中に、風町の遺体の一部が仕舞われていたと思うと、背筋が凍る心地がした。
「ヒューイットさん! ねぇヒューイットさん、どうして私を裏切ったの!?」
警察官に羽交い締めにされた状態で女が叫ぶ。
『ヒューイット』というのは、俺の動画投稿者としてのペンネーム。
渋谷探偵の予想通り、ネット上での俺のファンであることは間違いないようだ。
「あなたに会うために私はがんばったのに! 肝心なあなたは、よく分からない女から手料理なんて受け取ってて……本っ当に! 胸が引き裂かれるような心地を味わったわ!」
「手料理って……風町からもらった煮物のことか?」
六日前に風町から煮物をもらったのを、あの女は見ていたのか。
まさか、それだけで風町の殺害を?
いや流石に短絡的すぎる。そんなことはない。ありえない。
ところが女は俺の予想を裏切って、更に呆れたことを語り出す。
「だから殺してやったのよ! 私とヒューイットさんの仲を掻き乱すバカ女をね!! ヒューイットさんも勘違い女がいなくなって嬉しいでしょ!? そうでしょ!? そうよねぇーーー!?」
「お、お前……何言ってんだよ」
呆れを通り越して、怒りすら込み上げる。
こんなバカな女に風町が殺されたなんて、信じられない。
握り潰れんばかりに拳を握り込んでしまう。
警察に捕まってもいいから、この女を殴ってしまいたい。
このやり場のない怒りを、俺はどうすればいいって言うんだ。
「ねえ、飛戸ちゃん。ここは、ウチにまかせてもらえないかな?」
俺の握り拳に渋谷探偵が触れ、優しく微笑みかけた。
「飛戸ちゃんの怒りは分かるよ。ウチもミユキたちが殺されて、今みたいな発言をされたら、殴りたくもなるもん。でも、殴ったってあの子は後悔したりしない」
「それは、分かってる……でも、俺は――」
「だから、ウチがあの子をちゃんと反省させたげる。だから、ここで大人しく待っててよ♪」
そう言ってウインクをすると、渋谷探偵は未だ警察官たちに押さえられ続ける犯人の女へと近づいていった。
「警察のお兄さんたち、ちょっといい?」
「お、おい渋谷探偵、何する気だよ!?」
いくらコミュニケーションが得意とは言え、今あの女と意思疎通が図れるワケがない。
話しかけたって無意味だ。
だというのに渋谷探偵は、俺の言葉に聞く耳も持たず女の前へと座って話しかけ始めた。
「キミ、飛戸ちゃん……いや、動画投稿者のヒューイットさんが好きだったんでしょ?」
「ええ、そうよ! 私たちは心が通じ合ってたの! 私はずっとヒューイットさんを応援してきたし、ツブヤイターで何度も話しかけたわ! ヒューイットさんだって私を好きなはずなのよ!」
「ああ、そうなんだ。昔っから大ファンだったワケだね」
「なのにあの男はネット上でしか私を見てくれなかった! 他の女ばかり見て、私を裏切って……許せない! だから殺してやったの! 今度こそ、ちゃんと私を見るようにね!」
『知るかよ』と吐き捨ててやりたくなる。
俺はこの女が誰かも知らないのに、八つ当たりもいいところじゃないか。
そんな身勝手な理由で風町を殺されたことに、怒りを覚えずにはいられない。
一言文句を言ってやろうと近づこうとすると、渋谷探偵がこちらに手のひらを向け、動きを止めた。
「んで、キミは一回でも飛戸ちゃんに想いを伝えたの?」
「えっ……つ、伝えてないわよ! 伝えられるワケないじゃない!」
「どうして? 好きだったんでしょ? こんな殺人事件まで引き起こしておいて、何が怖いワケ?」
「気付かない方が悪いのよ! 私はこんなにも想ってるのに、どうして気付かないの!? 気付かないなんておかしいわ! おかしい! おかしい! おかしいーーーー!」
「おかしくないっつーの。言葉にしなきゃ伝わるワケないでしょうが」
警察官たちが制止するのも聞かず、渋谷探偵が女の両肩を掴み、目をしっかりと合わせて語る。
「ほら、これが本当のコミュニケーションってヤツね。一方的じゃダメ。ちゃんと目と目を合わせて、言葉を交わして、気持ちをぶつけるんだよ」
「やめてよ!!! どうせアンタも見下す気でしょ!? こんな見た目の私とちゃんと話し合う気なんてないに決まってるじゃない!」
「話し合う気がないのはアンタの方じゃん」
渋谷探偵が更に、女と鼻先がぶつかりそうな距離まで顔を近づけた。
「嫌われるのが怖いから、自分から嫌いになって距離をとるんでしょ? 現実を見たくないから、盲目的に相手を好きになるんでしょ? アンタはそうやって、ヒトとの対話から逃げてきただけ」
「き、き、き、き――」
視線と逸らそうとした女の両頬を手で掴み、渋谷探偵は強い口調で更に語る。
「もう、逃げんなよ。アンタ自身が怖いだけのくせに、相手に責任を押しつけんな。ウチはいくらでもアンタと対話したげるからさ、アンタもちゃんと、ウチと向き合いなさい」
「き――きぃぃぃいいぃいいいああああああああああっ……!」
