探偵失格
─新宿
レインウォーカー事件─
第3幕
『探偵失格』
外道探偵と二人並んだ路地裏の中心。思いもよらぬ人物が、入り口と出口にそれぞれ、“一人ずつ”現れた。
「ひと目の付かない場所に誘い込むなど、本官たちも随分と舐められたものでありますな」
「まぁそのおかげで、あなたたちを始末できるのだから、感謝でありますが」
真っ白なレインコートに身を包んだ二人の警官。
フードをかぶっているため分かりづらいものの、流石に見間違えようがない。
それは、今回の聞き込みで友好的に接してくれた佐藤巡査と、竹田巡査だった。
一瞬、私たちの援軍として駆けつけたのだと信じ込もうとしたが、二人の手にナイフが握られていることに気付き、そんな甘い考えは霧散する。
今向けられているのは、明らかな殺意だ。
「あ、あなたたちが、レインウォーカー……? どうして、警官が? それに、犯人が二人いたなんてそんな……」
「クヒヒ、るりちゃんはピュアだねぇ。これほどの規模の事件で、巡回だってしっかりと行われているのに、目撃証言が皆無なんて不自然だろう?」
「まさか、初めから警官を疑っていたんですか……!?」
思い返してみれば、最初の交番でもすぐに巡回当番表を確認していた。
取り敢えず聞き込みをしようと考えていた私とは、スタートラインからして違っていたのか。
「巡回をしている警官が殺人鬼だなんてありえない。殺人鬼が二人いるなんてありえない。不可能、不可解、不自然、エトセトラ……そんな考えが、視界を曇らせる」
外道探偵の肩からコートがずり落ちる。
するとなんと、後ろ手に手錠で拘束されているはずの腕が、何故か手錠をかけたまま正面に来ていた。
「いつの間に……!?」
「さっき交番に一人で入った時さ。後ろ手に縛れば抵抗できないなんて油断は、今後しないようにね♪」
「……ご忠告、痛み入ります」
今すぐにでも身動きがとれないよう拘束してやりたいところだが、今だけは外道探偵の力も借りざるを得ない。
外道探偵の背中合わせとなって、自分たちを挟み撃ちとする二人の巡査とそれぞれ向き合った。
「佐藤巡査、竹田巡査、あなたたちを殺人の容疑で逮捕します。大人しくしてください。今なら、自首扱いとすることもできますよ」
私の言葉に、正面に立つ佐藤巡査はゲラゲラと下品に笑った。
あまりにも下卑た表情に虫酸が走る。
先ほど駅前の交番で話した際の、勤勉な印象は欠片もない。
「これだから、キャリア組のお嬢さんは使えないんだよなぁ……おっと、使えないのであります、と言うべきですか? 口調くらいは警察官らしくしないといけませんよねぇ?」
「警察を舐めているんですか? このようなバカな真似をして、理解に苦しみます」
「フン……そりゃあそうでしょう。なんせ、あなたは出世が約束されたキャリア組なのですから」
佐藤巡査がナイフを構えた状態で、ジリジリと足を擦るようにして、にじり寄ってくる。
ナイフの間合いに入られてしまったら、一巻の終わりだ。
「この路地裏では、キャリアは守ってくれませんよ。格下に胸をえぐられて、レインウォーカーの恐怖の礎になってください」
「……そんなの、お断りです」
上着の裏へと手を伸ばし。脇の下のホルスターに隠し持っていた拳銃を手にとった。
まずは、上空に向けて引き金を引く。
運動会の徒競走の合図を思わせる乾いた音が、路地裏に響いた。
それから右腕で正面に拳銃を構え、左手をそえて支える。
照門《リアサイト》を覗き、照星《フロントサイト》と佐藤巡査の足が重なるように狙いを定めた。
「抵抗するなら撃ちます。凶器を、捨ててください」
高鳴る鼓動を抑え込むように、精いっぱい強く言った。
しかし、佐藤巡査は怯む様子もなく、ナイフを構えたまま、更ににじり寄ってくる。
「クヒヒ……それじゃあダメだよ、るりちゃん。狙うべき場所が違う」
背後の外道探偵が、私にだけ聞こえるよう囁きかける。
