その探偵、社畜につき
-無限夜勤事件-

【第1幕】
『無限夜勤事件』

 T都S区のオフィス街に、終電もなくなった深夜に突如明かりが灯るビルがあると、インターネット上で話題になった。

 T都のオフィスビルでは、特に珍しくもない光景。
 にも関わらず話題となったのは、ウワサの出処となったオフィスを利用する『株式会社ひよどりスタジオ』に、社会的に許されざる過去があったためであった。

 多数の映画会社や音楽会社から映像の制作依頼を請け負う同社では、過去に不審死を遂げた社員が存在したのだ。

 名は、鴬太郎《うぐいす たろう》。
 通称『ウグイス演出』とも呼ばれる奇抜な演出で一時代を築いた映像クリエイターであり、人気絶頂の中、急死してしまった。

 死因は『虚血性心疾患』。
 過労が招いた死だと、関係者の間では予想されている。
 当然、ひよどりスタジオは責任を追及されたが、社内に労働の記録はなく、鴬太郎は自主的に自宅などで働き続けていたことが判明したため、公的な処罰は労働環境の改善を義務付けられるのみに留まった。

 ヒト一人が不審死を遂げているのに、半端な処罰のみ。
 その始末の不自然さが今更ながらネットに取り上げられ、正義感の強い人々の間で沸々と、ひよどりスタジオへの怒りが湧き上がりつつあるのである。

「……というワケで、弊社は絶賛ネット上で炎上中なんだ。深夜にオフィスの明かりがつくのは、鴬太郎の霊が死後も夜勤を続けているからだ、とか言われてね……ネット上の連中は面白がって『無限夜勤事件』などと呼んでいるよ」

 長々と語り終えたスポーツ刈りの男性が、カフェのテーブルの上にコーヒーカップを置き、疲れた顔で溜め息をついた。

 庭鳥映司《にわとり えいじ》。
 ひよどりスタジオ制作部映像制作課の現・課長である。
 映像制作を専門とする課の所属ではあるものの、外部との交渉役が多い立場の管理職であるため、クリエイター特有の世俗から浮いた印象はない。

 短く整えられた頭髪は頭頂部にややボリュームがあり、名字の読みも手伝って、鳥類の『にわとり』のように剽軽《ひょうきん》な雰囲気がある。
 一方で、ツリ上がった目や目尻に見えるシワの深さは、彼のこれまでの人生での人並み以上の苦労を伺わせた。

 しかし、人相に疲れが表れているという点では、テーブルを挟んで庭鳥と向かい合う男も負けてはいない。

「庭鳥さん、『無限夜勤事件』の詳細をありがとうございます。私たちは、深夜にひとりでに照明がつく原因を探ればいいワケですね」

 目の隈が異様なほどに濃いスーツの男性が、柔和な微笑をたたえて語った。

 ブラウン色の前髪は短く整えられているものの、後ろ髪は長い――というより伸ばしっぱなしという印象で、ひとつに括られている。

 庭鳥に負けず劣らず疲れた雰囲気を醸し出しているが、肌のハリやシワを見ると、まだ年若そうでもあった。

 時刻は夜21時。
 ビジネスマン向けのカフェに、スーツの男性二人がテーブルを囲んだ状態。

 傍目にはビジネスの打ち合わせにしか見えない。
 この二人の関係が探偵と依頼人だと見抜ける者など、そうそういないだろう。

「えーと、キミのことは社畜探偵、と呼べばいいんだよね? 何故よりにもよって、そんな妙な名前で呼ばれているんだい?」

「たはは……実は私、夜間だけ探偵として働いているんですが、昼は普通の会社員なんです。昼夜問わず働く私の様子を面白がった組織のリーダーが、名付けてくれたんですよ」

 少し照れくさそうに苦笑した『社畜探偵』を名乗る男性。
 彼は、ひよどりスタジオの親会社『鳳凰映画』のツテで雇った探偵である。

 庭鳥の中での探偵は、隠密活動に特化し、目立たない地味な服装というイメージであったが、社畜探偵はカジュアル目のスーツを着ており、傍目にはサラリーマンにしか見えない。
 つい、本当に探偵なのかと訝しんでしまう。

