VR殺人事件
【第1幕】
『発生編~科学探偵と調査探偵~』
『VR殺人事件』と呼ばれる怪事件をご存知だろうか?
それは、人気の高いSNS上のアバターと、現実世界の本人が、同じ格好で亡くなっていたという、不可解な事件である。
何故このような構図で殺人事件が起きたのか。
その動機は、とある探偵によって紐解かれた。
しかし、あまりに理解の及ばない内容と、不可解な結末によって、公的には未解決事件として扱われている。
そうした扱いに至るまでの物語は、事件を解決した探偵とはまた別の女性、通称『調査探偵』への連絡から始まる――。
◆
――1人の男が、VR空間と現実で、同時に殺害された。電子タブレットに届いた連絡を最初に見た時、調査探偵は理解し切れず、呆けてしまった。
自宅の鏡の前で髪を乾かしている途中だったので、ドライヤーの熱風の音だけが自宅に響き渡る。手入れの行き届いた黒のショートヘアから、ポタポタと雫が垂れていく。混乱し過ぎて、床が濡れることにも気が回らない。
VRとは、『バーチャル・リアリティ』の略。
日本語で言えば『仮想現実』。
ざっくりと言えば、CGなどの電子映像で現実を再現した空間を指す言葉だ。
つまり組織から届いたこの連絡は、『現実だけでなく、仮想現実空間でもヒトが殺された』ことを意味している。
冷静に理解を試みても、やはり意味が分からなかった。
ようやっと我に返った調査探偵は、髪の乾燥を再開しつつ、身体に巻いていたバスタオルを足元に放って、床に滴っていた雫を拭いていく。
調査探偵の探偵としてのキャリアはまだ短い。だが、元々は警察の捜査一課に所属していた時期もあるため、並みの探偵よりは多くの事件を見聞きしてきた自信がある。
そんな彼女でも、今回の事件には困惑を隠せなかった。
「……『名付けるなら、VR殺人事件だ』か。理想探偵も、厄介な事件を回してくれたものだわ」
先ほどタブレットに届いた連絡は、調査探偵が所属する組織『探偵同盟』からの協力要請。
事件の概要と容疑者のリストと共に、各容疑者の身元とアリバイの調査をして欲しいと書かれている。
その依頼に強制力はない。
断れば、また別の探偵に依頼が回るだけ。
それでも調査探偵は、断りはせず、素直に依頼を受託することを決めた。
理由は単純――
「今回の事件の相棒は……探偵序列6位の、『探偵紳士』だもの。いくら面倒でも受けなきゃ損よね」
届いた連絡の中に、共に事件を捜査する相棒として、『探偵同盟』でも有数の実力者と言われる探偵の名前が挙がっていたからだ。
キャリアの浅い調査探偵にとって、国内でも有数の探偵と捜査を共にできる機会は、何にも代えがたい。
こうして調査探偵は届いた依頼を素直に受託し、探偵紳士と共に作戦会議を行うため、探偵同盟のT都支社へと向かうことになった。
しかし、そこで待ち受けていたのは、予想外の事態。
「探偵紳士なら来ませんよ」
「え?」
T都支社に着いて間もなく案内されたのは、真っ白な壁紙に黒い床板が張られた研究室。
室内を埋め尽くす大量のデスクとPCのひとつで、車椅子の少年が何やら作業を行っていて、開口一番に先の言葉を口にしたのだ。
からかっているのだと思い、調査探偵は少年に問い返す。
「え、えっと、どういうことですか? 私は、探偵紳士と一緒に捜査する約束でここに来たのですが……」
「師匠なら先約があって、しばらく海外です。ずっと通い詰めていたお店のママさんが、ようやくその気になってくださったそうでして」
PCから視線を逸らさぬまま少年は答えた。
マリンキャップを想わせる大きめの帽子をかぶったその少年は、まだ小学校も卒業していなさそうな幼い顔立ちをしている。
ただ、その表情は子どもとは思えないほど落ち着いていて、白衣姿なのも相まって、大人びた印象を受けた。
「あの、あなたは一体……?」
「申し遅れました。僕は科学探偵。探偵紳士に師事する探偵です」
「科学探偵……」
科学探偵の名は知っている。
幼くして探偵同盟にスカウトされたという、国内でも屈指の神童だ。
探偵同盟のメンバーに支給されるハイテクな道具の数々には、彼の力が活かされているらしい。
「あなたがあの有名な科学少年ですね。探偵紳士の弟子だとは知りませんでしたよ」
「探偵同士の関係は、そのまま弱点になりますから。多くの場合は秘匿されているんですよ」
「それもそうですね。だからこそ、私たちは探偵ネームで呼び合っているワケですし」
などと冷静に返しつつも、探偵紳士との合同捜査を期待していた調査探偵は、最大の目的が失われてしまったことで落胆していた。