女の口から漏れ出す声にならない叫び。
それは、まるで悲鳴をあげるようにも、泣きじゃくるにも感じられた。
「アレは……殴られるよりもキツいだろうな」
あの女が言われたのはただの正論。
でもきっと、誰しもが分かりつつも、目を向けたくない言葉だ。
実際、傍から聞いていただけの俺の胸にも、十分刺さっていた。
それから女は、事切れたみたいに意識を失ってしまい、そのまま警察官に連行されていくのだった。
現場に残された渋谷探偵は、三人の友人たちと肩を抱き合って大いに喜ぶ。
「事件解決イエーイ! これで序列も上がるし、お給料もガッポリ!」
「やったな、ワンコ! やっぱりお前はスゴいヤツだコノヤロー!」
「アタシらもちょっとは活躍したんだし、このあとメシでも奢れよな」
「犬美、お疲れ様。鮎見さんの仇がとれて……よかったね。普段は行かない郊外まで出向くくらい、この事件に入れ込んでたし」
「えっ?」
意外な情報を耳にして、思わず渋谷探偵を見やった。
気恥ずかしそうに鼻をかきながら渋谷探偵は苦笑する。
「幼馴染を殺したなんて罪を着せられたら……やっぱヤじゃん? 飛戸ちゃんの冤罪を晴らすことができて、よかったよ」
「渋谷、探偵」
そこで俺は警察官から声をかけられた。
どうやら事件のことで、犯人の女との関係など、色々と訊きたいことがあるようだ。
俺自身も協力したいと思っていたし、迷わず承諾した。
「えー!? 飛戸ちゃん、行っちゃうワケ? 警察と話すのはあとにして、一緒にご飯食べに行こうよ! 奢ったげるからさー!」
渋谷探偵が俺に腕を絡めて、引き留めようとする。
きっと傷心であろう俺を気遣ってくれているんだ。
目の前の少女が、気安い態度の裏に他者への配慮と優しさを隠していることを、俺はこの一日でよく学んでいた。
「気持ちだけ受け取っておくよ。この事件は結局、俺の不始末が起こしたものだからな……ちゃんと最後まで、見届ける義務があると思うんだ」
「飛戸、ちゃん」
渋谷探偵が驚いたように目を丸くし、フッと表情を和らげた。
「ちょっとカッコよくなったじゃん。もう少しカッコよくなったら一緒に遊びに行ったげてもいいからさ、その調子でがんばりなよ」
「ありがとう。またな――渋谷探偵」
「うん、また会おうね」
そう言い残すと、渋谷探偵は三人の友人たちと一緒に去っていった。
賑やかだった歩道橋が一転、下の道路を走る車の音だけが響く静かな空間へと変わる。
何だか、先ほどまでの渋谷探偵との会話が、夢なのではないかと思えてきた。
「コミュニケーション推理、か」
最初はピンとこなかったけれど、やっと腑に落ちた気がする。
今回の事件は、今どきの時世を知っていなければ解けなかったし、奇抜な発想も求められた。
それに犯人の犯行に至った原因もまた、『対話』の不足だ。
仲間とも、犯人とも、『対話』を大事にしている渋谷探偵だからこそ解決できた事件、なのかもしれない。
「おっと、ボーッとしてすみません。それじゃあ行きましょうか」
警官に促されて歩き出す。
真犯人こそ捕まったものの、大変なのはこれからだろう。
俺は風町の両親に、これから一生をかけて償っていきたい。
いくら拒絶されたって、この意志を曲げるつもりはない。
それが風町とも、他のみんなとも『対話』を怠ってきた俺にできる、唯一の贖罪。
俺はもう二度と逃げたりせず、自分の罪と向き合っていくんだ。
駅から続く長い長い歩道橋の上に立って、その光景をスマホのカメラで写真に収める。
それからツブヤイターで、『渋谷駅前にて、大切なヒトと』という一文を添えて、写真を投稿。作戦の準備を終えた。
その光景を見守っていた丸眼鏡でセーラー服の女の子が、俺の元に歩み寄る。
「それでは、行きましょうか」
「ああ。付き合わせてごめんな、ミユキさん」
ミユキさんと一緒に歩道橋の上を歩き出した。
渋谷駅前のこの歩道橋は、普通のものと違って、大きな交差点を囲うように伸びていて、四箇所を結んでいる。
一度観たら忘れられない形だ。
「飛戸さんは、怖くありませんか?」
歩きながら、ミユキさんがつぶやくように言った。
「怖い? どうして?」
「だって、相手は殺人鬼ですよ? それもあんな残酷な形で、あなたの幼馴染を殺して……もし犬美を同じように殺されたら、私は……」
そう語るミユキさんの目に涙が浮かぶ。
想像しただけで耐えきれなくなってしまったのかもしれない。
彼女にとって渋谷探偵は、よほど大切な存在なのだろう。
「……怖いよ。それに、憎いとも思う。風町は俺にとって幼馴染以上に……何というか、憧れの存在でもあったんだ」
「憧れ、ですか」
「ああ。一番身近だけど、一番遠く感じる。近づきたいけど、一生追いつけない。そんな、存在」
「ふふ、何だか犬美と私みたいですね」
「えっ……渋谷探偵とキミが? それって、どういう意味?」
