真相はメイン
ディッシュのあとで

 大勢のヒトで賑わう休日のサービスエリアに、一際周囲の注目を集めるバイクスーツの女性がいた。
 女性は揚げ物の屋台の前で、唇に指を添え、悩ましげに首をかしげている。
 腰まで伸びた鮮やかなブロンドヘアに、翡翠色の瞳。四肢はモデルかと思うほどすらりと伸び、体型はグラビアアイドルも顔負けのグラマラス。
 その並々ならぬ容姿は注目を集める理由のひとつだ。
 しかし、一番の要因は別にあった。

「ん~……迷うけどぉ、揚げかまぜーんぶ、一本ずつくださいな♪」

 流暢な日本語に驚きつつ、屋台の店員が全種、合計十三種類の揚げかまを一本ずつパックに入れていく。

 パックは当然ひとつでは収まらず、よっつに分けて入れられた。
 一人では持つのも厳しい量だろう。

 ただ、女性はそれを見越していたらしく、その腕のプラ製の買い物カゴに揚げかまのパックを入れていく。

「ま、まだ買うのか……」
 周囲で見ていた誰かがボソリとつぶやいた。
 買い物カゴには、既に溢れんばかりの食品が入っているのだから、当然の反応だろう。

 買い物カゴを持ったまま飲食スペースへと移動すると、女性は嬉しそうにテーブルの上に食品を並べていく。
 先ほどの揚げかまに加えて、メロンパンに牛串、ポテト、コロッケ、肉巻きおにぎりと、バラエティ豊かなそのラインナップは、端から見ると食卓というより、一人屋台であった。

「うふふ♪ サービスエリアって、色んな料理が一度に楽しめるからいいわよねぇ~。どれから食べようかしら~」

「相変わらずの健啖家ぶりですね、美食探偵」

 そんな女性の元に歩いてくる、スーツ姿の女性がいた。
 シワ一つない清潔感のある服装に、後ろでひとつに括った髪、ひと際目をひく青いフチの眼鏡。その奥で輝く、丸いどんぐり眼。
 ブロンドの女性とはまた異なる、独特のオーラを放っている。

「揚げかまって、普段はあまり食べないのに、サービスエリアで見かけると食べたくなりますよねぇ。ひとつ、もらっていいですか?」

「むっ……!」

 『美食探偵』と呼ばれたブロンドの女性が揚げかまを頬張ったまま、キッと睨みつけた。
 私の料理に手を出すな、と。
 研ぎ澄まされた翡翠色の目が語っている。

「ふふ、冗談ですよぅ。超・食いしん坊なあなたから料理を取ろうだなんて、鬼の居ぬ間に洗濯ならぬ、鬼の居る間に宴会って感じですもんね」

 分かるような分からないようなことを言いつつ、女性は美食探偵と向かい合うように座る。
 それから、先ほどの詫びとばかりに、事前に買っておいたらしい紙カップのコーヒーを美食探偵に差し出した。

「せっかく日本に帰ってきたんです。どうせなら料理だけでなく、“おいしい”事件も頬張っていきません?」

 美食探偵はジッと眼鏡の女性の目を見つめたのち、コーヒーを受け取って、口をつけた。

「……ふぅ。わざわざオフの私をストーキングして、そんなことを言いに来たの? 蒼井警視」

 眼鏡の女性――蒼井警視はニッと白い歯を見せた。

「つれない反応はよしてくださいよ、美食探偵。あなたにピッタリな……いや、あなたにしか解けない、極上の事件なんですから」

「もう、相変わらず強引ねぇ。いいわ、コーヒーをいただく間くらいはお話を聞いてあげる」

 食事の手を止めないまま美食探偵は言った。
 その返事を聞き、蒼井警視が本題を語り出す。

「食事中に話すべき内容じゃないから、もし気分が悪くなったら申し訳ないです。今回の事件が起きたのは、今からちょうど一ヶ月前――」

 蒼井警視が懐から取り出した一枚の写真。
 そこには、シワの深い白髪の男性が映っている。

「こちらの男性が、某所の交番を訪れて、こう言ったそうですよ。
 ――私は、ヒトの肉を食べてしまった、とね」

~ウミガメのスープ事件~
前編

 M県の某交番を訪れた男性の名前は、久能慎一郎氏です。
 元・ベテラン漁師で、警察の調べによれば、地元では凄腕として有名だそうですよ。

 久能氏の地元は、戦後の復興が活発化し始めた頃、漁業の縛りが緩和されたことを契機として、遠洋マグロ漁業で大いに栄えた過去があります。
 マグロ漁業が最も盛んだった当時は、地元で育った男性は漁師を志すことが当たり前で、まだ年若かった久能氏も義務教育を終えてすぐにマグロ漁船で働くようになったそうです。