ベテランの探偵に失礼がないよう、きっちり黒一色のキッチリしたスーツを着てきたというのに。全て徒労である。
それも探偵紳士が不在の理由は、有り体に言ってしまえば『デート』なのだから救われない。
曲者だという風評の実態を、身を持って痛感することとなった。
「ですが調査探偵さん、安心してください。今回の事件に限って言えば、僕の方が師匠よりもずっと役に立てるはずですから」
科学探偵が車椅子ごと、器用に調査探偵へと向き直った。
見れば、科学探偵の座るその車椅子は、通常のものとは明らかに異なり、様々な機械的な装飾が設けられている。
科学探偵の名に恥じない装備だ。
「調査探偵さんの特技は、元刑事であることを活かした容疑者の身辺調査や、実地調査ですよね?」
「よく知っていますね、その通りです。そう言うあなたはやっぱり、その名の通り、科学が専門分野ですか?」
「うーん、研究はもちろん好きなのですが……専門分野だと誇れるほどではありません。単純な知識量でしたら、僕以上のヒトはたくさんいるはずですから」
意外な回答に調査探偵は目を丸くした。
国内では制度的に不可能だが、海外なら飛び級で大学に進学できるほどだと聞いている。
探偵同盟に入れた理由も、てっきりその知識量を買われたのだと思っていたのだが、違うらしい。
「なら、あなたの得意分野って?」
「僕自身が思う得意分野はこちらです」
科学探偵が車椅子のアームレストの側面に手を伸ばし、ボタンらしきものを操作した。
すると、すぐ横の壁の上から、プロジェクター用の大きなスクリーンが降りてきて、そこに何やら映像が映し出される。
それは、一見何の変哲もない、ベッドと机の置かれた一室の映像。
ただ注意深く観察すると、調査探偵のよく知る部屋であることに気がついた。
「この部屋……今回の事件で殺害された被害者のものじゃないですか」
「ええ。現場の写真を元に、僕がモデリングしてみました。再現したのは、現場だけではありませんよ」
科学探偵が更に車椅子のボタンを押すと、スクリーン上の床に灰色の人型が出現する。
人型は直立状態から床に倒れ込み、左腕のみを前に突き出したような状態だ。
「現場で見つかった遺体のポーズそのままですね。見事な再現度です」
「この死に方が、とあるアニメキャラの有名な死に方に酷似しているために『止まるんじゃねぇぞ事件』などと呼ばれ、ネット上で話題になっているそうですね。ただ、この事件で最も不可解な点は、別にあります」
スクリーンの映像が切り替わり、今度は体育館の中のような風景となった。
先ほどと異なり、今度は多種多様な人型が、体育館内をワイワイと動き回っていて、3Dを用いたゲーム映像のようであった。
「この映像は……?」
「被害者の男性、本名『六山利音《むつやま りおん》』さんが死の直前に利用していたSNS上の映像です。SNSの名前は『ヴァーチャル・コミュニケーション・ネット』。通称『VCN』と呼ばれ、今多くの人気を集めるチャットツールです」
「チャットツール? ゲームの映像にしか見えないけど」
「そうでしょう? このVCNの特徴はまさしくそれなんです。今映っている人型の3Dモデルひとつひとつが、コンピューターのAI制御ではなく、ユーザーがデザインを管理するアバターなんですよ」
「この3Dモデルのひとつひとつが、アバター……?」
見れば、体育館内を動き回る3Dモデルは、その出来も、方向性もバラバラ。
アイドル風の衣装に身を包む美少女キャラもいれば、硬派なファンタジーに出てきそうな甲冑姿の男性キャラに、デフォルメが強い3頭身ほどの小さな猫型キャラまで。
まるで様々なゲームを無理やり融合させたようだ。
「オンラインゲームから会話機能以外を削除したコンテンツ、というイメージでしょうか?」
「言い得て妙ですね。自分自身のアバターを、初めから導入されている3Dモデル以外でも自由に設定できることが特徴ですが、基本的にはその理解でズレはないはずです。ただし、もうひとつ大きな特徴があるんですよ」
科学探偵がそこまで語ったところで、映像内の雰囲気が変わった。
キャーキャーと楽しげな悲鳴があがり始め、人型たちが明らかに何かから逃げる様子を見せ始めたのだ。
見れば人型たちの中心には、ナイフ片手に激走する全身タイツ姿の男性キャラがいる。
真っ赤な全身タイツに金髪のそのキャラは、どうやら他のキャラを追いかけているらしい。
「まるで鬼ごっこですね」
