その探偵、社畜につき
-無限夜勤事件-

【第2幕】
『社畜探偵』

 庭鳥と共にオフィスを観て回ったあと、社畜探偵はとある目的により、オフィスビルの向かいに位置するデイリーマンションに宿泊することにした。

 キッチン付きのワンルーム。六畳ほどの部屋の中心にコタツ机が置かれ、テレビやベッドも完備。一泊するには十分すぎるほどの設備も備わっている。

 コタツ机の上に電子タブレットと付属のキーボードを置き、仕事の準備は完了。
 そこでタイミングよく、部屋のチャイムが鳴った。
 社畜探偵が扉を開くと、そこには彼にとっては馴染み深い、ベリーショートヘアの青年の姿があった。

「社畜先輩、お疲れっす! 言われた通り、適当にメシ買ってきましたよ~」

「広報探偵くん、お疲れ様。こんな夜遅くに、泊りがけの仕事を頼んでしまってごめんよ」

「俺は新米なんすから気にしないでくださいよ。俺にできることがあるなら、何でもやります!」

 広報探偵と呼ばれた青年は、Tシャツに短パン、サンダルというラフな服装で、両手にはビニール袋。

 格好だけなら、どう見てもコンビニ帰りの大学生で、とてもじゃないが探偵には見えない。
 ところが、その人懐っこい顔には右目に大きな傷跡が残っていて、単なる一般人ではないことは明らかであった。

「ささ、とりまメシにしましょ! 俺もう腹ペコっす!」

「そうだね。じゃあ部屋にあがって、適当にくつろいでくれ」

「失礼しゃ~す……って、いい部屋! デイリーマンションって、俺の住んでいる部屋より断然いいんすね~! いいなぁ、俺ここに住もうかなぁ」

 広報探偵は大袈裟なリアクションをとりつつ、社畜探偵に続いて部屋へとあがると、コタツ机の上にビニール袋の中身を取り出していく。

 まだ温かいコンビニ弁当ふたつに、スナック菓子数点。
 パックのお茶にインスタントコーヒーと、ここに酒缶が入れば、飲み会でも始まりそうなラインナップだ。

「先輩は、スタミナ弁当より幕の内弁当派ですよね?」

「うん、最近歳のせいか胃が弱っているからね――って、言わせないでくれよ……気にしているんだから」

「ははっ、すいやせん! じゃあ俺、スタミナ弁当もらいますね!」

 話しつつ社畜探偵は電子タブレットを操作し、準備しておいた映像を画面に映し出す。

 それは、照明が落ちた状態のため非常に見えづらいものの、先ほどまで社畜探偵がいたオフィスの内部。

 庭鳥の了承の元に設置した、監視カメラの映像であった。

「そえが、例のオヒスでふ?」

「食べながら話すのはやめようね。はい、お茶」

「……ぷはー。それが、例のオフィスですか?」

「ああ、ひよどりスタジオ映像制作課のオフィスだよ。取り敢えず、今日は一晩中監視をして、照明がつく瞬間を確認しようと思う」

 現在の時刻は0時ジャスト。
 照明がつくまで2時間から3時間という、長丁場の監視となる。
 そこで、一人では流石に厳しいと考えて、同じ探偵同盟に所属する後輩を招いたのであった。

「いやー、何か張り込みみたいで、テンション上がりますね。アンパンと牛乳を買ってくるんだったなぁ」

「あー……そっか、広報くんはこの手の仕事は初めてか。私はもう感動も何もないよ」

「おおう、流石は社畜先輩。監視も慣れっこですか」

「まぁ、私はこの仕事を続けて長いからね」

 苦笑しつつコンビニ弁当を頬張り始める社畜探偵。
 温かい食事を食べながら、室内での監視。

 昔ならば考えられないほど恵まれた環境だとしみじみ思ったものの、楽しげな広報探偵のテンションを下げたくないため、口には出さなかった。

「でも、今日も照明つくんですかねー? もし犯人が監視カメラに気付いたら、避けるんじゃないですか?」

「いや、気付いたなら、むしろやると思うよ」

「え? それは、どうして?」

「実はこれまでも、監視カメラを設置したことはあったらしいんだよ。普段通り照明はひとりでについたし、カメラには怪しい影は一切ついていなかったそうだ」

 社畜探偵は実際に映像を見せてもらったものの、画質と画面の暗さのせいもあってか、何も怪しいものは見えなかった。
 人間が照明のスイッチを操作したなら、流石に映り込むはず。
 何らかの仕掛けを用いてスイッチを入れていることは、間違いない。

