わたし、苦手なものが結構多いんです。
ひとと話すこと。賑やかに騒ぐこと。親しくもないのに触れ合うこと。強引に距離を詰められること。無理に意見を求められること。
“圧”って、よく言いますよね。圧が強いとか、そういう使い方で。
わたしはたぶん、“圧”が強いっていうこと全般が、苦手なんだと思います。
モノも……ヒトも。
ずっとそうだったんです。ずっと……、でも……。
わたしたちは友だちグループ六人で
わたしからしたら、そもそも“友だち六人で泊まりの旅行”なんてこと自体が、すごく変だったはずなんです。日帰りじゃない旅行なんて、よっぽど距離が近くないとできない気がしませんか。わたしはします。平気なひともいるんでしょうけど、わたしはそうじゃない。だから、本当に本当に親しい相手とふたり旅くらいなら、まだわかるけど……六人ものグループでなんて、考えられません。なのにわたしはそのことを受け入れてて。みんなとの旅行も、普通に楽しくて。
おかしいですよね。考えられない、ってことは考えてるのに。わたし、頭で考えてばっかりの人間なのに。
「……」
このときもわたしは、目の前の土を弄りながら、考えごとをしてました。
そこに
「ねぇねぇ、さぁおりぃん~!」
賑やかで強引で構って欲しがりで、本当ならわたしがいちばん苦手なタイプのはずのあの子が、来たんです。うん……本当、なら。
「……どうしたの、もと……?」
「お花! お花咲いた!?」
わたしが「もと」と呼ぶあの子、
「まさか……まだ、植えてそんなに経ってない……」わたしは苦笑しかけて、思い直して首を振りました。「……まさか、は、ないか……。なにがあるか、わからないものね……実際、育つのは早いし……」
「うむ!」
百年子は得意げに――こういうときにすぐ得意そうにするのが、この子の不思議なところなんだけど――頷いて、それから少ししょんぼりと首を垂れました。
「でも、まだなんだぁ……早く咲かないかなぁ」
「もと……最初から上手くいくかも、わからないし……あんまり、期待しすぎないで……」
わたしたちが見てるのは、豆苗の苗です。“あの船”にあった、豆苗の種をたくさん持ってきてたから……水栽培で食料としての豆苗を収穫するだけじゃなくて、ちゃんと土に植えて育てて、花が咲くことを期待して。わたしと百年子で植えたんです。この場所が、“花壇”になるように。
「でもでもぉ、お花の咲くお庭にしたいんだもん~」
わたしたちが暮らすここは、本当なら池袋のサンシャイニーシティって呼ばれる場所です。ええ、そう……サンシャイニービルを出た先のエリア。あそこが頑丈な柵に囲まれてて……屋根こそないけど、安全に暮らせるんです。わたしたちは『楽園』と呼んでいます。あちこち朽ちて、木や草も生えて、瓦礫だらけだけど……少しずつ片付けて、快適な生活の場にするのがわたしたちの目標でした。そんな場所に「綺麗な庭を作りたい」って言い出したのが……百年子なんです。
そのときわたし、少しびっくりしたのを覚えています。
「ここが花壇になったらぁ、みんなでお花見しながらゴハン食べたりできる! アガるんだが!」
テンションを高くしてぴょんと立ち上がる百年子を、緩やかな太陽の光で薄く逆光に縁取られている百年子を、わたしはしゃがんだまま見上げました。影のせいであの子の顔はよく見えなくて……だけど、とてもきらきらしてるように感じました。
「……そう、ね……そうなると、いい……そうできる日が、楽しみ……ね……」
そのまま彼女をずっと見てしまいそうだったので、わたしもつられるフリして立ち上がりました。
「うむ! そしたらねぇ、あっきーにおいしーゴハン作って貰うんだぁ。ボクは味見からやりまうす!」
その場でゆらゆらと踊るように身体を揺らす百年子。いつも少しおかしな言葉遣いをして、声も大きくて騒がしくて、すぐに他人に頼ったり甘えたりする子。
