僕には向かない職業

【第1幕】
~僕の周囲では人が死ぬ


【12月29日(事件発覚から6時間後)13時】

 大量の睡眠薬と抗不安薬を、時間をかけて牛乳で飲み干した。

 そのままベッドへ横になると、胃の中の異物を吐き出そうと、猛烈な吐き気が押し寄せてくる。
 手足がシビレ、寒くもないのに震えが止まらない。

 せり上がる胃の内容物を押さえ込もうと、力いっぱい枕を噛んだ。
 ふぅー、ふぅーと、自分の荒い息遣いが聞こえてくる。

 もう少し。
 もう少しだけ耐えれば、今度こそ楽になれるんだ。
 そう自分に言い聞かせながら、必死に、懸命に、苦痛を耐え続けた。

 どれほどの時間が経ったかも分からなくなり始めた頃――意識が遠のき始めた。
 まぶたが重みを増し、閉じるのをこらえ切れなくなる。
 完全に視界が閉ざされて、水中で力を抜いたみたいに、身体が軽くなっていく。

「やっと――死ねるんだ」

 意識が途絶える間際、僕は心の底から、そう思った。

 夢を見た。
 一番初めに僕が暮らしを共にした実の両親と、車に乗ってどこかへ出かける夢だ。

 当時の僕は、まだ物心つく前だから、記憶が残っているはずがない。
 きっと、のちに聞いた話を元に、頭の中で作り出した光景なのだと思う。

 チャイルドシートに座る僕は、ボンヤリとした頭で、隣に座る母と運転席の父の会話を耳にしていた。

「レオ、また怪我したらしいな。大丈夫なのか?」

「この子、本当に運が悪いのよ。ほら、この前も砂場で遊んでいたら、砂の中から刃物が出てきて……」

「殺人事件に使われた刃物だったんだろう? 怪我をしたのは不運だが、大手柄じゃないか。将来は、探偵にでもなるんじゃないのか?」

「茶化さないでよ……破傷風って怖いのよ? 気が気じゃなかったわ」

「悪かった悪かった。今日は久しぶりに、家族水入らずで思い出を作ろうじゃないか――」

 激しい音と振動と共に、視界がぐるんと一回転。
 穏やかな空気が流れていた車内が、潰れた空き缶にみたいにひしゃげて、フロントガラスの破片が雪みたいに飛び散って、見るも無残な状態と化す。

 チャイルドシートのベルトに縛りつけられて、何もできない僕は、ひたすらに泣き声をあげた。

 こうすれば、いつも必ず、両親が駆けつけてきて、優しく抱きしめてくれるからだ。

 でも一向に――もう二度と、両親が僕を抱くことはなかった。

 それから僕は、親戚中をたらい回しにされていく。
 ある家族は、心から僕に同情して。またある家族は、僕の両親の遺産を目当てに。またまた別の家族は、まだ幼い僕に商品価値を見出して……。

 多くの家族が僕の元を訪れては、傷つき、離れていった。
 次第に親戚も、その周囲の人々も、僕を指して「悪魔」だとか「疫病神」だとか呼んで、人間扱いを受けることはなくなった。

 そして僕は思ったんだ。
 周囲に不幸を振りまく僕みたいな奴は、誰とも会わずに、命を捨てた方がいいんだって。

 これまで苦労をしてきたけど、やっと楽になれる。
 こんな僕を引き取り、今の人里離れた屋敷に住むことを認めてくれたクイーンさんには、感謝しかない。

 でも、だからこそ、これ以上の迷惑をかけないためにも、僕は今日ここで、命を落とそう。

 著名なミステリー関係者が屋敷に集まっているという、今このタイミングでなら、自殺だとすぐに見抜いてくれるであろうから――。

【12月28日(事件発生当日)深夜3時】

 猛烈な吐き気で目を覚ました。
 頭がぼんやりする感覚に、胃袋がギュルギュルと逆流するようなこの感覚。
 ヒドい目眩がして、ただでさえ直角三角形を象った奇妙な部屋が、グニャグニャに歪んで見えて、原型を失って見える。

