老師探偵は
自白《こく》られたい

【前編】
「減点1」

 見慣れた切れ長の目が白目をむき、薄く化粧の乗った桜色の肌に大量の汗が浮いて、俺の目の前でキララはテーブルに倒れ込んだ。

 よく自慢していたセミロングの栗毛が、テーブルいっぱいに広がる。
 隣に座るキララの彼氏――ユウキは何が起きたか分からないといった顔で、思考停止。忌々しい癖っ毛に手を当てたまま、タレ目を大きく見開き、間抜け顔で硬直している。

 俺たちの座席の異常に気付いてか、賑やかなランチタイムの店内が凍りつく。
 止まっていないのは、穏やかなクラシックの音色と、窓から見える粉雪だけ。

 すべてが俺の計画通り。
 パーフェクトだぜ、俺。

 俺は“練習通り”に、すぐさま椅子から立ち上がって、キララに駆け寄った。

「キ、キララ!? どうしたんだよ、お前!」

 激しく身体を揺するが、反応はない。
 有名なトリカブトの毒をたっぷりと飲ませたんだから、まぁ当然だな。

 しかし、今俺が演じるべきは、何も知らないキララの友人、吉村独人《よしむら どくと》。
 何が起きたか分かるワケもないので、机に突っ伏したキララの身体を起こしあげて、顔を確認する。

 人形みたいに生気のない顔に、焦点の合わない目。
 へえ、本で読んではいたけど、マジでこんな顔になるんだなーと感心した。

 だが、この感情を周囲に読み取られるワケにはいかない。
 もう必死の顔で、未だに間抜け顔で固まったままのユウキに、怒り混じりに呼びかける。

「おい、ユウキ! 何を固まってんだよ、救急車だ、救急車! 何か分からねぇけど、ヤベーよ、これ!」

「う、うん……」

 震える手でスマホを取り出すユウキ。

 バカが。
 これでコイツは、救命行動が遅れたことで、証言が不利になる。

 まったくもって、救えないアホだぜ。

 俺たちの剣呑な雰囲気が伝わったのか、木目調の床と壁が美しいカフェ内に、ザワめきが広がっていく。

 いいね、この空気。
 俺が演出したのだと思うと、たまらなく心地いい。

 この店の奴らは全員、俺の計画した完全犯罪に踊らされ、俺を有利にする証言者となるんだ。
 ざまぁみやがれ。

「ど、どうしたんだい、独人くん。キララちゃんに、何かあったの?」

 奥のカウンターから、白髪のオールバックが特徴的な、この店のマスターが飛び出してきた。

 如何にもカフェのマスターですって感じのエプロン姿に、丸メガネと白いヒゲが気に入らないオッサンだが、今は天使に見える。

 なんせ、ユウキともども俺の罪を被ってくれる一人なんだからな。

「さ、騒がしくしてごめんよ、マスター。それがキララのヤツ、ホットミルクを飲んでいたら、急にブッ倒れちまったんだ」

「ホ、ホットミルクを飲んでいたら……? 何で、そんなことに……」

 自分の淹れたミルクが原因かと思ったのか、マスターは髪だけでなく、顔まで白くさせた。

 ああ、笑える。
 食中毒騒ぎなんて、飲食店では致命的だもんな。
 まったく、どいつもこいつも、計画通りに動いてくれてたまらないぜ。

 俺の企てた毒殺計画はパーフェクト。
 このまま俺以外のどいつかが警察に捕まるように仕向ければ、晴れて計画は完遂する。

 あとは、疑われないようにだけ、気を付けないとな……。

「マスター、どうかしたのか? 角砂糖みたいに白い顔じゃないか」

 その時、カウンター席に座っていた黒いコートの男が、マスターのそばへとやってくる。

 マスターに似た白い髪に、ドジョウみたいで変なヒゲと、太い眉。シワの深い顔に、くぼんだまぶた。
 一見、間抜け面のジイさんにしか見えない。
 しかし、その目は飢えた野犬のようにギラついていて、妙に嫌な予感を覚えた。