 その地のマグロ漁業は、14~15名の人員で約1ヶ月もの間、遠洋へと繰り出すもので、相当に過酷な仕事だったとか。
 1ヶ月も海の上にいるって、スゴいですよねぇ。
 これでもマグロ漁業では、期間が短い方だというから、恐ろしい業種だなと思います。

 さて、次は久能氏が乗っていた船について話しましょうか。
 当時の法律で定められたギリギリの大きさの木造船は、マグロの保管庫がほとんどを占めていて、ヒトの居住空間も食糧庫も最低限しか設けられていなかったそうです。

 各船員が自由にできるのは、二段並べたベッドの上だけ。
 ヒトの汗と魚の生臭さをまぜこぜにしたようなニオイは、慣れるのに相当な時間がかかったものだと、久能氏が苦々しげに語っていました。

 ただ過酷な分、得られるリターンも大きかったそうですよ。
 久能氏ら漁師は、漁から帰るたびに、地元に大金と活気を与えました。
 危険な漁から無事に帰還するその姿を、地元の住人たちは褒め称え、英雄視すらしたと言います。
 多少誇張は入ってそうですけど、まぁ地元で大人気だったのは確かなのでしょうねぇ。

 ですが、良いことばかりでは終わりません。
 久能氏たちは現状に満足できず、よりマグロが獲れる海域へ、より費用を抑えた装備で臨むようになっていくのです。
 結果を得れば得るほど、より大きな結果を求めるのは、いつの時代も、どの組織でも変わりませんねぇ……クワバラクワバラ。

 そして、欲をかきすぎた結果が悲惨である点も、今も昔も同じです。
 ある漁の道中、久能氏たちを乗せた船は大嵐に巻き込まれ、エンジンと通信機器が故障してしまったそうですよ。
 その上、嵐の際の揺れで船の指揮をとる船頭が海に投げ出され、行方知れずに。狭い船室で身体を打ちつけられて負傷する者も続出。久能氏も大怪我を負って、ベッドで身動きが取れない状態になったと言います。

 マグロの保管庫にスペースをとられている関係上、通信機器の修理用のパーツはおろか、治療用の薬品や道具も不十分。陸地へ上がろうにも、エンジンが動かず、波にまかせる他ありません。
 その上、追い打ちをかけるように、食糧庫の浸水が発覚。
 ただでさえ少ない食糧は更に減って、考えうる限り、最悪の状況に陥りました。

 ギリギリのバランスで辛うじて成り立っている職場は、歯車がひとつ狂っただけですべてが崩壊してしまうという、良い例ですねぇ。

 結論から話すと、十五名いた船員たちのうち、生きて地元へと帰ったのは十名のみ。
 航海の途中で五人の命が失われ、そのうちの二人は海に飲み込まれたまま、遺体さえ見つけられなかったそうですよ。

 当時の状況について語る久能氏の声をボイスレコーダーで録音しておいたので、再生しますね――

「傷口がらバイ菌さ入っだようでな……地上ば戻るまで高熱と目眩にうなされとったが、周りがら聴こえでくぅしぇずねぇ声ぁ今でもあんじだす」
(訳:傷口からバイ菌が入ったようで……地上へ戻るまで高熱と目眩にうなされていたが、周りから聴こえてくる耳障りな声は今でも耳に残ってる)

「そいまで荒波も、雷雨も、一緒い乗り越えだ屈強な仲間ば、『いでぇ』『あぢぃ』さ、おぼこんように喚き続けとっち……いぎなり地獄さ思っだっちゃ」
(訳:それまで荒波も、雷雨も一緒に乗り越えた屈強な仲間が『痛い』『熱い』と、赤子のように喚き続けているのを聞くのは……本当に地獄だった)

