武装探偵
vs
不死サイボーグ
何とはなし路地裏へ視線を向けると――非日常が広がっていた。
奇妙な鎧をまとった何者かが、手甲に包まれた大きな腕で、スーツの男性の首を掴み上げている。
鎧は2mにも届きそうなほど背が高く、隙間から差し込む月明かりで黒光りし、フォルムが丸みを帯びている。
肩口まで広がり、顔をすべて覆い隠した兜は、パパが大切に飼っているカブトムシのメスみたいだなぁと、あまりにもノン気な考えが頭に浮かんだ。
この私、七条奈々菜は親が金持ちなだけの、平凡な女子高生。
きっとステータスを『お金持ちの家の生まれ』という境遇に、全振りしてしまったんじゃないかと思う。
目立った特技も趣味もない。好きなものはゲームくらいなもの。これまでの人生で面白いことなんてなかったし、これからもないものだと思ってた。
だから、目の前のあまりに異常な光景に、頭の処理が追いつかず、呆けることしかできない。
――ゴキッ。
生々しい骨の破砕音が、私を現実に引き戻した。
ありえない方向に首の曲がった男性と、目が合ってしまう。
生気を失ったその目は、まるで冷蔵庫によく入っているお魚のようで、恐怖よりも気色悪さが上回った。
「……目撃者と遭遇。処理を開始する」
鎧が男性とも女性ともとれない無機質な声を発した。
無知でノン気な私も、ようやく自分が命の危機に瀕していることを自覚する――
「い、いやぁぁぁぁぁぁぁぁあああああッ!?」
どうすればいいのか分からないので、とにかく大声を出しながら人通りの多い通りに向かって走った。
ここは、東海地方有数の繁華街、O須商店街のすぐ近く。
人通りの多い場所なら、あの化け物だって流石に何もできない。できないはず。できないよね?
何も考えれられないくらい、必死に走って、走って、走り続けて。
私は気付けば、交番で警官に保護されていた。
警官たちは、私の話を話半分に聞いていたものの、私が記憶を頼りに似顔絵を描いてみると、空気が一変。
すぐさま自宅へとパトカーで送迎され、パパからウソみたいな話を聞かされることとなった。
どうやら私は、『不死サイボーグ』と呼ばれる殺し屋の犯行現場を、目撃してしまったらしい。
しばらくは学園も休んで、自宅の屋敷でボディガードたちと共に不死サイボーグの襲撃に備えるよう、パパから命じられた。
それから早二日――
「不死サイボーグって何なのよ……意味分かんない」
自分の部屋の天蓋付きベッドに寝転がりながら、私はもう何度目になるか分からない愚痴を口にする。
殺害現場を目撃したあの日、O須商店街を訪れたのはほんの出来心からだ。
パパもママもいつも仕事で屋敷を空けていて、学園のない休日は暇で仕方がない。
大好きなゲームセンター目当てに、こっそり街へ遊びに出かけるくらい、普通のことだと思う。
少なくとも、罰当たりなことではないだろう。
それなのに、命を狙われる羽目になるなんて、あまりにも理不尽じゃないか。
「早く学園に行きたいよぉ……」
枕に顔を突っ込んで、私は誰にも聞こえないようつぶやいた。
私の通う学園――私立百合愛学園は平凡な私にとって、何よりの憩いの場。
悪いことなんて何ひとつしていないのに、どうして私が、唯一の楽しみを奪われないといけないんだろう。
「いつになったら、私は自由になれるの? 学園に通えるようになるの? 誰か、教えてよ」
「大丈夫。すぐに通えるようになるのである」
思いがけず返事があった。
驚き、枕から顔をあげ、声のした方に視線を向けた。
何とベッドのすぐそばに――鈍色《にびいろ》の甲冑の男が立っていた!
