老師探偵は
自白《こく》られたい
【後編】
『不完全殺人事件』
俺とユウキ以外の客を追い払って、マスターと店員、制服姿の警官たちに、黒いコートをまとった白髪の老師探偵だけとなった店内。普段は落ち着いた雰囲気を醸し出す壁の木目やコーヒーの香りも、今の俺には鬱陶しいノイズに感じられてしまう。
早く自宅に帰りたい。
そのためには、無実の証明――真実の偽装が必要だ。
「刑事さん、ユウキは今混乱状態です。俺が代わりに、事の経緯を証言しますけど……いいっすか?」
少し不満げな声音で、歯切れ悪く婦警に語りかけた。
この展開は予想の範疇。ビビリ散らすだろうユウキに代わって証言を行う時の、予行演習も十分にこなしている。
しかし、だからこそ、敢えて歯切れを悪くした。
「申し訳ありませんね、吉村さん。ご友人を失ったばかりで申し訳ないけど、お願いできますか?」
「……仕方ないっすよ。俺もユウキも、キララを殺った犯人を暴きたいっすからね。その代わりに、しっかりと犯人を捕まえてくださいね?」
俺の態度に、少々申し訳なさそうな顔を見せる婦警。
――チョロいねぇ。
いや、俺の演技力が神がかり過ぎなのか?
自分の作戦の成功を確信しつつ、同じ調子で続ける。
「殺されたキララは、ユウキの恋人です。俺たち三人はよく一緒に行動していて、午前中の講義を受けたあと、いつもの流れでこのカフェに来ました」
「何か普段と変わったことはありませんでしたか? 例えば、変わった注文をしたとか」
「変わったこと、ですかぁ……いや、ないっすね。俺ら三人がこの店に来る時は、『いつもの』って言えば出てくるくらい、同じ注文ばっかりですし」
「なるほど。一体何を注文されていたんです?」
「えーっと、確か……キララがホットミルクと日替わりパスタセット、俺がアイスコーヒーとロコモコ丼セット、ユウキが烏龍茶とスタミナ丼セット……のはずっす」
思い返しながら話すように語った俺の言葉を、婦警がメモ帳に書き留めていく。
その様子をチラチラ見つつ、内心しめしめと笑う。
いいぞ、その調子で“あの可能性”に気付いてくれ。
「特段変わったこともなく、いつも通りでしたよ。店に来て、俺が席を取る間に、キララとユウキがカウンターで三人分の注文をして、ドリンクを受け取って運んできてくれました」
「先にカウンターで注文する形式なんですね」
「そうっすよ。昼は学生が大量に詰めかけるんで、そうじゃなきゃ回らないんでしょうね。おしぼりとかお冷とか、ドリンク用のスティックシュガーやガムシロも、あそこから勝手に取っていく形式なんすよ」
そう言ってカウンター脇の、ガムシロやおしぼりが積まれた棚やスティックシュガーのたくさん刺さったビンが置かれたスペースを指差した。
よしよし、自然な流れで情報を提示できたぞ。
先ほどあの老師探偵が俺を怪しむ素振りを見せたのは、恐らく俺の受け答えが円滑過ぎたからだろう。
要するに「練習してきている感」があったんだ。
だったら、より警官に促されて、考えながら話している感を出せばいい。
これなら、たとえ演技だとしても、状況を考えれば自然な態度だから追及は不可能。
怪しめるものなら、怪しんでみろってものだ。
更に、俺は今の証言に、ちゃーんと罠も仕込んでいる。
「吉村さん、被害者の子はいつもホットミルクを?」
「えっ……? は、はい、そのはずです。キララはこの店のミルクが大好物だったんですよ。それが、何か?」
――とか、すっとぼけてみましたが、分かっていますよ。
そりゃあ引っかかりますよねぇ?