ミユキさんが歩きつつ、歩道橋へと差し込む夕日に目を向けた。
その目には、何かを羨望するような、寂しげな色が滲んでいる。
「私は、こんな大人しい性格だから……いつも犬美に手を引っ張られてばかりなんです。何の才能もない私と違って、彼女はあんなにキラキラとまぶしい存在なのに、何故か一緒にいてくれます」
「理由が分からなくて……苦しいのか?」
「ええ……彼女は私に救われたって言ってくれますけど、その理由が分からないんです。どうして犬美が、こんな私を観てくれるのか分からなくて、不安になるんですよ」
それは俺が風町に抱いていたのと、まったく同じ想いだった。
風町はいつもそばにいてくれた。でも自分はそんな彼女に不釣り合いにしか思えなくて、どうして一緒にいてくれるか分からない。一緒にいると楽しいけど、同時に不安になる。
そんな、愛しくも憎らしい相手。
目の前の女の子が、まるで自分の生き写しのように感じられて、胸がチクリと痛んだ。
「その本音、渋谷探偵に伝えた?」
「えっ……いや、それは……」
「きちんと伝えた方がいいよ。俺みたいに、一生伝えられなくなったらいけないからさ」
歩道橋に差し込んでいた夕日が薄れていく。
まるで光が閉ざされていくみたいに、空に拡がる夕闇色。
夜は時間さえ経てば明ける。
でも今の俺の心にはもう、夜明けなんて訪れない。
どれだけ願っても、風町の真意を訊くことは叶わないのだから。
「ミユキさんには、俺みたいにならないで欲しいんだ。今みたいに、犯人を追い詰めて、復讐に走るような男にはさ」
振り返ると――暗がりが包み始めた歩道橋の上に、漆黒のワンピースの女が立っていた。
女だと思ったのは、髪が腰まで伸びているからだ。
でもキレイなロングヘアじゃないことは遠目でも分かる。
ナッツのようなヘアスタイルではなく、無造作に伸ばし続けたという印象だ。
「飛戸さん、あの人に見覚えはありますか……?」
「いや、まったくないね。渋谷探偵の推理通りみたいだ」
今目の前に、この犯人と思しき人物が出てきたこと自体、渋谷探偵の推理の正しさを表している。
先ほど投稿した写真は謂わば撒き餌。
俺のツブヤイターを監視し、住まいや居場所を特定していたであろう人物を、この歩道橋へ誘き寄せたんだ。
それにしても、投稿してから僅か十分弱だ。
異常とも言えるスピードに戦慄せざるを得ない。
「な、なぁそこの人、ひとつ質問いいかな?」
勇気を振り絞って声をかけたものの返事はない。
しかし怯まず、言葉をかけ続ける。
「多分ツブヤイターで話しかけてくれていた人だよな? 名前を、教えてくれないか? キミと仲良くなりたいんだけど……本当に申し訳ないことに、名前が分からないんだ」
「……す」
「は?」
やっと返事が返ってきたものの、聞き取れなかった。
何て言ったんだ?
その疑問に答えるように――女が地面を蹴るようにして走り出し、叫ぶ。
「殺す、殺す、殺す、殺す、殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すーーーーーーーーーーーーー!!!!」
同じ言葉を連呼しながら俺に向かって迫ってくる女。
その手には、ノコギリ状の刃をしたナイフが握られていた。
人間とは思えないバタバタバタという足音が驚異的な速さで迫ってくる。
「ひ、飛戸さん! どうしましょう、プランにない展開です!」
「あ、え、えーと、えーと……」
予想外の展開。
まさか、俺に殺意を向けるとは。
今すぐ悲鳴をあげて逃げ出したい気持ちが胸の中で膨らむ。
隣のミユキさんも既に涙目で、今にも地面へ崩れ落ちてしまいそうだ。
――俺がしっかりするしかない!
そこで、渋谷探偵から万が一のためにと預かっていた護身グッズの存在を思い出す。
恐怖心を何とかこらえて、懐から催涙スプレーのボトルを取り出し、女に向かって構えた。
射程は2~3メートル。
ギリギリまで引きつけないと、意味がない。
「もう逃げるか……逃げてたまるか……もう、後悔なんてしない!」
バタバタバタバタバタバタ。
裂けんばかりに口を開いた女が、気味が悪い足音と共に迫りくる。
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すーーーーーーーーーーーーー!!!!」
外したら恐らく殺される。
全身からドッと冷や汗が吹き出し、ボトルを握る手が滑らないか心配でならない。
その恐怖心を必死に抑え込みながら、俺は女が射程距離に入る瞬間を待ち続けた。
バタバタバタバタバタバタ。
――残り5メートル。
バタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタ。
――残り4メートル。
バタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタ。
――残り3メートル!