……でも、荒れた場所に花を咲かせたいって、そんなふうに思える子。
百年子は自分の欲求に素直だけど、そのことに嫌な感じはしないんです。なんだろう、甘え上手って、こういうのを言うのかな。わたしにはとてもじゃないけどできないって、よく思います。だから、少し……羨ましくもあります。
それに、百年子はただワガママに甘えるだけの子じゃないんです。わたしたちの中で、それをいちばん知ってるのは……たぶん、わたし。
「さーおーりん!」
広場にいたわたしに、百年子が声をかけてきました。声が少し遠かったから振り向いてみたら、5メートルくらい向こうにいました。口元に両手を添えて……そうそう、山で「ヤッホー」って叫ぶとき? みたいな格好で、わたしのことを呼んでいました。
「どうしたの……? もと……?」
わたしもちょっとだけ声を張り上げて答えます。そうすると百年子は、えへへと笑って、ぴょんぴょん近づいてきます。
「このくらい離れて呼んだら、さおりんもびっくりしないかと思いまし! ましまし!」
「あ……」
無邪気に笑う百年子に、わたしは少し罪悪感を刺激されました。……この間、豆苗の苗の前で。わたしから離れた場所にしゃがんでくれたときも、同じ気持ちになったことを思い出します。
「ご、ごめんなさい……」
「ごめんはイラヌぅ! ありがとぉならジュリ!」
「え、あ、……あ、ありがとう……」
「うむ!」
仁王立ちになって、満足そうに頷く百年子。
本当なら……百年子はこんなふうにわざわざ遠くから声をかけたり、離れて座ったりする子じゃありません。いきなり後ろから抱きついたり、断りなくくっつくほど隣に座ったりするような子です。
でも、わたしにだけは、こんなふうに気を遣ってくれる。わたしが、そういうコミュニケーションが苦手なことを知っているから。
……わたしは、この旅行に来て間もない頃。百年子の距離の詰め方に驚いて……少し、彼女を傷つけてしまったことがあります。今思い返しても失礼だったって、思います。だけど百年子は、そのことに怒ってしまうんじゃなくて。自分のやり方のまま、強引に接し続けるのでもなくて。わたしのことを彼女なりに考えた接し方で……わたしに、近づき続けてくれています。
なんでなのかは、わかりません。でもわたしは、そんな百年子の気遣いを……すごいなって、思ってます。わたしならきっと、そんな好意と優しさの勇気は、持ち続けられないだろうから。
「……あ……それで、ええと……どう、したの……? なにか用……?」
「はっ!」
そんなことを考えながら、うっかり百年子の顔を見つめてしまいそうになったことに気づいて、わたしは話を戻しました。百年子もペンギンみたいな格好をして我に返っていました。
「あのね、ドラム缶のおフロ! の、おフロ掃除! を、あっきーからウケタマワッテしまったん! だから、さおりんに手伝ってもらおうかなぁ~って」
「ああ……」
「ほ、ほらほらぁ、ボクたちってドラム缶見つけチームなワケですしぃ~。さおりんを誘うのも、べつにフシゼンではないと言いますかぁ~」
百年子は指をもじもじ絡ませて、ちらちらとこっちを見てきます。そのわかりやすい態度に、わたしも思わず少し笑ってしまいました。
「……ふふ……そう、ね……。チームの残りメンバーのあきらは……料理で忙しいし……わたしたちで、やりましょうか……」
「ヤター!」
わたしたちはホテルの建物の裏手、お風呂場として使っているエリアで、ドラム缶掃除……ううん、素直にお風呂掃除、とだけ言うほうが、きっとわたしたちの生活にはしっくりきますね。お風呂掃除を始めることにしました。
「水……入れっぱなしだったから……とりあえず、それを捨てるところから……」
「どらむかんタックルする!?」
「タ、タックルはダメ……」
助走をつけそうにする百年子を止めて、持ってきたバケツをドラム缶に沈めます。
「一気に、捨てるには……水の量が多いから……先にある程度、減らしましょう……」
