文学探偵と阿呆の匣
【第1幕】~『十條』の円卓~
壁には絢爛な装飾が施され、中央に総漆塗りの大きな円卓の置かれた、レトロな雰囲気の洋室。
木製の扉が開いて、そのきらびやかな部屋へと、燕尾服を着たショートヘアの女性が入室する。
「一条家代表……一条真百合《いちじょう まゆり》、入ります」
女性が円卓の席に着くと、次は後ろで結った髪が目をひく、眼帯をつけたダブルスーツの男性が入ってきた。
「二条家代表、二条神威《にじょう かむい》、参上つかまつる」
続いて入ってきたのは、大きな電子タブレットを操作しながら歩く、スーツ姿の小柄な男の子。
「三条家代表、三条里海《さんじょう りかい》、入るよー」
そのあとには、ブロンド髪で軍服姿の女性と、前髪をワックスでガチガチに逆立てたメガネの男性が続く。
「四条家代表、四条ロイヤル《しじょう》、爆参デース!」
「五条家代表、五条勝悟《ごじょうしょうご》、入室」
次に入ってきたのは、鍛え上げた上半身を見せつけるように、上裸の上からスーツのジャケットを羽織った青年。
そのすぐ後ろには、豊かな胸が特徴的な、赤いスーツを着た茶髪の少女。
「六条家代表、六条王我《ろくじょう おうが》、入るぞ」
「七条家代表、七条奈々菜《ななじょう ななな》、入ります」
次は、クマの着ぐるみから顔の部分だけ露出した姿の、子どものような体躯の女性が。
「八条家代表、八条羽南《はちじょう はな》、バッッバーンと登場クマー!」
その次は、般若の仮面をかぶった黒衣の男が。
「九条家代表、九条閻魔《くじょう えんま》、降臨せり」
そして最後に、真っ赤な坊主頭が特徴的な、タンクトップの男性が堂々と部屋へと入ってきた。
「十条家代表、十条暁星《じゅうじょう あけぼし》、来てやったぜ」
一条家から十条家まで時計回りで、数字順に円卓を囲んだ青年たち。
全員まだ年若く、未成年がほとんどのように見えるが、外見にも年齢にも共通点は見られない。
はたから見れば、何の集まりかなど分からないだろう。
「全員集まりましたね。では今回もこの私、一条真百合が一族を代表し、会議を進めてまいります」
燕尾服の女性が周囲の者たちを見渡してから、淡々と語り出す。
「本日の議題は知っての通り、先日大往生を遂げた私の祖父、一条龍我《いちじょう りゅうが》の遺言に関してです。彼は生前、私たち十條グループに伝わる埋蔵金を発見し、戦後の不況に苦しんでいた状況を一変させた功労者です」
「前置きが長ぇーよ、マユリ」
赤い坊主頭の男性――暁星が話を遮った。
「要は、龍我のジイさんは埋蔵金の残りの場所を伝えずに死んだ。その場所を知るには、俺たち若い世代で変な遺書を解読しなきゃなんねぇ。だから集まった。それだけだろ?」
「ええ。少々乱暴な表現ではありますが、暁星の言う通りです」
暁星の言葉に、燕尾服の女性――マユリは小さく溜め息を漏らしながらも、語りかける。
「ですが、遺書の内容は複雑怪奇。この遺書を読み解けるかどうかは、私たち一族の死活問題です。焦らず冷静に、私たち全員で内容の仔細を共有の上、協力して解明を進めるべきでしょう」
「バカか、お前! 遺書を最初に読み解いた奴が埋蔵金を自由に分配できるっつぅ条件なんだぞ?」
暁星が苛立たしげに赤い坊主頭を掻きながら、声を荒げて叫ぶ。
「俺は協力なんてごめんだね! 仲良しこよしがいいなら、お前らで勝手にやってろ、腑抜け野郎どもが!」
「口を慎め、暁星。我々の間に優劣などないとは言え、マユリは二十二歳。このメンバーで二番目に年齢が高いのだぞ?」
シャツを着ずに上裸の上から上着を羽織った男――オウガが暁星を嗜めるように、強い口調で続ける。
「龍我のジイさんは、オレ様たち次世代の代表に遺書を解読するよう言い遺した。オレ様たち全員が手を取り合い、共に埋蔵金を獲得することを望んでいるのだろう」
