魔界捜査ファイル
~狼男は実在した!~
第2幕
『志崎未来』
龍太郎の娘を預かっているという現場近辺の家を訪れると、思わぬ再会を果たすこととなった。
「あ、あなた……まさか、魔界探偵さん?」
玄関から顔を出したのは、エプロン姿の、髪の短い女性。
一瞬困惑したものの、その特徴的なタレ目と太い眉を見て、かつての記憶が想起された。
「もしや、志崎《しざき》くんか? 見違えたぞ」
「ええ、志崎未来《しざき みく》です。お久しぶりですねぇ、最後に会ったのはいつでしたでしょうか」
「確か、船上パーティーで偶然出会った時ではないか? キミと龍太郎とは、行く先々で出会ったものだな」
「ああ、懐かしい! あの連続殺人事件は、大変でしたねぇ……龍太郎ってば、魔界探偵さんと推理で張り合っちゃって」
事件と無関係な談笑をしばらく続いたところで、お互いにハッと本題を思い出し、二人で家の中へと入った。
リビングで向かい合うように座り、志崎くんの淹れてくれた紅茶を一口喫する。
茶葉の香りがよく立っていて美味い。
いつぞやの事件で、雪山の寒さに凍えていた中、彼女に温かな紅茶を淹れてもらった時のことを思い出した。
「……突然訪問してしまってすまないな。龍太郎の死は、幼馴染のキミにとってもショックであろうに」
「い、いえ、捜査に必要なことなのでしょう? でしたら、いくらでも協力させていただきますよ。ただ、ブンちゃんはまだ……」
「ブン……龍太郎の娘は、まだ話せる状態にないのか?」
志崎くんが首肯を返した。
蒼井管理官の話によれば、第一発見者は龍太郎の娘であったそうだ。
娘はまだ六才だと聞いている。
そのような歳で両親の遺体を目の当たりにしたショックは、計り知れない。
無理に話を聞くのは、避けるべきだろう。
「ブンは今どこに?」
「2階の子供部屋で眠っています……ブンちゃん、見たことを正直に話したのに誰も信じてくれなくて、相当ショックを受けたみたいなんです。さっきまでずっと泣き続けていて、今はもう、何も言葉を発することができない状態です」
「精神的な要因による一時的な言語障害か。凄惨な殺人事件では、少なからず起こることだな。ゆっくりと休ませるといいだろう」
この障害を解消する方法は確立されていない。
少女本人が心の整理をつける以外に、方法はないのだ。
身内を殺された時は……“それ”が一番難しいのだがな。
「ブンちゃんが落ち着くまで、私はあの子のそばを離れません……今の私は、彼女の担任として、それくらいしかしてあげられませんから」
「そうか。キミは、龍太郎の娘の担任教師だったな」
「はい、だから私が預かることになったんですよ。元々、家族ぐるみの付き合いでしたしね」
そこで、リビングの壁に色鉛筆で描かれたと思われる、志崎くんの似顔絵に気付いた。
塗りこそ拙いものの、輪郭や目鼻立ちや眉などは、非常に美しく再現されている。
ただ、絵の脇に書かれた名前と思しき文字は、ミミズの這った跡みたいで、お世辞にも上手とは言えない。
「もしや、アレは龍太郎の娘が描いたものか?」
「そうですよ。とっても上手でしょう? ブンちゃん、お絵かきが大の得意なんです」
自分のことのように自慢気に話す志崎くん。
本当に子どもが好きなのだなと、声だけで伝わってくる。
しかし、その絵には何だか妙な違和感を覚えた。
「……子どもが描いたにしては、あまりにも正確すぎる」
「え?」
「いや、こちらの話だ。気にしないでくれ」
龍太郎の娘に関して、ひとつの可能性が生まれた。
こちらは、また後ほど確かめることにしよう。
今は、他に確認すべき事項がある。
「現場に行って驚いたぞ。まさか龍太郎が、アレほど大きな猫を飼っているとはな」
「ああ、羅生門ちゃんですか? 大きなぬいぐるみみたいで、可愛いですよねぇ……ノルウェー、なんとかという種類でしたっけ?」
「確か、そのような名前だったな。初めから、アレほどの大きさだったのか?」
「あー、どうでしたでしょうか。ちょっと昔のこと過ぎて……」
それから他愛のない話をしばらく続けたあと、日も暮れてきたため、帰ることにした。
「それにしても、龍太郎は志崎くんと結婚するものと思っていたから、初めて奥方を見た時は驚いたぞ」
