真相はメイン
ディッシュのあとで

~ウミガメのスープ事件~
後編

 S県某所の、夏は大勢の人々で賑わう青い海に、美しい砂浜。
 今は季節外れのために誰もいないその浜辺の駐車場に、大型二輪でバイクスーツの女性が乗りつける。
 バイオレットカラーのヘルメットを外すと、中からブロンドの髪がふわりとこぼれ落ちた。

「うぅーーーーーん……潮風って、嗅いでいるだけで胃袋が海鮮モードになっちゃうわねぇ」

 ブロンドヘアの女性――美食探偵が、本来燃料タンクのある場所に設けられた収納《ラゲッジ》ボックスを開き、ヘルメットを中に仕舞って、うんと一つ伸びをした。

 その姿を発見したのか、すぐ近くに駐車していた自動車から、制服姿の青ブチ眼鏡の女性と、オーバーオールに白髪の角刈り、鉢巻という見るからに漁師の男性が出てきた。
 蒼井警視と、今回の事件の発端、久能慎一郎である。
 本来なら日に焼けて浅黒い久能の肌は、明らかに血色が悪く、頬はこけ、まともに食事も睡眠もとれていないことが窺えた。

「はぁい、美食探偵。言われた通り、久能氏を連れてきましたよ」

「ありがとう、蒼井警視。早速だけど二人とも、私に付いてきてもらっていいかしら」

 会話もそこそこに、美食探偵は蒼井警視と久能の二人を砂浜へと案内した。

 砂浜には、夏場には多数置かれているだろうテーブルと椅子に、バーベキュー用のコンロ。テーブルにはご丁寧に日除け用のパラソルまで完備。コンロの横には、スーパーの鮮魚コーナーで見かけそうな発泡スチロールの箱が置かれている。

 傍目には、季節外れのバーベキューの準備にしか見えない。
 美食探偵を信頼する蒼井警視も、この光景には流石に困惑を隠せず、言葉を失った。

「さぁ、蒼井警視も久能ちゃんも、座って座って。せっかくS県に来たんだもの! 海鮮を食べなきゃ損だわ!」

 とても楽しげな顔の美食探偵。
 その様子に、蒼井警視と久能は何も言葉を返せず、言われるがままにテーブルへと着いた。
 すると、事前に調理していたのか、たっぷりの生しらすと生姜の乗った冷奴の小鉢を、美食探偵が二人の前に置いていく。

「この辺りで今朝獲れたばかりの新鮮なしらすよ。しばらく調理に時間がかかるから、待っている間に食べておいて♪」

 それから美食探偵は、手慣れた様子でコンロに炭を入れ、火を着けると、発泡スチロールの箱の中身を取り出して焼き始めた。

 しかし、蒼井警視と久能からは、ちょうど美食探偵の背中で隠れて見えない位置。
 ジュワッと脂の焼けるような音が聴こえ始め、肉の焼ける香ばしい匂いが漂い出し、好奇心がそそられつつも、料理の完成をただ待つことしかできない。

「久能ちゃん。結論から言うとね、あなたが食べたのはヒトの肉じゃないわ」

 背中を向けたまま美食探偵は語り出した。
 しらすに箸を伸ばせずにいた久能が、目を見開いて美食探偵の二の句を待つ。

「ケモノ臭さが気になったというあなたの証言を聞いた時に、まず真っ先に思い浮かんだのは、アシカやラッコなどの哺乳類の可能性。水族館でも大人気の可愛い生き物だから、同僚ちゃんたちが隠したがるのも無理はないかなって思ったの」

「待ってください、美食探偵。アシカやラッコって、近くに陸地がない環境でも生きられるんですか?」

「いいえ、無理よ。ただ、蒼井警視が聞いた限り、船がどの辺りを彷徨っていたかを久能ちゃんは知らないのよね?」

「ん、んだっちゃ。おらぁ何もしゃあねぇ……ン十年も前ンはなすでね」
(訳:そ、そうだ。俺は何も知らない……何十年も前の話だからな)