「りょ! ってゆか……」
百年子は元気よく敬礼をしてから、じっとわたしのほうを覗き込みました。視線が顔よりも下なので、なんだろう、とちょっと狼狽えてしまいます。
「な、なに……? どこかおかしい……?」
「んーん。じゃなくてぇ、さおりんのキモノ、お水で濡れちゃわないかなぁって思って」
「あ……」
わたしは、服の上着……カーディガンとか、そういうものの代わりとして、アレンジした着物を羽織っています。どうしてこんなものを着てるのか……正直、自分でも覚えていませんでした。たぶん、貰い物かなにかだろうとは、思っていましたけど。
着物ですから当然袖が長くて、こういう作業には向いてないんですよね。脱ぐには寒いと感じたら、たすき掛けしたりすることもありますけど……。
「そう、ね……力仕事で、暑くもなるかもしれないし……ちょっと、脱ぐ……」
「じゃあボク、濡れないところに持っていってあげるぅ」
「え……う、うん……ありがとう……」
着物を脱ぐわたしに、百年子が差し出した両手をひらひらさせました。わたしは一瞬戸惑って、でも結局着物を渡します。そうしたら百年子は、着物を妙に自分から離して、摘むように持って――って言うと、まるで汚いものを持ってるときみたいな感じがするかもしれませんけど。違うんですよ。実際に見てたらわかります。なんていうか、大事で繊細なモノを持つのが怖くて腰が引けてるっていうような、ああいう様子。
「ど、どうしたの、もと……?」
「ぷるぷる……だってぇ、さおりんキョリ近いの苦手だからぁ。キモノも、遠いほうがいいかもと思って……」
「そ、そんな気の遣い方する……!?」
抜き足差し足っていうような歩き方をする百年子に、わたしは思わずそんな声を投げてしまいました。びっくりしたんです。その発想に。
「だってダイジだが!? ボクがぎゅーって抱きしめて運んじゃったら、ボクのニオイがつくじゃんじゃん? ヒトのキョリが近いのが苦手なヒトは、ヒトのニオイが近いのも落ち着かなくなるかもって……」
そう説明されると、百年子の理屈も少し納得できたような気がしました。百年子はなにせ鼻がすごく利くんですよね。匂いに反応しやすい子で……だからこそ出てきた気遣いなんだなって理解しました。
「そ、そう……そうね、そうかも……」
「でしょぉ? ふふーん、ボクはキクバリのできるおねーさんだからね! ドヤ!」
「でも、わたしは平気だから……普通に運んでくれて、大丈夫……」
「ほんと? じゃあキモノぎゅーってして、ふんすふんすしていい?」
「そ、それは恥ずかしいからダメ……!」
「ぷーぅ」
頬を膨らませつつもわたしの着物を腕に抱いた百年子は、おもちゃのロボットみたいな動きで歩いていきました。エリアの隅っこまで行くあの子を、わたしはドラム缶の水を掻き出しながら、こっそりずっと見てました。
……たぶん、わたしが見てることは知らなかったんでしょう。あの子はちょっとしたブロックの上を丁寧に手で払い、わたしの着物を汚れないようにそっと置いて――そして優しく手を、添えました。
そう、優しく、とても優しく。そのときの百年子の表情はまるで、おとなしく眠る我が子を見る親みたいな慈愛の顔にも見えたし……ただ愛しいひとを見つめる顔にも、見え……ました。
とにかく、普段の“みんなの妹”みたいなポジションの百年子とは違う、わたしに対してだけ自称してた“おねーさん”の百年子が、本当にそこにいたんだと思います。……正直、わたしはなんだかすごく恥ずかしくなってしまって、視線を自分の手元に戻したので、この瞬間の記憶は、少し曖昧です。
着物を脱いだわたしと、戻ってきた百年子で、お風呂掃除を進めました。バケツでせっせと水を捨て、中身がかなり減ってから、ふたりでドラム缶を押し倒します。
「きゃ~! たーのしー!」
「きゃ……っ」
