僕には向かない職業
【第3幕】
~12月30日10時24分~
【12月30日7時(事件発覚から24時間)】明朝、『クイーンさんの追悼』という名目で、中央のホールに招待客全員を集め、事件前夜の食事会を再現した。
簡単な料理とグラスの置かれた長机を囲うように客人たちが座り、所謂お誕生日席に僕が座る。
それから、麦茶の注がれたグラスを掲げて、他の皆さんに向けて語り出す。
「皆さん、集まっていただいて申し訳ありません。本日、警察がこの館に到着して、本格的な捜査が始まります。その前に、クイーンさんと縁の深い皆さんと共に、彼女の追悼を行いたく、この場を設けました」
僕のすぐそばに座る社畜探偵さん以外の3人――ポークパイハットをかぶったポワロさん、幼い少女のような外見のマープルさん、太っちょのネロさんは、僕に訝しげな目を向ける。
僕が犯人の筆頭なんだから当然だ。
僕が何か別の意図があってこの席を設けたのは、見抜かれているに違いない。
でも、それでいい。
疑いを向けられている現状だからこそ、犯人の裏をかけるはずだ。
「では、まず乾杯しましょうか。まだ朝ですし、僕は未成年なので、お酒ではなくて申し訳ありません」
「いやいや、いい配慮なんじゃないかい?」
赤い頭巾を頭にかぶった幼い外見の女性――マープルさんが皮肉っぽい声音で言った。
「なんせ、今回の事件で私らに盛られた睡眠薬は、ワインに入っていた可能性が高いんだからねぇ」
「どういうことですか? マープルさん」
社畜探偵さんが問いかけると、マープルさんはヒッヒと怪しく笑って、理由を答えていく。
「実は、麦茶は全員飲んでいたけれど、私が用意していたワインはコーデリアの坊やの他に、もう一人飲んでいないヤツがいるんだよ」
「私が犯人だと言いたいんだろう? ミス・マープル」
マープルさんとテーブルを挟んで向き合うポワロさんが、立派な口髭を弄りつつ話を遮った。
「私はとびきりの下戸なのでね。お酒は一切口にしないだけだよ。それだけで犯人扱いするなど、世界探偵組織とやらもお里が知れるな」
「言うじゃないか、売れないミステリー作家風情が。じゃあアンタは、どうやって睡眠薬を私たちに盛ったというんだい?」
「あなたは食事用の他に、料理用のワインも用意したそうですね? 食事用のワインは目くらましで、そちらのワインに睡眠薬を混入しておいたのでは? お酒が飲めないコーデリアくんや私を、陥れるために」
「ヒッヒッヒ、アホな推理だねぇ。ならキッチンでそのワインを探してくるがいいさ。アンタの言う通りなら、睡眠薬入りのワインがまだ残っているはずだろう?」
「あなたはその外見で齢70を超える超人。そのようなヘマはしないでしょう。既に中身を別のワインに差し替えているはずです」
「――ごめんなさい。お二人の推理は、どちらも間違っています」
勇気を振り絞って会話に割り込んだ。
うぅ、心臓がドキドキする。顔が真っ赤になっていそうだ。
クイーンさんによく練習させられた、感情が顔に出ないコツを実践しつつ、僕は自分の推理を口にする。
「ただ、二人の推理はどちらも合っている部分があります。犯人はある飲み物に睡眠薬を混入させたんです」
「飲み物、って……まさか、この麦茶かい?」
鋭い勘で、マープルさんがグラスに入った麦茶をまじまじと見つめた。
「でも私の記憶だと、麦茶は食事中に全員が飲んでいるよ? コーデリアなんて、バクバク飲んでいたくせに、夜中に目覚めているじゃないか」
「はい。実は、僕は普段から睡眠薬を大量に服用していて……そのせいで、睡眠薬の効きが悪かったんです」
「どんな薬でも、飲み続けると身体に耐性ができて、効きづらくなりますよね?」
僕をフォローするように、社畜探偵さんが言葉を続けてくれた。
「もし犯人が、自分が耐性を持つ睡眠薬を使用したなら、どうでしょうか? たとえ睡眠薬入りの飲み物でも、気にせず飲めるはずです」
「なるほど。犯人は睡眠薬入りの飲み物や食べ物は口にしない……という思い込みを利用したってワケかい。なかなか面白いトリックじゃないか」
「待ちなさい。だが犯人は、無意識に飲み物を口にする量を減らしてしまうんじゃないか? 私はきっちりと、すべて飲み干したぞ」
「ええ、ポワロさんの言う通りです。私は仕事柄、マメにそういった細かい情報をメモしていましてね。麦茶を飲む量が最も少なかったヒトは、明確でしたよ」