 焦って答えた久能に、美食探偵は微笑を返した。

「ありがとう、久能ちゃん。ということは、実は海岸が近いところを彷徨っていたか、もしくは波に流されて陸地へ帰れなくなった個体を見つけた可能性は全然あるわね」

「ま、まさか私たち、これからアシカ肉やラッコ肉を食べさせられるんですか?」

「え、食べたかった? ごめんなさいね。今日は用意していないの。蒼井警視には今度差し入れをしてあげるわ」

 振り向きもせずに、悪戯っぽい調子で語る美食探偵。
 オフの日に依頼を持ち込んだお返しだろうか。

「勘弁してください……違うってことは、久能氏がかつて食べ物の正体は別の生き物なんですね?」

「ええ、違うわ。そもそも、アシカやラッコの場合、どう捕まえたのか疑問が残るしね」

「えっ、普通に釣り上げたんじゃないんですか? マグロだって釣り上げられる装置を備えた船なんですから、アシカやラッコくらい余裕でしょう?」

「んなこたぁ無理だ。釣れでサメくれぇすぺ」
(訳:それは無理だ。釣れてサメくらいだろう)

 久能の言葉に美食探偵も続く。

「マグロの漁はね、とっても長~い縄を、何時間もかけて行うんだけど、大型の魚以外は滅多に引っかからないし、引っかかってもサメに食べられてしまうことが多いの。もちろん、サメ自体が引っかかって、危険な状況になることだって少なくないわ」

「なるほど。時間も手間もかかるし、怪我人が出るリスクもある。ただでさえ怪我人が多い状況下で行うには、リスキーなんですね」

「ええ。だから、久能ちゃんの同僚ちゃんたちはきっと、本来ならマグロの餌にするために行う釣りで、食糧を得ようとしていたはずだわ」

「姉ちゃん、よぐ知っづるなぁ」
(訳:姉ちゃん、よく知ってるなぁ)

「うふふ♪ いつか一人でマグロ一匹をまるっと食べてみたかったから、昔調べたのよ」

「本当に、食の鬼ですねえ……クワバラクワバラ」

 美食探偵の言葉を受け、蒼井警視は一人考える。
 ――通常の釣り程度しかできないなら、一体『ウミガメのスープ』の材料は何だったのだろうか。

 クジラだろうか? いや、クジラなんて釣れるワケがないし、そもそも船上に乗り切らないだろう。
 サメか? いや、サメは釣り竿では釣れないし、よく釣れるというから肉の正体を隠す必要がない。
 考えれば考えるほど、謎は深まるばかりだった。

「はい、完成~♪」

 美食探偵がテーブルへと向き直った。
 その手には、焼かれた肉らしきものの乗った大皿。
 一見すれば十分に火を通した牛肉のように見えるが、外側に分厚い脂身と皮がついており、魚介のようにも思える。
 何の肉なのか、実際に見ても見当がつかない。

「肉の味がよく分かるよう、ステーキにしてみたわ。さぁ二人とも、熱いうちに食べてちょうだい」

 美食探偵はテーブルの上に皿を置き、二人に食べるよう促した。
 箸を握ったまま躊躇していた蒼井警視と久能であったが、蒼井警視が先に肉へと箸を伸ばし、口へと運んだ。

 噛んだ瞬間に驚いたのは、まず食感。
 牛肉とは違った、ブチブチという繊維の千切れるような、独特な歯ごたえがした。しかし固いワケではなく、噛めば噛むほど肉の旨味が口の中に広がっていく。

「おいしいですよ、美食探偵。以前に食べた、クジラの肉に似ているように感じます」

「さて、クジラのお肉かしらぁ? 皮の部分も食べてみるといいわ」

 言われるがまま、蒼井警視は分厚い皮と皮下脂肪の部分を頬張った。
 すると、ケモノ臭さと磯臭さの混じった強烈な風味が鼻の奥に抜け、えずきかけた。
 今までに食べたことがない味と匂い、それに食感。
 とてもではないが、お世辞にも美味しいとは言えない。

「うぇ……な、何ですか、この肉。クジラでは、ないみたいですね……」

「私もクジラの可能性を考えたけど、いくら小型のクジラだって、釣り竿じゃ釣れないわよね? それに、クジラは皮下脂肪が大きいから、皮付きの肉をスープに入れることは難しいの」

「な、なら、このお肉は……」

「せっかちはノンノンよ、蒼井警視。
 真相は――メインディッシュのあとでね♪」

 一方で、久野は箸を手にしたまま動けずにいた。
 悩み続けてきた肉の正体が、ようやく分かるかもしれない。
 しかし、もしこの肉が記憶と違えば、今度こそ本当に自分はヒトの肉を食べていたことになる。
 動けずに固まってしまうのも、仕方ないだろう。

「怖いわよね、久能ちゃん」

 そんな久能の内心を見透かすように、美食探偵が穏やかな声音で語りかける。

「でも、きっとあなたの同僚のみんなは、あなたに死んで欲しくなくて、美味しいモノを食べて欲しかったから、必死にスープを作ったと思うの。それなのに、そのスープが原因でゴハンを食べられなくなるなんて、何よりも悲しいことだわ」

 久能の箸がぴくりと動いた。
 そのままゆっくりと、肉へと近づいていく。

「安心して。状況から考えるに、そのお肉で間違いないはずよ。あなたの記憶と、答え合わせをしてちょうだい」

 箸が肉を掴み、そのまま久能の口へと運び入れた。
 音も立てずに、ゆっくりと咀嚼する久能。
 その浅黒い肌に、一筋の涙が伝った。

「こ、こいだ……! こいが、おらさあがった肉っちゃ!!」
(訳:これだ……! これが、俺の食べた肉だ!!)