ざぱん、とドラム缶から水が溢れて地面に広がる様子に、百年子は笑い転げていました。濡れてしまわないように、水を避けて跳ねたり飛び退いたり。百年子だけではなくわたしまでそんな動きをしてるものですから、まるでふたりではしゃぎまわってるみたいに見えたかもしれません。ちょっと恥ずかしいですね、ガラじゃなくて。
「よぃし! ドラム缶、洗っちゃおうねぇー」
水も引いたあと、百年子が力こぶを作るようなポーズで気合を入れました。わたしはそんな百年子に、タワシがわりの草束を手渡します。
「じゃあ……これで……中、擦ってね……そんなに汚れてないとは、思うけど……」
「りょりょ! もぐり込むのは、ちっちゃかわいいモトコちゃん向きのミッションですからなぁ~安心して任せるとヨシ!」
百年子の言う通り、普通の浴槽と違ってドラム缶ですから。外から手で底まで掃除するのは無理です。柄の長いブラシみたいなのもなかったですしね。ドラム缶を寝かせて、中に入って洗うんです。
「わたしは……外側の……底のほうを、洗う……」
「キレイになぁる?」
「完全には……無理……直接、火で炙られてるし……。でも洗わないよりはマシだから……」
「あ! スノコは? スノコ! ナッキーとはるみん製のスノコ!」
ドラム缶の前で屈んだ百年子が、中からスノコを引っ張り出します。竹製の丸いスノコ。これがないと、ドラム缶風呂は成立しないんです。熱を妨げてくれるものを敷かずに、直火に掛ける金属製の容れ物の中になんて入れないですから。
「ああ、そうだった……そう、ね……それを先にしましょう……。わたしが、洗っておく……」
「おけまる! お任せ!」
わたしはドラム缶から少しだけ離れて、百年子に渡したのと同じ草束でスノコを磨きます。ある程度磨いたら、バケツに残しておいた水で洗い流して……
『んーにゃー!』
聞こえてきたくぐもった悲鳴に、びっくりして振り向きました。
「も、もと……!?」
『んにゃ~! こ~ろ~が~る~!』
横たわったドラム缶と、そこから足だけ覗かせる百年子。ひとつになったそれが、地面を転がって移動していました。
「ちょ、ちょっと、もと……だ、大丈夫……?」
『お……おぉ……? 思ったより、ゆっくり! だいじょび!』
百年子の言う通り、ドラム缶はじわじわ、ごくゆっくり転がっています。危ない状況ではなさそうなことにわたしも安心しながら、壁にでもぶつからないよう、転がる方向へまわり込みました。あ、ちゃんと巻き込まれはしないように気をつけてましたよ、もちろん。
『はっ!? 転がってたら、ナカ掃除するの楽なんじゃなぁい? 同じ姿勢のままぐるっとみがける可能性!』
「……たぶん……自分も一緒に転がっちゃうんじゃないかって……思うけど……」
『んむー! ホントじゃん! って、ほぎゃ~! 背中濡れたぁ~!』
「……ふっ、ふふ。もとったら……気をつけなきゃ……」
わたしはドラム缶の中から聞こえる賑やかな声に笑ってしまいながら、動きを止めるべく手を伸ばしました。そして、これってなんだか、わたしたちそのものみたいだな、と思いました。
ゆっくり、本当にゆっくり近づいてくる百年子と。
少し緊張しながら、受け止めようとするわたし。
ふたりの間を物理的に遮るものはあるけれど、声はきちんと聞こえてる。
……ふふふ。見た目がちょっと変な状況になってるのも、わたしたちらしいなと思ってるんですよ。
「んぅー。ふはへはひ……」
「もと……口の中のものは……食べちゃってから喋ったほうが……」
お風呂掃除を終え、わたしたちは広場の階段に座って、甘いもので休憩しました。百年子が頬張ってるその甘いものは、『楽園』の中に隣接する公園の野イチゴです。そういえばこれも、わたしと百年子が見つけたんでした。
「んぐ……疲れたし、濡れたけど、オシゴトをやり遂げたあとのスイーツはウマウマですなぁ!」