「相変わらずの甘ちゃんぶりだなぁ、オウガ。でもソイツぁ、お前ンところの会社が余裕だからこそ、見せられる甘さだろう」
暁星は低い笑い声を漏らし、敵意が剥き出しの目でオウガを睨みつけた。
「みんながみんな、他者を慮る余裕があると思うなよ。埋蔵金は俺たち『十条』がいただく。邪魔者をブッ殺してでもな……」
そう語る暁星の目は本気であった。
その言葉に室内の空気は張り詰め、それまで座っていたオウガが席を立ち、暁星へと詰め寄る。
「今の発言……撤回しろ。たとえ勢いから出たものだとしても、看過できん」
「ああン? ちょいと業績を回復させたからって、格上気取りか? そっちがその気ならやってやんぞ、オウガァ……」
「『探偵同盟、文学探偵、入ります』と、少女は他のヒトたちの見様見真似で入室した」
そこで突然、部屋に黒髪をツインテールにした少女が入ってきた。
全員の視線が集まる中、少女は円卓の空いた席――オウガと奈々菜の間に向かって歩いていく。
「何だよ、クソガキ。テメー、誰に許可を得て入ってきやがった」
「『テメー? そんな名前のヒトは、この部屋にはいないと記憶しています。今しがた名乗ったばかりだというのに、記憶力が弱いのですか? 十条暁星さん』と、少女は冷静に返答した」
「あ"?」
暁星の問いかけに淡々と答えつつ、少女が席へと座った。
今にも飛びかかりそうな暁星を制して、オウガがツインテールの少女の隣へと立ち、他の者たちへ告げる。
「彼女は文学探偵。優秀な探偵で構成される組織『探偵同盟』において、最も文学の知識に優れた探偵だ」
「オウガ、テメー! 『十條』の血筋しか着席を許されねぇこの神聖な円卓に部外者を座らせるたぁ、どういうつもりだよ!」
「黙れ、暁星。同族に殺意を向けんとする貴様に、咎められる筋合いなどない」
オウガの隣に赤いスーツと茶髪が特徴的な少女――奈々菜が立って、言葉を続ける。
「龍我お祖父様は大変な読書家だったでしょ? 遺言に書かれた暗号も、恐らくは著名な書籍に関連するもの。文学探偵は必ず、私たちを手助けしてくれるはずだわ」
「奈々菜の言う通りだ。既に共有を受けている限り、龍我のジイさんが遺した暗号と例の“箱”は、我々だけの力では手に余る。外部の助力が必要だろう」
そこで再び扉が開いた。
入ってきたのは、赤く塗られた巨大な箱を四人がかりで運ぶ黒服の男たち。
その縦横1メートルばかりの箱を円卓に乗せると、男たちはそそくさと退室していった。
「皆さんに直接お見せするのは初めてですね。こちらが祖父の遺言書と共に発見された『阿呆匣《あほうばこ》』です」
語りつつ、箱へと触れる真百合。
すると、箱が観音開きをし、その奇妙な内部を露わにする。
「『阿呆匣……』」
文学探偵は名前に反応を示しつつ、箱の中身を観察していく。
箱の中心には一際大きな、人間を象ったと思われる木製の彫刻。
彫刻の胸には液晶が埋め込まれており、『00』というデジタル数字と、その下に0から9までの数字のボタンが設けられている。
そして彫刻の周囲を取り囲むように、鳥類の頭のついた人型の彫刻が9体。鳥頭たちはほぼ同じ姿をしているものの、クチバシのないものや医者風の姿のもの、ピアノを弾くもの、ヴァイオリンを弾くものなど、若干の個性がつけられており、完全に同じものは1体もいない。
「九匹の物怪と、一人の君。権利を有するは唯一人。己が数字を刻み、現への道を開け。
――以上が、阿呆匣と共に残されていた言葉です」
真百合が無感情な声で言って、パンパンと手を打ち鳴らして従者を呼び、円卓に座る全員へ鉄製の腕輪を配布させた。
各人の手首のサイズに合わせたらしいその腕輪は、ほぼ無地であるものの、一から十まで、それぞれの家系の名字である漢数字が彫られている。
「その腕輪を手首にはめた者にだけ、阿呆箱のボタンは反応します。一度装着してしまうと、壊さない限りは絶対に外せないので、ご注意ください」
明らかに怪しい腕輪と、奇妙な箱を前にして、円卓に座る者たちは静まり返った。