 恐らく、睡眠薬を飲みすぎたことによる体調不良だ。

 今日は適量を飲んだつもりだったけど、多すぎたらしい。
 身体に耐性がついてしまったのか、最近は効き目が悪く、何錠飲むべきなのか全然勝手が分からないから困る。

 ただ、今襲われている嘔吐感は、睡眠薬のせいだけではなかった。

「今日も……嫌な夢を見ちゃったな」

 僕が今に至るまでの悲劇。
 もう随分と昔のことだけど、忘れられるワケがなくて。
 当時のトラウマを追体験するみたいに、何度も同じ夢を見てしまう。

 夢を見るのが嫌で眠れずに体調を崩し、眠るために睡眠薬を飲み過ぎて体調が悪化する。
 完全な悪循環だ。

「夕食の時に出たお茶、まだ残ってるよね……」

 このままだと眠れそうにないので、吐き気が治まるよう、殺菌作用の強いお茶を飲むことにした。

 ベッドから下りて、ふらつきながらも、部屋の出口へ。
 扉を内側に引いて開いて、部屋から出ると、真っ暗な一本道が視界に現れる。

 暗さで何も見えないものの、すぐ右手の壁に設けられた手すりに触れ、ゆっくりと、少しずつ通路の先の扉へと向かった。

「六號館って、本当に変な屋敷……」

 気分の悪さも手伝って、愚痴が漏れてしまう。
 クイーンさんに住まわせてもらっているのに、なんて罰当たりなんだと、僕はすぐに自分を戒めた。

 とは言え、この六號館が『奇館』とも呼ばれるほど非常に変わった作りなのは事実だ。

 確かめたことはないけれど、館全体を上からみると、六角形に見えるらしい。

 内部は、まず中央に大きなホールがひとつと、そのホールと外とを結ぶ玄関がひとつ。ホールを囲うようにして客室が8つ、バスルームにお手洗い、キッチンルームが1室ずつ、という構造。

 それぞれの部屋とホールとは、今僕がいる照明のない暗黒の廊下で繋がっていて、部屋側とホール側、どちらにも鍵付きの扉が設けられている。
 鍵がかかっていないのは、バスルームとお手洗い、そしてキッチンルームへと続く扉だけだそうだ。


 ただでさえ覚束ない足取りが、暗さのせいで一層危うい。
 少しでも気が緩めば転倒してしまいそうだ。

「うっ……」

 身体が揺れたせいか、また吐き気がして、手すりから手を離して口に手を当てた。

 すんでのところで、何とか胃の中身を堰き止めることに成功。
 呼吸を整え、そのまま通路を進んだ。

 通路側の扉を押して開き、昨夜食事会が開かれていたホールへとたどり着く。

 中心でシャンデリアが輝き、その下に長机が置かれた丸型の大部屋。
 長机を囲むように、壁には各部屋へと続く扉が設けられている。
 
『キッチンルーム』のプレートが貼られた扉を引いて開くと、先ほどと同じ真っ暗な通路が、奥の扉まで真っ直ぐ続いている。

 先ほどと同様に、右手の壁の手すりを使って、慎重に扉まで前進。
 扉を押して開いた先には、寝室と同じ直角三角形の部屋の僅かなスペースに、システムキッチンが器用に設けられていた。

 冷蔵庫から昨晩の夕食の際にも見た緑色のボトルを取り出し、手近のコップへとお茶を注いで、ゆっくりと飲み干す。

「あっ……!」

 飲んだ瞬間に足がフラついて、床にお茶をこぼしてしまった。
 慌ててキッチンの布巾でお茶を拭く。
 少しだけ気分が楽になったけれど、まだ頭痛も手足のシビれも、全然ひいてくれない。
 もう大人しく、ベッドで横になって休んでいよう。