毒物を何に盛ったのかが争点なんだから、毎度同じものを注文していたというのは、有力な証言に決まっている。
案の定、婦警は部下に指示を出して、キララが飲んでいたミルクのカップを調べ始めた。
「老師探偵、被害者が口にしていたホットミルクを鑑識に回しますが、よろしいですか?」
「構わんよ。だが、被害者の症状を見る限り、恐らく毒はアコニチンだ。同時並行で、この辺りでトリカブトが生えている箇所を探し回った方がいい」
「トリカブト……毒性で有名な植物ですね。分かりました、ご助言ありがとうございます」
婦警が頭を下げて店の外に出ていった。
ジジイめ……早くも毒がトリカブト由来のものだと見抜きやがったか。
本当に厄介な野郎だぜ。
だが今回の犯行に使った毒は、大学生の暇さを活かして、材料のトリカブトを色んな場所でコツコツと集めた上に、毒の生成はビジネスホテルで済ませた。
毒から足がつくことはまずない。
それより、今俺が探偵に言うべきことはコレだ――
「老師探偵さん! ホットミルクが凶器だって本当ですか!?」
俺は椅子から立ち上がり、飛びつかんばかりの勢いで、老師探偵へと迫る。
「だったら、犯人はマスターか、店員の馬場くんのはずでしょう? せめて、ユウキの奴だけでも家に帰してくださいよ! あまりにも、あまりにも不憫で……」
涙ながらに老師探偵に訴えかける言葉の数々。
我ながらパーフェクト。まさしく迫真の演技だ。
席に座ったままのユウキなんて、小声で「独人……」なんてつぶやいている。
俺は演劇の道を進むべき人間だったかも知れないと、内心ほくそ笑みかけた。
「一人で熱くなるな、減点2」
ところが、そんな俺の懸命な態度に反して、老師探偵は淡白な顔で応える。
「私は初めに、犯人はお前さんか、お前さんの隣の友人だと言ったはずだ。残念だが、まだ家に帰すワケにはいかんな」
「え……?」
しまった――つい素で返してしまった。
このジジイは何を言っているんだろう。
ここまでの流れで、何故そんな結論になるのか理解できない。
いや、どうせハッタリだ。
年寄り特有の、結論を先に決めて、物事を都合よく捉えたがっているパターンに決まっている!
「何だかスゴそうな探偵さんらしいから、期待していましたけど……根拠もないのにヒトを犯人呼ばわりするなんて。ハッキリ言って不愉快です。そこまで言うからには、証拠があるんですよね?」
「クックックッ……慌てるな、若造。予言しようじゃないか。証拠などなくとも、犯人は自ら自白《ゲロ》るとな」
薄気味悪い笑みを浮かべる老師探偵。
俺の犯行はパーフェクト。
絶対にバレるワケがない……はずなのに、その顔を見ると猛烈に嫌な予感がした。
俺は想像以上に恐ろしい男を敵に回してしまったんじゃないかという悪寒が、今更ながら湧き上がってくるのであった。
◆
マスターが席へとやってきて、俺とユウキ、俺たちと向かい合う老師探偵の前に、それぞれコーヒーを置いていく。「マスター、ありがとう。やはり私は、お前さんの淹れるコーヒーが一等好きだよ」
「……ありがとうございます、老師探偵。僭越ながら伺いたいんですが、何故あなたは、私と馬場くんの無実を確信なさっているんですか?」
「毒を盛る手段だよ」
老師探偵がコーヒーに口をつけつつ語る。
「蒼井管理官から聞いたが、被害者のホットミルクを淹れたのはマスターで、カップを用意したのはバイトの馬場くんらしいな」
「え、ええ。ですから正直、疑われても仕方がないな、とは思っていました」
――もっと疑えよ!