「足は的が小さいし、よく動くから、当たらない可能性が高い。狙うべきなのは的のド真ん中……心臓だ。本物の殺人鬼は、殺す気で向き合わないと、止まらないよ」
うるさい。
バクバクと高鳴る胸の鼓動も、外道探偵の声も、何もかもが耳障りだ。
必要なら殺す覚悟はできている。できていた、はずだ。
なのに、何故か拳銃を握る手が震え、照準がブレ始める。
ナイフの間合いのすぐそばまで迫りつつある佐藤巡査に気取られないよう、浅く呼吸を繰り返し、拳銃を構え続けた。
指を一本、軽く引くだけ。ジャンケンよりも簡単な動作。
なのに、崖から身を投じるような心地がして、汗がとめどなくあふれる。
私は今、指先に命を感じているんだ。
◆
るりちゃんと背中合わせの状態で、殺人鬼の片割れ、竹田巡査と睨み合いを続ける。「外道探偵と、言いましたよね? あの有名な探偵同盟の方と殺り合えるなんて、光栄ですよ」
「クヒヒ、ならあとでサインを書いてあげるよ。牢獄のインテリアにするといい」
「……鬱陶しいですねぇ。見逃してやってもよかったけど、やっぱり殺すことにして正解ですよ」
強い言葉を口にしつつも、竹田巡査はナイフを構えたまま、一向に間合いを縮めてこない。
警察官が習う逮捕術の要領で、ナイフを握った右手は後ろに下げ、防御に使う左腕は前に出すという、空手の右構えに近いスタイル。
あくまで護身術に過ぎない逮捕術の構えだから、当然殺傷能力は低めだ。
「ねぇ、キミ……本当に殺す気ある? ヤル気が感じられないんだけど」
「あああ、あるに決まってるでしょ! どう嬲り殺しにしてやるか、悩んでいただけです! すぐにき、斬り刻んでやりますよ!」
分かりやすすぎる虚勢。
まだ、テンションを上げないと殺せないのかな。
口数が多いのも緊張を誤魔化すためだろうし、典型的な“殺しに呑まれているタイプ”だね。
るりちゃんを弄ぶような態度を見せる佐藤巡査と違って、こちらの男は“一般人”の領域から脱し切れていないらしい。
大方、今回の犯行の主導は佐藤巡査で、竹田巡査はノセられているだけなのだろう。
ツマラナイ。一番嫌いなタイプだよ。
メインディッシュの前の前菜にしても、これじゃあ物足りないな。
「早くしないと、さっきの威嚇射撃で人が集まってくるかもしれないよ? さっさと俺のそばにおいでよ」
「う、うるさい……! どうせ証拠なんてないんでしょう!? 別に今ヒトが駆けつけたところで、ナイフさえ隠しちまえば真相は隠し通せますよ!」
「残念だけど、証拠ならあるよ。キミたちの交番の巡回当番表を比較すれば一目瞭然さ」
「……!?」
竹田巡査の顔がサッと青ざめた。
ああ、ああ、分かりやす過ぎてツマラナイ反応だ。
まぁ退屈しのぎにはなるし、もっと抉ってやろうか。
「レインウォーカーが現れる日には必ず、キミたち二人が示し合わせたように巡回をしている。どちらか一方なら偶然だと言い張れるだろうけど、二人もいるのは不自然だ」
「そのために……当番表を確認していたんですか」
「目撃証言の少なさから言って、複数人での犯行だと睨んでいたからねぇ♪ 近い範囲に複数の交番が密集しているこの街の特徴を活かして、巡回を示し合わせたんじゃないかと思っていたのさ」
多忙が原因で、巡回の担当はその時々で変わると言っていた。
それは逆に言えば、巡回を不規則に調整できるということでもある。
その上、遊上巡査部長はよく交番を空けるのだから、多少不可解な頻度になっていても誤魔化しやすい。
事前に相方と打ち合わせておき、タイミングが合った時にだけ犯行に及べば、無理なく犯行に及べるという寸法だ。
「目撃証言があがらないのも当然だよねぇ? なんせ、レインウォーカー事件は話題沸騰中だ、雨の日に警察が巡回していても、周囲のヒトたちは不自然に思わないし、まさか犯人だなんてつゆにも思わないよ」
「ぐ、ぅ……!」
竹田巡査が一歩後ずさる。
おやおや、ビビってしまったのかな?