社畜探偵さんが僕へと視線を向け、結論を口にするよう促す。
この事件を解決に導くのは僕の役目だ。
手の震えを無理やり鎮めて、僕は犯人を真っ直ぐに指差し、力いっぱい叫んだ――
「クイーンさんを殺した犯人は――ネロさん! あなたです!」
静まり返るホール内。
ところが、ネロさんはその大きな手で食事するのを止めず、カチャカチャと食器が擦れる音が続く。
「で、証拠は?」
僕を一瞥することもなく、そっけない声で言って、ネロさんは切り分けたパンケーキを口へと運んだ。
「疑われるのは仕方ないよね。俺、余計な発言は嫌いだから黙っているし、麦茶は味が薄くて嫌いだから飲まなかったし。でも、証拠がないなら、特に弁解もしないよ?」
淡々と語りつつ、溶け切っていないバターの乗ったパンケーキを一枚、大きな口で頬張るネロさん。
まるで、僕まで一緒に食べられてしまいそうな、底知れなさを感じてしまった。
でも僕は逃げない。
「証拠ならあります。あなたが使ったトリック――この洋館の仕掛けが、犯人はあなただと示してくれたんです」
「――何?」
ネロさんがやっと僕に視線を向ける。
脂肪で分厚いまぶたの下から覗く、敵意剥き出しの目。
正面から対峙するのはあまりに恐ろしいけれど、僕は探偵として、この敵意に挑むことを誓うのだった。
◆
キッチンルームへと続く、真っ暗な通路に場所を移した。「何故キッチンルームの通路なのか」と不思議そうなポワロさんを尻目に、解説を始める。
「ここは事件当日、犯行時刻の前後に僕が倒れていた場所です。犯人は恐らく、犯行後にあることをしようとした際に、この通路で僕を発見しました」
「あることっていうのは?」
「ヒッヒ! ポワロ、アンタさっき自分で言っていたじゃないか」
「あ……」
「そう、ポワロさんが先ほど言っていた通り、キッチンルームで睡眠薬入りの飲み物――麦茶を入れ替えるためです」
僕がそこまで語ったところで、社畜さんが布巾を片手に、キッチンルームの扉から歩み出てきた。
「証拠もあります。実は気絶する前に、コーデリアさんは麦茶をこぼして布巾で拭いたそうで。ボトルに入った麦茶からは何も検出されませんでしたが、布巾からは睡眠薬が検出されましたよ」
「つまりネロのヤツは、クイーンを殺したあと、証拠隠滅を図った際に気絶したコーデリアを見つけて、ぬれぎぬを着せようとしたってワケかい」
「くだらない。私たちがこの洋館に着いてから、食事会まで十分に時間があった。麦茶のボトルに睡眠薬を入れることなど、誰にでもできるじゃないか」
ネロさんが苛立たしげに言った。
よし、冷静さが削がれてきている。
今回、証拠に乏しいのは間違いないんだ。
言葉選びひとつのミスが、命運を分けかねない。
「睡眠薬を入れることは、誰にだってできたかもしれません。でも、密室を破った上で、僕に罪を着せることができたのは、あなただけなんです」
「だから、証拠を出せと言っているだろう! そもそも、密室を破るトリックは何なんだ? まさか、このキッチンルームからクイーンさんの部屋までワープするとでも言うのか?」
「言い得て妙ですね。僕はあなたによってワープさせられたんです……クイーンさんが殺害された部屋の前の通路まで」
「な、に……!?」
社畜さんに目で合図を出し、ポワロさんも巻き込んで三人で手すりを掴み、壁に向かって力いっぱい押し込む。
汗が吹き出るくらい思い切り押し込むと――手すりのついた壁が、僕らの押した方向に向かって、ゆっくりと動き出した。
それと同時に、後ろの壁は逆に迫ってきて、その衝撃で周囲の壁や床がビリビリと震動。
僕が気絶する前に感じた通りの、人工的な地震が通路全体に広がっていく。
その様子を見守っていたマープルさんは、口をぽかんと開け、呆気にとられていた。
「こりゃたまげた。まさか、通路の壁が動くなんてね。一体どうなっているんだい?」
「実は、六號館は図面上だと通路も六角形を描いているんですけど、実際は円を描いているんです」
乱れた息を整えて、懐から社畜さんが描いてくれた図面を取り出し、解説を続ける。
「この通路の壁は一枚の天井で繋がっていて、動きが連動するんです。こうして手すりを持って押し込むと、まるでメリーゴーランドみたいに回転するんですよ」
「ふむ、なるほど。つまり、自室前の通路の壁を押し進めれば、別の部屋の前へと移動できるということか。凝った仕掛けだねぇ」