「ええ、鬼ごっこです。VCNには、ユーザーの作成した様々な趣旨のサーバー……分かりやすく言うと、“世界”が存在するんですよ。今見ているのは、さしずめ『鬼ごっこ』の“世界”ですね」
タイツの男が、サメの着ぐるみを着た女の子に切迫して、ナイフを振るった。
背中にナイフが刺さった女の子は、やられた~とでも言うように手を上げて、床に倒れ込む。
次の瞬間には、タイツの男の手に再びナイフが現れて、また別のキャラに向かって走り出す。
次々とナイフで刺され、床に倒れていくキャラたち。
一方で、別のキャラによってナイフを抜かれたキャラは、再び動き出し、逃走を再開する。
一連の様子を眺めるうちに、調査探偵はおおよそルールを把握できた。
「ナイフを持った者が鬼役の鬼ごっこ。ナイフを突き立てられた者は動けなくなる取り決めなんですね。まるで、鬼役に触れられると動けなくなる『こおりおに』……いや、ナイフを抜かれたら動けるようになるから、その派生の『ばななおに』の方が近いか」
「流石は調査探偵さん。この“世界”はまさしく、みんなで『バーチャルばななおに』を楽しむことが目的なんですよ」
「私が知らないだけで、こんな文化があるんですね」
こうしたネット文化には疎い調査探偵にとって、スクリーン上の映像はかなり新鮮であった。
どういう理屈なのか、逃げ回るキャラも、追いかける赤タイツの男も、本当に生きているかのように表情が変わる。そこには、確かな生気を感じられて、本物の世界と遜色がない。外から見ていてそう思うのだから、中で遊んでいる人々は、尚更だろう。
「他には、どんな“世界”があるんですか?」
「普通におしゃべりをするだけの“世界”もありますが、スノボーをするための“世界”や、観光用に古い建物を再現した“世界”など、本当に様々な“世界”があるんですよ」
「なるほど……ハマるヒトがいるのも分かりますね。まるで、本当にもうひとつの現実を作り出すように、自由度が高いツールです」
ただのチャットツールに留まらない拡張性と自由度の高さ。
まるでVR空間で実際に生活するような居心地の良さ。
これがVCNの魅力なのだと、調査探偵は納得した。
「このように魅力的なVCNですが、問題点も抱えています。自由である分、歯止めが効かない人物も出てくるんです。もうすぐ、画面内に現れると思います」
科学探偵が指差して間もなく、思わず調査探偵がギョッとするようなキャラが、スクリーンに現れた。
緑色の髪に白い肌、整った目鼻立ちと落ち着きのある表情がクールな印象を与えつつも、本来耳のあるべき場所から生えた魚のヒレが、強烈な異彩を放つ容貌。
そして、その顔立ちの美しさを拭い去ってしまうほど強烈な、局部のみを僅かな鱗状の服で隠した、ほぼ全裸と言ってよいファッション。
周囲のキャラと比較しても段違いに美しい顔の造形に反し、身体は影の付き方やフォルムも違和感を覚えるアベコベな出来で、その拙さが余計に目を引いてしまう。
調査探偵の中で、やらしいと思うより先に、ある種の嫌悪感が湧き上がった。
「な、何なんですか……このアバター。他の子たちから、明らかに浮いていませんか?」
「これこそ、VR殺人事件の被害者『六山利音《むつやま りおん》』さんがVCN上で使用していたアバターなんですよ」
「え? 六山氏は男性のはずじゃ……?」
「VCNでは、男性のアバターを用いる男性の方が少数派です。美少女キャラになりきって生活することを指す言葉『バーチャル美少女受肉』……略して『バ美肉』が定着しているほどですからね」
未知の文化との遭遇に、感心して声も出ない調査探偵。
しかし、SNS上で本来と異なる自分を演じるという話は、決して珍しい話ではない。
ネット上で女性を演じて男性を騙す『ネカマ』という言葉が昔からあるくらいなのだから、こうしてアバター技術が発展した今、ポジティブに美少女を演じたがる男性が増えるのも自然な流れなのだろう。
「女性のアバターを使う男性が多いのは分かりました。でも何だか、この六山氏のアバターはまた毛色が違いませんか……? こう言ってはなんですけど、少し性的な印象を受けます」
「VCNに馴染みの薄い調査探偵さんでも、そう感じますか。その印象は正しいです。六山利音さんは、VCN上では『ムッツ・リー』を名乗って活動していたのですが、倫理的に問題のある行動でよくトラブルを起こしていたそうですよ」
「なるほど……完全に、調査不足でした」
調査探偵は事前に被害者である六山について、徹底的に身辺調査を済ませていた。