「七条どの! おぬしのことは、この武装探偵《ぶそうたんてい》が命をかけて守ろう」
「ギャアアアアアアアアアアア!?」
そして屋敷中に響くくらい盛大な悲鳴をあげてしまうのだった。
奇妙な鎧をまとった何者かが、手甲に包まれた大きな腕で、スーツの男性の首を掴み上げている。
鎧は2mにも届きそうなほど背が高く、隙間から差し込む月明かりで黒光りし、フォルムが丸みを帯びている。
肩口まで広がり、顔をすべて覆い隠した兜は、パパが大切に飼っているカブトムシのメスみたいだなぁと、あまりにもノン気な考えが頭に浮かんだ。
この私、七条奈々菜は親が金持ちなだけの、平凡な女子高生。
きっとステータスを『お金持ちの家の生まれ』という境遇に、全振りしてしまったんじゃないかと思う。
目立った特技も趣味もない。好きなものはゲームくらいなもの。これまでの人生で面白いことなんてなかったし、これからもないものだと思ってた。
だから、目の前のあまりに異常な光景に、頭の処理が追いつかず、呆けることしかできない。
――ゴキッ。
生々しい骨の破砕音が、私を現実に引き戻した。
ありえない方向に首の曲がった男性と、目が合ってしまう。
生気を失ったその目は、まるで冷蔵庫によく入っているお魚のようで、恐怖よりも気色悪さが上回った。
「……目撃者と遭遇。処理を開始する」
鎧が男性とも女性ともとれない無機質な声を発した。
無知でノン気な私も、ようやく自分が命の危機に瀕していることを自覚する――
「い、いやぁぁぁぁぁぁぁぁあああああッ!?」
どうすればいいのか分からないので、とにかく大声を出しながら人通りの多い通りに向かって走った。
ここは、東海地方有数の繁華街、O須商店街のすぐ近く。
人通りの多い場所なら、あの化け物だって流石に何もできない。できないはず。できないよね?
何も考えれられないくらい、必死に走って、走って、走り続けて。
私は気付けば、交番で警官に保護されていた。
警官たちは、私の話を話半分に聞いていたものの、私が記憶を頼りに似顔絵を描いてみると、空気が一変。
すぐさま自宅へとパトカーで送迎され、パパからウソみたいな話を聞かされることとなった。
どうやら私は、『不死サイボーグ』と呼ばれる殺し屋の犯行現場を、目撃してしまったらしい。
しばらくは学園も休んで、自宅の屋敷でボディガードたちと共に不死サイボーグの襲撃に備えるよう、パパから命じられた。
それから早二日――
「不死サイボーグって何なのよ……意味分かんない」
自分の部屋の天蓋付きベッドに寝転がりながら、私はもう何度目になるか分からない愚痴を口にする。
殺害現場を目撃したあの日、O須商店街を訪れたのはほんの出来心からだ。
パパもママもいつも仕事で屋敷を空けていて、学園のない休日は暇で仕方がない。
大好きなゲームセンター目当てに、こっそり街へ遊びに出かけるくらい、普通のことだと思う。
少なくとも、罰当たりなことではないだろう。
それなのに、命を狙われる羽目になるなんて、あまりにも理不尽じゃないか。
「早く学園に行きたいよぉ……」
枕に顔を突っ込んで、私は誰にも聞こえないようつぶやいた。
私の通う学園――私立百合愛学園は平凡な私にとって、何よりの憩いの場。
悪いことなんて何ひとつしていないのに、どうして私が、唯一の楽しみを奪われないといけないんだろう。
「いつになったら、私は自由になれるの? 学園に通えるようになるの? 誰か、教えてよ」
「大丈夫。すぐに通えるようになるのである」
思いがけず返事があった。
驚き、枕から顔をあげ、声のした方に視線を向けた。
何とベッドのすぐそばに――鈍色《にびいろ》の甲冑の男が立っていた!