内心、マスターに同調する。
マスターの女子大生好きは、調べればすぐに分かることだ。
バイトの馬場も、合コン狂いだってウワサを以前耳にした。
決して潔白な奴らじゃないんだよ。
彼女いない歴=年齢の俺の方がよっぽどクリーンな人間だぜ。
まぁついさっき女友達を殺したばかりだけど。
「マスターたちスタッフを疑わない理由はふたつある。まず、この店で殺す必要がないことがひとつ。今回の事件の犯人は、わざわざトリカブトから毒を精製するほど熱心だ……ならば、あの事件を知らぬはずがない」
「トリカブトバーガー事件ですね」
店の外へと出ていた婦警が戻ってきて、老師探偵の言葉に続く。
「トリカブトを用いた近年の事件で最も有名な事件です。とある毒を、トリカブトのアコニチンと合わせて使うことで、犯人は時間差で被害者を殺害し、アリバイを作りました」
「補足をありがとう、蒼井管理官。まさしく、その事件だ。今回の毒殺を実現できるほどの犯人が、何故ストレートにアコニチンを用いて、衆目環視の中で殺人を犯したのか。吉村独人くん、お前さんは分かるかい?」
――俺に聞くのかよ!
ドキッとした反応をすべきか、冷静に返すべきか判断がつかない。
だが、すっとぼけるのも怪しい気がするから、仕方なくちゃんと答えることにする。
「カフェの人らに罪を着せるため……とかっすか?」
「正解だ。お前さんが探偵なら、5点加点してやってもいいところだぞ」
ニタニタとからかうように笑ってくる老師探偵。
舐めやがって、チクショウ! 弄ばれている気分だぜ!
まさか証拠がないから、こうして嫌がらせを続けて、自白をさせようって腹積もりか?
上等だ、絶対に自白なんてしてやらねぇぞ。
それに、結局まだ俺のパーフェクトプランに沿って、話は進んでいる。
このまま話が進めば、ユウキが疑われるはずなんだ。
「マスターたちの犯行でない可能性が高いことは分かりました。でも、俺かユウキが犯人だったら、どうやって毒を盛ったって言うんですか?」
気を落ち着かせるために、コーヒーを飲みつつ、老師探偵に強い声で主張する。
「キララとユウキがカウンターでドリンクを受け取って、俺の待つ席に着くまで、ずっと二人はくっついていたんですよ? ミルクに毒を盛る隙なんてなかったじゃないですか」
さぁ、老師探偵。最終問題だ。
だったら、毒はどのように盛られたと思う?
この答えをアンタが導き出した時に、俺の完全犯罪は成立する。
「何も犯人が直接毒を盛る必要などないさ」
「え……?」
――パーフェクト!
いいぞ、いいぞ……その調子だ。
ならば、
どのように殺しましたか《ハウダニット》?
「犯人が盛っていないなら、どうやって毒を?」
「スティックシュガーだよ。犯人は、中身を毒にすり替えたスティックシュガーを用意して、被害者に寄越したのさ」
――パーーーーフェクトッ!
流石は探偵、冴えていやがるぜ!
ヤバいヤバい、高まりすぎて全身が汗ばんできた!
では真相を教えてください。
つまり、
毒を盛ったのは誰ですか《フーダニット》?