あまり好みではないと思っていたけど、泣きそうな顔はなかなかそそるじゃないか。
せっかくだから遊んでやろう。
「後ろに下がったけど、どこへ行く気なのかなぁ? 助けでも求めてみるかい? 市民の皆さーん、助けてくださーい! ってさァ!」
「ぎぃ……!」
ナイフを握った手に力がこもる。
ああ、分かりやすいねぇ。あともうひと押しだ。
「守るべき市民を狩っていた警官が! 逆に市民によって守られる! とんだ喜劇もあったものだよねぇ!? クヒヒ、クヒャハハハハハハ!!!」
「があああああああああああッ!!!」
怒りを剥き出しにして飛びかかってきた。
俺に向かって、闇雲に振り下ろされるナイフを握った右手。
その手首を手錠の鎖で絡め取り、無防備な足へトンと、無防備な背中を後押しするみたいに、優しく蹴りをお見舞いしてやった。
すると、ヘッドスライディングでもするみたいに、無様に顔から地面へと突っ込んでいく。ただし、俺が右手首を絡め取っているから、倒れずに宙ぶらりんとなった。
「あ……」
何が起きたのか分からないと言った顔で、地面を見つめる竹田巡査。
その鳩尾に膝蹴りをし、悶絶させた状態で、ゆっくりと地面に下ろしていく。
「勇気もないくせに突っ込んでくるなよ……アンタ、他人の命だけでなく、自分の命も粗末に扱っているんだな。ああ……気に入らない……気に入らないなァ」
「ぎ、ぁ……あぁ……」
まともに呼吸できない様子の竹田巡査を見ていると、殺意が湧き上がってきた。
今回のターゲットは一人に決めていたけど、まぁもう“いい”具合だ。
手首を縛り上げたまま、巡査の首へと手を伸ばす。
「一人で命を背負う勇気もない下衆には……おしおきが必要だよねェ? 美しい殺し方というものを、俺が教えてあげるよ」
「外道探偵、大人しくするであります」
演技がかった口調の声を耳にすると同時に、首元にひやりと金属の感触がした。
視線を横に向けると、いつの間にかすぐそばにいた佐藤巡査が、ナイフを俺の首に突きつけている。
そしてその後ろでは、るりちゃんが拳銃を握ったまま、涙目で震えていた。
◆
私は、何もできなかった。自分の横を駆け抜け、外道探偵に凶器を向けようとする佐藤巡査に対して、発砲するどころか止めることすらできなかった。
その結果、竹田巡査の拘束に成功した外道探偵を、逆に人質に取られてしまって、最悪な展開となっている。
「形勢逆転でありますなぁ、青葉警部補? 外道探偵を殺されたくなければ、拳銃を捨てるでありますよ」
外道探偵の首にナイフを押しつけながら、佐藤巡査がわざとらしい口調で言った。
本気の目だ。どのみち、私たちを殺さなければ一巻の終わりなのだから、殺すのに躊躇がないのは当然。
私が抵抗する素振りを見せれば、確実に外道探偵は殺されてしまう。
「どう、して……」
震えた手で拳銃を構えたまま、自分自身に問いかける。
命を懸けると決めた。殺してでも止めると決めた。
かつて自分が救われたように、今度は自分が救う側に立つのだと、決めたはずだ。
それなのにどうして、肝心なところで、何もできずに立ち尽くしている?