今だ――
「殺されて、たまるかよ!!!」
ボトルのボタンを押し込むと同時に、ノズルから白い飛沫が水鉄砲のごとく噴出。
勢いよく噴出された飛沫は女の顔へと見事に直撃した。
同時に、女の目が大きく見開かれ、断末魔めいた絶叫を発した。
「ぎゃあああああああああああっ!?」
足を絡ませて床へと転倒し、顔を袖でゴシゴシと拭い始める女。
でもそれでは、余計に薬品が目に入っていくのか、更に耳障りな悲鳴をあげるばかりだ。
これでもう誰かを襲うことはできないだろう。
緊張が解けると同時に足が震え出し、俺はその場へと崩れ落ちる。
「仇はとったぞ……風町」
そんな俺の呟きに応えるように、風町を想わせる温かい夜風が、歩道橋の上を吹き抜けていった。
――最終幕『探偵ギャル・コミュニケーション』
◆
「飛戸ちゃん、大丈夫だった!?」脇で待機していた渋谷探偵に、チョッパーとナッツ、それから数人の警察官が駆け寄ってきた。
「危険な目に遭わせてマジごめんね。でもキミの頑張りのおかげで、証拠不十分でも現行犯で逮捕間違いなしだよ♪」
「リスクは承知でアンタの作戦に乗ったんだ、気にしないでくれよ」
「騙した! 私を騙したーーーーーっ! その男が私を騙したんだーーーーー!」
警察官たちに押さえ込まれながらも、犯人の女がなお絶叫する。
ろくに話が通じそうにない。
同じ人間とは思えないその異常な雰囲気に、俺はゾッとする。
「お、おいおい、怖いぞコノヤロー! なぁ、私たちにもそろそろ真相を教えてくれよー!」
「そうそう。あの怖い女の人は何なんだよ。どうして飛戸っちに襲いかかってきたんだ?」
「ごめんごめん。バタバタしてて、二人には説明してなかったね。今回の事件の真相を教えてあげるよ」
渋谷探偵に目で促されて、俺は自分のスマホを取り出した。
画面に表示するのは、よく利用するSNS――ツブヤイターだ。
「ずばり言うとね、あの女性はツブヤイター上で飛戸ちゃんと繋がっていた人物。動画投稿者である飛戸ちゃんにガチで恋しちゃったヒトだよ」
「所謂、ガチ恋勢というものね」
ようやく落ち着きを取り戻したらしいミユキさんが、普段通りの柔和な笑みをたたえて言葉を続ける。
「顔も名前も知らない相手に恋をする。インターネット上では別に珍しいことじゃないわ。今回の事件は、ネット上で生まれた飛戸さんへの片思いが原因だったの」
「ネ、ネット上での片思いー? でも飛戸さんは相手を知らないんだろ? 何でネットの知り合いが飛戸さんの住所を知ってるんだよ」
「飛戸ちゃんは地元のラーメン屋の写真とか、プライベートの写真ガンガンあげてたからねー。別に身近な人じゃなくても、住まいを特定することは簡単なの」
「そんな簡単に特定ってできんのかよ……めちゃくちゃ怖いんだが」
「住所と部屋の間取りさえ分かっちゃえば余裕みたいだね。ほら、同じ地域に間取りがまったく同じアパートなんてなかなかないっしょ?」
「その上、俺は部屋の窓から見える風景まであげてたからな……特定は余裕だったと思う」
「今はネット上のマップを使って、実際の風景写真を見ることもできる時代。チヨちゃんもナッちゃんも、ネットに写真をあげる時はよく注意するようにね?」
「き、気をつける……私、よくラーメンの画像あげるから」
「試しにアタシが特定できるか試してみようか? チョッパーの特定とか余裕そうだし」
「おいナッツ! 怖いこと言うなよー!」
「ねぇ犬美、ところで、鮎見さんの遺体を目立たずに運び入れた方法は何だったの? チヨちゃんが言ったみたいに、分けて運び入れたんでしょう?」
「それは俺も気になってた。ユーバーイーツの配達員に化けて俺がいない間に忍び込むとしても、どうやって人間一人を俺の部屋まで運び入れたんだよ」
「ふふ、答えはとってもシンプルだよ」
渋谷探偵はスマホを操作して、一枚の写真を画面に映してみせた。
そこに映っているのは俺の部屋の冷蔵庫。
写真と共に『これだけデカい冷蔵庫に、飲み物しか入れてないとか無駄がスゴい』という、いつかの俺の呟きが添えられている。
「飛戸ちゃんが全然使えてない冷蔵庫。その冷凍室に、遺体の一部は保管されていたんだよ」
「ええ!? 冷凍室に!?」
あまりの信じがたさに思わず声が裏返ってしまった。
いくら冷凍庫を使わないことをSNSで発信していたとは言え、まさかそんなことがありえるのか……?