「刑事すん、むげな傷ば負っだこどあっぺっちゃ? ああ、んだか……そいはいいごだ。怪我だばすんもんじゃねぇ。ろくに消毒さできん場所だば尚更っちゃ」
(訳:刑事さんは、酷い傷を負ったことあるか? ああ、ないか……それはいいことだ。怪我なんてするもんじゃねぇ。ろくに消毒もできん場所なら尚更だ)

「傷口さバイ菌ば入っとな、傷口がら黄色い膿ば、ふぅだ出できで……どんどん広がりん。んで、全身ばゴムさなっだみたいに、すならっこくなっち、あがることば、んざねはぁぎん」
(訳:傷口にバイ菌が入るとな、傷口から黄色い膿がたくさん出てきて……どんどん広がっていく。そして、全身がゴムになったみたいに固くなって、食事をとることも苦労するんだ)

 恐らく、傷口が化膿した上に破傷風にかかったのでしょうね。
 服の上から切り傷を負った場合、傷口に不衛生な服の繊維が埋没し、高確率でバイ菌が体内に入り込んでしまうのですよ。
 当時の漁師たちが、そのような医学知識を持ち合わせている可能性は低いので、惨事を防げなかったのも仕方ないことでしょう。

 おっと、話にカットインしてごめんなさい。
 久能氏の証言の続きを再生しますね――

「仲間ん声、日に日にかすけぇりん。肉さあめった匂いさ、鼻ぁつくよぉなっだ。おらが意識ぃ遠のいとんか、仲間な命失われとんか判断さつかじ、何も見えねぇ深海ん底いゆぅっくり沈んでく心地だったなや」
(訳:仲間の声が、日に日に聴こえなくなっていった。肉の腐った匂いが、鼻につくようになった。自分の意識が遠のいているのか、仲間の命が失われているのか判断もつかず、何も見えない深海の底へゆっくりと沈んでいく心地だったよ)

「すかし、ほいな時でも腹ば減るっちゃ。仲間さ運んでくれぅ味んないスープだば、はっぱり腹ぁくっついんや……」
(訳:しかし、そんな時でも腹は減るんだ。仲間が運んでくれる味のないスープでは、全然腹が満たされなかったよ……)

「ほんで、“例のスープ”さ出たっちゃ。目ぇはっぱり見えんで鼻さ鋭くなっとぅで、ンマそうなスープばニオイにハカハカしたっちゃ」
(訳:そして、“例のスープ”が出てきた。目が全然見えない分、鼻が鋭くなっていたから、美味そうなスープのニオイにワクワクしたよ)

「どでんして『そん汁物、なんだや?』と訊ねだ。んで、食事ば運んでくれとう仲間さ、『ウミガメばスープでがす』とかだった」
(訳:驚いて『その汁物は何だ?』と訊ねた。それで、食事を運んでくれていた仲間は『ウミガメのスープですよ』と答えた)

「ウミガメばスープ、そりゃあンマくてンマくて。皮ぁ分厚くてこっぱすぇども、ころっとあがったっちゃ。いぎなりいぎば出たっちゃ」
(訳:ウミガメのスープは、それはもう美味くて美味くて。皮が分厚くて固いけども、すぐに全部食べてしまった。物凄く元気が出たもんだよ)

 どうやら久能氏の仲間が、運よくウミガメを捕獲して、食糧にすることに成功したようですね。
 久能氏は元よりですが、他の船員たちも活力を得て、死者を最小に抑える結果に繋がったのでした。
 めでたし、めでたし。

 ――といきたいところですが、今回の事件の本題はここからです。

 実は久能氏が先日、またウミガメのスープを口にする機会があったそうなんですよ。
 そこで、ウミガメの肉をひとくち食べてみてビックリ。
 昔食べた時とは、味も食感も風味も、全然違ったんですって。
 まぁ味だけなら、古すぎる記憶と、食べた時の身体の調子の差だろうと納得できるんですけどね、問題はニオイです。

 美食探偵ならもちろん知ってるでしょうけど、肉の味は食べたものに由来します。だから、腐肉を食べる生き物の肉は臭いし、海藻しか食べないウミガメの肉は全然生臭くなくて、鶏肉みたいな風味がしたんだとか。美味しそうですよねぇ、私も食べてみたくなりましたよ。