「で、どう? 今の話を聞く限り、解決できそうかな?」

「話だけでは何とも。まずは、現場を見てみてみたいですね」

「うーん……疑うワケではないんだけど、どうにもキミは探偵らしく見えなくてなぁ。本当に、キミの力で解決できそうかい?」

 語りつつ、庭鳥は思わず苦々しげな顔を社畜探偵に向けてしまった。

 庭鳥にとって今回の依頼は、この先の人生が懸かっていると言っても過言ではない。
 故に今この場で、実力を試さずにはいられなかったのである。

「すみません。解決できるかできないかは、まだ断言できかねます。とは言え、私は見た目が地味なので不安なのは当然でしょう」

 そう言うと社畜探偵は、目を覆うように顔に手を当てた。

「ひとつ、探偵らしいことをしてみましょうか。今店内にいるお客さんの位置を、指定してみてください。そのヒトの特徴を言い当ててみせます」

「お客さん、って……遅い時間とは言え、まだ十人以上いるよ?」

「ええ、どの方でも結構ですよ。お好きなヒトを指定してください」


 強気な社畜探偵。
 記憶力には、自信があるらしい。
 自ら提案するのだから、店内にチラホラ見える客たちは網羅していることだろう。

 しかし庭鳥が探偵に求める力は、単なる記憶力ではなく、真実を見抜く能力。

 店内を見渡して、敢えて社畜探偵が間違えそうな位置の客を指定する――

「今、キミの真後ろの席にいるお客さんは、どんな容姿かな?」

「……ふふっ。相当に疑り深い性格をしていますね、庭鳥さん」

 小細工を見抜かれ、庭鳥はビクリとした。
 しかし、社畜探偵は怒ることなく、冷静に言葉を続ける。

「今私の後ろの席にいるのは、金髪の女性と、スーツの男性ですね。私が目をつぶった時には男性一人でしたが、入店時に一緒に座っていた女性が、お手洗いから戻ってくる足音を耳にしました」

「あ、足音を……? 僕には、全然聞こえなかったけど」

「それが聞こえるからこそ、私は探偵なんです。『探偵同盟』から派遣された者として、ご期待には応えてみせますよ」

 社畜探偵が顔から手を離し、最初と同じように柔らかく微笑みかけた。
 しかし今の庭鳥には、その笑顔の裏に凄みが感じられる。

 目の前の男がただのサラリーマンではないことは、十分に理解できた。

「……よろしく楽しむよ、社畜探偵。キミなら間違いなく、私を救ってくれそうだ」

「まかせてください、庭鳥さん。それでは、今後の段取りを決めたいのですが――」

 そこで、テーブル上の社畜探偵のスマートフォンから着信音が鳴り始めた。

 社畜探偵は庭鳥に侘びつつ席から離れ、通話へと出る。

「はい、もしも――え、もう情報が出てる!? 明日の正午の予定でしたよね!? い、いや私は指示していませんよ……! はい……はい……! ああ、なるほど……ええ、はい。申し訳ありません。すぐに電話して止めます。ええ、終わったら報告します。はい。では、またのちほど」

 断片的に聞こえてきただけで胃が痛くなりそうな気配の電話。
 案の定、社畜探偵は心苦しそうに庭鳥を振り返って語る。

「庭鳥さん、申し訳ありません……緊急で対応しなければならない事態が発生しましたので、少しだけ席を外しますね」

 庭鳥が承知すると、社畜探偵は頭を下げて早足で店外に出ていった。

 その姿は苦労人のサラリーマンにしか見えず、つい先ほど見せた凄みとのギャップが凄まじい。

 頼りになるのかならないのか分からない男だと思い、庭鳥は先行きに若干の不安を覚えるのであった。

 社畜探偵と話した翌日の早朝。
 庭鳥は普段通り一番最初に出社すべく、ひよどりスタジオがオフィスを構えるビルのエレベーターに乗っていた。

 ひよどりスタジオのオフィスは、全18階ある内の11階と12階に位置しており、庭鳥の所属する映像制作課は12階の西側の半分を占めている。人員はアルバイトを含め、約40名。業界内でも高い知名度を誇る同社の看板的な課であるため、オフィスのスペースも比較的広かった。

「……ウチの会社も随分とデカくなったよな」

 オフィスへと続く廊下を歩きながら、しみじみと庭鳥はつぶやいた。

 入社してから10年間。
 ひよどりスタジオは社員数も、資本も、オフィスの広さも成長を続けていったものの、彼が所属する映像制作課のオフィスは、この12階から変わらない。
 庭鳥にとっては苦楽を共にしてきた、思い出深いフロアだ。
 同期入社の鴬太郎と共に、高額な予算の映像に取り組んだことも、一度や二度ではなかった。