「じゃ、じゃあ、まさか……毒をホットミルクに盛ったのは……」
「被害者自身、ということになるな。毒入りシュガーだと気付かずに、自らの手でホットミルクに毒を盛り、そのまま飲んでしまったというワケだ」
「そん、な……俺は、全然気付けなかった……」
肩を落とし、顔を伏せる。
もう笑いをこらえていられないからだ。
ああ、苦しい。緊張と興奮で胸がバクバクだぜ。
このあとの話の流れは、もうオレのプラン通りに進むしかない――
「ふむ、これでハッキリしたな。この店は客がセルフでスティックシュガーやガムシロを取る形式。状況を考えれば、凶器となったスティックシュガーは被害者本人か、被害者と共にドリンクを受け取った水野が取ってきたに違いない」
「……え!?」
ユウキが大きく声をあげた。
ようやく、事の重大さに気付いたらしい。
本当に、脳みそがお気楽すぎて笑ってしまう。
「老師探偵さん、どういうことですか? まさか、ユウキが毒入りスティックシュガーをキララに渡したとでも言うんですか?」
「その可能性が高いだろうな。話を聞く限り、自殺だとは思えん」
「ちちち、違う! 僕は犯人じゃありません!」
ユウキが席から立ち上がって、震え声で叫んだ。
くく、我が親友よ。取り乱してしまうとは、情けない。
俺はすかさず、親友の援護射撃の“フリ”をする。
「そうですよ、老師探偵さん。どうして、ユウキが恋人のキララを殺さないといけないんです!? 理由は何だって言うんですか!」
「そう結論を焦るな、減点3。ヒトがヒトを殺す理由など、いくらでも考えられる。動機の不透明さなど、大した問題ではない」
老師探偵の言う通り、理由なんていくらでもでっち上げられる。
調べていけば、ユウキとキララの間には喧嘩が絶えなかったことが分かるはずだ。
大学生に恋愛トラブルはつきもの。
適当に動機を添えられてジ・エンドだろう。
なんせ俺は端から席に座っていた以上、キララの分のスティックシュガーを手にとれたのはキララ自身か、ユウキだけ。
どう足掻いたって、キララの自殺か、ユウキの犯行しか有り得ず、俺の容疑は晴れるって寸法だ。
これこそ、俺が考え出したパーフェクト★なすりトリック!
さぁ、老師探偵――ユウキにトドメを刺してやれ!
「……そろそろか」
ところが、何故か老師探偵はアゴに手を当て、語るのを止めた。
一体何の寸止めだよ。
もうあとは、ユウキにしか犯行はできないと説明するだけだろうに。
「ハァ――ハァ――」
クソ、緊張で息が乱れてきた。身体が熱い。こんな調子じゃ疑われてしまうじゃねえか。いいから早くユウキを糾弾しろってんだよ。
「この事件の犯人は非常に狡猾だが、1点大きな誤算があったらしいな」
俺をニヤニヤと見つめながら老師探偵が語り出す。
誤算だと? 何の話を始める気だ?
「私には理解できないが、今の若い子はとかく糖質を制限しがちだそうだな。例えば、スティックシュガーにしても、一本丸々使い切らないものもいる」
そう言って、老師探偵が懐からスティックシュガーの袋を取り出した。
それは間違いなく、俺が丹精込めて作った毒入りシュガーの袋だ。
見るからに空で、店内の暖房の風でピラピラと揺れている。
「キララがそうだったって、言うんですか……? その袋の中身は、完全に空じゃないですか」
「当然だよ。私がわざわざ空にしたからな」
「空に、した……?」
「どうした、苦しそうだぞ? まるで、何か悪い物でも飲んだみたいじゃないか」
ドクンと心臓が跳ねた。
――そう言えば、先ほどから身体が熱い。この火照りは、目の前に置かれたコーヒーに口をつけてからだ。
いや……まさか、そんなはずがない。
俺の前にいるのは探偵なんだぞ?
いくら俺が容疑者だからって、凶器に使われた毒の余りを盛るなんて、在り得ないだろ。
「ど、独人……お前も、調子が悪いのか……? 僕も、身体が熱くて……」
隣でユウキのヤツも苦しそうに呻いている。
容疑者は二人もろともってワケかよ。
トリカブトの毒性なんかコイツは知るワケもないから焦っていないようだが、相当にマズい状況だ。
なんせトリカブトの毒には解毒薬がない。
早急に病院へ行かないとお陀仏だぞ。
「あの、気分が悪くなってきたので、帰っていいですか……?」
「まぁ待ってくれ。あと少しで、終わるから」
席を立とうとした俺の肩を掴み、老師探偵が俺を力づくで座らせる。
痩せて骨の浮いた手だっていうのに、ゴリラかと思うほどの腕力で、抵抗できなかった。
クソ、クソクソクソ……!
そうか、毒を飲ませて犯人を炙り出すのが狙いか……!
このジジイ、罪を認めないなら死ねって言いたいのか!?
