桝田省治死す。

企画書をかいてみよう

 他人にものを教えることが不向きと自覚している僕のような者にも、年に一度くらい間違って講義の依頼が来る。 そういう場でクリエーター志望の若者からよく出る質問が“企画書の書き方”だ。
 そもそも企画書とは、なんだろう? 僕はこんな風に考えている。
 企画の可否を判定する立場の人やグループに対して、自分のアイデアを伝えることで、 調査や研究や開発などの費用や時間をもらうための道具のひとつで、 その多くは主に手軽さから文字や絵や表が書かれた数枚の紙。あるいは今どきならパワポで処理されたデータ。
 この定義には四つの重要なポイントがある。
1.企画書は、提案の可否を判定できる立場の人が読んだり見たりするものだ。
2.企画書は、自分の提案の意図や内容を伝える道具だ。
3.企画書は、提案の内容に対して予算や時間を使う価値があると、読んだ相手に思わせることが目的だ。
4.四つ目は、最も重要なことなのでもったいぶってこのコラムの最後に書くよ。

◆エライ人は忙しい!

 企画書は、浮かんだアイデアを忘れないためのメモ書き、その記録を整理しなおしたまとめの類いではない。 自分のためではなく100%企画書を読む相手のために書くものだ。
 企画の可否に最終的な判断を下す立場の人は非常に多忙だ。あなたの提案以外に常に山ほど案件を抱えているし、案件の過半が緊急だ。だから企画書を作成する際は「これを読む人は世界中で一番忙しい。たぶん時給は十万円だ」と考えておいてちょうどいい。
 実際のところ、キャッチフレーズとタイトルが書かれた表紙にまったく興味を惹かれなければ1秒で終わり。二枚目にセールスポイント(三つ以内だ!)が簡潔にまとめられていて、そのセールスポイントがわずかでも琴線に触れなければ即ゴミ箱。ここまでだいたい30秒。三枚目に書かれた企画の概要に目を通すために与えられる時間は最大で3分。もしもあなたの企画書を読んでいる人が自分で四枚目をめくったなら、とりあえず喜べ。その企画は三つほどハードルを越えて少なくとも大筋は理解されている。審判はすでに提案の可否判断を行うために粗さがしをしているはずだ。
 何日も場合によっては何年もかけて作成した渾身の企画書がたった3分しか見てもらえないことに驚いた方もいるかもしれない。まして即ゴミ箱行きなんて信じられないだろう。だが、数秒前まで企画書だったものが会議室の中空を舞う紙吹雪に変わる光景を、僕は半世紀ちょっとの人生の中で二度見た。そして悟ったよ。世界中で一番忙しくて時給十万円のエライ人は、必ずしも人格者じゃないし貴重な時間を無駄にすることが大嫌いなのだ。

◆企画書の現物を見てみよう

「勇者死す。」の企画用のメモを最初に書いたのは二十年ほど前だ。実際に企画書の形にしたのはそれから数年後。あちこちのメーカーに持ち込んでみたが平均して5分ほどでゴミ箱行きになった。そこで半分やけくそ、半分シャレでその企画書を僕のホームページ(管理が面倒くさくなって今は閉鎖)で公開した。題して“誰か買ってよ「勇者死す。」”だ。
 さらに数年後、携帯アプリで制作が決まったときに公開した企画書は消した……はずが、どこかの物好きがいつの間にかコピーしたらしい。“誰か買ってよ「勇者死す。」”で検索すれば今も誰でも閲覧できてしまう。著作権もへったくれもあったものじゃない(笑)。
 当時5分でゴミ箱行きになったとはいえ3分の壁はクリアしていただけあって、セールスポイントやゲームの概要はコンパクトにまとまっている。企画者が何をやりたくてどんなゲームを作りたいのかもよく伝わる。その点は参考にできる。ただし企画書作成からゲーム化まで、携帯アプリ版で十年ちかく、来年の2月発売予定のVita版はさらに八年もかかったわけだから、先に書いた「企画書は開発予算の獲得が目的」という点では大いに難がある。勇者が魔王を倒すまでを描くRPGに多くのユーザーが満足し実際に売れていた時代に「勇者が魔王を倒したあと」の面白さを提案しても、まあ予算はつかないよなあという当たり前の話だ。
 さて、冒頭で明かさなかった四つ目の重要ポイントだ。実績もありそれなりに名の通ったクリエーターでも企画が通る確率は野球の打率と同程度。社内プランナーならもっと低い。ただし企画書なんてしょせんは紙だ。パワポならそのコストすらかからない。慣れてくれば3時間もあればまとめられる。思いついたらすぐに書け。電車の中でも食事中でも排便中でも書け。紙吹雪にされてもめげずに書け。それが企画を通す最高のテクニックだ。