「鴬……」

 ついつい懐かしい記憶を思い返しつつも、入り口の扉の横についた電子パネルを操作して、セキュリティを解除し、オフィスへと入室する。
 島状にいくつかのまとまりに分かれてデスクが配置されたオフィス内には、当然まだ誰もいない。
 しかし、本来なら電気がついておらず、薄暗いはずのオフィス内に照明がついていることから、連日の『無限夜勤事件』の影響が伺えた。

「今日も、つき続けていたか」

 とは言え、今の庭鳥にできるリアクションなどない。
 庭鳥は、オフィスの中央に位置する自分のデスクへと向かい、PCを起動すると、日課の掃除を始めた。

 床に散らばっていた紙をデスクに戻し、出しっぱなしの機材を元の位置へと戻す。部下たちが片付け忘れたと思われるミーティング用のテーブルの上の資料も本棚へと戻し、布巾で簡単な拭き掃除を行う。
 それから更に、コピー機の紙の補充に窓掃除、花への水やりまで、広いオフィス内を順に掃除していった。

 その途中で、ピッと音が鳴り、入り口の電子ロックが解除される。
 扉を開けて入ってきたのは、髪をお団子のように頭頂部でまとめた女の子だった。

「おはようございます、庭鳥課長! 今日こそ、お掃除を手伝わせてください!」

 女の子は黒目が大きな丸い目をしていて、眉が太く、愛嬌のいい顔立ちをしている。
 セーターの上から大きめのレペットを着たコーデが、彼女の天真爛漫さを、更に際立たせるようだ。

「おはよう、目白《めじろ》さん。いつもありがとう。でも、今日はもうほとんど終わったから、お茶を淹れてもらえると嬉しいな」

「ええー!? またお手伝いできなかったんですかー……? 庭鳥課長、もう少し朝はゆっくりしてくださいよー……こういった雑務って、新人の私がやるべきでしょう?」

 入社一年目の新入社員――目白汐《めじろ うしお》は悲しげに唇を尖らせた。

「仕事をとってしまったようで悪いね。朝の掃除は、もはや僕の日課なんだよ」

「ううっ、それをサラッと言う辺りが流石は庭鳥課長ですね。不肖、目白汐、人格的敗北を素直に受け入れ、お茶を入れてまいります! しばしお待ちを!」

 目白は頭を下げると、オフィスの奥にある給湯室へ駆けていった。

 映像クリエイター志望にしては珍しいほど元気がよく、モチベーションも高い。
 何より愛嬌がいいので、課内での評判も上々。
 庭鳥自身も目白の明るさには、連日の騒動で摩耗した心を、かなり救われている。

 しかし組織というのは、目白のような快い者ばかりではないから難しい。

「おはよう、庭鳥くん」

 電子ロックの解除音がしたので振り返ると、でっぷりとした体型の中年男性が立っていた。

 頭髪が薄い代わりに口ひげは濃く、唇が分厚い。
 庭鳥は容姿でヒトを判断などしない質ではあるが、目の前の男性のナマズを想わせる外見には、彼自身の底意地の悪さが表れているように想えて、仕方がなかった。