「今回のカメラには、依頼主の庭鳥さんにも内緒でちょっとした仕掛けを仕込んでみたから、何かしらの手がかりは見つかるはずだ。大変だけど、頑張って監視しよう」

「うっす、頑張ります! あ、そう言えば頼まれていた情報収集も順調ですよ~」

「え? 頼んでから三日も経っていないのに、凄いね」

「まぁ俺、それくらいしか能がないっすから」

 空になったコンビニ弁当の容器を片付けつつ、広報探偵は続ける。

「まず話題の中心にいる鴬太郎さんの情報からです。世間的には、過労死かどうかは不明になっていますけど、当時のひよどりスタジオの社内では、絶対に過労死だって話だったみたいです」

「へぇ、それはどうしてだい? 残っていた資料によれば、自宅で自主的に働いていた痕跡は見つかったけれど、月の残業時間は労基に則っていたって話だったよね?」

「それがウソっぱちらしいんですよ」

 ポテトチップスの包装を開け、中身をつまみつつ、広報探偵が苦々しげな顔で言った。

「よくあるパターンですよ。出退勤の記録上では労基に則っていますけど、実態はそりゃあ悲惨だったそうです」

「でも事実として、過労死の証拠は見つからなかったんだろう?」

「重要なのはそこっす。元・社員の話によると、鴬さんが過労死した証拠を掴まれないよう、当時課長だった飛横さんの指示の元、庭鳥さんが動き回っていたそうですよ」

「……それは初耳だね。『呪い』だなんて大袈裟だとは思っていたけど、そういった裏事情があったワケか」

 鴬太郎の話題になった際の気まずそうな庭鳥の顔が思い出され、社畜探偵は合点がいった。

 過労死したクリエイターと、その死を偽装した同僚たち。

 単なるイタズラにしては手が込み過ぎていることからも、一連の事件には鴬太郎の死に関連した、何か明確な目的があるに違いない。

「あ、ついでに気になる話を聞けたんですよ。鴬太郎には、両親の離婚が原因で離れ離れになった実妹がいたらしいっす」

「へぇ、名前は分かるかい?」

「俺が話を聞いたヒトも記憶が曖昧らしいんすけど、鴬太郎さんはその妹のことを『シオ』って呼んでいたらしいです」

「シオ、か。となると、そのまま『シオ』という名前か、『シオリ』の略、もしくは『ウシオ』などの、名前の後半をとったパターンもありそうだね」

 社畜探偵の探偵としての勘が、重要な情報だと囁きかける。

 両親が離婚したということは、鴬太郎の妹は名字が異なる可能性も少なくない。

 もし復讐を目的として、ひよどりスタジオに入社していても、バレることはないはずだ。

「そう言えば、見せてもらった社員名簿に、それらしき名前を見たね。照明を点灯させるトリックを解明できたら、直接話を聞きに行こうかな」

「社畜先輩、まさか、社員名簿を暗記したんすか……? 文学ちゃんみたいですね」

「彼女みたいな瞬間記憶は不可能でも、時間をかければ誰だって可能だよ。せっかくだし、広報くんにもコツを教えてあげようか?」

「い、いや今は遠慮しておきます……社畜先輩もですけど、上位の探偵たちってみんな当たり前に人間を超えてきて怖いんすけど」

「わ、私もそこに入るのかい……? 自分では、能力も見た目も地味だと思っているんだけど」

「ただのサラリーマンっぽいヒトが化け物じみてる方が、俺的には恐ろしいっすね」

 ガックリと肩を落とし、社畜探偵はやや本気で落ち込んだ。
 普段は、超人的な探偵たちに振り回されがちな彼だが、傍目には彼自身も十分超人に思えるのかもしれない。

 世間との価値観のズレには、よくよく気をつけなければ。

「それにしても、短時間でよくこれだけの情報を集められたものだね。一体どんな方法を使ったんだい?」

「え? 元・社員のヒトが店で飲んでいる隣に座って、飲みトモになるだけっすよ。簡単っす」

「……広報くんも、大概スゴいと思うよ」

「ええっ!? どういう意味っすかー!」

 探偵を志す者に常人などいないことを、社畜探偵はつくづく思い知らされるのであった。

 それからもしばらく雑談が続き、気付けば時刻は午前2時。
 庭鳥の話では、最も照明がつきやすい時刻となる。

 社畜探偵も、広報探偵も、自然と雑談を止め、タブレットの画面の監視に集中し始めた。

 影しか見えないほど暗いオフィスの入口横のスイッチを、天井から見下ろした構図。
 その退屈な構図を、男二人で見つめ続ける。
 静寂がしばらく続いたところで、とうとう異変が生じる。