「ホール側の扉は引き戸に、部屋側の扉は押し戸になっているのも、この仕掛けに干渉しないためなのでしょうね。部屋側の扉の鍵は共通ですから、実質、どの部屋にも入り放題なんです」
「クイーンさんを殺害し終えたネロさんは、その後、キッチンルーム前の通路でコーデリアさんが倒れている状態で、同じように壁をズラしたのでしょう。そうすると、ズレた壁に押されるようにして、別の通路へと移動していくんです」
床に残った僕の血痕が奇妙な流線を描いていたのは、血溜まりができた状態から、壁に押されていったから。
こうした僅かなヒントがなかったら、絶対に気付くことなんてできなかったと思う。
気付いてしまえば単純明快な仕掛け。
ただし、この仕掛けは誰でも手軽に扱える代物ではない。
「ハァ……ハァ……な、なるほど……それは確かに、ワープと言えるな……」
三人がかりで少し壁を動かしただけで、ヒドく息を切らしたポワロさん。
その様子はとても演技とは思えない。
文筆業のヒトには、少々酷な作業らしかった。
「だが、この壁、動かすのに相当な力がいるぞ? 私には、とてもじゃないが難しそうだ……」
「はい。僕とワトソンさんでも、二人がかりでやっとでした。この壁を動かすには、相応の体重とパワーが必要なんですよ」
「だから、巨漢の私が犯人だと言うのか? ふざけるな!」
僕の解説をネロさんの怒声が遮った。
あまりの声量に、暗がりの通路に声がグワングワンと反響する。
「体型だけで犯人にされてたまるか! 二人がかりで可能なら、コーデリアとワトソンが手を組んだ可能性だって考えられるだろう!? こんな曖昧な理由で犯人扱いされるなど、失礼にも程がある!」
「落ち着いてください、ネロさん。誰も、体型だけが証拠だなんて言っていませんよ。あなたはこの事件でひとつ、致命的なミスを犯しているんです」
できる限り冷たい声で、ネロさんの声を遮り返した。
こういった時に慌ててはいけない。
これもまた、クイーンさんから教わった交渉術のひとつだ。
「ミ、ミスだと!? さっさと結論を言え! これ以上、不十分な証拠を口にすれば、即刻国へ帰らせてもらうぞ!」
ネロさんが、完全に冷静さを欠いた様子でがなり立てた。
大丈夫。
ここまでは想定内の反論。
次の証拠で、ネロさんの主張を、完全に破綻させてやればいい。
意を決して、核心を告げる――
「あなたのミス――それは僕をクイーンさんの通路の前まで運んだことです。キッチンルーム前の通路にいた僕をクイーンさんの前まで運ぶことは、あなた以外にできないんですよ」
「ど、どういうことだ!?」
「考えてみてください。いくら壁をズラすことで、あらゆる部屋の前まで移動できても、ホール側の扉の鍵は持っていません。つまり、ホールに出られる扉は限られるんです」
社畜探偵さんの用意した図に書き込みながら、更に解説を続ける。
「この仕掛けで僕をクイーンさんの部屋の前まで移動させるには、時計回りに3部屋分壁を押し込むことが必要です。ただ、押し込んだあとの部屋が、鍵がなくても出られる部屋でなくてはいけません」
大部分のヒトは、3部屋分ズレた先が他人の部屋で、出ることができない。
出られるのはただ一人――
「自室前の通路から時計回りに3部屋分ズレた先の通路から出られるのは、ネロさんだけなんです……! 僕に罪を着せるための行動が、あなたが犯人だという証拠を生んだんですよ!」
「ぐっ……!? く、くぅぅぅぅぅ……!」
悲鳴のような呻き声を通路に響かせながら、崩れ落ちるネロさん。
それは、何よりも明瞭な、真相解明の証だった。
社畜探偵さんが、満面の笑みで僕へと駆け寄ってくる。
「スゴいじゃないか、コーデリアさん! やっぱり私の見込んだ通り、キミは探偵になるべき人材だよ!」
「そ、そんなこと……」
気を抜きかけた次の瞬間、ゾワッと肌がアワ立つような感覚を覚えた。
この感覚には覚えがある。
何度も家族を失う時に、死の気配。
考えるよりも早く、口が開いた――
「社畜探偵さん、後ろです!」
「――――っ!」
立ち上がったネロさんの手には、サバイバルナイフが握られていた。
そして怒りの形相で、僕と社畜探偵さんに向かって突っ込んでくる。
咄嗟に周囲を見渡すけど、身を守れるようなものは見当たらない。
このままだと刺し殺されてしまう!