「飛戸ちゃん、冷凍庫で氷とか作ってた?」
「い、いや……どうせ使わないから、何も」
「やっぱねぇ。もし遺体を数日間冷凍庫に入れられていたって、気付けなかったでしょう?」
何も反論できない。
もし犯人が俺の部屋を下見していて、冷凍庫の中身を見ていたなら、遺体を保管してもバレないと思っても不思議じゃないだろう。
「犯人は数日間に分けて、ユーバーイーツの配達員に扮して現場のアパートに訪れてた。それで、訪れるたびに飛戸ちゃんちの冷凍庫へ遺体の一部を保管していたの」
「なるほどな。今の御時世、毎日配達員の姿を見たって誰も不思議に思わない。それに、冷凍庫に入れるだけの作業時間ならすぐ済むもんな」
「ちょ、ちょっと待って! 鍵は? 部屋の鍵はどうしたんだ? いくら飛戸さんがドジでも、毎日かけ忘れることはないだろ?」
「住所を特定するくらいの人だもの。きっと合鍵を作ったんだと思うわ」
「そう言えば俺……郵便受けの中に予備の鍵を入れっぱなしだ」
「飛戸ちゃん、マジで危機意識が皆無だよね―……ウチが戸愚呂なら桑原ブッ刺してるわ」
渋谷探偵が俺の額を指で一発小突いたあと、解説を続ける。
「まぁあとは簡単だね。事件の当日、飛戸ちゃんが帰ってくる前に冷凍庫に保管していたものと、バッグで運んできたものを組み合わせて、机の上に並べたら完成」
「俺が毎日ユーバーイーツを利用していたこともあって、怪しい目撃情報は出てこずに、自然と俺に疑いが向くって寸法か」
今の時世でかつ、俺の行動を完全に把握していたからこそ成立するトリック。
何よりも、俺がこの数日過ごしてきた部屋の中に、風町の遺体の一部が仕舞われていたと思うと、背筋が凍る心地がした。
「ヒューイットさん! ねぇヒューイットさん、どうして私を裏切ったの!?」
警察官に羽交い締めにされた状態で女が叫ぶ。
『ヒューイット』というのは、俺の動画投稿者としてのペンネーム。
渋谷探偵の予想通り、ネット上での俺のファンであることは間違いないようだ。
「あなたに会うために私はがんばったのに! 肝心なあなたは、よく分からない女から手料理なんて受け取ってて……本っ当に! 胸が引き裂かれるような心地を味わったわ!」
「手料理って……風町からもらった煮物のことか?」
六日前に風町から煮物をもらったのを、あの女は見ていたのか。
まさか、それだけで風町の殺害を?
いや流石に短絡的すぎる。そんなことはない。ありえない。
ところが女は俺の予想を裏切って、更に呆れたことを語り出す。
「だから殺してやったのよ! 私とヒューイットさんの仲を掻き乱すバカ女をね!! ヒューイットさんも勘違い女がいなくなって嬉しいでしょ!? そうでしょ!? そうよねぇーーー!?」
「お、お前……何言ってんだよ」
呆れを通り越して、怒りすら込み上げる。
こんなバカな女に風町が殺されたなんて、信じられない。
握り潰れんばかりに拳を握り込んでしまう。
警察に捕まってもいいから、この女を殴ってしまいたい。
このやり場のない怒りを、俺はどうすればいいって言うんだ。
「ねえ、飛戸ちゃん。ここは、ウチにまかせてもらえないかな?」
俺の握り拳に渋谷探偵が触れ、優しく微笑みかけた。
「飛戸ちゃんの怒りは分かるよ。ウチもミユキたちが殺されて、今みたいな発言をされたら、殴りたくもなるもん。でも、殴ったってあの子は後悔したりしない」
「それは、分かってる……でも、俺は――」
「だから、ウチがあの子をちゃんと反省させたげる。だから、ここで大人しく待っててよ♪」
そう言ってウインクをすると、渋谷探偵は未だ警察官たちに押さえられ続ける犯人の女へと近づいていった。
「警察のお兄さんたち、ちょっといい?」
「お、おい渋谷探偵、何する気だよ!?」
いくらコミュニケーションが得意とは言え、今あの女と意思疎通が図れるワケがない。
話しかけたって無意味だ。
だというのに渋谷探偵は、俺の言葉に聞く耳も持たず女の前へと座って話しかけ始めた。
「キミ、飛戸ちゃん……いや、動画投稿者のヒューイットさんが好きだったんでしょ?」
「ええ、そうよ! 私たちは心が通じ合ってたの! 私はずっとヒューイットさんを応援してきたし、ツブヤイターで何度も話しかけたわ! ヒューイットさんだって私を好きなはずなのよ!」
「ああ、そうなんだ。昔っから大ファンだったワケだね」
「なのにあの男はネット上でしか私を見てくれなかった! 他の女ばかり見て、私を裏切って……許せない! だから殺してやったの! 今度こそ、ちゃんと私を見るようにね!」
『知るかよ』と吐き捨ててやりたくなる。
俺はこの女が誰かも知らないのに、八つ当たりもいいところじゃないか。
そんな身勝手な理由で風町を殺されたことに、怒りを覚えずにはいられない。
一言文句を言ってやろうと近づこうとすると、渋谷探偵がこちらに手のひらを向け、動きを止めた。
「んで、キミは一回でも飛戸ちゃんに想いを伝えたの?」