「七条どの! おぬしのことは、この武装探偵《ぶそうたんてい》が命をかけて守ろう」
「ギャアアアアアアアアアアア!?」
そして屋敷中に響くくらい盛大な悲鳴をあげてしまうのだった。
前編
『武装探偵vs
不死サイボーグ』
例の甲冑男が部屋の隅で正座している。そして男の前には、室内なのに和傘を差しているという、これまた奇妙な黒スーツの女性が立っている。
「武装はん。初の大仕事で気がはやるのは分かりますけど、焦りは禁物どすえ?」
「す、済まないのである……居合《いあい》どの」
和傘の女性は長い黒髪を手ですきながら、ベッドに座る私の元までやってきた。
その動きには無駄がなく、私の通う学園のトップ、一流のお嬢様たちの所作を想起させる。
恐らく、名高い家系の出身なのだろう。
「七条はん、驚かせてしもうて、かんにんなぁ」
女性が仰々しく、深々と頭を下げて言った。
その僅かな所作さえも華麗で、同性相手なのに胸が高鳴ってしまう。
「ウチらは、怪しいもんとちゃいます。あんさんのお父はんに頼まれてやってきた『探偵同盟』っちゅう組織の一員なんよ」
「探偵同盟……? それって、警察と協力して色んな事件を解決してるってウワサの、秘密結社ですよね?」
「知ってはるなら話が早いわ。秘密結社うんちゃらはよぅ知りまへんけど、まぁ警察と協力関係っちゅうんは本当のことやね」
『探偵同盟』と言えば、ネット上で都市伝説みたいに語られている組織だ。
まさか実在するどころか、私の護衛をしてくれているなんて。
ますますフィクションじみてきた。
ドッキリなら、そろそろネタばらしをして欲しい。
「おっと、自己紹介が遅れましたわ。ウチは『居合探偵《いあいたんてい》』。その名の通り、居合術や抜刀術に自信があってなぁ、今回みたいな護衛系の仕事を主に担当しとります」
「た、探偵って、こんな護衛みたいな仕事もするものなんですか?」
「まぁ素人さんはそう思いはるわなぁ。探偵は万事屋みたいなところがありますから、ウチやそこの武装はんみたいに、護衛系の仕事を生業とする探偵もおるんよ」
ちらりと武装探偵と呼ばれた甲冑の男を一瞥すると、正座したまま嬉しそうに手をブンブンと振り回した。
見るからにアホ丸出し。
確かに、護衛の仕事くらいしかできなさそうだ。
「武装はんはまだ新人で慣れてないから、さっきの無礼は許してあげたってぇ。代わりと言ってはなんやけど、ウチは100人いる探偵同盟の中でも序列10位やし、それなりに信頼してくれてもええと思うよ?」
「じょ、序列10位」
どういう基準の序列なのかは知らないけれど、何だかスゴそうだ。
まとっている空気感も半端ではないし、見るからに頼りになる。
変質者まがいの鎧の男とは大違いだ。
「七条どの、我は武装探偵! この生命に代えても、おぬしを守り抜いてみせるのである!」
「あ、そう」
遠くから大声で話しかけられたが、つい冷たい言葉を返してしまった。
少し申し訳なく思うけれど、好意的には接せられない。
そもそも私は男性が非常に苦手だ。
幼い頃から、パパの知り合いのおじさんたちの妙な接待を受け、子どもながらに悪意を感じ取ってしまって……。
男性を避けてお嬢様学校に通う程度には、嫌悪感を抱いている。
どうして探偵同盟は、居合探偵さんみたいな優秀なヒトだけではなく、見るからに使えないバカ男まで寄越したのかと、責任者を問い詰めたくなる。
「男性が苦手なのに連れてきてしもうて、かんにんなぁ」
私が不機嫌なのを察したようで、居合探偵が困ったように苦笑した。
「探偵同盟のリーダーはんからの強い推薦で、武装はんも同行させることになってなぁ。リーダーはんにも、何か狙いがあるんやろうねぇ」
「狙い、って?」
「うーん、せやなぁ。例えば、不死サイボーグの『不死』の秘密を暴くのに彼が必要、とかやろうか」
「不死とはどういうことなのだ、居合どの!?」
武装探偵が慌てた様子でこっちに歩いてきた。
「あら、武装はんは聞いたことありませんのん?」
「うむ、まったくない! 我は、頭が弱いだけではなく、情報にも疎い男だからな!」
「自慢にならないでしょ……」
ああ、もう。