どうせ俺のトリックを暴くことはできないんだ……!
意地でも自白なんてするかよ!
「吉村独人、と言ったな? お前さん、ひどく苛立って見えるが、どうかしたのか? タバコでも切れたのか?」
苛立つくらい穏やかな声で老師探偵が語りかけてきた。
苛立ちのままに怒鳴り返してやろうかと思った次の瞬間――背筋が凍る。
「私のタバコでよければ、一本やろう」
老師探偵が懐から銀色の缶を取り出し、蓋を開いて俺に差し出した。
缶の中のタバコは、不自然に一方へと寄っており、一本だけが俺に向かって倒れかかっている。
まるで俺に対して、手に取るよう促しかけているようで、何も考えなければ、その一本を取っていたに違いない。
つい先ほど、ユウキが毒入りスティックシュガーを手にとったように――
「ただし、一本だけ毒入りのタバコがあるから、気をつけるといい」
「は、ははは……」
全身の力が抜けて、笑いが止まらなくなってしまった。
何だ。
初めから目の前の探偵は、俺のトリックを全部見透かしていたんじゃないか。
老師探偵が差し出した缶の中身は、俺自身が作り上げたものと瓜二つ。
ユウキがキララのために、毒入りと知らずにスティックシュガーを手に取った時と、そっくりなんだ。
もう、足掻いても意味がない――
「老師探偵……降参だ。キララに毒を盛った犯人は……俺だよ」
こうして、完全犯罪《パーフェクト》だと思っていた俺の計画は、完膚なきまで《パーフェクト》に打ち崩されるのであった。
◆
それから俺は、呆然とする隣のユウキを尻目に、病院へ行くことを要求した。しかし、老師探偵は皮肉っぽく笑って語る。
「探偵が一般市民に毒など飲ませるワケがないだろう。毒の中身がなかったのは、鑑識に回したからだ」
「じゃ、じゃあこの身体の火照りは……?」
「厨房で見つけたカプサイシンパウダーだよ。じきにおさまる」
「な、何だよ、それ……」
完全にしてやられた。
何がパーフェクトだよ、俺。
それからはもう全てを諦めて、動機もトリックも包み隠さず打ち明けた。
トリックは極めてシンプル。
キララとユウキがカウンターで注文をしている間に、スティックシュガーの入った瓶を整頓しておく。
それから、事前に用意しておいた毒入りのスティックシュガーだけが瓶の手前に来るよう仕向ければ、準備は完了だ。
あとは、ユウキが自ら毒入りのスティックシュガーを取るのを待てばいい。
俺はいつもアイスコーヒーだし、ユウキはコーラ。毒入りのスティックシュガーは確実に、キララが使うことになる。
舞台さえパーフェクトに整えておけば、あとは俺の手を離れて完結するという、完璧な殺人……のはずだった。
「老師探偵……アンタ、最初から俺を疑っていたよな? どうして俺が疑わしいって分かったんだよ」
「まぁ色々あるが、大きなポイントはふたつだな」
俺の前に座る老師探偵が、コーヒーを飲みつつ語る。
「まず、自分でも気付いたようだが、最初のお前さんは話す途中に、次の言葉を考える間がなかったんだよ」
「……やっぱり、そこか。でも、途中で考えながら話すよう転換したはずだぞ? それでも疑っていたのか?」
「転換したことで、むしろ容疑は固まったんだ。ヒトのクセは千差万別。考えずに話す者もいるだろう。だが、途中で話し方が変わるのは、クセではなく意図的なものに違いないからな」
言われてみてようやっと、自分の過ちに気付いた。
そうか。
いくら話し方が疑われたって、よく知らない相手からすれば、単なるクセだという可能性を拭えない。
俺は、疑われないよう途中で話し方を変えたことで、自ら可能性を潰してしまったのか。
「まさか……だからアンタは、わざわざ減点だとか言って、カマをかけたのかよ」
「当然だろう。まぁヒトに点数をつけてしまうのは、立場上のクセだがな」
