探偵令嬢の
華麗なる事件簿
~ジイジの
家を探せ!編~

後編
『ピンカートン家』

 雑居ビルの建ち並ぶオフィス街の路地を、派手なドレスの姿の女性と、長髪の男の子が並んで歩いていく。

 ドレスの女性――華族探偵の手には、赤暖簾のかかった店の映った写真が握られていた。

「探偵のお姉さん、ジイジのお店の場所、分かりそう……?」

「ワタクシのことは、華族探偵とお呼びなさい。この華族探偵にかかれば、お店のひとつやふたつ探し当てるなど、余裕だくだくですわ!」

「それを言うなら、余裕しゃくしゃくじゃ……」

「お、おだまりなさい、ガキンチョ!」

 男の子を黙らせつつ、華族探偵はじっと写真を見つめる。
 場所は特徴的。店を直接ひと目見れば、すぐにわかるだろう。

 しかし、この町はオフィス街で、ビルとビルの間に伸びた路地の数も多い。
 男の子と並んで歩けど歩けど、両脇を雑居ビルに挟まれた風景が続くばかり。
 いくら物事の真贋を見抜ける華族探偵の審美眼と言えども、見知らぬ土地の場所を見極められるはずもなかった。
 余裕ある態度を装ってはいても、内心焦りが募っていく。

(めぼしい飲み屋さんはあらかた見て回りましたわ……どうすればよいのでしょう)

 道行く人々に聞いて回るのも、エレガントじゃない。
 探偵の基本は、足を使って地道に調べることだと言うが、華族探偵の思い描く理想の探偵像は違った。

「ワタクシは探偵の名門、ピンカートン家の未来を担う後継者……いつだって華麗に、鮮やかに、美しくあらねばならないのですわ」

「華族探偵さん、ピンカートン家って何ですか?」

 つい口にしてしまった言葉に、男の子が反応する。
 「子どもに言っても詮ないこと」とは思いつつも、無視するのも忍びないので、説明してあげることにした。

「世界で初めて探偵の会社を作った、偉大な一族ですわ。祖国では、混乱多き時代に活躍したとして、それはもうとびっきり有名なのですわよ」

「す、スゴいですねぇ……だから、華族探偵さんも、探偵になったんですね」

「……ええ。その、通りですわ」

 実際は違う。
 華族探偵はむしろ、探偵を目指さないように言われて育ってきた。

 探偵は、フィクションの世界ではヒーロー然として扱われているが、現実ではイメージに反して、地道で退屈な調査や他者を追い込むような仕事がほとんどだ。
 周囲から疎まれることの方が多い。

 事実、祖国では既に、ピンカートン家は探偵稼業から身を引いていて、華族探偵も本来であれば警備事業に身を置くはずであった。

 しかし、彼女はその道を拒絶し、日本へと渡った――

「ワタクシが探偵を目指したのは、ピンカートン家の血を引くがゆえ。ですが、別に血に踊らされたワケじゃありませんのよ?」

「どういう、ことですか?」

「ワタクシは、自らの意志で探偵を志しましたの。探偵は苦難多き道……目指すに当たって、数々の障害が立ち塞がりましたわ。これからも、障害は増える一方でしょう」

 華族探偵の探偵会社『ピンカートン・ジャパン』は、順調に業績を伸ばしているとは言え、まだまだ発展途上。
 もっと多くの実績を重ねて、国内で絶大な影響力を誇る『探偵同盟』にも負けない会社にまで育て上げなければならない。

 だからこそ、日々ゴージャスな仕事を追い求めている。
 もっと自分も、探偵として成長したいと思っている。
 優秀な部下たちに頼らずとも、一人で事件を解決できるくらい、強く、美しく、エレガントに。