「飛横《ひよこ》部長、おはようございます。朝から4階に来るなんて、どうなさったんですか?」

「キミねぇ、どうなさったか、じゃないよぅ。昨晩も出たそうじゃないか、鴬太郎の霊がさぁ」

「……鴬の霊かは知りませんが、今朝、照明がつきっぱなしだったことは、間違いありません」

「どう考えても鴬太郎の呪いでしょ、誤魔化さないでよ」

 額に浮いた脂汗をハンカチで拭き取りつつ、飛横は目を細めた。

「で、どうだったの? 例の探偵は頼りになる? 解決の目処は立った?」

「いえ、まだです。依頼したのは昨晩ですしね。今日の定時後に担当の探偵が会社に来るので、一緒にオフィスを見ながら本格的な対策を講じようと思います」

「ええぇ? 対応遅くない? この程度のトラブルに手間取らないで欲しいけどなぁ」

 ――この程度ってどの程度だよ。
 と言い返しそうになる気持ちを、庭鳥はこらえて笑顔を保ち続ける。

 庭鳥の気持ちなぞ知らぬとばかりに、飛横の嫌味は続く。

「鴬太郎はキミが原因で死んだんだからさ、ちゃんと鎮火させてちょうだいね。私はね、こんなくだらないトラブルに時間を取られるほど暇じゃないの。分かるよね?」

「……はい。部長のご負担にならないよう、尽力いたします」

 庭鳥が深々と頭を下げると、飛横は上機嫌でオフィスから出ていった。

「このお茶って、あのナマズ部長にぶっかけるべきでしたか?」

 おぼんに湯呑をふたつ乗せて戻ってきた目白が、怒り混じりに言った。
 しかし庭鳥は首を横に振る。

「目白さん、ああいった手合に付き合っちゃいけないよ。下手にこちらが隙を見せたら、とことん付け入られてしまうからね」

「分かってはいるんですが……うぎぃ~!」

 女の子が見せちゃいけない顔だと庭鳥が思うくらい、目白は顔を歪ませて悶えた。

 庭鳥も入社一年目なら同じ反応を示したはず。
 十年の間に、自分でも驚くほど我慢強くなっていた。

「いや……スレただけだよな」

「庭鳥課長? 何か言いましたか?」

「ごめん、ただの独り言。せっかく淹れてくれたんだし、お茶をいただこうか」

「あ、そうですね! ついでにお茶請けも用意してきましたよ、会議室用のテーブルの上で食べましょう!」

 その後、目白と共にお茶を飲んだことで、庭鳥のストレスは多少軽減された。

 それからおよそ10時間。
 一日の業務が終わった定時後、庭鳥だけとなったオフィスに例の探偵が訪れる。

「立派なオフィスですねぇ」

 オフィスに入って開口一番に、取引先のようなおべっかを使う社畜探偵。
 社畜精神が染みついているのだな、と庭鳥は内心笑った。

「このオフィスの照明が、毎晩ひとりでについているんですよね?」

「ああ。時刻は深夜2~3時頃のことが多いんだけど、規則性はないね。一度ついて以降は、朝までつきっぱなし」

「照明のスイッチを見せていただけますか?」

 庭鳥は社畜探偵を入り口の扉を入ってすぐ脇の、照明のスイッチへと案内した。

 広いオフィスに対して、照明のボタンは東西南北それぞれ一つずつの、合計四つしかない。
 老若男女に不自由がないよう、サイズが大きく、軽く押すだけで照明をつけることが可能な仕様だ。

 ただし一点、致命的な欠陥も存在する。
 それは、スイッチを入れてから実際に照明がつくまでに、1秒程度のラグが存在することで、実際にスイッチの操作を試した社畜探偵はすぐに気付いた。

 社畜探偵が事情を問うと、庭鳥は正直に「古いオフィスだから反応が悪いんだ」とバツが悪そうに答えた。
 すぐに業者に修理を依頼してしまえば済む話なのだが、こういった話に意外と時間がかかったりするから、会社は難しい。

 何となく事情を察してか、社畜探偵もそれ以上の言及はしなかった。

「このボタンなら、簡単な仕掛けを用いれば照明をつけることが可能そうですね」

「仕掛けって、たとえばどんな?」

「過去に私が解決した事件では、ワイヤーを用いて部屋の外から照明をつけることで、殺害時刻を誤魔化したものがありましたね。スイッチに引っ掛けるようにワイヤーを仕掛け、引っ張るとスイッチを入れつつ仕掛けを回収できる……という寸法です」