服を濡らしてしまった百年子は、一時的にパジャマ(これも“あの船”から持ち出してきてたモノです)に着替えています。赤い野イチゴの汁が垂れないように、気をつけてあげないといけません。
「……スイーツじゃなくて……フルーツじゃない……? なんの加工も、してないし……」
「むっ。たしかに!」
野イチゴを摘む動きをぴたっと止め、百年子は考え込みました。それから……
「……でも! 今このジョーキョー的に! ボクとしてはスイーツだと思う! ごほうび感あるから!」
と、自分の言葉を貫く表明をしました。
「ご褒美かどうかで……名前が変わる……? でも、やっぱりスイーツってお菓子のことじゃ……ああ、でも……デザートをスイーツって、言うんなら……フルーツがデザートになることも、あるし……おかしくはない……のかな……? そういえば果物のこと、水菓子って言ったりするんだっけ……」
百年子の言葉を受けて、わたしはついつい定義について考え込んでしまいます。別に批難したり否定したりしたいわけじゃないんです、ただ気になってしまうだけで。
「むぅ。さおりんがメッチャ考えてる……」
「ご、ごめんなさい。だいたい、考えてたってダメ、だよね……。こういうことは……なつきやはるみが、もしかしたら雑学知識みたいな感じで、知ってるかも……」
「わかりゅぅ。でも、さおりんもイッパイいろいろ知ってるぢゃん? あっきーも知ってるし、かなちゃんも知ってるし……ボクは、あんまなんも知らん!」
「……みんな……得意分野が、それぞれ違うから……もとだって、アニメのこととか、詳しいんじゃないの……?」
「んーん。ボク、自分がキョーミあるやつハイシンで観てただけだしぃ。カランビットナイフで変身する魔法少女とか!」
「そ、それ、前も言ってた……ね……。そんなのある、のね……」
「うむ! とにかくですよぉ、くわしくはないワケですよぉ」
相槌を打ってから、百年子は座ったまま足を蹴り上げるような仕草をして膝を跳ねさせました。
「ボクはねー、調べるのとか苦手なんだぁ。あとさおりんみたいに、考えるのも苦手!」
ここまで言い切られると、ちょっと不思議になってきて。わたしは尋ねました。
「じゃあ……なにか、物事について……どうやって判断するの……?」
百年子はぴょんっとバネの動きで立ち上がり、腰に両手を当て、考える様子もなく言い切りました。
「感じるままに信じる! デス!」
このとき、わたしは。
百年子のことが、妙に眩しく見えたんです。
本当なら危なっかしいことのはずなのに、憧れて、しまったんです。
ああ、この子は本当に……わたしが持ってないものを持ってるんだ、って。
「あとはねー、けーす・ばい・けーす? で、思いつきをテキトーにやったり
「……ふ。ふふ。じゃあ……もとが……『やっぱり考えるの大事』って言うことも……あるかもしれない……?」
「そぉ!」
「……うん……。いいね……いいと、思う……臨機応変、大事……」
「ホント!?」
相変わらず、身体の距離は少し離れてるわたしたち。
でもその分、言葉でじゃれ合うことを、ちゃんと積み重ねていたのかな。
一日の“生活”が終わって、夜の眠る時間になって。わたしも一度は眠りました。だけど途中でふっと目が覚めてしまって、竹製のベッドを抜け出しました。
星空の下に並ぶ、くっつけた三つのダブルベッド。みんな眠っています。それぞれ特に眠る場所は決まってないんですけど、両の端っこはわたしとはるみが陣取ることが多いかな。広く大きく作ってあるので、わりとゆったり寝られます。距離が近いのが苦手って言っても……こういうことなら、既に平気になってきてたんですよね、わたし。これも不思議だったことのひとつです。
ベッドから少し離れて、みんなを眺めました。わたしの隣に寝ていたのは……百年子です。わたしは百年子の寝顔をしばらく見つめて、それから高台のほうへ行くことにしました。
『楽園』にはハシゴで登れる高台がいくつかあります。そこに上がると、池袋の街が見渡せます。みんな、なにか考えごとがあるようなときは、ここに来ることが多いみたいでした。わたしもそう。