 そして俺は間もなく、自分の予感が的中していたことを思い知る――

「ろ、老師探偵……実は、常連の女の子が倒れてしまったらしくて」

「た、探偵?」

「既に現役は退いているがな。簡単な検死くらいはできるだろう」

 そう言って、老師探偵と呼ばれた男は薄手の黒いゴム手袋をはめると、テーブルに突っ伏すキララの頭に触れ、軽く持ち上げて眼球を確認したり、ニオイを嗅いだりしていく。

 オイオイ……。
 完全に手慣れた動きじゃねえかよ。
 ここに来て、俺のパーフェクトな計画に、とんだ狂いが生じやがった。

「ふむ、残念だが手遅れだな。即効性の毒物を盛られたのだろう、もう助からん」

 あっさりと告げると、老師探偵が妙なマークが書かれたスマホを取り出し、何やら電話相手に指示を出していく。

「ああ、事件が起きた。警察には私から説明をしておく。私一人で解決できそうだが、念のため店の座標を送っておこう」

 それから初老の男は、俺とユウキに向き直って、唇のヒビ割れた口をつり上げてみせた。

「坊やたち、運が悪いな。どちらが殺したか知らんが、お前さんたちはもう逃れられんよ……この老師探偵は、しつこさに定評があるんでな」

 不安げにユウキがこちらを見つめてきたので、俺も同じように視線を返してやった。

 ここは、困惑した様子を見せるのが正解。
 パーフェクト・アンサー。

 実際、俺は今、計画になかった最悪の邪魔者の登場に、焦りを覚えている。

 ――コイツ、一体何者だ……?

 鬱陶しい冷や汗が背中を伝う。
 目の前のジイさんは間違いなく只者じゃない。
 だが、こんなジイさん一人に、長い時間をかけて立てた計画を狂わされてたまるかよ。

「老師探偵、さん……って呼べばいいですか? キララが何で死んだのか、解明してくれるんですか?」

 疑われていることに気付いていない体で、老師探偵に手を差し出した。

 今はパーフェクトな殺人犯ではなく、殺人事件に遭遇して冷静さを失った大学生、吉村独人を演じるんだ。

 自分が疑われているとまで、思考は回らないはず。
 取り敢えず、ワケがわからないけど頼ろうとする意志を見せよう。

「老師探偵さん……お願いします! 何が起こったのか、解き明かしてください!」

 頭を下げつつ叫んだ。

 そして心の中でも叫ぶ――パーフェクト!
 これが、日々騙し合いのテニスサークルで一定の地位を築いた、俺の演技力だ!

 感極まって最後に声が震えた感じも出せたし、これなら疑われない。疑われる、はずがない!

 老師探偵は俺を信用したのか、笑顔で握手に応じやがる。

 バカめ。せいぜいユウキのヤツを疑いやがれ。
 探偵だか知らないが、コイツごと全員を騙しきってやるぜ。

「くくっ、久しぶりに血が騒ぐ事件だ。楽しませてもらおう」

 しかし俺の自信とは裏腹に、まるで俺の腹を読み取るように、老師探偵の口角がツリ上がってみえた気がした。

 この俺、吉村独人の人生は、大学に入るまでゴミ以下だった。

 親に言われるがまま勉強ばかりさせられて、そのせいで体調を崩して実力を発揮できず、二流大学に合格。毒親に翻弄され続けた末の、絵に描いたような底辺の人生。大学入学を控えてようやく、俺はこのままだとお先真っ暗だと気付いたんだ。

 だから、大学入学を機に変わろうと努力した。
 いわゆる大学デビューってヤツだな。

 ジユクロで買った無難な服に、ファッション誌に載っていた清潔感のあるショートヘア、コンタクトレンズ。
 それまで縁のなかった品々を買い揃えて、入学式に臨んだ。

 その結果は、まぁそれなりだ。
 劇的に変わるワケでもなかったが、同じテニスサークルの連中とよく行動を共にするくらいには溶け込み、二流大学なりにパーフェクトな生活を送れると思っていた。

 でも、俺が密かに好意を抱いていたサークル仲間のキララと、俺に勝る点が何ひとつないユウキのヤツが付き合い始めてから、すべては狂い出した。

 キララとユウキのヤツは、付き合っているにも関わらず、いつも俺と三人で遊びたがったんだ。

 断るワケにもいかないから受け入れたが、日々イライラが募っていった。
 失恋の傷口に塩を塗り込まれているような心地を、ずっと味わい続けてきた。

 しかも、キララも、ユウキも、俺と二人きりになれば、すぐに恋人の愚痴やら惚気やらを際限なく語りやがる。いくら人間関係に疎い俺でも、キララに片思いしていた俺への当てつけであろうことは、流石に察することができた。ヘラヘラと笑顔で聞き流すのにも、限界があろうってもんだ。