 ですが、久能氏は気付いてしまったんですね。
 自分の記憶に残るウミガメのスープが、とてもウミガメの肉とは似つかない、強烈なケモノ臭がしていたことに。

 真相を知ろうにも、当時一緒に船に残った仲間は全員他界しているそうで、久能氏の頭の中には悪い想像が膨らみます。

 あの時、自分が食べた肉は本当にウミガメだったのか?
 遺体を連れ帰られなかった仲間は、本当に海に飲み込まれたのか?
 食糧に困った仲間が、口裏を合わせて、非人道的な行為に及んだのではないか?

 日に日に強迫観念が強まった久能氏はとうとう、耐え切れずに警察へ自首してきた、というワケです。

 いかがですか?
 なんとも、奇妙奇天烈な事件でしょう?
 ただ正直、警察としては真実がどうあれ、とっくの昔に時効だから捜査なんてしようがないんですよ。

 しかし、せっかく不運な事故を生き延びた男性の余生を、苦悩にあふれたものにはしたくないじゃないですか。

 だから、美食探偵に依頼をしようと思ったんです。
 優秀な探偵たちが集う『探偵同盟』の中でも、最高の味覚と食に関する知識を誇る美食探偵に、ね。

 蒼井警視がすべてを語り終える頃には、テーブルの上に置かれていた多くの料理のパックは空になっていた。

 ハンカチで口元を拭き、蒼井警視からもらったコーヒーに口をつけると、美食探偵は困ったように眉根を寄せた。

「ンもぉ……オフの日くらいゆっくりしたかったけれど、そんな話を聞いたら協力せずにはいられないじゃない」

「ふふっ、流石は美食探偵です。あなたは、いつも言っていますものね」

「……『人生に何より必要なのは、満たされた食事』。食事で苦しむ子がいるなら、私が助けてあげなきゃね」

 頬に手を添え、何かを思案する様子の美食探偵。
 食べ物に夢中となっていた時のノン気な雰囲気は消え、表情に怜悧さと鋭さが伺える。

 この顔になった彼女が真相にたどり着けなかった事件など、蒼井警視は未だ遭遇していない。

「では、今回の事件をまとめましょうか。
 自首をしてきた久能氏は、数十年前に遠洋マグロ漁業で難破した際の、謎のスープの正体が分からず、苦しんでいます」

「久能ちゃん本人は、ヒトの肉を食べたと思い込んでいて、当時の状況を知る人は一人もいない。手がかりは当時の記憶……ウミガメとはまったく異なる、ケモノくささと皮の分厚さ、それでいておいしかったという事実だけなのよね?」

「ええ、その通りです。ここで気になるのは、同僚たちが久能氏に肉の正体を隠した理由ですね。普通の食べ物なら、秘密になんてしないはず……まさか本当に、久能氏は船員の遺体の肉を食べさせられたんでしょうか?」

「違うと、信じたいわね。久能ちゃんもきっとショックでしょう……今のままだと、久能ちゃんはこの先、食事のたびに罪悪感に苛まされて、苦しみ続けてしまうわ」

 美食探偵がコーヒーを飲み干して、目をつぶった。
 空気の変化を察した蒼井警視は、話しかけるのをやめ、黙って様子を見守る。

「マグロ漁用の縄を使えば、何かを捕らえられるかしら……? いえ、それは状況的に難しいはず。かと言って、残りの装置で釣れるものは限られるし、考えられる可能性はひとつだけね」

 そこまで語ると、美食探偵は空のパックをすべて買い物カゴに放り込み、コーヒーを片手に立ち上がった。

「蒼井警視。今から伝えるS県の場所に、久能ちゃんを連れてきてくれないかしら」

「流石、早いですね。ですが一体、S県で何を?」

 続いて立ち上がった蒼井警視に、美食探偵が微笑みかける。
 そして彼女と付き合いの長い蒼井警視すらも呆然とさせる、妙なことを一言を告げた――

「久能ちゃんをご招待するのよ。
 S県グルメ食い倒れバーベキューにね♪」

――後編に続く