でも次の刹那――
「ありがとう。キミが声をかけてくれたおかげで、間に合ったよ」
――風を切る音が聞こえた。
まばたきの間に、ネロさんが縄で後ろ手に縛られ、人間チャーシューのような状態となっていた。
いつの間にか手にしていた縄を片手に、そっと僕にウインクする社畜探偵さん。
その様子は、命を狙われた直後だというのに、どこまでも余裕で。
目の前の探偵の底知れなさを感じさせた。
「相変わらず大した腕前だねぇ、社畜の坊や。“こっち”の腕も鈍ってないじゃないか」
ヒッヒと笑いながらマープルさんがネロさんへ近づいたかと思うと、縛られた状態で暴れ狂っていたネロさんがこうべを垂らし、黙り込む。
あまりに一瞬の出来事で、何が起きたのか分からない。
どうやら何かしらの方法で失神させたみたいだ。
「勘弁してくださいよ……見せ場を取ったことは謝ります。ネロさんの身柄はあなたたちワールドに譲るので、揉め事はなしにしてもらえませんか?」
「アンタが『明けぬ夜』の関係者を譲る? 何だい? まさかアンタ、その坊やに惚れ込んじまったのかい?」
「まぁ、そんなところですかね」
社畜探偵さんが困ったように鼻をかきながら苦笑して、僕へと向き直った。
「コーデリアさん、これも何かの縁だ。頼るところがないなら、私たち『探偵同盟』の仲間にならないか?」
「ぼ、僕が『探偵同盟』に……!?」
思わぬ誘いに変な声が出てしまった。
今回たまたま事件を解決できたからって、話ができすぎている。
「む、無理ですよ……あなたも分かったでしょう? 僕は自然と、危険なモノをおびき寄せてしまうんです」
「キミが疑われることになったのは、確かに不運だ。でも、キミがその不運に襲われていなければ、ここまで事件の手がかりは残っていなかったんだよ」
「そ、それは……」
確かにその通りかもしれない。
僕が偶然キッチンへ向かっていなかったら、この妙な血痕も、地震の発生も、犯人がキッチンへ来た事実も気付けなかったはず。
そう考えると、自分のこの不幸を呼び込む境遇も、今回ばかりは役に立ったと言えるのだろうか。
「キミの薄幸な境遇は筋金入りだ。きっと、これからも多くの困難を自分に呼び込むかもしれない。でも今回みたいに、そのおかげで解ける事件があるとすれば、どうかな? いい探偵になれると思わないか?」
「そんな、悲劇を呼び込む疫病神みたいな探偵、許されますかね……」
「探偵がいようといまいと、悲劇は起こるさ。それに、世の探偵小説には、探偵の訪れた先で悲劇が起こるのは定番だろう? むしろ、キミのその境遇は、名探偵そのものだよ」
名探偵の訪れた先で事件が起こるのか。
事件の起こる場所に、名探偵が訪れてしまうのか。
コロンブスの卵のような話だけれど、ミステリーの“お約束”なのは間違いない。
どうせ悲劇を引き寄せてしまうなら、自分で解決できる探偵になってしまうのも、もしかしたら……。
「よし、こうしよう。キミのチカラはこれから『名探偵境遇』……語呂が悪いな……『特性』、『性質』、『体質』。うん、これだ! 『名探偵体質』と呼ぶなんてどうかな? これなら、キミも胸を張ってヒトに話せるだろう?」
「ミ、ミステリーファンに怒られちゃいますよぉ……!」
――【12月30日10時24分】。
今でも忘れない、僕が探偵を志した瞬間の時刻。
こうして僕は社畜探偵さんに手を引かれ、ずっと引きこもっていた六號館から、外へと連れ出された。
自分には向いていないと思っていた職業に就くことになるんだから、人生何が起こるか分からない。
ただ、これまで自分の身に起きてきた悲劇も、少しはプラスに転じられる気がして。
本当に久しぶりに、心から笑うことができた。
~僕には向かない職業~
――END