「社畜先輩、何か音が聞こえませんか?」

「ああ、タブレットのスピーカーからだね。ハイパワーの扇風機のような音が、確かに聞こえるよ」

 未だに画面には変化がない。
 ところが、風が吹くような音だけは、聞こえ続ける。

「やっぱり、マイク付きの監視カメラにして正解だったね」

「これが例の、依頼人にも内緒にしていたことですか?」

「その通り。誰の指示か知らないけど、これまでの監視カメラはどれも音を拾わないものばかりだったからね。音も拾えるカメラをチョイスしておいたんだよ」

 内緒にした理由はキナくささを感じたため。
 鴬太郎の死の不可解さからも、事件の裏に何か秘密があることは明らか。

 依頼者だからと言って、ウソ偽りなく探偵の味方になるとは限らないことを、社畜探偵はよくよく痛感している。

 そんな過去の経験に基づく防衛本能が、依頼人の意図しない発見へと繋がったのであった。

「――社畜先輩! 照明が!」

 広報探偵が叫ぶと同時に、それまで暗かった画面内が明るくなった。

 ところが画面内には何も映っておらず、ひとりでに照明がついたのだと言われても、信じかねない。

 スイッチを入れてから実際に照明がつくまでのラグはおよそ1秒。
 その間に何かがあったことは、疑いようがなかった。

「この部屋の窓からも照明がついているのが見えるね。なるほど……こうして毎晩照明がつくのだとしたら、異様に思うのも無理はない」

「あ、さっきまで聞こえてた変な音が聞こえなくなりましたね。やっぱり、アレはトリックに使われた何かの音だったんですよ」

「犯人は音を発する何かを用いて、照明のスイッチを入れたというワケか」

 社畜探偵は部屋の窓から見えるオフィスの明かりを見つめて、一人思案する。

「ここから見る限り、オフィス内のすべての照明がついているワケじゃない。恐らく、犯人のトリックで操作可能なスイッチはひとつやふたつ程度なのだろう……犯人は監視カメラに映らないサイズの何かを用いて、照明のスイッチを入れ、明かりが灯るまでの僅かなラグの間に回収をしたんだ」