自分のバカさ加減が嫌になって、涙があふれてきた。
昨晩は軽く感じられた拳銃が、今は赤ん坊みたいに重くて、手放したくてたまらない。
「もうやめてください、佐藤巡査! 何でこんなことをするんですか!? あなたたちだって、誇りがあってこの仕事を選んだはずでしょう!?」
「誇りぃ? そんなものでは、心も腹も、満たされないでありますよぉ?」
演技がかった口調で語りつつ佐藤巡査が笑う。
「この街で仕事をしていると、何が正しいのか分からなくなるであります。注意すると逆にキレられるし、不憫な児童の一人だって救えないし、夜の歓楽街とは仲良しこよし……警官などいていないようなものじゃないですか」
声から演技くささが消えていく。
表情に怒りの色を滲ませて、佐藤巡査は更に言葉を続けた。
「『レインウォーカー』という殺人鬼が現れてようやく、本官たちは感謝されるようになったんですよ……! でもまだ! まだまだ! まーだ警官への敬意が足りない! もっと殺して! 恐怖させて! 尊敬させる! 如何に警官の存在が重要なのかを、知らしめてやる!」
「そ、そんなの本末転倒じゃないですか!? 市民を安心させるための、警官が恐怖をバラまくなんて、おかしいですよ!」
「それで誰かが褒めてくれるでありますか~? あのヒトがいい遊上のオッサンは、あれだけがんばっても巡査部長止まりじゃねぇか!? アンタみたいな小娘より下なんだぞ!? 見返りもなしに命を守るなんて、バカのやることだろうが!!!」
「それ、は……」
何も言い返せない。
つい先ほども、遊上巡査部長はヒドい罵倒を受けていた。
確かに、警官はどれだけ頑張っても感謝されることなんて稀だ。
私が命を救ったところで何になる?
いくら必死に、私一人が『正義』を掲げたところで、何も変えることなんてできないじゃないのか?
「おい、ボケッとしてんなよ、キャリア女ァ! さっさと拳銃を手放せって言ってんだ! マジでこいつを殺すぞ!!!」
佐藤巡査が苛立った様子で叫んだ。
先ほどまでの挑発的な警官口調も完全に崩れ去り、余裕がない。
ナイフを握った手にも力が入ったのか、外道探偵の首筋から血が流れ始める。
「私は……私は……」
何も覚悟できていなかった。
私では、目の前の相棒一人、救えない。
ああ。もう、ダメだ。
この重くて仕方がない拳銃を、手放すしか、ない――
「手放しちゃダメだよ、るりちゃん」
ハッと手に力がこもる。
「キミも分かっているだろうけど、拳銃を手放してしまえば、俺もキミも殺される。俺たちが助かる方法はもう、ひとつしかない」
「だ、黙れよ、この変態野郎!!」
「ここで止めなければ、もっと多くの命が失われるよ? 結局コイツらは、自分の欲求を満たすために殺しているだけ……そんなの、許しちゃおけないよなァ?」
――外道探偵の言う通りだ。
今、私の手に握られている命は、私と外道探偵だけじゃない。
この先レインウォーカーによって犠牲になるかもしれない、多くの命も握られている。
投げ出せるワケがない。
投げ出すワケには、いかない!
「重いからって投げ出すな……逃げ出すな。しっかりと、前を向け」
自分に言い聞かせるように言って、佐藤巡査を真っ直ぐに睨みつけた。
佐藤巡査の顔がサッと青ざめ、狂ったように叫び出す。
「青葉警部補! もう次はない! 拳銃を捨てろ! あと5秒以内に手放さなきゃ、こいつを殺す!!!」
――5、4……。
佐藤巡査の怒声が響く中、外道探偵が私に語りかけていく。
「キミは『警察』という組織に縛られ過ぎだよ、るりちゃん。キミの信念は、組織の中で正しくあることなのかい?」
――3。
遊上巡査部長の優しい笑顔が頭をよぎった。
「組織も周囲も関係ない。誰に何と言われようと、命の価値観を決めるのはキミ自身だ」
――2。
落ちて死にかけた際の、腕を掴まれた感触がよみがえる。
「キミの中で答えは出ているはずだよ。あとはもう、覚悟を固めるだけさ」
――1。
手の震えが消え、照準が定まった。
「その証拠にるりちゃんの照準は……心臓を狙い定めているからね」