玄関口で靴を履きながら語りかけると、志崎くんは困ったように苦笑した。
「はは、私からフってやったんですよ。龍太郎の身勝手さや暴走ぶりは、魔界探偵さんもよく知っているでしょう?」
「そうだな。奴のそばにいる苦労を知っていればこそ、別の者を選びたくなる気持ちはよく分かる」
「まぁ結局、龍太郎以外のヒトと結婚しても……出産のトラブルが原因で、長続きしなかったんですけどね」
「……円満に続く夫婦の方が少ない。気に病まないことだ」
そこで、素早く志崎くんの方を振り返り、その無防備な肩へと手を伸ばす――
「志崎くん、肩に何か付いているぞ?」
「え?」
そして指先に挟んだものを、志崎くんのすぐ眼前でぶら下げた。
1メートルはある長い毛髪を。
「……誰かの毛髪だな。長さからしてキミのものではないが、知人のものか?」
「えっ……え、ええ、きっとそうです。ご近所さんと一緒にお茶した時でしょうか? うっかりしていましたね」
その声の上擦った返答を聞き、頭の中でぼやけていた真相のヴィジョンが、一気に鮮明なものとなる。
私は毛髪を懐へ仕舞うと、再び志崎くんに背を向けて、扉へと向き直った。
「邪魔してすまなかったな。龍太郎の娘が復調したら、また伝えて欲しい」
「はい……もちろん」
扉を開いて外に出る間際、志崎くんから返ってきた声は、かつてないほど冷たく感じられた。
志崎くんの家の門を抜け、元の現場の方角へ早足で歩き出す。
軽く額に触れると、自分でも驚くほど熱を帯びていた。
「やはり、犯人は志崎くんか……だが問題は、どのように猫用の扉を通ったか、だな」
私は先ほどの志崎くんとの会話の中で、とある罠を仕掛けた。
それは事前の聞き込みで知った情報――『芥川家の猫を贈った人物が彼女だ』という事実を、知らないフリをしたこと。
今回の犯行に猫用の扉が使われたのなら、その扉を作るきっかけとなった猫の贈り主――志崎くんが怪しい。
ただ、確証はないので、カマをかけてみたのだ。
もし彼女が犯人でないなら、猫の話題を振れば自然と「自分が贈った猫だ」という話題を口にするはず。
かなり珍しい種類の猫をわざわざ贈ったのだから、この話題に食いつかない方が不自然というものだろう。
結果は先ほどの通り。
志崎くんは「自分が贈った猫だ」という事実を口にするどころか、猫についてあまり知らない素振りまでしてみせた。
つまり彼女は、自分と猫の繋がりを知られたくなかったのだ。
そしてダメ押しで、私自身の毛髪を例の猫用の扉で見つかった毛髪に見せかけ、「肩についていた」という引っ掛けまで設けた。
反応は先ほどの通り。
アレは明らかに、虚を突かれた動揺と、怒りの反応だ。
「志崎くんは龍太郎の娘が生まれた記念に猫を贈った。ならば今回の殺人は、6年も前から計画されていたことになる」
――アレほど心優しかった志崎くんが?
そんな悪魔のような計画を企てると、本気で思うのか?
自分で言いながら、薄ら寒さを覚えた。
普通に考えれば、ありえない。
彼女の真意は分からない。信じたくない想いもある。
だが、事実に即して考えれば、彼女が6年前から計画していた殺人を実行したと考える方が自然だ。
私は魔界探偵として、この線を追う他に道はない。
迷わず、携帯電話で蒼井管理官へと電話をかけた。
「蒼井管理官、今回の事件の容疑者が浮上した。被害者の幼馴染、志崎未来の6年前から現在までの行動を洗って欲しい。それと、もうひとつ――」
先ほど志崎くんの家で見た似顔絵を思い返し、もうひとつ、核心に近づくための依頼を口にする。
「龍太郎の娘が過去に描いた絵を、調べて欲しい」
◆
その晩――私は再び志崎くんの家の前を訪れていた。ただし、普段の平服ではなく、潜入に適した全身黒タイツの状態で。
「伝説の暗殺組織『暗殺教団』で用いられていたというコスチューム、やはり購入しておいて正解だったな」
闇夜に溶け込む見事な純黒に、耐久性に優れながらも動きやすい材質。
そして普段遣いにも適した、優れたデザイン性。
何ひとつ欠点が見当たらない。
私はまた、いい買い物をした。
「これならば、囚われの姫君との逢瀬も容易いぞ」
意を決して、潜入作戦を開始。
まずは志崎くんの家の観察だ。
2階建ての四角い外観で、実に機能的なデザイン。