「この道は、ワタクシ自身で選んだもの。たとえ、どれほど悩み苦しもうとも、最期まで進み続ける覚悟でおりますわ」

「自分で、選んだ道……カッコいいですね」

 華族探偵の言葉を受け、困ったように苦笑する男の子。
 その何か言いたげな横顔を一瞥し、華族探偵は問いかける。

「おジイジとやらが病気というのは、ウソなのでしょう?」

「え!? そ、そんなことは……」

「ワタクシの目は誤魔化せませんわよ? 探している理由を口にした時、唇が震えておりましたわ。アレは明らかに、ウソをつく際の緊張によるものでしょう」

「うっ……それ、は……」

 男の子が言葉を続けられず、黙り込んだ。
 これ以上の追及は無駄だと察して、華族探偵は男の子の手を握り、先へと進み出す。

「強情なお子ちゃまですこと。まぁ依頼人の事情には、首を突っ込まないのが探偵というものですし、何も聞かずに手伝って差し上げますわ」

「ありがとう、ございます」

 華族探偵は男の子の手を引きつつ、その足の随分と汚れた運動シューズに目を向けた。

 親指あたりには穴まで開いている。きっと、自分に声をかけるまで、一人で必死に探し続けていたのだろう。困り果て、途方に暮れて、ようやっと声をかけたワケだ。

 もっと気安く、他人を頼ればいいのに――

「……って、ワタクシが言えたことではありませんわよね」

 つい先ほど部下から差し伸べられた手を拒絶したことを思い出し、華族探偵は嘆息した。

「ヒトのブリ見て我がブリ直せとは……この国の古人さんもよく言ったものですわ」

「ブリではなく、フリでは……?」

「そうとも言いますわね」

 華族探偵はスマホを取り出すと、常雄へと連絡する。

「ツナオ、業務連絡ですわ。会社に残っているもの全員で、今から送る写真の場所を突き止めなさい」

 電話口からは「お嬢さまの仰せのままに」と、一言だけ返ってきた。

 気付けば、街外れの路地に、熟れたリンゴのように赤い夕日が差し込み始めていた。
 プー、プーと豆腐屋の音が遠くから聞こえ、どこからか、香ばしい焼き魚の匂いが漂ってくる。
 もうすぐ日没だが、何とか日が沈んでしまう前には、依頼をこなせそうだ。

 助手である常雄に連絡をしてから小一時間。
 華族探偵は部下たちから届いた位置情報を頼りに、目的地である男の子の祖父の店へと向かっていた。

 周囲には相変わらず、雑居ビルが続いている。
 ただ、これまでと違うのは、シャッターの下りた建物が多く、寂れた印象が強い点だ。

「お姉さん……こんな場所に、ジイジの店があるのかな」

「部下たちが調べ当てた情報ですから、間違いありませんわ。何と言ったって、このワタクシ、華族探偵が信頼を置く者たちですからね」

 今いるのは、駅から遠く、最も賑わうオフィス街からもやや外れた場所。
 部下たちに調べてもらわなければ、わざわざ足を運ぶことはなかっただろう。

「元々はこの近くに駅があって、飲み屋街として栄えた場所らしいですわ。あなたのおジイジが今も店を続けているとしたら、苦労しているかもしれないですわね」

「……はい、そう聞いています。たくさん借金もあって、パパやママも相当に苦労したらしくて。だから、僕は――」

 そこまで口にしたところで、男の子がハッと口に手を当てる。
 まだ本心は明かさないつもりらしい。
 いや、明かせないと言うべきか。

 華族探偵は、その不器用な様子に自分を重ねながら、小さな手を引いて歩を進め続ける。

「ガキンチョ、あなたの事情など知りませんけどね。一人ですべてを抱え込むんじゃありませんわよ? ワタクシのような、知性も美貌も血筋も兼ね備えたレディですら、部下の手を借りているのですからね」