「えっ……つ、伝えてないわよ! 伝えられるワケないじゃない!」
「どうして? 好きだったんでしょ? こんな殺人事件まで引き起こしておいて、何が怖いワケ?」
「気付かない方が悪いのよ! 私はこんなにも想ってるのに、どうして気付かないの!? 気付かないなんておかしいわ! おかしい! おかしい! おかしいーーーー!」
「おかしくないっつーの。言葉にしなきゃ伝わるワケないでしょうが」
警察官たちが制止するのも聞かず、渋谷探偵が女の両肩を掴み、目をしっかりと合わせて語る。
「ほら、これが本当のコミュニケーションってヤツね。一方的じゃダメ。ちゃんと目と目を合わせて、言葉を交わして、気持ちをぶつけるんだよ」
「やめてよ!!! どうせアンタも見下す気でしょ!? こんな見た目の私とちゃんと話し合う気なんてないに決まってるじゃない!」
「話し合う気がないのはアンタの方じゃん」
渋谷探偵が更に、女と鼻先がぶつかりそうな距離まで顔を近づけた。
「嫌われるのが怖いから、自分から嫌いになって距離をとるんでしょ? 現実を見たくないから、盲目的に相手を好きになるんでしょ? アンタはそうやって、ヒトとの対話から逃げてきただけ」
「き、き、き、き――」
視線と逸らそうとした女の両頬を手で掴み、渋谷探偵は強い口調で更に語る。
「もう、逃げんなよ。アンタ自身が怖いだけのくせに、相手に責任を押しつけんな。ウチはいくらでもアンタと対話したげるからさ、アンタもちゃんと、ウチと向き合いなさい」
「き――きぃぃぃいいぃいいいああああああああああっ……!」
女の口から漏れ出す声にならない叫び。
それは、まるで悲鳴をあげるようにも、泣きじゃくるにも感じられた。
「アレは……殴られるよりもキツいだろうな」
あの女が言われたのはただの正論。
でもきっと、誰しもが分かりつつも、目を向けたくない言葉だ。
実際、傍から聞いていただけの俺の胸にも、十分刺さっていた。
それから女は、事切れたみたいに意識を失ってしまい、そのまま警察官に連行されていくのだった。
現場に残された渋谷探偵は、三人の友人たちと肩を抱き合って大いに喜ぶ。
「事件解決イエーイ! これで序列も上がるし、お給料もガッポリ!」
「やったな、ワンコ! やっぱりお前はスゴいヤツだコノヤロー!」
「アタシらもちょっとは活躍したんだし、このあとメシでも奢れよな」
「犬美、お疲れ様。鮎見さんの仇がとれて……よかったね。普段は行かない郊外まで出向くくらい、この事件に入れ込んでたし」
「えっ?」
意外な情報を耳にして、思わず渋谷探偵を見やった。
気恥ずかしそうに鼻をかきながら渋谷探偵は苦笑する。
「幼馴染を殺したなんて罪を着せられたら……やっぱヤじゃん? 飛戸ちゃんの冤罪を晴らすことができて、よかったよ」
「渋谷、探偵」
そこで俺は警察官から声をかけられた。
どうやら事件のことで、犯人の女との関係など、色々と訊きたいことがあるようだ。
俺自身も協力したいと思っていたし、迷わず承諾した。
「えー!? 飛戸ちゃん、行っちゃうワケ? 警察と話すのはあとにして、一緒にご飯食べに行こうよ! 奢ったげるからさー!」
渋谷探偵が俺に腕を絡めて、引き留めようとする。
きっと傷心であろう俺を気遣ってくれているんだ。
目の前の少女が、気安い態度の裏に他者への配慮と優しさを隠していることを、俺はこの一日でよく学んでいた。
「気持ちだけ受け取っておくよ。この事件は結局、俺の不始末が起こしたものだからな……ちゃんと最後まで、見届ける義務があると思うんだ」
「飛戸、ちゃん」
渋谷探偵が驚いたように目を丸くし、フッと表情を和らげた。
「ちょっとカッコよくなったじゃん。もう少しカッコよくなったら一緒に遊びに行ったげてもいいからさ、その調子でがんばりなよ」
「ありがとう。またな――渋谷探偵」
「うん、また会おうね」
そう言い残すと、渋谷探偵は三人の友人たちと一緒に去っていった。
賑やかだった歩道橋が一転、下の道路を走る車の音だけが響く静かな空間へと変わる。
何だか、先ほどまでの渋谷探偵との会話が、夢なのではないかと思えてきた。
「コミュニケーション推理、か」
最初はピンとこなかったけれど、やっと腑に落ちた気がする。
今回の事件は、今どきの時世を知っていなければ解けなかったし、奇抜な発想も求められた。
それに犯人の犯行に至った原因もまた、『対話』の不足だ。
仲間とも、犯人とも、『対話』を大事にしている渋谷探偵だからこそ解決できた事件、なのかもしれない。
「おっと、ボーッとしてすみません。それじゃあ行きましょうか」
警官に促されて歩き出す。
真犯人こそ捕まったものの、大変なのはこれからだろう。
俺は風町の両親に、これから一生をかけて償っていきたい。
いくら拒絶されたって、この意志を曲げるつもりはない。
それが風町とも、他のみんなとも『対話』を怠ってきた俺にできる、唯一の贖罪。