 だから、殺してやった。
 キララがいつも飲むホットミルクに毒を盛ってやったんだ。
 それも、絶対に俺の仕業だとは分からない、パーフェクトなトリックでな。

 あとは、親友だと思っていた俺の好意を踏みにじったユウキに、罪をかぶせるだけでいい。
 俺の純情を踏みにじったことを、必ず後悔させてやる。

 キララの遺体が店外運び出されたあと、警官が店に駆けつけてきて、容疑者である俺やユウキ、店のマスターとアルバイトの女子大生以外は、帰らされた。

 現場を取り仕切っているらしい青ブチ眼鏡の婦警が、何やら興奮気味に老師探偵と話している。

 俺は、テーブル席でスマホを弄っている風を装いながらも、老師探偵たちの会話から耳を離さない。

「いやー、老師探偵の推理が観られるとは。たまらない展開ですねぇ」

「警察が口にすべき言葉ではないぞ、蒼井管理官。減点1だ」

「あっと、申し訳ないです……私たちの世代にとって、あなたはテレビの中のヒーローですから、気持ちが昂りすぎました。私、『奇館』シリーズのドラマの大ファンなんですよ」

「やれやれ……やりづらいな。これだから、メディアに乗せられるのは嫌いなんだ」

 何だかよくわからないが、婦警のテンションの高さに付いていけていないようだ。

 あの婦警の喜びよう。
 老師探偵とかいう男は、相当にヤバいヤツなのかもしれない。

 やはり警戒して正解だ。
 気を、引き締めていかないとな……。

「あの、俺たち、もう帰っていいですか? 授業があるんですけど……」

 俺の隣の席に座るユウキが、老師探偵たちに向かって話しかけた。

 はいはい、いい展開キマしたよ、これ。
 こんな時に自分から帰るなんて言ったら、疑われるに決まっているだろうになぁ。

 でも、俺はそんな知恵も回らない無知な大学生であるべきだから、何も知らない風にユウキを説得する。

「ユウキ、気持ちは分かるけど、協力しよう。キララが殺されたかもしれないのに、授業を受ける気にもならないだろ?」

「それは、そう、だけど……何で、こ、恋人が死んで、疑われなきゃなんないんだよ……」

 ボソボソと説得力のないことをつぶやくユウキ。
 いいねぇ、実に苦しい言い分だよ。

 でも安心しろ、ユウキ。
 俺がお前を、パーフェクトに擁護してやるからな。

「……ユウキの言う通りだな。刑事さん、俺を疑うのは構わないが、ユウキは帰してやってくれないか? ただでさえ、恋人が殺されてショックだって言うのに、犯人だと疑われるなんてあんまりだろ」

「ど、独人……」

 泣きそうな目で俺を見るユウキ。
 ぷぷ、まるで雨の中に捨てられた子犬だねぇ。

 お前の無実はしっかりと、俺が主張してやるさ。
 俺の――シロさを強調するためになァ!

「もちろん俺はキララを殺してなんていないけど、可能性があるとしたら俺だけだろう。思う存分、俺を調べ上げてくれ」

「ふむ、感動したぞ。いい“セリフ”だな」

 感心した様子で、老師探偵がアゴに手を当てて言った。
 くく、さしもの探偵も、俺の潔白な態度に舌を巻いたようだな。

 ……ん? “セリフ”?

「噛みもせず一息で言い切るとは、よく練習したな……減点1、と言ったところだ」

 弾んだ声で語る老師探偵。
 その語り口はまるで、俺が本心から言っていないことを見透かしているようで、得体のしれない不安がこみ上げてくる。

(……焦るな、独人。どうせカマかけだ。動じず、パーフェクトに行けばいい)

 表情には出さず、自分に言い聞かせた。
 目の前のジイさんが相当な曲者なのはよく分かる。

 でも、俺のトリックはパーフェクトなんだ。
 自分からボロを出さなければ、俺が犯人だとバレるワケがない。

「申し訳ないですが、水野さんと吉村さんには、まだ残っていただきたいです。事件の検証を行っていきたいですからね」

 青ブチの婦警が俺たちに頭を下げて言った。

 ここも俺の計画通り。
 俺が頼み込んだところでユウキが解放されるはずもないし、俺たちの証言を元に検証を行って当然。

 そして検証によって、俺の無実は完全に証明されるんだ。

(解けるものなら解いてみやがれ、ポンコツジジイ)

 身体は青ブチ眼鏡の婦警の方を向きつつも、横目で老師探偵の方を一瞥してみた。

(……!?)

 すると、予期していたように老師探偵は俺を見てニヤついていて、すぐさま目を逸らすことになった。

 本当に何なんだ、このジジイは。
 それまで静かさを保っていた心臓が、徐々に高鳴り始める。

 パーフェクトな計画に、徐々に歪みが広がっていく恐怖を、俺は一人感じていた。

 ――後編へ続く