「……はい。華族探偵さんに声をかけて、本当によかったです」

 華族探偵の大仰な言葉に男の子は笑って、目的地である飲み屋の写真を悲しげに見つめた。

「僕も、一人で抱え込むのはやめにします。笑いたくもないのに笑ったり、ツラくもないのに泣いたりせずに、本当にいたい場所で、暮らしていきたいから……」

「――探したぞ、ヒカル!」

 その時、後ろから誰かに呼び止められた。
 振り返ると、そこにはサングラスをかけたスーツ姿の男性が息を切らして立っていた。

「パ、パパ、どうして」

 男の子が漏らした一言で、男性が彼の父親であることを察し、華族探偵はじっと観察する。

 シワひとつない著名な海外ブランドのスーツにネクタイ、磨き抜かれた靴。夕日を反射する金歯に、目線を隠したサングラス。

 その容貌に感じる既視感。それは、華族探偵が以前テレビの取材に応じた時にも感じた、胡散臭い雰囲気だ。

 そうした“違和感”を、華族探偵の目は見逃さない。

「あなたが……この子の父親ですの?」

「ええ、そうですよ! あなたの方こそ、一体誰なんですか!? ことと次第によっては警察に言いますよ!」

「どうぞ、ご自由に。ワタクシは華族探偵、迷子となっていたこの子を助けたプロの探偵ですわ」

「た、探偵!?」

 男性が声を上擦らせた。
 その反応に違和感を覚え、華族探偵は隣の男の子をそっと横目で見る。

 男の子は目を伏せ、唇をキュッと閉じ、一言も口を利かない。
 ただ、握られたままの手が、かすかに震えていた。

「ヒカルさん……と言いましたわよね? このヒカルさんは、祖母の家に向かう途中で道に迷って、困り果てておりましたの。ですから、ワタクシが責任を持って、道案内をしていたところですわ」

「そ、そうでしたか! 疑ってすみません、助かりました!」

 男性が態度を一変させ、物腰を低くして歩み寄る。

「よく居場所が分かりましたわね」

「祖母からいつまで経っても来ないと連絡がありましてね、必死に探していたんですよ! ありがとうございます! さぁ、ヒカル! 帰るぞ!」

「……ウソですわ」

「へ?」

 ヒカルをかばうように華族探偵は前に出て、男性を睨みつけた。

「真実を言いますとね、この子は祖母ではなく、『祖父の家に行く』と口にしておりましたの。僅かな違いではありますけど、父親であるあなたに違う言葉を言い残すなんて、不自然ですわ」