武装探偵の話を聞いているだけで頭痛がしそうだ。
居合探偵は慣れているのか、嫌な顔ひとつせず、武装探偵の質問に答えていく。
「不死サイボーグはな、その呼び名通り、あらゆるボディガードと戦って生き延びてきた過去から『不死』と呼ばれとるそうなんや」
「確かに……私の記憶では全身鎧姿で、銃弾だって効かなそうでしたね」
見た限りでは、関節などの必要な箇所を除き、全身を鎧で覆っていた。
アレでは、どんな攻撃も通じないように思う。
「全身を鎧でねぇ……なーんか、おかしいと思わへん? 鎧くらいで『不死』を名乗れるなら苦労しまへんわ」
「それは、そうですね」
確かに、違和感はある。
単に鎧がスゴいだけなら、武装探偵のような方向性の呼び名の方がしっくりきそうなもの。
あの鎧をまとった殺人鬼には、他に秘密でもあるのだろうか。
「我は、本物のサイボーグ……つまり、肉体の一部を電子からくりに改造した者だと思っているのである!」
「鎧に見える部分は、肉体を機械に改造した箇所ってことやね。まぁその割には、ゴツ過ぎる気もしますけどなぁ」
「ゴツ過ぎる、ですか?」
「どんな見た目にも、意義があるもんなんよ。例えば、武道で袴を着るんは足の動きが読まれんためやし、ウチがスーツなんは身体にフィットした服で斬撃を早うするためや」
「我の鎧が西洋甲冑なのは、デザインがカッコいいからだと聞いたな!」
「ちょっと静かにしててください」
「うむ」
「もし『不死サイボーグ』が名前通り肉体を機械化しとんのなら、ゴツいだけの鎧なんて着けたりせんと思うんよ。どうせ身体が機械なら並の攻撃は通じへんし、体積が増えると、見つかるリスクも高まりますからなぁ」
「確かにあの見た目は、ゲームで言えば味方を守るタンク……サイボーグならもっとスマートな、メタロギアの忍者サイボーグのような見た目になりそうです」
「忍者、細胞? よく分からんけど、まぁ大体そんな感じやね」
第一いくら裏社会でも、あんな巨大な見た目のサイボーグを作れるなんて、流石に非現実的だ。
名前でカモフラージュしているだけで、案外中身は普通の人間なのかもしれない。いや、きっとそうだ。ただの人間が、奇妙な鎧を着ただけに、違いないんだ。
だから、絶対に平気。
大丈夫。大丈夫、大丈夫――。
私は、まるで自分に言い聞かせるみたいに、頭の中で何度も同じ言葉を繰り返した。
「まぁ考えても埒が明きまへんし、あとは本人に聞いたりましょ」
「や、やっぱり、不死サイボーグは私を襲いに来るんでしょうか……」
「ああ、間違いあらへん。同盟がその筋から情報を得ましてな、奴が今夜この屋敷を襲撃することはほぼ確定らしいわ」
「アイツが今夜、ここに……!?」
思わず声を裏返りかけた。
背中に悪寒が走って、泣きそうになってしまう。
「驚かせてかんにんな、七条はん。何でも、不死サイボーグの所属している組織の鉄の掟だとかで、目撃者を一定期間内に殺す必要があるそうなんよ」
「だから、急きょ我らが派遣されてきたというワケである!」
二人の探偵が気を遣って声をかけてくれたものの、全然頭に入らない。
路地裏で不死サイボーグと遭遇した時のことを思い出し、身体が震える。
奴は手で人間の首の骨をへし折っていた。
もし、あの腕力が自分に向けられたらと思うと、恐怖を抑えきれない。
「大丈夫だぞ、七条どの」
私の震える肩に武装探偵が手を乗せた。
「我らは何があっても、七条どのから離れたりはしない。必ず守り抜いてみせるのだ!」
武骨な形の手の感触が肩に伝わる。
パパの友人たちのやらしい手付きとは違って、その手には優しさが感じられた。
でも――
「口だけなら……どうとでも言えますよ」
「えっ?」
「何でもありません、独り言です」
――どうせお金で雇われただけのくせに。
そんな不満が口から出そうになるのを、何とかこらえた。
いくら探偵同盟がスゴい組織だからって、結局は報酬があるワケで。
その金額に見合った活躍しか期待できない点では、普通の会社と変わらないじゃないか。
現実にヒーローなんていない。
最後に頼れるのは、自分だけ。
あまり信用しすぎないようにしないと。