 サラリと殺人事件の話題を口にした社畜探偵に、庭鳥は少しゾッとした。
 その事実に気付いてか、社畜探偵が焦った調子で語る。

「あ、あはは! 唐突に過激な話をしてすみません……」

「キミ、本当に優秀な探偵なんだな」

「優秀だと言い切るほど自信はありませんが、それなりに経験豊富な自負はあります」

 そう言い切る社畜探偵の顔に迷いの色は見えない。
 第一印象では庭鳥と同じ典型的な社畜に見えたその姿が、今は頼もしく見える。

 ――この男なら真実を追及してくれるはず。
 庭鳥の中で、社畜探偵への期待と信頼は、確実に高まっていた。

「ただ社畜探偵、照明がつく際、オフィスの近くに犯人が潜んでいる説は限りなくゼロに近いと思うんだ。その場合、ビルの警備員が姿を目撃しているはずだからな」

「警備員さんは、オフィスの中にまでは入らないんですか?」

「オフィスの入り口と密接した通路を、定期巡回するだけだよ。過去に機密情報を持ち去られたことがあって、オフィスの中まで入れるのは会社的にNGなんだ」

「なるほど。一度や二度、警備員に見つからずに仕掛けを作動させるだけなら難しくないですが、毎晩となると現実的ではないですね」

 今回の事件が話題となったのは、毎晩のように照明がつくからこそ。

 つまり犯人は、警備員に見つからず、安定して照明をつけられるトリックを、確立させているに違いない。

「オフィスの出入り口は電子ロック式でセキュリティは万全。そうやすやすと出入りしようがありませんよね」

「うーん、難しいと思う。少しでも扉を開こうものなら、すぐに警備会社が駆けつけてくるからね。もちろん、扉を締める前にはオフィスに残っているヒトがいないか、ちゃんとチェックしているよ」

「オフィス内に潜むという選択肢もなし、ですか。話を聞けば聞くほど不可解ですね」

「不可解と言えば、動機もだよ……飛横部長は鴬太郎の呪いだとか、ふざけたことを言っているけど」

「……呪い? 例の、鴬太郎さんの霊が出るという話は、ネット上のデマじゃなかったんですか?」

 あっ、と声をあげて黙り込む庭鳥。
 しばらく逡巡した様子を見せたものの、観念した様子で社畜探偵へと語る。

「ネット上のウワサにも真実はあってさ、鴬の奴が働き詰めだって話は事実なんだよ。当時はどの顧客も、鴬に映像を作って欲しがったもので、鴬に休まれると破綻する状態だったんだ」

「それで、鴬さんは過労死を?」

「……ああ。ある日、自宅でぽっくりとね。最後の最後まで、映像の編集をしていたそうでね、本当に映像作りが好きな奴だったよ」

 語りつつ、庭鳥は爪でこめかみをカリカリと掻き続けていた。
 鴬の死からはもう五年が経過しているものの、それでもなお、二人で共に働いた日々は脳裏に焼きついて離れない。

「社畜探偵さん、知っているだろ? 鴬の死因『虚血性心疾患』がどういう病気なのか……」

「俗に『過労死』と呼ばれる死因のひとつですね。不十分な休息や不規則な生活によって心臓が弱ってしまうと、起こりやすいと聞いたことがあります。御社はそれほどまでに、鴬さんに無理をさせていたんですか?」

「……さぁ、どうかな。もう五年前のことだから、記憶が曖昧だよ。まぁ実際、僕のオフィスに今回みたいな怪現象が起きているのだから、眉唾な話で片付けられないかもしれないな」

 庭鳥はオフィスの端へと歩いていき、窓の外に広がる夜景に目を向けた。

 左右二車線ずつの道路を挟んだ向かいには、同等の高さのマンションが建っている。

「鴬が死んだ五年前から、制作部のオフィスの場所は変わってないんだ。納期がキツい時は二人で残って、疲れたら窓の外を見ながらダベって。向かいのデイリーマンションで仮眠をとって、シャワーだけ浴びて出社してさ。今じゃ考えられない働き方をしていたよ」

「鴬さんと、仲がよかったんですね」

「同期入社だから、それなりにはね。とは言っても、クリエイター気質のアイツと、管理者気質の僕とじゃ全然意見が合わなくて、喧嘩ばかりだったけど」

 懐かしむように語ったあと、庭鳥はとても長い溜め息をつき、社畜探偵へと向き直った。

「本当に鴬の呪いだって言うなら、それでもいい。お願いだから、真実を解き明かしてくれ」

「もちろんです、依頼は必ず遂行してみせますよ。私は、探偵ですからね」

 即答した社畜探偵の様子に、庭鳥は安堵したような笑みを返した。
 しかし、それは社畜探偵への信頼から来る表情ではない。

 ――よし、腹の中を探られずに済んだな。
 庭鳥には、社畜探偵に知られるワケにはいかない秘密がある。
 その秘密を悟られることなく、推理をさせなければならない。

 このまま最後まで誤魔化してみせようと――庭鳥は覚悟を固めていた。

 ――第2幕へ続く