しかし調査で得られたのは、31歳のフリーターで、親元を離れて一人暮らしをしていること。近所のコンビニのバイトで生計を立てていること程度。ろくな情報を得られていない。
職場でもやや浮いた存在で、プライベートで付き合いのあったヒトが一人もおらず、謎が多かったのだ。
VCNのように閉鎖的なSNS上での活動がプライベートの大部分を占めていたのならば、それも納得できる。
「まさか六山氏が殺害されたのも、このVCN上のトラブルが原因で?」
「恐らくそうでしょうね。今から起こる出来事を、よく見ていてください」
科学探偵がそう語った刹那――六山のアバターに、ナイフを手にした赤タイツの男が迫ってくるのが見えた。
六山のアバターは赤タイツの男に背を向けて、逃げようとする素振りを見せたものも、動き出しが遅く、呆気なく背中にナイフを刺されて倒れ込んだ。
ほぼ直立状態から倒れ込み、前に左手のみ突き出した状態で、倒れ込むアバター。
その姿には、見覚えがある。
「この姿……殺害現場の六山氏の姿そっくりじゃないですか」
「ええ。そしてこの状態のまま、六山さんのアバターはログアウトもされず、固まり続けていました。日頃の行動のせいか、際どいアバターのせいか、ナイフを抜かれることも、話しかけられることもなかったんです」
「そして現実でも、同じ姿勢で固まっている六山氏が発見された……というワケですか。なるほど。『1人の男が、VR空間と現実で、同時に殺害された』とは、よく言ったものです」
理想探偵から届いた連絡の内容をようやく自分の中で落とし込むことができて、安堵する調査探偵。
理想探偵が言う通り、六山のアバターの顛末も、まるで本当に殺害されてしまったようであった。
現実世界と同じ姿で硬直していることからも、無関係とは思えない。
事件を解明するには、このSNS上での出来事の真相を知るべきだろう。
「結論が遅くなってしまいましたが、今観ていただいたVR空間での一幕こそが、今回の事件の最も奇妙な点です。六山さんは、遺体が発見される2日前の夜22時に、この“世界”で鬼ごっこしている姿が目撃されています」
「その鬼ごっこで鬼に刺された瞬間から動かなくなり、翌日の午後6時には現実でも、アルバイト先に姿を見せなかったワケですね。その時は一度放置されますが、翌日もシフトの時刻に現れず、連絡もとれなかったことから、警察に通報が行き、遺体が発見されました」
「厄介なことに、殺害現場の床はホットカーペットが敷かれ、高温に設定されていた影響で、遺体の体温の低下が誤魔化されています。よって、どのタイミングで殺されていたのか、分からないんです」
「……なるほど。普通に考えるなら、鬼ごっこでナイフを刺された遺体の発見の2日前の22時に、同時に殺されたと考えるのが自然ですけど、何か引っかかりますね」
決して長くない調査探偵の探偵歴の中でも、既に理解したことがある。
そのひとつが、不可解な殺害方法には、必ず何かしらの意図が存在するということだ。
今回の、VR空上と同じ姿勢で遺体が発見されたことにも、何か意図があるはず。
その意図を読み解くことが先決だと、調査探偵は確信していた。
「私たちが今回解明すべき謎は……
まず『六山氏はいつ殺害されたのか?』。
次に『どのように殺害されたのか?』。
最後に『誰が、どうして六山氏を殺害したのか?』ですね。
では早速、犯行時刻の特定から始めることにしましょうか」
「話が早くて助かります。実はもう、僕の方で容疑者候補を洗い出していたんですよ」
そう科学探偵が言うと、スクリーンの映像が切り替わり、顔写真のようにアバターの顔だけが切り抜かれた画像が、みっつ並べて表示された。
左には、先ほどの鬼ごっこで、ナイフを手に鬼役を務めていた赤タイツの男が。
中央には、赤タイツの男にナイフで刺されていた、サメの着ぐるみを着た女の子が。
右には、メガネを掛けた大人びた女性がそれぞれ映っている。
まさしく三者三様。
いずれも、一筋縄ではいきそうにない。
「このみっつが事件の容疑者たちのアバターです。今から僕たちは、実際にVCNにログインして、容疑者たちとの接触を試みます」
「僕たち、って……? 科学探偵以外に、誰が?」
「やだなぁ、調査探偵さんに決まっているじゃないですか。VRの機材を用意してあるので、今から説明しますね」
「……………………ええ!?」
こうして調査探偵は、人生で初めて、VR空間に身を投じることとなるのであった。
――第2幕へ続く