奇妙な箱のことは、事前に写真で共有されていた。
しかし、現実に目の当たりにした“それ”には、芸術品めいた凄みと同時に、剣呑な空気を感じてならない。
大企業を継ぐべく研鑽を続けてきた若者たちが、その危うさを警戒するのは当然のことであった。
円卓に座る中で平然としているのは、ただ一人――
「『なるほど……一条龍我は、よほどヒトを喰った性格のようですね』と、少女は故人の思惑を悟った」
文学探偵だけが、何かに気付いた様子でアゴに手を当てていた。
「さぁ皆さん、腕輪をはめ、この『阿呆匣』の謎を全員で解きましょう。
すべては、『十條』の未来のために」
集められた十人の御曹司たちと、一人の探偵。
莫大な埋蔵金の場所を示すという奇妙な箱。
意図の分からぬ遺言と、怪しい腕輪。
集められた者たちは皆、この会議が何事もなく平和に終わることはないことを、予感し始めていた――。
十一人の座る円卓に落ち着きが戻ると、文学探偵を除いた十人はそれぞれ、自分の前に置かれた鉄製の腕輪を装着し始めた。
ただし、クマの着ぐるみの女性――ハナは一人苦い顔を浮かべる。
「真百合ー、ハナは着ぐるみを着てるし、腕輪なんて無理だクマ。着けなくてもいいクマ?」
「いいえ、着ぐるみの内側にしっかりと着けてください。この腕輪を着けない限り、祖父の遺産を相続する権利は得られません。ハナさんと言えど、その言いつけには従ってもらいます」
「ちぇっ、分かったクマー。面倒な遺言クマねー」
ハナが不満げに唇を尖らせつつ、腕輪と一緒に着ぐるみの内側へ潜り込むと、着ぐるみの毛皮がモゾモゾと蠢いた。
他の者たちもそれに続き、腕輪をはめたことを示すように、右腕を軽く挙げてみせる。
「準備が整ったようですね」
周囲を軽く見渡したのち、真百合は説明を続けた。
「遺言は先ほども口にした通りです。
『――九匹の物怪と、一人の君。権利を有するは唯一人。己が数字を刻み、現への道を開け』
この言葉の意味を読み解けた者は挙手して、阿呆匣のパネルに数字の入力をお願いします」
――静寂。
説明が終わったものの、誰も口を開かない。
円卓に座る者たちは皆、それぞれの専門分野を有したエリートたちばかり。
それでも、一条龍我の遺した不可解な暗号は、解読できずにいるようだ。
「……文学ちゃん、どう? 何か分かった?」
文学探偵の隣に座る茶髪の少女――奈々菜がそっと問いかけた。
しかし、返事はなく、目をつぶったまま微動だにしない。
「……ぶ、文学ちゃん?」
「『読書中ですので、話しかけないでください』と、少女は視線も返さずに言った」
返ってきたのは冷たい返事。
文学探偵は目をつぶったままで、手は膝の上に置かれており、とても読書しているようには見えない。
ただ、それ以上は言及することは避け、奈々菜は「ごめんね」と言って、大人しく引き下がった。
「流石、探偵同盟の一員……この子もクセが強いなぁ」
クセが強いと言えば、この円卓に座る者たちも曲者揃い。
露出狂でナルシストのオウガが常識人寄りになる程度には、非常識な連中が集まっている。
「その箱の名前、『阿呆匣』と言えば……」
議論の口火を切ったのは、素肌の上から上着を羽織る青年、オウガであった。
「ドイツ文学の中に、そのような邦題のものがあったな。確か、名は『阿呆船』と言ったか」
「オウガ、よく知ってマースね! 作者はゼバスティアン=ブラント! 色んなアホーゥがひとつの船で旅立つという内容の、当時の社会を風刺した一作デース!」
軍服を着たブロンド髪――ロイヤルが興奮気味にオウガの発言に続く。
「でも《バット》、今回の暗号とは無関係な気がするデスねー。登場人物の数からシチュエーションまで、箱の中身と全然違うデスからねー」
「確かに阿呆船には少なくとも、百人以上の登場人物が出てきていたな。流石だ、ロイヤル。的確な指摘に感謝する」