ただ、池袋の街が――とは言っても、どこも廃墟状態ですから。ビルの窓の明かりも看板のライトも道の街灯もなくて、夜景が見れるわけじゃありません。月と星の光があるだけです。
「……まっくら……」
こんな暗闇を見ていると、人間が夜に眠るのは、「ただそうするしか仕方がなかったから」なんだなと感じます。そういえば朝型か夜型かは遺伝子で決まるって、なにかで読んだ気がします。本当なのかな。本当だとしたら、大昔から夜型のひとは遺伝子に抗うことを強いられ続けてきたってことなんでしょうか。
それ自体は、とても大変なことだけど……“遺伝子に抗う”っていうところにだけは、不謹慎にもちょっと魅力を感じてしまいます。強いられるのは嫌ですけどね。
なんだか、わたし。心の根っこは、案外反抗的なのかもしれないです。
ここで一緒に暮らしてるみんなは優しいし、それぞれのありのままを受け入れてくれる感じがするから、わたしの中にそんな気持ちが生まれたことはないです。だけどきっとわたしの本質はそこ。
だからもしも外の世界のどこかの誰かが、わたしたちのなにかを侵害してきたとしたら。意外と強引に自分を貫いちゃうこともあるかもしれないなと思ってました。ふふ……それってきっと本当にそうなんだろうなと、今ならわかりますけど。こんな着物、着てるくらいですから。
そんな自分を改めて省みて、わたしは考えます。
……わたしは、あの子を受け入れようとしてました。でもあの子のほうは……?
「……わたしの、そんなところも……受け入れて……くれる……?」
ふっとそんな想いが降りてきて、わたしはつい呟いていました。
「……さおりぃん……?」
そしてそれを待っていたみたいなタイミングで、後ろのほうから細い声が聞こえました。
「も、もと……?」
独り言を聞かれなかったかと恥ずかしくなって振り向いて……目を凝らすと、百年子が高台を見上げていました。
「……さおりん、いたぁ……いないから、びっくりしちゃったよぉ……」
百年子は眠そうなくぐもり声です。ベッドにわたしがいないのに気づいて、わざわざ探しに来てくれたみたいでした。
「ご、ごめんなさい……ちょっと考えごと、してて……すぐ、降りる……」
百年子の声が妙に心細そうに聞こえたので、わたしは慌てて高台を降りました。
「おトイレ……せんぷうき?」
「え、な、なに……? ……あ、寝ぼけてる……のか……」
目を擦りながら、もにゃもにゃと噛み合わないことを呟く百年子。そのいかにもな寝ぼけぶりに、微笑ましい気持ちになりました。さっきの少しだけ不安な気持ちは、すっかり消えていました。
「……大丈夫……わたしも、また寝るから……一緒に、戻りましょう……」
「ぅゆ……うん~」
百年子がつまずいたりしないように気をつけながら、ベッドへ誘導します。
……寝ぼけて気付かないであろう彼女の背中に、そっと、手を添えながら。
わたし、苦手だって思うことのいくつかは……もしかしたら本当は、苦手じゃなかったのかもしれません。
だってわたし、この子の明るさとぎこちない気遣いに、守られてるって思うもの。
だからわたしも、この子を守りたいって思うもの。
なんとなく考えます。わたしはいつだったか、この“旅行”よりも前に。この子が震えてるところでも、見たのかもしれないですね。そのせいなのかな、この子から目が離せないのって。
それともわたしが、ただ純粋に……この子を見てたいと、
まだ少し、わからないです。うん……まだ。少し、ですけどね。
でもこれはきっと、わたしの自然な気持ち。それだけは、わかります。
ふふ……強いて言うなら、それがわかるってことが不思議ですけど……でも『感じるままに信じる』って、優しくて勇気のある誰かさんも言ってたから。
わたしも少しだけ、見習ってみようかな? って、思うんですよね。