「私は、死なない……死んでたまるか」
私が命を狙われる理由は、不運にも殺害現場に遭遇したこと。
死因が『不運』だなんて、あまりにもおマヌケすぎる。
たとえ不幸な境遇だとしても、私は負けない。
絶対に、負けないんだ。
その時――パァンと乾いた破裂音が下から響いた。
「銃声!?」
「下の階の警備の連中やね……ウチら、ギリギリセーフやったみたいやな」
居合探偵が私の手を引いて、ベッドから離れるよう促した。
「どこから来ても対処できるよう、部屋の角に行くで。武装はんは入り口近くで、正面からの襲撃に備えてもろてええやろか」
「合点承知である!」
武装探偵が入り口の近くで身構え、私と居合探偵は部屋の角へと移動。
下の階からは、銃声が止めどなく鳴り続いている。
「正面突破する気やろうか? 何や、スマートやあらへんねぇ」
そう、居合探偵がつぶやいた刹那――部屋の明かりが消えた。
外から見られないよう遮光カーテンを閉めていたせいで、部屋が完全な暗がりに包まれる。
思わず悲鳴をあげそうになったものの、すぐ隣の居合探偵が口をそっと押さえてくれたおかげで、何とかパニックにならずに済んだ。
「停電したぞ!? まさか、敵の策略か!?」
「せやろな。敵さんが銃弾を浴びながらも強行突破したんは、電気系統の破壊を狙っていたワケやね」
困惑した様子の武装探偵と違って、居合探偵は冷静沈着。
流石は、序列10位の探偵。
こんな不測の事態にも慣れているのかも。
「おもろいもん見せたるわ」
居合探偵がそう言うと、その手の和傘の先端が、ランタンのように発光した。
室内がほのかに明るくなり、遠くの武装探偵の姿まで視認できるようになる。
これなら、不意打ちを喰らうこともなさそうだ。
「この傘はウチの科学班が作ってくれた特別製でなぁ、懐中電灯から目潰し用まで、色んな光を出せるんよ」
「面白い傘ですね……」
「もちろん、光るだけやないけどなぁ? もっとおもろい機能もあるから、七条はんは安心して、戦いを見守っとき」
こんな危険な状況にも関わらず、微笑みかけてくれる居合探偵。
その余裕のある佇まいに、乱れていた心臓の鼓動も、自然と落ち着きを取り戻していく。
(私を襲うには、扉の入り口で武装探偵と戦う必要があるはず……大丈夫、いくら伝説の殺し屋だからって、こんな強そうな二人が相手なら……)
――いくら何でも不意をつけるワケがない。
そんな私の考えを崩すように、ベキベキと、足元の床が妙な音を発した。
「……そう来はったか。七条はん、ウチに抱きついとって!」
「えっ!?」
言われるがままに居合探偵へ抱きついた瞬間、足元の床が砕け散った。
浮遊感を覚え、何も見えない闇の底へと落ちていく。
恐ろしすぎて悲鳴をあげる余裕すらない。
しかし、私のすぐ隣の居合探偵の双眸は、鋭く研ぎ澄まされていた。
「上等やないの……!」
居合探偵にそっと投げ飛ばされ、私の自室の直下――リビングのソファの上へと落下した。
ようやく暗がりに慣れてきたかと思うと、窓のカーテンから差し込む月光が、黒光りする巨大な影を映し出す。
ゴリラでも脱走してきたのかと思うほどの巨体。
カブトムシの頭のような、末広がりの兜。
こんな怪物、見間違えるワケもない――
「ふ、不死サイボーグ……!?」
私の声に気付いたようで、不死サイボーグがこちらを向き直った。
関節からギィギィと、カブトムシの鳴き声みたいな音を立てながら、こちらへと歩いてくる。
すぐさま逃げようとしたけど、足が震えて、ソファから立ち上がることすらできない。
「あ……あ……」
「目撃者、発見。ただちに処理する」
機械的な声が響いたかと思うと、手甲に包まれた左腕が、大きく振りかぶられた。
ところが同時に、その巨大な腕の肘から先が――床へと落下する。
「不死サイボーグはん、油断しすぎとちゃいます? 関節がガラ空きで、思わず斬ってまいましたわ」
暗闇の奥から居合探偵が飛び出してきて、私と不死サイボーグの間に立ち塞がった。
その手に持った和傘の持ち手が消え、代わりに鋭利な日本刀が握られている。
その刀の柄の形は、まるで傘の持ち手。
まさか、あの傘には、刀が仕込まれていたの!?