「どういたしましてデース♪ オタク系アイドルで売ってるから、私こういう雑学、自信あるデスね!」
「……だが、その妙な口調は何とかならないのか? メディア受けがいいのは分かるが、日常生活でまで維持する必要はないだろう」
「無理デース! 私やハナさんはテレビに引っ張りオクトパス! 話し方も固まっちゃうデスよ!」
「職業病だと思って許して欲しいクマー。ハナも、この口調と着ぐるみじゃないと、落ち着かないクマよ」
メディア露出が多い二人の女性は、「ねー」と声を揃えて同調し合った。
「我、龍我祖父の好み、把握せり」
そこで、黒衣に般若の面をかぶった一際奇妙な男――閻魔が口を開いた。
「龍我祖父、芥川龍之介の作品、特に好みけり。故に、『阿呆匣』の由来、『或阿呆の一生』に在ると思わん」
「よく知っていましたね、閻魔さん」
「閻魔は昔の文豪に憧れていて、衝動的に服毒自殺を図っちゃうクセがあるクマよ。ジッちゃんの趣味を知ってるのも、きっとその繋がりクマねー」
「え……」
ハナの補足を聞き、奈々菜がドン引きした目を向けると、閻魔は照れくさそうに般若の面の鼻を掻いた。
「我が運、人智の域を超越せり。故に死ぬことなし。どうか、安心されたし」
「あ、そう……」
「『或阿呆の一生』。ネットの情報によると、五十一の短編から成る、芥川龍之介の自伝的一作みたいだねー」
電子タブレットを円卓の上に立て、タブレットに接続されたキーボードに打ち込みつつ、小柄な男の子――里海が語る。
「芥川龍之介って毒で自殺したんだけど、その自殺のあとに見つかったのが『或阿呆の一生』らしいよ? 謂わば、死ぬ直前に書き遺した作品ってこと。なーんか意味深じゃない?」
タブレットの画面から視線を上げた里海の顔は、愛らしい外見に不釣り合いなほど、口角がつり上がっていた。
「龍我のジイちゃんにとっての『或阿呆の一生』が、その箱なのかもねー? そう考えると、答えは大分絞れるんじゃない? 人型の数は中央の、パネル付きのものも含めて十個……もしこの人型が、僕たち『十條』を現しているとしたら?」
「――看破ァ!」
そう言って箱に向かって飛び出したのは、前髪を逆立てた眼鏡の青年――勝悟。
その様子に出遅れたことを察した暁星とオウガが、慌てて席を立つ。
「勝悟テメー! 業績最下位のくせに、出し抜いてんじゃねえぞコラァ!」
暁星は自分が先に箱へたどり着こうと走った。
「待て、勝悟! お前が押そうとしている数字は分かる! だが、それは恐らく間違いだ!」
対して、オウガは勝悟を止めようと走る。
しかし二人が追いつく前に、勝悟は阿呆匣へと触れ、パネルに数字を入力していく。
「解答は01……! この中央の一際大きい人型は、一条龍我本人! 他の家系の不甲斐なさを表現した図こそ、阿呆匣の正体だ! 俺が埋蔵金を、相続する!!!」
数字の入力を終え、震えた声で叫ぶ勝悟。
しかし何も起こらない。
不正解でも何も起こらないのかと、そう思った次の瞬間、勝悟の様子に異変が生じた。
「ぐ、ぎ……腕、がァ……」
勝悟がその場に崩れ落ち、腕輪をはめた箇所を手で押さえ始めたのだ。
「どうした、勝悟!」
オウガが駆け寄り、勝悟の押さえている箇所を素早く確認。
すると、腕輪の周辺の皮膚が腫れ始めていた。
「これは、出血毒の症状……この腕輪に仕込まれていたのか! おい、誰か! 車の手配を頼む! 今すぐ病院へ連れていくぞ!」
指示を出しながら、力づくで腕輪を外そうと試みるオウガ。
しかし、真百合がその手を掴んで止める。
「何故、腕輪を壊そうとしているのですか?」
「応急処置のために決まっているであろうが! 気休めではあるが、傷口から毒ごと血を吸い出す! このままでは、後遺症が残りかねん!」
「腕輪を壊した、もしくは腕輪をつけたままこの屋敷から出た場合、他の皆さんも含めて、全員が埋蔵金を相続する権利を失いますけど、よろしいですか?」