老師探偵はホットコーヒーを一気に飲み干して、俺の前のカップを指差して言葉を続ける。
「だが、疑わしいと思った最大のきっかけは、お前さんの注文だよ。お前さんは、マスターが淹れてくれたホットコーヒーへ、すぐに口をつけた。別に、猫舌でもないのだろう?」
「あ――」
ハッと窓の外を見た。
窓の外では、未だに粉雪が散っている。
風も強く、真冬に相応しい寒さに違いない。
「お前さんはこの寒い日に、わざわざアイスコーヒーを注文していた。それは、痩せ我慢をしてでも冷たいドリンクしか頼めなかったからだ」
「……万が一、俺の手元に毒入りシュガーが届いたら、最悪だからな」
力なく笑って肩を落とす。
自分が慢心していたことを、ようやく思い知った。
このトリックを思いついた段階で満足して、細かな目算が甘かったんだ。
情けない。
本当に、情けなくて涙が出てくるぜ。
「……笑えよ、ユウキ。お前ら、ずっと俺のことを笑ってたんだろうが。大学デビューの陰キャ野郎だってさ」
「……バカ、野郎!」
隣のユウキが、俺の胸ぐらを掴み上げて、怒鳴り上げた。
「大学生にもなって、好きでもないヤツとずっと一緒にいるワケないだろ!」
これまでの長くない付き合いの中で初めて見るその怒り顔は、涙と鼻水でグチャグチャで。
だけど、誰よりも優しく見える。
俺のよく知る、水野ユウキそのものだった。
「独人は気付いてなかったかもしれないけど、今のサークルに入れたのも、キララと知り合えたのも、全部お前のおかげだったんだよ……! キララも俺も、お前に心から感謝していたのに……本気で信じていたのに……それ、なのに……!」
「ハ、ハァ……? お前らが、俺に感謝を……?」
ユウキに掴まれたまま呆然とする。
言われている言葉の意味が、全然わからない。
「からかうのも、い、いい加減にしろよ……どこまでも、バカにしやがって」
俺はずっとバカにされていると思っていた。軽んじられていると思っていた。だから、こんな手間を掛けて殺しの計画を練ったんだ。
それ、なのに――全部勘違いだったのか?
「俺は……本当の親友を手にかけちまったって言うのかよ……!!」
三人でいつも使っていた店内に絶叫が反響する。
気付けば、俺の目からは涙があふれていた。
ユウキも、俺を掴み上げたまま泣いている。
後悔したところでもう遅い。
三人でこの店を訪れることは、もう二度とないんだ。
失敗ばかりの人生の中でようやく手に入れたパーフェクトな関係を、俺は自分自身の手で、壊してしまったのだから。
「……雪が止んだか。あとは、警察にまかせて、年寄りは退散するとしよう」
テーブルに項垂れたままの俺を尻目に、老師探偵が立ち上がった。
しかし、何かを思い出したように俺の方を振り返る。
「最後にひとつ、人生の先輩としてアドバイスをしてやろう。人間一人を毒殺するには、相当にシビアな毒の量の計算が必要でな、もっと不慮の事態を予測した方がいい」
「……はぁ」
このタイミングで何を言っているんだ、このジイさんは。
まさしく殺しを後悔しているのに、何のアドバイスだよ。
それでも探偵かよ。
心の中で悪態をついていると、胸のポケットのスマホが振動していることに気付いた。
「それと、ひとつお詫びがある。お前さんたちに、被害者の嬢ちゃんは助からんと言ったが――あれはウソだ。致死量には全然至っていなかったし、すぐに店の裏で吐かせたから、今ごろはピンピンしているだろう」
スマホの画面に表示されたのは――死んだはずの“彼女”の名前。
「減点で済んでよかったな。ここから挽回できるかどうかは、お前さん次第だ」
そして俺は、自分の計画が不完全に終わったことを、心底喜ぶことになるのだった。
老師探偵は自白《こく》られたい
――END