 それからはもう何も言わずに、久野は一心不乱に肉を食べ始めた。

 泣きながら、でも笑いながら、昔を懐かしむように、幸せな顔で。
 その様子を見つめながら、美食探偵は満足げに語る。

「やっぱり『ウミガメのスープ』の正体は、イルカのスープだったのね」

「イ、イルカぁ? 食べられるんですか、イルカって」

 テーブルからそそくさと離れた蒼井警視が、美食探偵の隣で驚いた顔をした。

「クジラと同じ哺乳類の仲間だもの、当然食べられるわ。昔は普通に食べられていたし、S県のこの辺りでは、今でも伝統的に食べられているの」

「だから、わざわざS県を指定したんですね。あれ? でも先ほど、当時の装備では釣りくらいしかできないって話じゃ……」

「ここからは私の推測だけど、きっとイルカが水中から飛び上がって、たまたま船の上に乗ってしまったんじゃないかしら?」

 あっ――と蒼井警視が小さく声をあげた。
 イルカがジャンプを行うのは、別に水族館のショーだけではない。
 理由は解明されていないものの、野生の個体でも水中から大きく飛び上がる姿が、よく目撃されている。

「久能ちゃんたちの船が巻き込まれた当時は、ちょうどイルカショーが人気を博していた時代でね。イルカと言えば、もはや食糧ではなく、可愛いペットだったのよ」

「だから、久能氏が拒否反応を示さないよう、『ウミガメのスープ』と称して食事に出した……と」

「きっと調理した他の同僚ちゃんたちにも、罪悪感があったのでしょうね。意識的に獲った子ならともかく、たまたま船の上に飛び込んできた子を殺して食べるのだから、尚更だわ」

 船上に飛び込んできた哀れな動物。
 本来なら、殺さずに海へ還す場面なのだろうが、生きるか死ぬかの状況ではそんな余裕などない。
 船員たちは心を鬼にして、イルカを仕留めたことだろう。

 幻の『ウミガメのスープ』を生んだ犯人は――漁師たちの罪悪感だったのだ。

「それにしても、よくイルカの味なんか知っていましたねぇ……流石は、美食探偵です」

「うふふ、この世界には美味しいモノがいっぱいあるもの。食わず嫌いは、それだけで損だわ。蒼井警視も私と一緒に、もっと世界を広げてみない?」

「ご、ご勘弁を……イルカの肉だって、舌に合いませんでしたし」

「むっ……! それは心外だわ! 本当に美味しいイルカ肉ステーキを作るから、テーブルへ座ってちょうだい!」

 今日一番の剣幕で、美食探偵は蒼井警視を力づくでテーブルへと着席させた。

「さっきは匂いを強く出すために残したけど、本来ならステーキにするなら皮と脂肪は取っちゃうの! もう一度食べてみてね! あ、でも、しっかりと煮込めば皮も脂肪も美味しいのよ? そっちも一緒に作ってあげるわ!」

 それから、返答も待たずしてコンロの前で調理を始める美食探偵。
 その飽くなき食への愛に呆れつつも、蒼井警視は自分の隣で食事を続ける久能の横顔を見た。

「ンめぇ……ンめぇよ……みんな、ありがとう……ありがとう……」

 肉を食べながら久野は小さく、今は亡き同僚たちへの感謝の言葉を繰り返している。

 それはきっと、救われてから今に至るまでの、数十年分の感謝の気持ちを込めた言葉。

 彼にとって、ヒトの肉だという疑惑が晴れた今、もはや肉の正体などどうでもいいのだろう。

 かつての仲間たちに感謝しながら食事ができるのなら、それで――

「この調子で……次の事件でもよろしくお願いしますよ、美食探偵」

 そう語る蒼井警視のスマートフォンの画面には、顔から六本の腕が生えた黒いスーツの人型――『八ツ裂き公』のシンボルマークが映っていた。

――本編『八ツ裂き公事件』へと続く