両親から正式に相続した一軒家であるようで、壁などに多少ヒビや汚れが見えるものの、十分に立派な作りだ。
家の周りは、鉄製の塀で覆われている。
塀に設置された門を抜けると、電子ロック式の扉が見える。
仮に門を抜けられたとしても、家の中に入ることはかなわない。
何より、志崎くんは昼間の一件で、警戒を強めたはず。
監視カメラや防犯装置が設置されていると見て、まず間違いないだろう。
故に選択肢はひとつのみ。
「やはり、あの場所から潜入する他ないか」
まずは門を乗り越え、玄関の周囲を確認する。
入り口の扉のすぐ上に監視カメラが設置されていたものの、扉の前に立たなければ映らない。
正面を避け、右回りで家の側面へと移動していく。
側面には、美しい芝生の庭が広がっており、潜入におあつらえの小窓が見えた。
しかし、小窓の上に監視カメラが設置されていて、庭に足を踏み込めば姿を観られることは明らかだ。
ここまではすべて想定通り。
庭には踏み込まず、ちょうど家の角に設けられた“とある物”へと近づき、触れてみる。
「よし……この配管の強度、登るのに支障はない」
二階から地面へと壁に沿って伸びた“配管”の強度を確認し、両手で掴んだ。
あとは、ヨガで鍛えた握力でよじ登るのみ。
配管を登り終えた先には、すぐ近くに小窓があり、鍵こそ閉まっていたものの、防犯装置などは見られない。
密室解除用のワイヤーソーを使えば、外側から鍵を切断して窓を開くことなど、造作もなかった。
――今の私は完全に犯罪者だな。
自分の行動の不審さを今更ながら嘆きつつも、家の中へと滑り込む。
暗がりの廊下を目を凝らしつつ進み、龍太郎の娘が寝ているだろうと目星をつけていた、南側の部屋へと向かう。
予想通り、その部屋のベッドで少女は眠っていた。
龍太郎の奥方によく似た愛らしい顔つきに、龍太郎から受け継いだらしい黒髪のショートヘア。この国では確か、『おかっぱ』と呼ばれる髪型だ。
早速起こして事情を聞こうと思ったが、部屋の違和感がどうしても気になって、周囲を観察してしまう。
子ども部屋と思しきその部屋には、児童向けの本で埋まった本棚が並び、勉強机やぬいぐるみ、キッズサイズのピアノなど、子どもの喜びそうな品々が多数置かれている。
子どものいる家庭ならば、ごく自然の部屋だろう。
しかし、子どもがいないはずの志崎くんの家では、明らかにおかしい。
「何だ、この部屋は……」
もしかしたら志崎くんが子どもの頃に使っていた部屋かもしれないと思い、本棚の本の発行年度を確認してみた。
同時に、違和感がハッキリと、悪寒へと変わる。
「発行年度は、今から7年前……? まさか志崎くんは、龍太郎の娘が生まれることを知って、この部屋を?」
「……!」
息を飲む声がして向き直る。
すると、龍太郎の娘がベッドから起き上がり、こちらを見ていた。
――しまった。
つい調べることに集中しすぎて、本来の目的を忘れていた。
まずは当初の計画に立ち返り、龍太郎の娘の信頼を得なければ。
「安心してくれ、怪しいものではない」
「……!!!」
龍太郎の娘が枕を掴み、振りかぶった。
警戒心が強い。
例の言語障害で声が出せないようだが、出せていたなら大声で叫ばれていただろう。
僥倖だ。
神が私に味方してくれている。
この好機を活かし、子どもを安心させる一言を口にしなければ――
「私は……そう、ピーターパンだ。キミをネバーランドへ招待しに来た」
「!!!!!!!」
――枕が私の顔面へと投げつけられた。
同時に、ベッドから娘が飛び降りて、入り口へと駆け出す。
マズい――ここで志崎くんを呼ばれたら、一巻の終わりだ。
「私は、『狼男』の正体を追っている」
「……!?」
咄嗟に口にした言葉で娘が足を止め、私を振り返った。
これ幸いと、私は正直に目的を語りかけていく。
「私はキミの父親の友人だ。キミの両親を殺害したという『狼男』の正体を追っている。キミの力を借りたい」
「…………」
娘が訝しむような表情を見せながらも、私の言葉に耳を傾け続けている。
よし。
何とか、信頼を得るための第一歩は踏めたらしい。
ところが、そこでまたひとつトラブルが起こる。
「ブンちゃん? 大きな音がしたけど、大丈夫?」
部屋の外から、志崎くんの声が聞こえてきたのだ。
――第3幕『魔界探偵』へ続く