「――ァああああああッ!」
路地裏にパァンと響く乾いた音。
それは、まるで風船が割れたみたいで。
誰かの命を奪ったというには、あまりにも軽い音だった。
終幕
まっさらとなった自分のデスクに座り、缶コーヒーを飲んで一服していると、遊上巡査部長に声をかけられた。「青葉警部補……私の監督不行届が原因で、本当に申し訳ない」
深々と頭を下げて謝罪する遊上巡査部長。
きっと、わざわざこのためだけに来てくれたのだろう。
本当にブレないヒトだ。このヒトがいる限り、自分がいなくなったあとも、警察は大丈夫だろうと思える。
「警部補はやめてください。もう私は、警官ではなくなりますから」
「本当に、やめてしまうのか? 模擬弾が使用されていたおかげで、佐藤巡査は無事だったんだろう?」
「ええ……私に銃弾を渡した上司も、模擬弾だとは知らなかったそうですけどね」
私が発砲した弾は佐藤巡査の胸に命中した。
でも前日に入れ換えていた新品の弾が、弾頭がゴムの模擬弾であったおかげで、佐藤巡査は意識を失うだけで済んだ。
ただし、発砲は発砲。
私を煙たがっていた同僚や上司から殊更に糾弾され、明らかに不要な書類を何枚も書かされることになり、うんざりする毎日が続いた。
警官が犯人だったという事実を揉み消そうと情報操作を試みる上層部にも呆れ果てたし、『警察』という組織に愛想が尽きたのは事実だ。
ただ、やめる理由は別にある。
「私はあの時、犯人を殺してでも止めようと思いました。それは、警官としてあるまじき行動です。辞表を出して当然でしょう」
「だ、だが、それはより多くの命を守るためだろう!? 情状酌量の余地は十分にある! 例えば、私の下で交番勤務というのも悪くはないんじゃないか!?」
――ダメですよ。
ただでさえ部下から殺人者を出したことで遊上巡査部長は評判を落としたのに、厄介者の私まで抱えれば確実に潰されます。関係者が誰か一人は辞めないと、上の気は収まらないんです。
なんて、言えるはずもない。
私は黙って別の道を進むしかないんだ。
道は違えても、同じ信念を持って進めていけると信じて。
「私はキミの誠実さを知っている! 私が上に進言するから、信念を捨てずに――」
「捨てませんよ。私は、信念を貫くために、警官をやめるんです」
懐から、タブレット型の機械『探偵デバイス』を取り出した。
今はまだ借り物だけど、もう少しで自分のものになる予定だ。
リーダーの理想探偵に気に入られたおかげで、スムーズに話が進んでくれて助かっている。
「私の信念は、組織の上に立つことではなく、目の前の命を救うこと……警察より探偵の方が向いていると、『探偵同盟』のリーダーに勧誘されたんです。なんせ、暴走したら組織のことなど気にせず、発砲してしまう問題児ですからね」
その点『探偵同盟』なら、組織とは言っても個人の活動が基本である上に、事件によっては超法規的措置を認められることもあるなど、行動の自由が多い。
あの外道探偵が所属しているのがいい証拠だ。
思わず、二つ返事で転職をOKしてしまった。
「『探偵同盟』の一員か……きっと楽な道ではないよ? たとえ出世の道は閉ざされてしまったとしても、今の組織にしがみついていた方が、ずっと幸せなんじゃないか?」
「ええ、分かっています」
語りつつ、遊上巡査部長の手にそっと視線を移した。
その手の甲には、昔私を助けた時の傷跡がうっすらと残っていて、僅かに残っていた未練を消し去ってくれた――。
「それでも私は、より可能性の広がる方へと進んでいきたいんです。たとえ世界は変えられなくても、目の前の誰かを救うことはできるって、信じたいから」
「青葉、くん」
やっと昔の名前で呼んでくれた恩人に笑顔を返し、残っていたコーヒーを一気に飲み干して、立ち上がる。
「もう迷いません。私はあなたに救われたこの命を、一人でも多くの命を救うために使います」
ふと――もしかしたらあの外道探偵は、私の拳銃に模擬弾が入っていることを知っていたのかもしれないと思った。