一瞬、真百合の言葉に室内の空気が凍りついた。
すぐさまオウガは我に返り、再び腕輪へと触れる。
「埋蔵金など構っていられるか! 勝悟の腕の方が重要だ!」
「やめろ、オウガァァァァァ!!!!」
暁星がオウガの肩を蹴りつけ、力づくで勝悟から切り離した。
「暁星……貴様、勝悟を見捨てる気か? ヒトの命がかかっているんだぞ!」
「るっっせぇ……! テメーにとっては端金でもなァ! 俺たち十条産業にとっては死活問題なんだよォ……! 埋蔵金が手に入らねえと、社員たちに給料だって払えなくなるかもしれねぇ……俺ァ、諦めるワケにはいかねぇんだ!!!」
不機嫌そうに真っ赤な坊主頭を掻きながら、無表情の真百合を睨みつける暁星。
その目には、本気の殺意が滲んでいた。
「真百合ィ……! 暗号の解読にミスった奴は、腕輪の制裁を受ける……暗号を解くまで、腕輪を外して治療を受けることすら許されねぇ……これが、“お祖父さま”の遺言かよ!!!」
「そのようですね。私も、驚いています」
「テ、テメー……何だよ、そのふざけた反応は! 俺たちは全員、ここで死ぬかも知れねえんだぞ!?」
「それは私も同じですよ。自分だけだと思わないでください」
今にも殴りかからんとする剣幕の暁星に対して、真百合の反応はどこまでも淡白であった。
「オウガ、取り敢えず病院への電話は済ませたわ。でも、この屋敷は山の中だし、到着するまで恐らく一時間半はかかると思う」
駆け寄ってきた奈々菜に肩を借りつつ、オウガは苦々しげな表情が立ち上がる。
「つまり、病院へ着くまではおよそ三時間……か。応急処置をするとしても、死亡する可能性も十分にある時間だな」
一刻も早く運ぶには暗号を解く他にない。
オウガたちは自然と、焦燥した様子で阿呆匣の周囲へと集まり出した。
円卓に座ったままなのは、文学探偵ともう一人――里海だけ。
里海はタブレットの操作を続けながら、淡々と解説を始める。
「状況を整理しとくねー。どうやら僕らのつけた腕輪は、阿呆匣の数字の入力をミスると、毒針が飛び出す仕組みのようだ。尋常じゃない痛みだから、針に刺されたら今の勝悟兄ちゃんみたいに、暗号解読はリタイアせざる得ないでしょう」
勝悟は応急処置を受け、今は部屋の隅で寝かされている。
よほど腕が痛むのか、顔は苦悶に歪み、大量の脂汗が肌に浮いた状態だ。
「出血毒は時間の経過に比例して後遺症の危険性が高まるけど、この腕輪を壊したり、腕輪を着けた状態で館の外から出たら、ゲームオーバー。埋蔵金は手に入らなくなってしまう」
「クソゲーもいいところね……」
奈々菜が親指を噛みつつ、苦々しげに言った。
「実質、暗号の回答権は一人一度だけ。ただし現状、暗号を解くヒントは『01』ではないってことだけだ。みんな、慎重に読み解いていこう」
ニッコリと一同に笑いかける里海。
幼さ故か、その顔はどこかこの状況を楽しんでいるようにも見えた。
同じ企業グループ『十條』に属してはいても、思想まで共有できるとは限らない。
いや、同じ思想を共有できる方が珍しいだろう。
「……人命より埋蔵金を優先するなど、くだらん」
誰にも聞こえないようオウガはつぶやいた。
不満はある。しかし、先ほど暁星が口にした苦境が、でまかせではないことも事実。歴史ある『十條』を守るためには、暗号を速やかに解く以外、術はないのだ。
――それから僅か20分。
3人が暗号の回答をし、毒で倒れることとなった。
「オウガ……俺が暗号を解くための『魁』となる。あとはまかせたぞ」
まず、スーツに眼帯という外見の二条神威が――『十條』の未来を示すと考えた数字『11』を入力して脱落。
「うーっ……怖いけど、ハナも押すクマ! これ以上、家族が苦しむ声は、聞いていられないクマー!」
次に、クマの着ぐるみを着た八条羽南が、龍我の好きだった数字『21』を入力し、あえなく倒れた。
「我が幸運、無敵なり……宿命に導かれたる数字よ、正鵠を射殺せ!」