「『お縄につきなはれ』って言いたいところやけど、片手じゃ難しそうやねぇ……かわいそうになぁ」
心底憐れむような声で語る居合探偵。
しかし、表情は冷たく、敵意が剥き出しだ。
視線を向けられなくても、胸がキュッと締めつけられた心地になる。
「……『探偵同盟』序列10位、居合探偵。妨害するなら、貴様も処理する」
「出鼻で片腕を失ったのに、大層な自信やないの。はよぅ止血せな、アンタ死ぬで?」
「私は、不死サイボーグ……絶対に、死なない」
片腕を失ったにも関わらず、不死サイボーグは怯まずに間合いを詰めてくる。
よく見れば、腕の断面から出血もしていない。
不死身どころか出血すらしないなんて……。
「ホンマにサイボーグってオチですのん? 笑えまへんわ」
残った腕で居合探偵を掴もうとする不死サイボーグ。
しかし居合探偵は、ゆらりゆらりと陽炎のように揺らめいて、紙一重で回避し続ける。
掴まれたら一巻の終わり。
見ているだけで、心臓がヒリついてしまう。
月明かりが差し込む中で、巨大な鎧とスーツ姿の女性の間合いが、少しずつ、少しずつ縮まっていく。
しかし次の刹那――
「フルメタル・キック!!」
頭上から武装探偵が飛来した。
無防備な不死サイボーグの頭に勢いよく蹴りが命中し、寺の鐘のごとく大きく震える。
当然、居合探偵はその隙を見逃さない。
「最高のタイミングや、武装はん!」
居合探偵が一気に間合いを詰め、不死サイボーグの喉元に向かって刀を振るった。
更に、振り抜いた刀の切っ先を正面に向け、喉に向かって一直線――
鉄の砕ける音がして、不死サイボーグの喉へと突き刺さる刀。
そして、その巨体が大きく揺らぎ、背中から床へと倒れていく。
倒れた瞬間、衝撃で部屋が少し揺れた。
「た、倒せたの……?」
私の元へと歩いてくる、武装探偵と居合探偵。
「駆けつけるのが遅くなってすまなかったな、居合どの」
「ええって。むしろ、隙を生んでくれて助かったわ。ウチの無外流剣術は、ああいう力押しの奴とは相性がイマイチやからな」
よかった。
見た限り、二人とも大きな怪我はないようだ。
暗闇の中で不意打ちを喰らったにも関わらず、流石だ。
「あ、ありがとうございます! 二人がいなかったら、私……」
「間一髪ウチらが間に合おうてよかったなぁ。探偵同盟に依頼したお父はんに、お礼を言うとき」
「ああ。仕事で屋敷を空ける自分たちの代わりに娘を守って欲しいと、同盟に依頼する方法を必死に探し当てたそうだからな。そのおかげで、我らは七条どのを守れたのである」
「パ、パパが……?」
私の話を聞いて、またすぐに仕事へと出ていったから、心配なんてされていないと思ってた。
でもちゃんと、パパは私を心配してくれていたんだ。
私は隙を見て街へ遊びに出かけたりするような悪い娘で、今回不死サイボーグに狙われているのだって、自業自得だというのに。
「パパに、謝らなきゃ」
ちゃんと面と向かって謝ろう。
これからは、もっと素直な娘になるために、今日から――
「全員、処理する」
居合探偵が素早く振り返った。
倒れていた不死サイボーグが、ゆっくりと立ち上がる。
それから、自らの喉に突き刺さっていた刀を、えびせんみたいに軽く握り砕いた。
「その仕込み刀、えらい高い特注品なんですけど……? 弁償してくだはるんやろな?」
「金など不要。間もなく、貴様は死ぬ」
砕けた刀の切っ先を喉に刺したまま、淀みなく言葉を発する不死サイボーグ。
『不死』という言葉が頭の中で反芻される。
本当に、目の前の殺し屋は、死なないとでもいうの?