俺はもう二度と逃げたりせず、自分の罪と向き合っていくんだ。
――最終幕、完
――幕間
『愛沢美幸
《あいざわ みゆき》』
渋谷駅のホームで、ウチはミユキと二人きりになった。
普段はごった返すホームも昨今の騒ぎ――八ツ裂き公事件の影響で、普段よりヒトが少なめに感じられる。
「渋谷も……かなりヒトが減ったね」
「そだね~。みんな外出が怖いんでしょ。いつ、八ツ裂き公に狙われるか分かったもんじゃないしさ」
「ねぇ、知ってる? 『必ず二人一組で殺される』ってウワサが流れて……単独で行動するヒトが増えたんだって」
「え? じゃあウチらヤバいじゃん? 狙われたらどうする? とりま死んだふり?」
「クマにも効かないらしいのに、八ツ裂き公に効くかなぁ……」
「まぁ大丈夫だって。何があったって、ミユキのことはウチが責任を持って守るからさー」
今回、飛戸ちゃんの事件を解決する中で、改めて幼馴染の大切さを実感した。
チョッパーとナッツのことも大好きだけど、ミユキは特別。
飛戸ちゃんみたいに後悔しないよう、いつだって全部想いを話して、いつだって守れるようにしたいと思う。
「ね、ねぇ……犬美はどうして、私なんかをかばってくれるの?」
「どうしてって、幼馴染だからじゃん?」
「いや、でも……私は犬美と違って頭もよくないし、要領だって悪いのに、それなのに……」
「バッカだなぁ、そんなこと気にしてたワケ?」
ミユキの震える手を握り、そのまま自分の胸へと引き寄せた。
「覚えてないの? ウチが大阪からこっちへ引っ越してきた時、大阪弁が恥ずかしくて、ろくに話せなかったでしょ? 大阪人なのに無口だなんて~って、よく笑われてたよね」
「ああ、懐かしい。そんなこともあったねー、それでも犬美はすぐに打ち解けて、スゴいと思ったよ」
「何言ってんの? それはミユキがウチに、『そのままの話し方でも犬美はカワイイよ』って言ってくれたからなんだよ?」
「え……? 私が? 犬美に?」
丸眼鏡の奥のどんぐり眼が、驚いたみたいにパチクリする。
やっぱり覚えてなかったか。
まぁきっとこの子にとっては何気ない言葉だから、仕方ない。
「ミユキがありのままのウチを受け入れてくれたから、ちゃんと話せるようになったの。まぁ東京人っぽくありたかったから、話し方もどんどん直していったけどさ」
「今でも残ってるのは『ウチ』って呼び方だけだもんね。犬美の順応性の高さ、本当にスゴいと思うよ」
「スゴいのは、ミユキの方だってば」
胸に引き寄せたミユキの手を両手で包み込んで、笑いかける。
ちゃんとウチの想いが届くことを、祈りながら。
「ミユキがいつも遊ぶのも我慢して、病気のママさんのお世話をしてるの知ってるよ。ママさんみたいなヒトを救える医者を目指して努力してることも、ウチは知ってる」
「そ、それは……」
「暇潰しに探偵ごっこに興じてるウチなんかとは違う、ミユキは本当に優しくて、努力家だよ。だからこそ……心配なんだ。色々と我慢してるんじゃないか、ってさ」
これまでずっと言えずにいた言葉をようやく口にできた。
今日の事件で、飛戸ちゃんが後悔していたのを見たおかげだ。
最近のミユキはどこかおかしい。
顔色がよくないし、ウチを見る目がどこか寂しげで。
何だか、どこか遠くへ行ってしまうような、奇妙な不安に襲われる。
幼馴染だからこそ気恥ずかしかったけれど、気にしない。
ウチは後悔したくない。
だから正直に、最近のミユキに抱いていた想いを口にする。
「最近のミユキ、何か変じゃない? 何かあったなら話してよ。ウチはこれでも探偵だし、きっと力になれると思うからさ」
「犬美……」
ミユキがウチの手を握り返した。
それから、目に涙を浮かばせて、困ったように笑う。
「ありがとう。その気持ちだけで、私はがんばれるよ。だから……大丈夫。犬美は、何も気にしないで」
「ミユ、キ――?」
その時、ホームに電車が入ってきた。
ミユキはウチの手を振り払ったかと思うと、扉が閉じる寸前に車両へ飛び込んでいった。
まるで、ウチから逃げるみたいに。
「ミユキ!?」
扉が完全に閉じ、手が届かなくなる。
鋼鉄の箱が、ウチの視界からミユキを連れ去っていく。
「ミユキ! ねぇ、今のどういう意味!? 気にしないでって、どういうこと!?」
走っても追いつけずに、ミユキを乗せた電車はあっという間に視界から消え去っていった。
息も絶え絶えに、ホームに座り込んだウチは、ミユキが口にした言葉を反芻する。
「その気持ちだけで私はがんばれる、って……何をがんばるの? ミユキ、あなたの身に、何が起きてるの……?」
胸の内で膨らんでいく、言いようのない不安。
ホームに響く電車の発射音が耳障りに感じられて、耳を塞ぎたくなる。
「きっとウチの勘違い、なんだよね……? そうなんだよね? そうだと言ってよ、ミユキ」
それから三日後、探偵同盟から新たな八ツ裂き公による被害者の名前が明かされた。