超幸運を有する般若の面の男――九条閻魔が適当に『43』を入力し、呆気なく戦線離脱。
円卓に座る者は残り6名。
およそ半分になってしまった。
「残り6名ですか。皆さん、気を引き締め直してがんばりましょう」
痛みに苦しむ者たちの声が室内に響く中、会議を取りまとめる一条真百合の顔には、未だ変化がない。
生まれた頃から付き合いのある身内が次々と倒れていっているにも関わらず、情など一切感じられなかった。
「真百合、暗号の解読は中止するぞ」
それまでグッと堪え続けていたオウガも、遂に異を唱える。
「この暗号解読が原因で、オレ様たち『十條』の次世代が全滅したら、どうすると言うんだ。たとえ、龍我祖父の遺言だと言えども、看過できん!」
「全滅したなら、その時はその時でしょう」
しかし真百合は、あいも変わらず無表情を崩さない。
「私たち『十條』は皆、お祖父さまの見つけた埋蔵金のおかげで生き延びられたのです。お祖父さまがいなければ、私たちが生を受けたかどうかすら、分かりませんよ?」
「ああ、そうかもしれないな。しかし、だから何だと言うんだ? 龍我祖父の活躍があってこそ今オレ様たちがここにいるから、言いなりになれとでも言うのか?」
「ええ、当然でしょう? 彼の期待に応えることは、私たち次世代の義務なのですよ」
「ふざけんじゃねぇ!」
円卓が大きく揺れた。
見ると、暁星が拳を円卓に叩きつけ、真百合を激しく睨みつけていた。
「生まれた理由のひとつにジイさんが関わっているからって、ジイさんの一存で人生を左右されてたまるかよ! 俺の命を左右できるのは俺だけだ、クソったれ!」
「フン、不本意ながら、今回ばかりはオレ様も暁星に同意する。真百合、お前は思考を放棄しているだけではないのか?」
「思考を、放棄? 意味が分かりませんね……龍我お祖父さまは、一条家を救った人物。その言いつけを破るなど、あっていいワケがないでしょう」
「阿呆め……いいか? いつの時代、いつ如何なる時であっても、生者より優先される死者など、あってなるものか!」
オウガの言葉で、真百合の顔がビクリと強張る。
固まったまま、何も言葉を発しなくなり、室内に静寂が広がっていく。
自分の意志を徹底的に貫くオウガと、自身の意志を持たない真百合。
理解し合うには、二人はあまりにも、価値観が真逆過ぎていた。
「『……読了です』と、少女は推理の完了を告げた」
幼い少女の声が静寂を破った。
周囲の視線を一身に集める中、文学探偵は閉じ続けていたまぶたを遂に開き、阿呆匣の中を見つめる。
「『阿呆匣の正体と、入力すべき数字の番号が解読できましたよ』と、少女は改めて、自分を見つめる皆さんへと告げた」
分かりやすく言い直した。
しかし、ほとんどの者が訝しむように、半信半疑な顔を浮かべる。
自分たちよりもずっと年齢の低い文学探偵が、怪奇な暗号を読み解いたと言うのだから、当然だろう。
「文学探偵、暗号の答えが分かったんだな。ぜひ教えてくれ」
真っ先に解答を促したのは依頼主のオウガ。
それから、元々オウガに探偵同盟を紹介した奈々菜が、文学探偵の元に駆け寄って、その小さな手を握り、阿呆匣の前まで誘導する。
「よく分かったね、文学ちゃん。さっき読書しているって言っていたけど、何がきっかけで分かったの?」
「『実は、答え自体は〈阿呆匣〉という名前と、中身の河童たちを見た瞬間に分かっていました』と、少女は後出しジャンケンのようにやや反則気味の発言をした」
「えっ? 始めから? それに、河童ってどういう……」
「『今から解説をしてあげましょう』と、少女がフフンと鼻を鳴らし、ドヤ顔を浮かべる」
阿呆匣のそばに立つと、自らの発言通り、ニンマリと勝ち誇った表情を浮かべ――
「『初めに断言しておきましょう。この阿呆匣は、あなたたちを混乱に陥れるために用意された、悪意たっぷりの箱なのですよ』と、少女は解説を始めるのであった」
――第2幕へ続く