 オフィスの周囲は警備員が巡回中。
 オフィスの中に留まることもできない。
 遠隔で照明のスイッチを入れたことは、間違いないだろう。

 起きていること自体はシンプルなものの、実行するための障害が、あまりに多すぎた。

「うーん、俺にはもうサッパリっす!」

 コタツ机の向かいにいる広報探偵は降参だと言うように両手を上げた。

 その気の抜ける行動に、社畜探偵は思わず吹き出してしまう。
 本当に憎めない子だ。

「いや、もう少し頑張ってみようよ。この先、キミも私たちのサポートだけでなく、探偵として独り立ちしないといけないんだからさ」

「だって、頭を使うの苦手なんすもの……」

「私も得意な方じゃないけどね。ほら、就活でもブレストとかあっただろう? 考えを言葉にしてみるだけでも、案外真相に近づいたりするものだよ」

「なるほど……確かに、渋谷ちゃんがそんな感じのことを言っていましたね。俺でも、先輩の力になれるんでしょうか」

「もう十分力になってくれているさ。変に気負ったりせず、自由に発言してくれればいいんだよ」

 空になった広報探偵のマグカップにお茶を入れつつ、社畜探偵は微笑みかけた。

 自分に自信が持てない気持ちはよく分かる。
 社畜探偵自身も、過去には自暴自棄になった時期があった。

 そんな彼を救い出し、道筋を示してくれた相手こそ、『探偵同盟』の実質的なリーダー役を担う理想探偵だ。

 人間としても、探偵としても、かの少女には追いつけそうにないものの、後輩一人くらいは先輩として導いてあげたい。
 心からそう思っている。

「……ありがとうございます、社畜先輩。それじゃあ、さっきから何となく思っていたことがあるんですけど、笑わないで聞いてくれますか?」

「もちろんだとも。ぜひ聞かせて欲しい」

「ほら、映像制作会社なら、撮影用のドローンくらいありますよね? そのドローンを使って、ブーンとスイッチに突撃させて、カメラの外に逃げたとか考えられませんか?」

「なるほど。いい着眼点だね」

 ドローンの可能性は社畜探偵も真っ先に考えた。
 実際、オフィスには備品として用意されていて、充電用のスペースで保管されている。

 暗視カメラをつけて、リアルタイムで映像を確認すれば、暗闇の中でも操作は可能。スイッチは簡単な力で入れられるので、体当たりさせれば照明をつけることも難しくない。

 サイズ的に、暗闇の中ならば監視カメラで捉えることはできないし、照明がつくまでの間に、監視カメラの撮影範囲外に逃れることだって十分できるだろう。

「ただ、ドローンの利用には問題点があるんだ。屋外用のドローンは動作の制御にGPSを利用しているから、屋内だと操作が難しい。一方で、屋内用のドローンは操作可能な範囲が狭いから、よほど近くにいないと操作はできないんだよ」

「分かった! 犯人は、現場の上か下のフロアに潜んでいて、ドローンを操作していたんじゃないですか!?」

「どのオフィスもセキュリティつきで施錠されているし、警備員がいる点は同じだから難しいかな。見つからない場所に潜むというのは、いいアイディアだけどね」

「ならオフィスの外からとか! オフィスの1階ロビーとかなら、何もないし警備員さんはいないですよね?」

「現場のオフィスは高層だから、距離が離れ過ぎているかな。屋内用のドローンなら、最大でも40メートル程度しか離れて操作はできないんだ」

「うへー、考えれば考えるほど無理になりますね……」

 オフィス内にも屋内用のドローンは置かれていた。
 広報探偵の言う通り、警備員に見つからない位置に上手く潜むことができれば、十分に操作可能だろう。

 しかし、一度や二度ならともかく、毎晩のように潜み続けるなど現実的ではない。
 決定的な何かに、気づけていないように感じる。

「あのビルのどこかに潜むことができる場所なんて……あるだろうか」

 道路を挟んで向かいに立つビルを、改めて見つめた。

 典型的なオフィスビルで目立った特徴は皆無。
 全てのフロアには会社のオフィスが入っていて、件のオフィス以外には、照明などついていない。

 自分が犯人ならどこへ潜もうと考えるか、必死に思考を深めていく――。

「――社畜先輩、アレ見てください! ビルから人影が出てきましたよ!」

「え? どこにいるんだい?」

 広報探偵に言われてビルの入り口に視線を向けると、誰かが出てくる様子が見えた。

 すぐ向かいではあるものの、ハッキリとは顔が見えない。
 ただ、シルエットを見る限り、恐らくはスカート姿の女性だろう。

 社畜探偵の勘が当たっていれば、それは最も話を聞きたいと思っていた人物――鴬太郎の妹であった。

「やっぱり1階のロビーからドローンを操作していたんですよ! きっと科学くんみたいにドローンを魔改造して、操作可能な距離を伸ばしていんです!」

「操作距離を伸ばす、か」

 それは技術的に難しい。
 だからこそ、逆にドローンとの距離を縮める方法が重要となる。

 犯人の最有力候補である鴬太郎の妹が1階から出てきたということは、ビル内に隠れられる場所でもあるのだろうか。

「ビル内に、隠れる……?」

 そこで社畜探偵は、ひとつの可能性に気がついた。

 自分は大きな思い違いをしていたのかもしれない。
 犯人に関しても、トリックに関しても、視点を少し変えるだけで、全ての問題は解決されるのだ。

「広報探偵くん、今ビルから出てきた影を追おう! 私の勘が当たっていれば、犯人が明らかになるはずだ!」

「まかされました! 階段を駆け下りて追いかけます! 社畜先輩は体力的にキツいと思うから、エレベーターでゆっくり来てください!」

 年寄り扱いはよしてくれ、と言い返す前に、広報探偵は部屋の外へ飛び出していった。

 彼の俊敏さなら何とか追いつけるはず。
 あと考えなければならないのは、証拠を確保する方法だ。

「……久しぶりに、本気を出さないといけなさそうだね」


 社畜探偵はゆっくりと息を吐き出し、これまでで最も鋭い目つきでそうつぶやくのであった。

 ――第3幕へ続く