 自室へ戻ろうと、僕はキッチンルームから廊下へと出た。
 暗がりの中を、再び手すりを頼りにして移動する。

 ただ、そこでつい気が緩んで、手すりのついた壁へともたれかかってしまった。

 すると――

「えっ……」

 もたれかかったはずの壁の感触が消え、顔面に何かが思い切り当たった。

 たまらず飛び退こうとしたものの、地面が揺れて、足がもつれる。

 ――地震?
 そんな驚きの声をあげる間もなく、床へと倒れ込み、また固い何かで顔面を強打してしまって、勢いで背中から転倒してしまう。

 ゴキンという鈍い音と共に、意識が途絶えた――。

【12月27日(事件発生前日)15時】

 クイーンさんにホールへと呼ばれた僕は、突然の客人たちを前にして、驚きを隠せずにいた。

 なんと、クイーンさんが『情報屋』として取引をしている知人たちを集め、食事会を開くというのだ。

 それも、クイーンさんが好きな推理小説になぞらえて、宿泊者は僕やクイーンさんを含め、全員ミステリーに登場する探偵の名前を名乗るというルールを課したとのこと。

 あまりに突然の話に頭が追いつかないものの、クイーンさんが唐突な思いつきで行動するのはいつものことなので、必要以上に不平も不満も口にしない。

 『コーデリア』を名乗るように言われ、他の客人たちに挨拶をした。

 僕の親代わりでもある、派手なドレスに金色の巻き髪が特徴的な女性、クイーンさん。

 推理作家だという、紳士服にポークパイハットを身に着けた品のいい壮年の男性、ポワロさん。

 世界的に有名な探偵組織『W.O.R.L.D』の一員だという、童話の『赤ずきん』を想わせる幼い外見の少女、マープルさん。

 探偵会社の事務職を務めているという、目の隈が濃く、背が高いスーツの男性、ワトソンさん。

 そして探偵を守る護衛役が生業だという、肥満体型でスーツがピチピチな男性、ネロさん。

 そこにこの僕、コーデリアを加えた6名が、今回の食事会の参加者のようだ。


【12月27日(事件発生前日)19時】

 挨拶からしばらくしたのち、再びホールに呼ばれた。
 ホール中央の長机には、ローストチキンからサラダ、スープまで、得意料理がずらりと並んでいる。

 僕ら以外には誰もいないはずだから、きっとクイーンさんが自分で作ってくれたのだろう。

 6名全員が定刻通りに集まり、長机を囲むようにして座ると、クイーンさんはワイングラスを片手に、今回の食事会の趣旨を語り始めた。

「集まってくれてありがとう、同志の皆さん。そして私の愛すべき甥っ子、コーデリア。先に乾杯だけ済ませてしまおう」

 クイーンさんが促すと、他の人たちもワイン入りのグラスを手にとった。
 僕も見様見真似で、お茶入りのグラスを掲げてみる。

「今日のワインは、マープルさんが土産として持ってきてくれたものでね、活火山『エトナ』で育まれる葡萄『ネレッロ・マスカレーゼ』を使った口当たりの優しい逸品だよ」

 ――乾杯。
 クイーンさんの一言で、みんながグラスを少し上にあげ、口につけ始める。

 僕も見様見真似で、グラスのお茶に口をつけてみる。
 おいしい。実に、普通の麦茶だ。

「さて、勿体振るのは嫌いだから、本題を述べておこう。今回皆さんを呼んだのは他でもない……私が掴んだ、とある過去の殺人事件の証拠を、共有するためだ」

 途端にホールがざわめき始める。
 落ち着いているのは、一番幼く見える赤い頭巾の少女、マープルだけだった。

 マープルはグラスの赤ワインをちびちびと飲みつつ、クイーンさんに問いかける。

「ねぇ、情報屋さん。何で情報を売りつけるのに、わざわざ私たちを呼んだんだい? こんな極東まで足を運ぶ価値が、その情報にはあるんだろうねぇ?」

「情報の価値については保証するよ。なんたって、あの大規模テロ『明けぬ夜事件』関連の事件だからね」

「明けぬ夜事件だって……!?」

 目の隈の濃いスーツの男性――ワトソンが驚きの声をあげた。

 ――明けぬ夜事件。
 大地震に乗じて引き起こされた国内最悪のテロ事件。
 あの日両親を亡くした僕にとっても、縁が薄い事件ではない。

「すぐに教えてください。それは、私たち探偵にとって、いやこの国にとって、喉から手が出る情報です!」

「慌てなさんさ、ワトソン」

 クックックッと外見に合わない低めの笑い声をあげ、マープルがワトソンの言葉を遮った。

「情報の価値はよく分かった。次は、何でわざわざ、この陸の孤島でその共有を行うのか教えておくれ」

「もう察しがついているくせに、マープルさんは意地悪だね」

 語りつつ、クイーンさんが嬉しそうにグラスの中のワインを飲み干した。

「実は、事件の容疑者がこのメンバーの中にいる。後ろめたい過去を持った“客人X”が呼びかけを拒絶しないよう、具合のいい場を設けさせてもらったんだよ」

「具合のいい、って……?」

 僕の問いかけに対して、クイーンさんは冷たい微笑を浮かべる。

「主催者である私を殺して、口封じができる状況ってことだよ♪ 犯人を含め、キミたちはこの館に何度も訪れている……トリックのひとつやふたつ、思いついているんじゃないかな?」

「相変わらず肝が座っているな、クイーン嬢」

 ポークパイハットをかぶった男性――ポワロが自身の口髭に触れつつ訊ねた。

「つまり、テロ事件の関係者をおびき出すために、自分をエサにしたというワケだ。なかなか私好みのシチュエーションだよ」

 ポワロはメモ帳に高速でメモをとっている。

 この状況で怯むどころか、むしろイキイキとするだなんて。
 流石は、クイーンさんが呼んだ探偵だ。

「何でもいいさ。クイーンさんの手料理が食べられるなら、宇宙からでも駆けつけますとも」

 太っちょのネロさんはネロさんで、ノン気に料理に舌鼓を打っている。

 この状況でも、誰一人として慌てる様子がない。
 クイーンさんの取引相手だけあって、全員肝が座っている。
 一人だけ混じってしまっている臆病者の僕は、肩身の狭さを覚えつつ、緊張で味を感じられないスープを啜り続けた。

 それからは特に目立った騒動もなく、食事会は終了。
 ただ、各人が部屋へ戻る間際、クイーンさんは全員に対して一言告げた。

「明朝、私は自分の知りうる情報を全て公開する。もし止めたいヒトがいるなら、今夜がチャンスかもしれないね」

 挑発的にウインクまでしてみせるクイーンさん。
 何でそんな挑発的な態度をとるのかと、僕は思わず問いかけてしまう。

 そんな僕にクイーンさんはさも当然だとでも言うように、こう答えた。

「この命を糧に、救える命があるからさ」

 それが僕の耳にする、クイーンさんの最期の言葉となった。

 全員が自室に戻ったあと、鍵のかかった密室内で、クイーンさんは胸を刺されて殺されたんだ。
 僕ら五人の中の――誰かの手で。

――第2幕へ続く