最初は面を喰らったし、最後まで理解できないヒトだったけど、命に対して真摯な人物であることはよく分かった。
私に殺すよう命じ続けていたけど、本当は殺させる気なんて最初からなかったんじゃないだろうか。
答えは分からない。
でもこの先で出会った時には、またパートナーとして隣に並び立つのも、悪くはないと思えた――。
◆
俺の部屋に突然やってきたかと思うと、“彼女”は俺を殴り、首を万力のように絞め上げ、床に押し倒した。飛び散った鼻血で真っ白な部屋が汚れる。
女性とは思えない握力で喉がひしゃげて、呼吸できなくなる。
白い髪の奥で輝く紫陽花色の瞳が、射殺さんばかりにこちらを睨んでいる。
俺もそこそこ動ける自信があるのに、僅かな反抗もできずに屈服させられるなんて。
ああ、この痛み、この絶望、久しぶりだ。
相変わらず、本気を出した彼女の前では無力。
それでこそ、世界最高峰の探偵と言われる『理想探偵』だ。
「何を、怒って、いるんだい……? キミに、言われた、通り……レインウォーカーは、見つけ、出したじゃないか」
「炙り出した、の間違いだろう? 確かにお前でなければ、レインウォーカーによる死者は増えていただろう。しかし、だからと言って、無意味に死者を増やそうとしていいワケではない」
――やっぱりバレていたか。
息苦しさも忘れ、口角がつり上がりそうになる。
「どういう、意味かな……? 俺は、彼らを怪しむ素振りを見せて、自滅を促しただけだよ?」
必死に平静を装って、言葉の続きを催促した。
「レインウォーカーたちが語っていたぞ。お前は竹田巡査に、『今日は殺さないの?』と囁いていたそうだな。その結果、犯行がバレたと思った二人は、リスクを承知でお前と青葉刑事を襲ったんだ」
「クヒヒ……雨が、降り出していたんだ……俺たちに、殺意を向けさせないと、危ないだろォ……?」
「なら、容疑者の二人を監視させればいいだけだろう。お前の本当の狙いは違った。お前は初めから、青葉刑事を狙っていたんだ」
俺の首を絞める指の力が強まり、背筋がゾクリとした。
ああ。
やっぱり彼女は、俺のことをよく分かってくれている。
「お前は犯人を挑発し、殺しに来るように仕向け、わざと窮地に陥ることによって……青葉刑事に犯人を射殺させようとしていたんだろう?」
「クヒヒ……るりちゃんには、素質が、あったからねェ……♪ もっと、命の重みを知って、俺たち側に、来て欲しかった、のさ……」
最初に面会する前に、るりちゃんの過去を調べた時から、心惹かれていた。
一度自殺を図って救われ、命の重みを学んだ女性刑事。
そんな極上の食材を前にして、「何もするな」という方が無茶だろう。
計画通りにはいかなかったけど、アレではまともに刑事は続けられない。この先、もっと経験を積み、もっと悲劇を乗り越えれば、より魅力的な女性に実ってくれるはずだ。
想像しただけで、心が躍る。
「でもまさか……俺の行動を“予測”し、模擬弾に差し替えさせておくなんてなァ……」
「いくら『首輪』をつけていても、行儀の悪い犬は噛みつくからな。飼い主として当然の配慮だよ」
「それにしても、鋭すぎると思うけどねェ? まるで、未来が観えているみたいじゃないか……クヒヒ、クヒャヒャヒャヒャ!!」
愉快すぎて笑いが止まらない。
流石はかつて俺を捕まえて、今の立場に追いやった張本人。
きっと今回見せた“予測”は、彼女が持つという奇妙な“能力”によるものなのだろう。
またひとつ、秘密を暴く手がかりを得た。
「外道探偵、いくらお前が探偵失格だとしても、お前の力は『探偵同盟』に必要だ。この私がこれからも、必ず御してみせる」
「やってごらんよ、マイ・ホームズ♪ 俺を楽しませてくれる限り、俺はこの組織の味方であり続けるからね」
俺が秘密を暴いてやれば、理想探偵はどんな顔を見せてくれるだろうか。
想像しただけでゾクゾクする。
これだから、探偵はやめられない。
理想探偵との戦いは俺にとって、“殺し”よりもずっとスリリングで、最高にそそられるゲームだ。