被害者の名前は愛沢美幸と愛沢美咲――ミユキと、彼女の母親が二人同時に殺されたことを知り、ウチは復讐を誓うのだった。
普段はごった返すホームも昨今の騒ぎ――八ツ裂き公事件の影響で、普段よりヒトが少なめに感じられる。
「渋谷も……かなりヒトが減ったね」
「そだね~。みんな外出が怖いんでしょ。いつ、八ツ裂き公に狙われるか分かったもんじゃないしさ」
「ねぇ、知ってる? 『必ず二人一組で殺される』ってウワサが流れて……単独で行動するヒトが増えたんだって」
「え? じゃあウチらヤバいじゃん? 狙われたらどうする? とりま死んだふり?」
「クマにも効かないらしいのに、八ツ裂き公に効くかなぁ……」
「まぁ大丈夫だって。何があったって、ミユキのことはウチが責任を持って守るからさー」
今回、飛戸ちゃんの事件を解決する中で、改めて幼馴染の大切さを実感した。
チョッパーとナッツのことも大好きだけど、ミユキは特別。
飛戸ちゃんみたいに後悔しないよう、いつだって全部想いを話して、いつだって守れるようにしたいと思う。
「ね、ねぇ……犬美はどうして、私なんかをかばってくれるの?」
「どうしてって、幼馴染だからじゃん?」
「いや、でも……私は犬美と違って頭もよくないし、要領だって悪いのに、それなのに……」
「バッカだなぁ、そんなこと気にしてたワケ?」
ミユキの震える手を握り、そのまま自分の胸へと引き寄せた。
「覚えてないの? ウチが大阪からこっちへ引っ越してきた時、大阪弁が恥ずかしくて、ろくに話せなかったでしょ? 大阪人なのに無口だなんて~って、よく笑われてたよね」
「ああ、懐かしい。そんなこともあったねー、それでも犬美はすぐに打ち解けて、スゴいと思ったよ」
「何言ってんの? それはミユキがウチに、『そのままの話し方でも犬美はカワイイよ』って言ってくれたからなんだよ?」
「え……? 私が? 犬美に?」
丸眼鏡の奥のどんぐり眼が、驚いたみたいにパチクリする。
やっぱり覚えてなかったか。
まぁきっとこの子にとっては何気ない言葉だから、仕方ない。
「ミユキがありのままのウチを受け入れてくれたから、ちゃんと話せるようになったの。まぁ東京人っぽくありたかったから、話し方もどんどん直していったけどさ」
「今でも残ってるのは『ウチ』って呼び方だけだもんね。犬美の順応性の高さ、本当にスゴいと思うよ」
「スゴいのは、ミユキの方だってば」
胸に引き寄せたミユキの手を両手で包み込んで、笑いかける。
ちゃんとウチの想いが届くことを、祈りながら。
「ミユキがいつも遊ぶのも我慢して、病気のママさんのお世話をしてるの知ってるよ。ママさんみたいなヒトを救える医者を目指して努力してることも、ウチは知ってる」
「そ、それは……」
「暇潰しに探偵ごっこに興じてるウチなんかとは違う、ミユキは本当に優しくて、努力家だよ。だからこそ……心配なんだ。色々と我慢してるんじゃないか、ってさ」
これまでずっと言えずにいた言葉をようやく口にできた。
今日の事件で、飛戸ちゃんが後悔していたのを見たおかげだ。
最近のミユキはどこかおかしい。
顔色がよくないし、ウチを見る目がどこか寂しげで。
何だか、どこか遠くへ行ってしまうような、奇妙な不安に襲われる。
幼馴染だからこそ気恥ずかしかったけれど、気にしない。
ウチは後悔したくない。
だから正直に、最近のミユキに抱いていた想いを口にする。
「最近のミユキ、何か変じゃない? 何かあったなら話してよ。ウチはこれでも探偵だし、きっと力になれると思うからさ」
「犬美……」
ミユキがウチの手を握り返した。
それから、目に涙を浮かばせて、困ったように笑う。
「ありがとう。その気持ちだけで、私はがんばれるよ。だから……大丈夫。犬美は、何も気にしないで」
「ミユ、キ――?」
その時、ホームに電車が入ってきた。
ミユキはウチの手を振り払ったかと思うと、扉が閉じる寸前に車両へ飛び込んでいった。
まるで、ウチから逃げるみたいに。
「ミユキ!?」
扉が完全に閉じ、手が届かなくなる。
鋼鉄の箱が、ウチの視界からミユキを連れ去っていく。
「ミユキ! ねぇ、今のどういう意味!? 気にしないでって、どういうこと!?」
走っても追いつけずに、ミユキを乗せた電車はあっという間に視界から消え去っていった。
息も絶え絶えに、ホームに座り込んだウチは、ミユキが口にした言葉を反芻する。
「その気持ちだけで私はがんばれる、って……何をがんばるの? ミユキ、あなたの身に、何が起きてるの……?」
胸の内で膨らんでいく、言いようのない不安。
ホームに響く電車の発射音が耳障りに感じられて、耳を塞ぎたくなる。
「きっとウチの勘違い、なんだよね……? そうなんだよね? そうだと言ってよ、ミユキ」
それから三日後、探偵同盟から新たな八ツ裂き公による被害者の名前が明かされた。
被害者の名前は愛沢美幸と愛沢美咲――ミユキと、彼女の母親が二人同時に殺されたことを知り、ウチは復讐を誓うのだった。
――END