「どう、して……」
どうして私が死ななきゃいけないの?
やっぱり、私はどんなに足掻いたって、不幸な身の上なの?
まだまだやりたいことがある。
パパに謝りたいし、学園にだって通いたい。
頭の中で、不平不満、疑問がどんどん湧き続けていく。
「武装はん、七条はんを連れて走りぃ! ウチが時間を稼いだる!!」
居合探偵の声でハッと我に返った。
武装探偵が私の身体を抱えつつも、逡巡した様子で居合探偵に視線を送る。
「居合どのはどうするのだ!? 刀も折られたというのに!」
「まだ小太刀がありますわ! 適当に時間を稼いでお暇《いとま》しますから、気にせんといて!」
――ウソだ。
あの巨体を相手に、小太刀で戦うなんて自殺行為。
ここで私たちが先に行けば、絶対に殺されてしまう。
まだ彼女と出会ってまだ一時間も経っていないのに、どうしてこんなことに。
「……ぐぅ! すまん、居合どの!」
「あ――」
武装探偵が部屋の出口へと向かって走り出した。
ダメ、止まって――と心の中では言おうとするものの、言葉にはならない。
自分を犠牲にしてでも誰かを救うだなんて、私には無理だ。
「居合探偵さん、どうして!」
やっと口から出た言葉は問いかけだった。
私を抱えた武装探偵が部屋を飛び出す間際、居合探偵は私を振り返り、満足げな笑顔を浮かべた。
「リーダーはんからの受け売りやけど――悲劇に立ち向かってこそ探偵やからね。
七条はんも、あんじょう、おきばりやす」
武装探偵が部屋を飛び出し、居合探偵の姿が見えなくなる。
そのまま武装探偵は、意識のない警備員たちの倒れている廊下を駆け抜け、屋敷の外へと飛び出した。
視界に広がる、七条家自慢の広大な和風庭園。
出入り口までは一直線に走っても10分はかかるし、普通に走っても追いつかれるかもしれない。
更に、判断を急かすように、すぐ近くでコンクリートの砕ける音がした。
「今の音は恐らく、敵が壁を壊した音だな……! このまま逃げたところで、すぐに追いつかれる! 我は一体、どうすれば……」
どこへ向かうべきか判断がつかないようで、武装探偵が動き出せずに呻く。
敵は素手で家を破壊し、銃弾すら効かず、首に刀が突き刺さっても死なない化け物。
迷うのも当然だ。
正面から挑んでも太刀打ちできない。
かと言って、逃げたところで追いつかれる。
あんなに頼もしかった居合探偵だって、やられてしまった。
こんな状況で、ただの女子高生の私に、何ができるって言うの?
「……七条どのは逃げてくれ。
この武装探偵が、不死サイボーグを打ち倒す」
武装探偵が私を地面へと下ろし、先ほど音の聞こえた方へと歩み出す。
予想外すぎて頭が真っ白になった。
しかし、すぐさま冷静になって呼び止める。
「待ってください! 勝算はあるんですか!? あなたよりずっと強い、居合探偵だって勝てなかったんですよ!?」
「……勝算ならある。
我にはまだ、秘密兵器があるのだ!」
武装探偵の右腕の手甲から、何やらバチバチと光が弾け始めた。
これは、一体……?
「今こそ、見せる時が来た……!
我が鎧に秘められた、究極の必殺技『獄電拳《プラズマ・ナックル》』をな!」
――後編に続く