「な、何が言いたいんですか?」

 男性の顔色がサッと変わった。
 半分はカマかけであったが、ビンゴらしい。
 男性から目を離さないまま、追及を続ける。

「本当は、何も言付けなどもらっていないのでしょう? この場所に来たのは、恐らくヒカルさんの行き先を予想してのこと。ヤマを張って待ち伏せしていたのですわ」

「だ、だったら何だって言うんだ!? 自分の子どもを心配するのは当然でしょう!?」

 よほど必死なのか、早くも取り繕うのをやめ、怒鳴り始める男性。
 その態度に、華族探偵の不信感は強まっていく。

「ワタクシは由緒あるピンカートン家の探偵。この審美眼にかかれば、あなたがヒカルさんを愛していないことなど、一目瞭然でしたわ」

「勝手なことを言わないでくれ! そんなの、あなたの想像に過ぎないでしょうが!」

「では、追加でひとつ言って差し上げましょう。自慢じゃありませんけど、ワタクシの会社は幅広く仕事を請け負っておりましてね。迷子探しはしょっちゅうですの」

 今までの仕事を振り返りながら、言葉を紡いでいく。
 エレガントではないと思いながらもこなしてきた仕事の数々も、意味はあったのだと実感する――

「愛しの我が子を見つけたら、親は迷わず駆け寄るもの。再会してまず、心配ではなく叱責をするその態度からは……愛情など欠片も感じられませんでしたわ!」

 すっぱりと言い切って、華族探偵はヒカルの肩を抱き、優しく問いかける。

「ヒカル、あなたの本当の目的は何ですの? 自分の口でハッキリとおっしゃい!」

「ぼ、僕、は……」

 ヒカルはこれまで通り目を伏せようとした。
 しかし、自分の肩を抱く華族探偵の手を見つめ、思い切ったように顔をあげる。

「僕は……もうお義父《とう》さんとは暮らしたくありません。ジイジと一緒に、普通の子どもとして生きていきたいんです」

「ふふふ、ふざけるなよォー!?」

 男性が激しく取り乱して叫んだ。

「何てことを言うんだ! お前には、まだまだ働いてもらわなきゃ困る! 『日廻』の演技で話題になって、これからだっていうのに!」

「……やっぱり、ヒカルさんは例の話題の子役だったんですのね」

「名前を言わないようにしていたのに……気付いていたんですね。流石は、華族探偵さんです」

「ひ、日頃から情報収集を欠かしておりませんからねぇ! オホホホホホホ!」

 昼休み前に、助手の常雄が無理やり見せてきた映像にそっくりの顔が映っていたから気付けただけだなんて、口が裂けても言えなかった。

「真相は見えましたわ。大方、ヒカルさんの意志も無視して子役として働かせていたら、反発を受けた……と言ったところでしょう。庶民らしい、浅はかな事情ですわね」

「うるさい……! 部外者は黙ってろ!! その子はまだまだ稼げるのに、やめられるか!」

「お断りですわね。探偵とは元々第三者として事件に介入する者……依頼をこなすまでは、依頼人を守り抜いてみせますわ」

 男性が鼻息荒く迫ってきた。
 ヒカルの腕を引き剥がそうと、華族探偵の腕を掴む。
 しかし――

「び、ビクともしない……! 女の細腕の、どこにこんな力が――」

「――バリツ!!」

 華族探偵が男性の首元に手刀を決め、一撃で昏倒させた。

「伊達に毎日、段ボールを運んではおりませんの」

 意識のない男性を邪魔にならないよう道の脇へと移動させたあと、華族探偵とヒカルは路地を進んで、目的の場所にたどり着いた。

 写真通りの古びた店構え。
 ただし、象徴的だった赤い暖簾は消え、その代わりに『ラーメン・勝どき』という青い暖簾がかかっている。

「ラーメン屋に変わっているなんて……どうりで見つからないワケですわ」

「はい……でも、納得です。僕、ジイジが作ってくれるラーメンが、大好きだから」

 華族探偵の横で屈託なく笑うヒカル。
 先ほどまでの憂いは影を潜め、ようやく年相応の笑顔を見ることができた気がした。

「ジイジは強いヒトだから、きっと僕を守ってくれると思います。華族探偵さん、事情も聞かずに助けてくれて、ありがとうございます」

「オホホホホホ、当然ですわ! ワタクシのようなエレガントな探偵は、依頼人に深入りしたり、仲良くしたりしないものですからねぇ♪」

 年齢と不相応な落ち着きや、一連のトラブルを見れば、ヒカルが話すのも憚られるような事情を抱えていることは間違いない。

 無意識ではあるものの、詳しく事情を聞かずに済んだことを、華族探偵は安堵していた。

 依頼を解決することだけが探偵の仕事ではない。
 依頼人の心を救ってこそ、探偵なのだから。

「おっと、そうでしたわ。きちんと依頼をこなしたのですし、報酬をもらいませんとね」

「え……!? お、お金のこと、ですよね……それは、そのぉ……」

 不安げなヒカルの鼻っ柱を指で弾き、華族探偵は微笑みかけた。

「では、仕方ありませんわね。ランチがまだでしたから、あなたの思い出のラーメンとやらで手を打って差し上げましょう」

「え……!? いいんですか? さっき、探偵は依頼人と仲良くしない、って……」

「それはそれ、これはこれ、ですわ!」

 ヒカルの小さな手を引きながら、華族探偵は思った。
 自分は最近、会社を大きくすることばかりに囚われて、大事なことを見失っていたかもしれない、と。

 ピンカートン家として、自分が最も大切にすべきなのは、大事件を解決して名をあげることではなくて。
 目の前で困っているヒトに手を差し伸べることだ。

 これからは常雄の言う通り、対応可能な範囲で、事件性の薄い依頼も受けていこうと思う。
 ピンカートン家の意志を受け継ぐ、探偵として――。


 ピンカートン・ジャパンはその後、自社で対応する事件の幅を拡げ、同業内での評価を更に高めていく。

 そして代表である華族探偵は『探偵同盟』で序列5位に昇り詰め、ピンカートン家の名に恥じない探偵へと、成長を遂げるのであった。

――END